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こちらへ、と通されたのは応接室だった。面会室とかではなく応接室を使うところに学園側の配慮を感じる。勧められるままにソファに腰を下ろし、背後にヴァイオラが立つ。ベトル先生もヴァイオラの方をちらりと見てから何も言わずに腰を下ろした。
「先ほど、クレーベル・フォン・ヘルゼンバンド様より注進を受けまして」
ああ、クレーベルさんが言ってくれたのか。わたしから言うつもりはなかったのだけれど、さすがに判断が早いね。
「サイオニック、念動による突き押し。もったいないですね。それで学園側の見解をお聞きしても?」
「‥‥そうですね。貴族間のいざこざというものは相応にあるものなのですが、これほど早く動く生徒が現れるということは想定していませんでした。申し訳ありません」
まあそうね、貴族の間で衝突が起きることくらいは考えているのだろうし、対応策もあるのかもしれないけれど、入学したての1年生がいきなり問題行動に出ることまではね、さすがに考えていなかったということね。
そして謝罪から入ったことは評価しましょう。
「そうですね、わたしもああいった行動に出るものはいるだろうとは思っていましたが、早かったという点は驚きでしたから、その点では同意します」
「は、ガイウス・カートの能力も把握はしていましたが、特段問題のある生徒であるという認識はありませんでした。カート家からもザトワの町からの通知にもそういった点では何もありませんでしたから」
ほう。家では普通の子供だったのか。でもなあ、入学前からの素質がないと入学してハーレンシュタインから言われて即行動とか、そんなことにはならないと思うけれど。
「入学してからまだ日は浅いというのにすでに同学年の女子に対して嫌がらせを行い、ついには行動にまで移してしまった。その間は?」
「寮内でも発言があったことは承知しています。とはいえ毎年、貴族が市民に向けて悪口を利くという形ですが、あるものですし、そのために接触する場所をラウンジなど共有部のみとしているのですが、そこまで拡大はしないものなのです。それが今年は対象が、そのう」
「わたしのことは置いておくとしても、貴族と市民との間の垣根を低くすることも学園の意義なのでは? 授業時間の配分を見ても倫理や礼儀作法が少ないようですし、見直した方がよろしいのでは?」
これなあ、気にはなっていたのよね。生徒が楽しめるような興味を持ちそうな授業を優先するよりも、まずやらなければいけないことがあるのではっていうね。なんて、さすがにわたしが口出しするようなことではないから、それ以上は言わないけれどね。こんな入学したての子供に言われて先生もちょっとむっとしてしまったし、口をつぐみましょう。
「こほん、何があったのかを念のためお聞きしても?」
「今日のできごと、ということでしたら、お昼の食堂で背後から突かれ、そして体育の授業では正面から突かれましたね。どちらもこちらに悪口雑言を浴びせてからの行動で、食堂ではわたしが片付けなければと騒いだことで引き下がりましたし、体育の授業では先生が来たことでうやむやにはなりましたが、それがなければどうしたでしょうね」
「それは本当に突きでしたか?」
「離れた場所で腕を伸ばしただけ、突いてなどいない、と言うことはできませんよ。サイオニック、念動による突き押し。わたしは言いましたし、先生も先ほど把握しているとおっしゃいましたね」
「サイオニックと言うことは簡単ですが、見えませんからね」
「体育の授業でも先生がガイウス・カートの能力を知っている、無防備で準備のできていない一般人に使えばどうなるのか参考になっただろうというようなことをおっしゃっていましたけれど、おかしいですね」
「おかしいですかな、何しろ腕を伸ばしただけで勝手に転んだようにも見えるので、と、こう言うことも可能なもので」
「先生が言っていたことは一般論として、と」
「そう言うことも可能だ、ということになります」
「そうですか。そうなりますと、わたしの学園への評価も、今後への期待も低くざるを得ませんね」
まあねえ、サイオニックを分かっている人が少ないかもしれないとは思っていたし、学園側が問題をうやむやにしようと思ったらそこを突いてくることは想定していたけれど、でもなあ、わたしは知っていて、ガイウス・カートの能力が知られていて、現実に問題が起こっているのだから対処してほしいなあ。
「‥‥実際問題として、ガイウス・カートは暴言だけでも注意では済まない状況ではあるのですが‥‥サイオニックを認めますかね」
「どうでしょう。ただ彼はそこにずいぶんと大きな自信を持っているようでしたし、サイオニックであるという自身の才能に依存しているようにも見えましたが」
「‥‥カート家からは何もなかったのですが、町の学校からは視野が狭く直情径行気味であるということが記されてはいましたな」
「狭いでしょうねえ。そして直情径行どころではないでしょうねえ。少しおだてられて、少しあおられただけで、こんなにも簡単に行動に移してしまうのですから。やはり倫理や礼儀作法は重要だと思いますよ」
「重要なのですがねえ。理事会がなあ」
笑ってしまいそうだけれど、愚痴になりそうですよ、先生。
「今回の件を教育の問題として上にあげてみるというのもよろしいのでは?」
「ふーむ、それも一考の‥‥いや、そういう話ではなかった。えー、とにかくですね、ガイウス・カートに関しましては一度こちらに預けてはいただけませんか」
「わたしの方から特に何かをする、何かを要求するということはありませんよ」
「それはありがたい。いや、正直なところ、その場で無礼討ちとされても文句はいえない、セルバ家に身柄を引き渡せと言われても断れない事態ではあるのですが、とにかく一度こちらで対策を協議し、正式な謝罪とともに結論をお渡ししたい」
うん、それでいいよ。どうしたってこれで家に帰って家族に話すことになるからね。セルバ家からは正式な抗議が入る可能性が高いし、そうなってしまってはね、学園ではどうしようもないでしょう。その時までにお父様やお母様が納得できるような対応策を考えておくといいと思う。
「わたしは迎えが来ましたし一度家に帰ろうと思います。一週間から10日程度ですね。その間に何かしらの結論が出ることを期待しています」
「は、ありがとうございます。子爵閣下に失礼のないよう対応させていただきます」
よろしくお願いします。
これでお話はおしまい、というところでタイミングを見計らっていたのか、扉をノックする音がした。
「入ってくれ」
ベトル先生が告げると扉が開き、事務員さんに連れられてクレーベルさんと、お兄様も入ってくる。
「クレーベルさん、ありがとうございました。お兄様も、お騒がせしてしまい、申し訳ありません」
「いや、いいんだ。僕も承知しておかなければならないことだからね」
2人はわたしの座っているソファーではなく、別のイスにそれぞれが腰を下ろす。
ベトル先生からは大まかな状況の説明、それからわたしとの間で決められた今後の対応が話された。
「そうか、大変だったね。君も言われるだろうというくらいは考えていただろう?」
「そうですね。覚悟の上の話なのでその点はどうでもよいのですが、まさかこんなに早く直接暴力に訴える方がいるということは想定外でしたね」
「あり得ないことよ。あなたはあれがザトワだと言っていたけれど、そうなのだとしたら余計にあり得ないことよ。あなたはもっと怒らなければ」
いやー、クレーベルさんやリリーエルさんが怒ってくれるからいいかなって。
「ザトワ? 君は彼が誰なのか知っていたのかい?」
「うーん、この場には先生もいますし言いにくいことなのですが」
ちらりと見る。先生が聞いてしまっていいことなのかというとなあ、という視線。
それに答える先生。
「私は貴族間の話には関知いたしません。何も聞こえなくなる持病を持っているものですから」
まあ適当な言い訳だこと。でもいいでしょう。それでこそ多数の貴族の子弟を預かる学園の教師というものだ。
「今回の件はですね、そもそもわたしが直接の原因ではなかったのですよ。お兄様、バート・ハーレンシュタインはご存じですか。学友、親しいわけではないがあいさつくらいは交わす。クレーベルさんは? 直接は知らないと。はい。結局のところ、ハーレンシュタインのバルトレーメ州とクレーベルさんのカローダン州の問題、それからバート・ハーレンシュタイン、ガスケ・マルト・マルシュ、これがバルトレーメ州グース地区を治める男爵家の者ですが、この2人とお兄様との問題だったのです。
「バルトレーメ州とカローダン州の問題はわたしはまだ承知していませんが、ハーレンシュタインの、わたしを攻撃したことによるヘルゼンバンドの反応を見る旨の発言がありました。それからハーレンシュタインとマルシュによる、お兄様の反応を見る旨の発言ですね。この2つからの推測ですよ。そしてこの2人がガイウス・カートと接触し、わたしを攻撃するようにあおっていったことを把握しています」
先生が顔を覆っているのは問題が大きすぎてどうしようもないという表現なのだろう。気持ちは分かる。ガイウス・カートだけでも大変なのに、ここに来て侯爵家、伯爵家、子爵家、男爵家が関わる大問題に発展しそうときたもんだ。
「クレーベルさんの方は、正直なところやりたいことが良く分かりませんね。クレーベルさんを揺さぶったところでそれがどう州間の問題に影響するのかという部分が見えていない。バート・ハーレンシュタインが嫌がらせとして勝手にやっているだけという方がまだしも理解しやすい。あ、クレーベルさんは関わってはいけませんよ。今回でガイウス・カートは切り捨てられるでしょうし、他のバルトレーメ州出身者はわたしが把握していますからね。何もしてはいけませんよ。それこそカローダン州を攻撃する口実を与えてしまいますからね。
「お兄様も、何も反応してはいけませんよ。何やらお兄様に対してやっかみのようなものを抱いているようですが、手口を見る限りバート・ハーレンシュタインは直接行動に出るようなことは絶対にしないでしょう。今のうちであればただの縁の薄い級友でしかありませんからね。手を出してしまえば構図が変わってしまう。ガスケ・マルト・マルシュに関しては性格的に少々危ういようですが、お兄様相手では分が悪いことくらいは分かるでしょうし、何かするとしてもわたしに対してでしょう。それはこちらで対処しますからね。心配はいりませんよ」
2人には釘を刺しておかないとね。特にクレーベルさんは心配だからしっかりと。お兄様は本当に単なる学友のまま放置しておけばいいと思うので。
「‥‥あなた、どこまで知っているのよ‥‥」
クレーベルさんのうろんな視線はスルー安定。ふっふっふと怪しげな笑みを浮かべておきましょう。
「皆さん、ステラ様を甘く見過ぎなのです」
ここでようやく口を開いたヴァイオラの言葉が真実なのだ。