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話し合いは終わり、授業に戻る2人には繰り返し何度も何もしてはいけませんよと念を押し、事務室に用意されていた外泊許可の書類に記入、それにベトル先生が許可のサインをすることで準備は完了して、わたしはようやく学園の外へと出て行った。
この時間に学園を訪ねてくるような人はそうはいないということもあって、とても暇そうな門番さんにお務めご苦労さまですとあいさつをしてから、門前から少し外れて荷物をヴァイオラに渡すような形を作る。
このタイミングでヘルミーナが物音を立てる。ガタガタガタッと何かが崩れるような音がして、門番さんの視線がそちらへ行った瞬間、わたしたちの姿はその場から消えた。
行き先はミルト、久しぶりというほどでもないか、一週間ぶりくらいの我が家だ。懐かしの自分の部屋に現れたわたしを迎えてくれたのはユーナだった。
「お帰りなさいませ」
「はーい、ただいま、ユーナ。今日はお父様たちは?」
「ブルーノ様は国からの視察団を迎えるためにミルトへ行っています。イレーネ様とアーシア様がいらっしゃいますよ」
お、もう来るのか。冒険者さんたちが今日明日くらいに10階に到達、国からの視察が明日明後日に到着。まあまあなタイミングじゃない?
荷物はもういらないので、えーっと、ヴェネレのところでいいか、ぽい。それではお母様たちにごあいさつといきましょう。
階下に下りるとリビングでお母様と叔母様が書類を眺めながらお茶の最中だった。
「ただいま戻りました」
声を掛けるとさすがに驚いた表情がこちらを向く。
「‥‥連絡は見たしユーナも来ると言っていたから本当だろうとは思っていたけれど、こんなに簡単に戻れるものなのね」
「学園の門前からひとっ飛びですよ」
超簡単。演出のためにもポータルは欲しいななんて考えて作ってはみたものの、いざ移動となると瞬間移動の方が手間いらずで簡単だということだね。
それから一緒に下りてきたヴァイオラを紹介する。こちらヴァイオラ、これからデージーのところで森の管理人をお願いします、くらいの簡単な感じで。
よろしく、ぺこりとヴァイオラが一礼する。
さて、それでは本題に入りましょう。
「それで、何があったの?」
「ええっとですね、学園に入学して早々に同学年の男子生徒からのいじめを受けまして、ちょうどいいタイミングだったのでこれ幸いと、家に帰らせていただきますと言って」
「待って待って、いじめ? 本当に? どこのどいつよ?」
「対策は一応学園側に一任はしてきました。少々複雑な形にはなるのですが、経緯を説明しますね。ああユーナ、お茶ありがと」
ちゃんとお手伝いしているなあ。自分よりも小さい子が頑張っているみたいで和むわ。
事の発端は結局、わたしがクレーベルさんを捕まえたことになるのだろう。
問題を抱えていそうなカローダン州を治める侯爵家の娘、クレーベル・フォン・ヘルゼンバンド。一人でいるところをわたしが捕まえて仲良くなろうと試みたところから始まり、それがカローダン州に隣接するバルトレーメ州を治める伯爵家の息子、バート・ハーレンシュタインの知るところとなった。
カローダン州とバルトレーメ州の関係は今はまだ分からない。ただ何かしらの問題があるのだろう。バート・ハーレンシュタインはヘルゼンバンドを揺さぶるという目的から、自領のグース地区ザトワを治めるカート男爵家の息子で、わたしと同じ1年生のガイウス・カートを使った嫌がらせを行うことにした。そしてガイウス・カートは予定どおりにわたしに対する悪口雑言を振りまくことから始め、そうしてついに直接暴力を働くという行為に至ったということだ。
「男爵? 男爵の息子? それが暴力? 正気?」
叔母様がびっくりしすぎて疑問符だらけになるのは、それはそうだろうと思う。どんな理由があるにせよ、入学したてというこんな時期にそんな身分差で暴力を振るうとか本当に正気の沙汰ではないと思う。
「ハーレンシュタインと、あとはザトワがグース地区というところの所属のようなのですが、そのグース地区を治めるマルシュ男爵家のガスケ・マルト・マルシュ。この2人がガイウス・カートをそそのかしたという形ですね。どうやらカート家勃興を狙ってハーレンシュタインに認められたかったという思いからのようですが」
「あー、男爵家の下に男爵、なるほどね、それが気に入らなくて、ね。気持ちが分からないわけではないけれど、それで子爵家の長女をいじめる? どういう発想よ」
「あり得ないですよねえ。ところでカローダンとバルトレーメの間の問題、何かご存じですか?」
ガイウス・カートがあれなのはもういいとして、分からないのはここなんだよなあ。わたしにはその手の情報が足りないし、学園にはそういった政治的な話がなかなか入ってこないのよ。
叔母様はここにはピンとくるものがなかったようだけれど、お母様には思い当たることがあったようで、黙って話を聞いていた視線をわたしに向けて告げた。
「領地問題ね。確かカローダンはここ数年で経済規模が縮小しているのよ。鉱山が1つ閉山、他にも収量が落ちているところがあったと思う。土地が山がちで農耕に不向きということもあって、バルトレーメに接している土地で、そのバルトレーメに出稼ぎに行っているとかっていう話があったのよ。地形的にもカローダンではなくバルトレーメに帰属していてもおかしくはないところだとかでね、その一部の地区が中央に訴え出たっていう流れだったかしら。自分たちを食べさせられない、守れないカローダンではなくバルトレーメに税を収めたい、ね」
なーるほど、だわね。なるほど。それはもうバルトレーメから働きかけて訴えを起こさせているとみて間違いないでしょう。ハーレンシュタインがヘルゼンバンドを揺さぶりたい理由があるとすればそこしかないのだから。
こちらに地図がと言ってユーナが見せてくれたものがそのものずばりだった。
中央に王都、東に接するカローダン。王都の南東にあり、カローダンとは北側が接するバルトレーメ。このバルトレーメの北側にグース地区があった。問題の地区はカローダンの南側、山に囲まれるようになっていて、確かにバルトレーメに属していてもおかしくはないと言えなくもない、ような気もする、という地形になっていた。なるほど、これが問題点だったわけだ。そしてクレーベルさんはこの問題をそこまで深く認識しているわけではなかった、と。
「ハーレンシュタインはヘルゼンバンドを上回りたいわけですね、分かりました。わたしとしては嫌がらせの首謀者であるハーレンシュタインよりも、せっかく仲良くなれそうなクレーベルさんを優先したいですね」
「そういったことはあなたの好きにするといいと思うわよ。うちの顧客としてはどちらもただの取引先で、どちらが優先も何もないのだし」
「特別なお付き合いはありませんか」
「ないわねえ。もともとセルバ家はそこまで交友関係を広げるたちではなかったし、領地の話と言われても、ひとまとめにできる農耕地はひとまとめにして管理すべきという判断からリッカテッラができているから、理解が及ばないのよね」
「そんなものですか。学園に行って驚いたことの一つが、地区を治めている貴族が多く、意外と貴族然とした振る舞いをしていることなのですよね」
「ああ、そういう。そうね、そもそもリッカテッラの場合は農地ごとに地区が分かれていて、それぞれの土地の農家組合の長がその地区を治めているというような形になっているから。だから地区を治めている貴族といってもね、全体の3分の1もいないかしら。しかも農耕地開拓の報償で爵位を受けたような家とかで、実質は農家なのよ。視察にも行くし、報告も聞くし、あいさつも受けるけれど、付き合いと言ってもね」
あらあらあら。どうも話すらないなと思ったら、地区代表は農家、なるほど州全体が農耕地なだけあるわね。
「あ、一応ロランドの時は1人いたわよ? ほら、レナート、彼が一応そうなるわね。そしてステラ、あなたの時には1人もいなかったのよ」
なーるほど、お兄様の従者枠。そっかそういうことなのね。それはわたしには何も話がなくて当然ね。いやー、家の資料だと一応地区代表者の氏名がちゃんと記載されているからさ、そういうのが貴族なのかなと思っていたのだけれど、違ったのだねえ。いやもうこれはわたしの知識の不足、不明をわびるしかないわね。というかだ、家にも貴族名鑑みたいなものを置いておいてほしかったぞ。ちなみにその貴族名鑑、ミルトとキノットの庁舎に据え置かれているだけだそうだ。
もう一つ、これはお母様と、あとはお父様にも特に承知しておいてほしい問題。
「バート・ハーレンシュタインとガスケ・マルト・マルシュはお兄様に嫉妬しています。成績、立ち位置、人間関係、普段の活躍ぶり、どこに対してなのか、全てなのかは分かりませんが、本人が自供しましたからね。セルバのやつも生意気だからな、妹をいたぶってやれば面白いことになるかもしれない。そう言っているところを確認しています」
「え、え? ロランドが? ハーレンシュタインに目を付けられているということ? 相手は伯爵家よ、さすがにうちだけで対処することは」
「ああ、大丈夫ですよ、叔母様。ハーレンシュタインはお兄様に直接手を出すようなことはしませんよ。自分への評価というものをとても気にする人物のようですから。ガスケ・マルト・マルシュの方は過去に問題行動で訓告まで受けているようで多少心配ではありますが、何かするとしてもわたしに対してになるでしょう。そうなれば相手はただの男爵家です。どうとでもできます」
問題はハーレンシュタインが誰に何をさせるかという部分で、そうなればやはり、お兄様に直接害が及ぶようなことはないだろうと思っている。わたし? わたしはそれこそどうにでも、どうとでもなる。
「ロランドはね、学園では宰相様のご子息や、アイゼンガング侯爵家のご子息とも仲が良くて、私たちも王都邸で会ったことがあるくらいなの。それに1つ上にいる国王陛下のご子息、三男になるのだけれど、顔見知りで学園で会えばあいさつをすると」
おおー、いい立ち位置にいるのだろうくらいに思っていたら、すごいぞお兄様、さすがだ。国王、宰相、侯爵家と来たぞ、これはハーレンシュタインもグギギですわ。
「成績も申し分のないもので、何だかもう中央のどこに勤めるのかみたいな引き合いがうちにも来ているのよ。リッカテッラは私たちで守れるから、あの子には自由に思うように行動していいって言っているの」
お母様のお兄様上げが続く。すごいぞお兄様、さすがだ。そうね、お父様お母様、叔父様に叔母様、それにわたしも卒業後には戻るしね、それはもうお兄様には思う存分活躍していただきたい。これはもう確定でいいのではないでしょうか。ハーレンシュタインにはぜひわたしの方へ意識を向けていただいて、あわよくば反撃を狙いたいですね。