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ヴェネレのダンジョン地下11階。ここが夜明けの塔として機能し始めたらここはマイナス1階、地下1階ということになるのかな。わたしは今、どこからも入ることのできないように作られた、そこにいる。
壁紙はクリーム色? ストロー色? ススキ色っていうのか? 分からん。とにかく淡黄色で当一されている。
約10畳の洋室にはいつもどおりにスライムさんが鎮座していて、その近くにサイドテーブルがポンと置かれている。それ以外にもソファ代わりにもなるいわゆる脚付きマットレス、色はホワイト。コンパクトなキッチンの前にはカウンターテーブルとスツール、色はナチュラルウッド、金属部はホワイトだよ。コンパクトなハンガーラックとオープンシェルフ、これもナチュラルウッドとホワイト。そろえた家具はこんな感じね。
家電は天井の照明がLEDのシーリングライト、他のところの照明も全部LEDだよ。省エネ省エネ、ここでやることに何の意味があるのかは分からないけれど、とにかく環境に配慮しましょうの精神。キッチンには小型2ドアタイプの冷凍冷蔵庫、機能のシンプルな電子レンジ、トースターと電気ケトル、コーヒーメーカーを完備。2口のコンロはIH。電気がどこから来ているのかって? そんなことは聞くな。冷暖房や洗濯機はさすがにいらないだろうということで今のところ設置なし。
その他にもウォークインクローゼットに洗面所、トイレとバスルームは別。玄関収納も広めに確保。玄関の先は、先は、先は今はまだ何もない。真っ暗闇で本当に何もないのだけれど、ここが深淵だったりはしないでしょうね。嫌だよ、扉を開けたら何だか良く分からないものとこんにちはみたいなのは。
この部屋は地下11階に作ったワンルームマンション風のわたしの部屋だ。どうだ、どう考えても誰にも見せられないぞ。いいのだ、誰にも見せる予定はないのだから。
ちなみに玄関の先には何もないけれど、リビングにはババンと大きな窓が付けられていて、開けると庭に出られるようになっている。ただし中庭風でぐるりと壁に囲まれていてその向こうを見ることができないし、当然そこには何もない。庭は芝生が敷かれていて、一角にはモッコクが壁の上にまで頭を伸ばしている。その横にはまだ背の低いモミジの木が赤く色づき始めていた。部屋から見た場合の正面には花壇スペースも作ってあって、コスモスやキキョウ、キク、ダリアだとか、ヴェネレに季節感もありでいい感じにお願いとしているのでそれはもういい感じに咲いている。
今日の天気は晴れ。庭に置かれたリクライニングチェアに寝そべれば、壁で四角く切り取られた青空が見え、視界の隅の方ではモッコクの枝葉が風になびいてゆっくりと揺れている。この空がどこの空か、この風が何の風かを問うのは野暮というもの。地下世界のものですらないからね。それにしても、うはー、ここはいいねえ、心が穏やかになるよ。
『くつろいでいるところ申し訳ありませんが、終わってしまいますよ』
おっとそうだった。部屋に戻ってスライムさんにダイブ。壁面に映像を映し出してもらうと、今まさに激闘は佳境を迎えようとしていた。
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ドーム型の薄い黒色をした膜の内側で、エンジェルがメイスをポンポンと手のひらに当てながら冒険者たちを見ている。その黒い膜にひびが入り、パリンと割れた。
そのタイミングで先手を取ったエンジェルから魔法の矢が飛び、エディはそれを盾の表面で反射させ、逆に相手へと魔法の矢が当たる。フェリクスとカリーナは防御魔法をかけているのか、その効果を信じて攻撃をそのまま受け止めた。
クリストは背後から、エディは正面から攻撃をしかけ、フリアも横からナイフを投げる。フェリクスはファイアーボールをカリーナはマインド・ウィップの魔法を使ってダメージを積み上げる。
それでもまだエンジェルを倒すことはできず、相手は翼を広げて飛び上がると閉じた翼を大きく広げ、そこから光の羽が周囲にばらまかれた。さらに自分自身は滑るように飛び、メイスを振るってフェリクスを殴り飛ばし、そして右手をかざして雷撃を放つとそれがエディとクリストを貫く。
冒険者たちの間を縦断するように飛んだエンジェルが、最後尾にいたカリーナのさらに背後に回り込んでメイスを振るう。対するカリーナはファイアー・スタッフを構えて迎え撃った。カリーナが殴られて地面に転がるのと、相手を包むようにファイアー・ウォールの魔法の壁が立ち上がるのはほぼ同時だった。
炎の壁の中にいるエンジェルにフリアがワンドの力を借りてマジック・ミサイルを放ち、フェリクスがライトニング・ボルトを重ねる。そして続くようにクリストが炎もいとわずに飛び込んでエンジェルへと剣を突き立てた。
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ぱちぱちぱちぱち。
まさにクライマックスを見ることができたのではないでしょうか。
エンジェルの体が光の粒へと変わっていき、その光は天井へと昇りながらパラパラと宙に散るように消えていく。ゴトンと音をさせてメイスが床に落ち、薄く光を放つなかなかにきれいな魔石が残された。
ついに9階のフロアボスであるエンジェルを撃破ですな。見た限り、こちらの提供した道具を存分に使ってもらえたのではないでしょうか。
「エンジェルとデビル、そこにガーゴイルもいたらと思うとな」「一度に出してこないのは本当に親切」「武器も道具もみんなダンジョンに用意してもらった」
そういう感想を聞くとそれはそうとしか言えない。今回選択されたこのボスエリアの魔物は初期段階でガーゴイルがいて、そのガーゴイルはダンジョン内の仕掛けで消すことができて、それからボス役として第1段階デビル、第2段階エンジェルとなっている。これを全部一斉投入なんてしたら、それこそひどいことになるのでね。それと武器防具道具類の提供はこちらの思惑どおりなので気にしないでほしい。
「だがそれでもこれで俺たちの勝ちだ」
うん、それでいい。それでいいと思う。冒険者さんたちは十分に役目を果たしてくれている。その実力も疑いのないものだし、こちらの提供したあれこれをちゃんと生かせているのだから、そこも含めてのわたしたちの高評価なのよ。
それから冒険者さんたちは小休憩を取ってから階段を下り始める。でもそこからが長い。いつもの階段よりさらに長く、長かっただろう8階から9階への階段よりさらに長く、9階から10階への階段は続いていく。この階段の途中では休憩もできないだろう。階段を下りたところが安全かどうか気になるだろう。今すぐにでも十分な休憩を取って使い切ってしまっている魔法を回復させたいだろう。不安になってきているのが分かる。
「見て、下に光が」
そう言うフリアさんの声が少し震えている。いつまでも続くかと思われたその時間も、終わる時がやってきた。眼下にかすかに光が見えてきて、全員がもれなくため息をつく。そしてついに冒険者たちが10階に到達した。
下り立った場所はいつものしっかりとした石組みのダンジョン。その場所は八角形をしていて、階段はその中央に下りるようになっている。左右や背後は壁がそそり立ち、通路は正面、真っすぐに進むものしかない。ここも9階と同じようにダンジョン全体が明るくなっていて照明を用意する必要はない。
正面に続く通路の先はまた同じような八角形の部屋にたどり着き、その部屋の中央には箱が一つ転がっている。その部屋からは正面に通路が、そして左右の通路はダークゾーンによって視界が閉ざされている。さあ箱を調べるんだ。
真四角な箱の1面には鍵穴があり、それ以外の面には古語で文章が書かれている。3階や6階で使ったのと同じ文字もあるし、それ以外の文字もある。書かれている文章は同じ、「開けて」だ。この箱の鍵は6階の物置で見つけているでしょう。さあ、開けて。
鍵を取り出し鍵穴に差し込むとピタリと合う。それを回すと箱の全ての面がバラリと離れて開き、中から人の頭ほどの大きさの金属製の球体が現れる。球体は宙に浮かび、そして折りたたまれていた手足を伸ばし、翼を開く。パタパタと翼を動かしながら球体は姿勢を正し、球の中央部分の細いスリットが上下に開くと、そこに目が現れる。
モノドロン。ルーナに持たせたプリムスという特殊なクラスによって管理される機械仕掛けの種族、モドロンの中の一つだ。モドロンにも何種類かいるのだけれど、今回は冒険者さんたちを広場へ連れて行くための案内係をこのモノドロンにお任せした。
そのモノドロンが背後に手をまわすとそこからどう見ても不自然な大きさの看板が出現、その表面に文章が書かれていて意思の疎通を図れるようになっている。古語が読めるカリーナさんにたどたどしいながらも何とか、ようこそ、こっちへ着いてきてという内容を理解してもらって、それからダンジョンを出て外へ。
さすがに皆さん、外へ出た瞬間おおーってなる。そうよねえ、空が見えていて風が吹いていて、木や草が生えていて。本当に地下世界っぽい場所へ出てきたんだなっていう感慨を覚えていることでしょう。でもまだなんだ、本格的に外へ出るにはまだやらなければならないことがあるのです。
ということでモノドロンが壁沿いにある宝箱へと冒険者さんたちを連れて行く。宝箱には鍵なし罠なし、そこは安心してもらって大丈夫。中にはメッセージが1つ、そして10階の機能を回復させるための鍵が1つ入っている。
メッセージの内容はざっくり言ってしまうとなぜ塔を上ることにしたのかというものだ。昇降機を見つけることすらできなかったこと、10階の機能を回復させるための鍵は手に取ることすらできなかったこと、モノドロンを使えるようにするための鍵もやはり使えなかったことが書かれている。仕方がなく歩いて上ることにしたという説明だね。
祝福よあれと神は言う、永遠にあれと神は言う。祝福を得て永遠を生きる彼らは進歩も発展もないままにただ時を重ねた。嘆き悲しみ苦しみ惑い、死に向かって懸命に歩んでいた日々を懐かしいと思ってしまった。だから、かな。塔を上って神様に直訴してこの永遠を終わらせてほしいと、そしてかなうのならば未来をつかみ取りたいと、そう思ってしまったのだというお話がここにはある。
この祝福と永遠が彼らの行動を制限しているという設定。これがある限り、彼らは塔の機能を使えず、地上を目指すことすら許されない。現在、地下世界のほとんど全てがこの2つを持っている。ほとんどというのはルーナは持っていないからだね。もしかしたら他にも持っていないNPCとかがいるかもしれないし、いないかもしれないよ。
ことのあらましを知った冒険者さんたちは塔へと戻り、モノドロンに示されるままに八角形の部屋の床にある窪みに宝箱から入手した鍵を使う。すると左右の通路に広がっていた闇が奥へ奥へと下がっていって明るさを取り戻す。正面から塔へ入ってきて右の通路の先には昇降機、左の通路の先には転移のための魔法円。階段側通路と左右の通路には部屋として使えるスペースがいくつかあって、この右側の通路にあるそのスペースの1つには木製のカウンターがあることが見えていて、何かありそうということで冒険者たちがそこへ向かう。
驚きの表情を見せて立ち止まる冒険者たち。
カウンターの向こうには等身大の人形。
モノドロンが部屋の中へとふわふわと漂って行き、壁に付けられた青い球体をつつくと、その球体に明かりが灯る。そして人形は目を開き、緑色のガラス球のような瞳に冒険者たちを映し出した。
「※※※※、※※※※※※※※」
モノドロンがふわふわと近づいて肩に手を置き首を振る。
そちらをちらりと見て首をひねった人形がまた冒険者たちを見る。
「××××、××××――」
首を振ってみせるとまた首をかしげる。
「****、****――」
首を振ってみせるとまた首をかしげる。
「イ#%&””=オ%#”」
首を振ってみせるとまた首をかしげる。少し発音が分かるところがあった。
「わ、))’&”わたしの)(###」
冒険者さんたちが使う言葉と同じものが混ざり、通じ始める。
「――失礼いたしました、これでよろしいでしょうか。ようこそ、来訪者の皆様。ここは夜明けの塔一層案内窓口です。私がここに設置されてより1865年と273日16時間45分22秒、皆様が初めての来訪者となります」