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夜明けの塔一層で確保していた部屋をトイレや休憩所に変更したのでご自由にどうぞという話だとか、ダンジョンの初期化の仕組みの話だとかも楽しいものだ。
ただ何というか、今日のわたしは忙しい。特に視線をどこに持っていくかが大変に難しいことになっている。
『動画と現実とどちらを注視すべきか迷う場面ですが、そろそろミミックが動きます』
お? お? と見直し始めたところで軍の人たちが家から出てきた人に気がつき遠くからおーいとか何とか声をかける。すごいよな、ミミックの群棲なのに人にしか見えないものがあるんだぜ。さっきのヤギもそうだけどさ、これ、人っぽく擬態しているだけのミミックなのでね、声帯がないから話せないし、しぐさだって人をまねているだけだから違和感を感じることがあるかもしれない。それでも、よほど近づかない限りは初見でこれを魔物の擬態だと見破ることはできないだろう。
そして家の周囲では見つかった井戸に近づいていったり、小屋の扉を開けようとしてみたりと、あちらこちらで調査が始まる。
家から出てきた人が何を言っているのか分からないというようなポーズをしてから、家の中へと戻っていく。これに引っかかった兵士が2人、追い掛けるようにして家へと上がっていった。
その時だった。家が井戸が小屋が木の柵がヤギが木が草が石が、そのエリアを構成する何もかもが一斉に牙をむいた。
文字どおり家の軒先や井戸の穴の縁や小屋の入り口や、そこかしこが口になって、そこには牙が並んでいて、そしてバクリガブリと兵士たちに襲いかかったのだ。
ミミックを知っていても、その生態を知っていても、画面越しに映像を見ていても、え、となる。一瞬何が起こったのか分からなくなる。家の軒先がそのまま閉じられ、中に入っていた2人が飲み込まれる。井戸の縁がぐにゃりと曲がってのぞき込んでいた1人をくわえ込む。小屋の入り口がぐにゃりと曲がって入ろうとしていた1人をくわえ込む。それ以外のあらゆるものもまた、近くにいる兵士を襲い始めていた。
「なあ、聞いていいことかどうか分からんのだが、聞いてもいいか」
うわーと思いながら映像を見てぴょんぴょんしていたらクリストさんから訪ねられて、うわーとなって足を止めてから意識を質問の方へ回す。
「なんでしょう?」
「学園はどうしたんだ?」
おっとそこを気にしますか。まあこの人たちはわたしが学園に行っていることを知っているしな、気にはなるよな。実はその学園でのわたしの状況はなかなかに面白いことになっているのですよ、うひひ。
「いえ、学園で授業が始まったと思ったらさっそくいじめられまして。つらく苦しく悲しいので実家に逃げ帰ってきたのです」
この言葉にしたところで感じるどうしようもなさ。町の学校ですらそんなことは早々起きないことなのに、国家が運営する学園でそんなことが起こり得るのかというとても面白い事態なのです。
「何でそんなに楽しそうに言うんだよ‥‥いじめられてってのはマジか。子爵家の長女だろう? いじめるようなやつがいるもんなのか」
「いるんですよこれが。うち、領地持ちの子爵家筆頭だと思うのですけれど」
冒険者であるクリストさんですら簡単に理解できるような状況だよ、お手上げーとポーズも付けてみましょうか。
「そういう言い方をするってことは‥‥」
「もちろんわがセルバ家の方が上ですね。よくぞと思ってしまいましたが当人分かっているのかどうかはかなり怪しいですね」
「で、これ幸いと遊んで‥‥」
「これはお仕事。お仕事なのです。セルバ家の大事なお仕事」
そう、別に遊びに来ているわけではないのです。後ろでヴァイオラがうんうんとうなずいているけれど、これはもちろんお仕事なのです。分かれ、分かって。
ちら、うん、この顔は遊びに来ていると思っているな? 話題を変えましょう。
「あ、それでわたしも鑑定してもらったのですよ。すごいですよ。何もなさ過ぎてびっくりします。わたしこんななのかってさすがに思いました。これがいじめの原因らしいのですよねえ」
ぴらぴらと鑑定結果を持ち上げて振ってみる。われながらこれは細かいところまで分かるようにしすぎたかもと思うような鑑定結果が出ているのでね。でもキャラクターシートってこういうものだよなあって、どんどんどんどん項目を追加していった結果なのでね。皆さんもここへ来た時にやってみたのでしょう? すごいですよね、これ。びっしり書き込まれるあれやこれや。この意味の分からなさには笑うしかない。
「おーい、隠しておけよ。見せびらかすものでもないだろう」
「平気ですよ。わたしの肩書なんてまだセルバ家長女と学園一年生くらいですよ。まあ本当のところ、ルーナさんいわくわたしの能力値自体は多少の高い低いはあっても総じて普通だそうです。クラスやスキル、ギフトだとかが何もないこと以外はおかしなところはないみたいですね」
うん、こういう数値はね、ちゃんと設定があるので。コモナーという一般人に分類されるクラスだと補正がほぼないので、当然ここには普通の数字が並ぶことになる。わたしもクラスはなくとも数字は補正なしと同義なので普通になるのだ。
さすがに能力値のところは手を置いて隠しながら、こう、と見せてみる。
「おーい、さすがにヒットポイントとかも隠しておけよ。‥‥これも普通なのか? 少なくないのか?」
「うーん、ヒットポイント3。少なく見えますよね。でもこれもルーナさんいわく、普通だそうです」
おっと隠し損なった。でも、うん、これも普通、なはず。わたしも知った時には少なっとは思ったけれどね。
わたしが自分のヒットポイントを知った一番最初の時の数値、2だよ2。あれから何年もたって、体も鍛えてきたけれど、数値的には1しか増えていないというね。これな、とてもとても面白いのよね。現実的には違和感だらけなのだけれど、これはゲームなのだと考えると別におかしいわけではないっていう、現実に対してゲーム的な処理が入っているせいで突っ込みどころ満載なのにこれでいいっていうどうしようもない面白さがある。
「あのですね、普通の一般の人、クラスがコモナーというものになるそうですけれど、大人でもヒットポイントは4か5だそうです。6あればすごいと。それでよく考えると当然なのですよね。えっと、ロングソード、あるじゃないですか。片手で振るってダメージが1から8だと聞きました。それで、ロングソードで一般の人を切ったとしたらどうなるのか。当たり所が悪ければ普通に死にますよね。おなかばっさりとか、おなかぐっさりとか、普通に死ぬと思いませんか。そういう切られ方をしたら、それはダメージは最大の8が出るでしょうし、そうなれば当然ヒットポイントはマイナスになりますよね」
こうで、こう、とポーズを付けながら説明してみる。分かるだろうか、このどうしようもない面白さ。あまりにもゲーム的なヒットポイントの処理だと思う。
ヒットポイントが0になると気絶、マイナスになると死亡する。一般人で4か5、ロングソードで1から8、それは当たり所が悪ければ死ぬという処理になるだろう。ナイフだって包丁だって草刈り鎌だって死ぬことはあるだろう。そうするとわたしのヒットポイントが3というのも別におかしくはない。話をそっと聞いているギルドの職員さんたちのヒットポイントもみんな同じようなものだろう。だからここまではおかしなことではない。
でもここで考えてみてほしい。冒険者のヒットポイントというものを。
「ヒットポイントの補正はクラスとレベルによるそうですよ。皆さんはかなり高そうだなと聞いているだけで分かります。冒険者、すごいですね。ロングソードでぐっさりやってもびくともしない?」
「するぞ、普通にする。と思うんだがなあ。話を聞いていると、何というか、自信がなくなってきたな」
意味が分からないよね。例えばクリストさんはレベル10のファイターだけれども、そのヒットポイントは55だ。ダメージ修正なしとした場合だと、ロングソードで最低でも連続7回最大ダメージを出さないと倒すことができないという計算になってしまう。ロングソードでおなかぐっさりを7回。あり得ないと笑うしかない。
例えばカリーナさん、大人の女性代表として選ばせてもらうけれど、ソーサラーのレベル9、そのヒットポイントはなんと35だ。すげー。ロングソードの最大ダメージを4回耐えられるんだよ。さらにシールドとかメイジ・アーマーで防御を引き上げるのだから、それはメドゥサに放り投げられても平気だし、エンジェルにぶん殴られても平気だよね。
この冒険者のヒットポイントの非常識感よ。ロングソードの最大ダメージ何回に耐えられるのかなんて、もちろん現実的にはそんなことはあり得ないのだけれど、数値的にはそうなっていて、そして実際の処理もそうなっている。
ここまではゲーム的な処理の話で、現実に違和感を感じないようになっている部分はどう処理されているのだろうということを考える。例に出すのに適当なのかどうか分からないけれど、メフィットの時の粉塵爆発を取り上げよう。
あの時カリーナさんのヒットポイントは一瞬で0まで持って行かれて、そして気絶のまま時間経過で死亡に至りそうだった。こわー。そしてクリストさんはあの時は一瞬で一桁まで削られて、それに加えてもうろうの状態になっていた。ね、この部分だけを切り出してみると、実際に行われた処理と結果に違和感はない。粉塵爆発のダメージがそうなるように設定されていたのかどうかは分からない。分からないけれど少なくともこの時の事象は違和感のないものになっていた。
面白いよね。ゲーム的な処理と現実的な処理、一般人のヒットポイントと冒険者のヒットポイント。ものすごい違和感を感じるのに、なんだかんだうまいこと現実に落とし込めている感じもする。
冒険者さんたちが連続で何回も攻撃を食らって、ゴリゴリとヒットポイントを削られていく場面ていうものは見たことがないから分からないのだけれど、もし本当にそんなことになったら恐らく精神面の判定の方が先にきて、いわゆるSAN値、正気度から先に削られていくんじゃないかなあとか思っているのだけれどどうなのでしょう。それともそういう状況に陥ったらクリティカル判定にして、ダメージを倍率ドンで計算することで一気に削るとかするのだろうか。こういう考察も面白いよね。
楽しくお話しをしている横の小窓では、家に何かが投げ込まれて爆発炎上、小屋にも火が放たれ、そこかしこで足もとの何かを蹴り飛ばしたり、手近な何かを切りつけたりしながら軍はどうにかミミックを倒していった。
最初の衝撃から立ち直ってからはそこまで問題になるような相手ではない。
それでもかなりの被害が出ていることが分かる。家の中から引きずり出された2人や、井戸や小屋に食べられた2人はほとんど動けない状態だし、それ以外の場所でも急に襲われたことでダメージゼロというわけにはいかなかったようだ。
さすがに炎上してしまってはどうしようもなくて家も小屋も撃破されてしまったし、それ以外でも小型のものは本当に蹴り飛ばされただけでも終わってしまうしで、ミミックが軍を相手に大勝利とはいかなかったけれど、でもこれは、わたしたちにとっては大勝利といってもいいくらいの戦果なのではないかと思う。
『はい、大勝利と言って良いでしょう。想定していた以上にうまくいきました。やはりミミックの群棲は素晴らしい。環境そのものを作ってしまうこの能力は使いどころがいくらでも思いつく。地下世界でも効果的でしょう』
そうだよねえ。危なすぎてあっちもこっちもとはいかないけれど、どこかでピンポイントで投入してみたいと思わせる。ダンジョン内でもさ、ミミックが9階のエリア選択で選ばれたら、景色を作り出すパーツとか組み合わせとかを何パターンも用意しておくようにすれば魅力を維持できるだろうし、今回は見つけてはもらえなかったけれど、ここから他のエリアへの接続もいろいろと考えられるし。ミミックは大成功だったといっていいのではないでしょうか。