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ガイウス・カートが動いたのはまたしてもお昼の時間だった。
昨夜も男子寮のラウンジで取り巻きたちと一緒になってわたしを貶めるような発言を繰り返していたそうだけれど、無能というものがどれほどひどいものなのか一度見てみたいよななどという展開になっていたらしい。
部屋に戻って一人拳を握って語っていることによると、どうやらバート・ハーレンシュタインの注目、評価を得て最終的には自分こそがその才能でもって身を立て、カート家の転封を目指しているようだった。その心意気や良しといいたいところだけれど、努力の方向が間違っているのはだめだよ。カート家よりもよほど格上のセルバ家の長女を相手にいじめで名を上げようとか、おまえは何を言っているのかと。
そんなわけで今日仕掛けてきそうだなということは分かっていて、そして午前中の授業では接点がまったくなかったこともあってこのお昼の時間を狙うことにしたのだろう。わたしよりも一足早く食堂に来ていて、そしてすでに準備万端だったようだ。
授業が終わってだらだらと移動していくグループはクレーベルさんを筆頭にわたしやハイネさんのような貴族、そしてキャルさんやアニスさんら一般組、さらにここに来てリリーエルさんを中心とした宗教派閥も加わった一大勢力となっていた。
初日はダッシュして逃げていったクレーベルさんもさすがにもうどうでも良くなってきたらしく、普通にわたしたちと一緒にお昼を食べに行くようになっていて、そうなるとこの大勢力もクレーベルさんの勢力のようでわたしが目立たずに済むのがいいんだよなあなんて思うわけだ。
ガイウス・カートたちがすでに食堂の中にいるのは確認済みで、その立ち位置は前回わたしたちが座っていたテーブルへの途中。同じ場所へ行くとなると食事を持った状態で通りすがりながら背を向ける形になるのかな。仕掛けてくるのならそこか。
「――ああ、また無能が来たぞ。あれだけ言ってもただ飯は食いたいのか――あんなものを置いておくとはヘルゼンバンドもたかが知れる。それとも慈悲でもかけているつもりか――」
またでっかい声の独り言だわね。ああクレーベルさん腕まくりしない。
それはともかく本日のメニュー、は、うーん、麺があるのですが。パスタではないよ。これは麺だよ。わたしにはラーメンに見える。うううううううん。や、スープ系は今日はだめだ、やめやめ、えー、キュウリのサンドイッチと、ハムのサンドイッチも、あとはリヨネーズでいいか。これならプレートをテーブルの上に投げ出すようにすれば崩れこそすれど食べられなくなるということもないでしょう。
「あなた、また同じことをやらせるつもり?」
「クレーベルさんが反応してはいけませんよ。あちらはそれも狙うようですからね」
「ちょっと、何を知って」
「テーブルは昨日と同じところで良いですか? 先に行きますね」
行き先を言ってからプレートを持って移動を開始。どこで食べるのかが明確になったことで先にアニスさんや他にも数名が先行してテーブルを確保。わたしは視線をガイウス・カートからは切って、テーブルを直視するようにしながら歩いて行く。さて、移動コースとしては彼らよりも手前からずれていってテーブル近くでは2人分くらいの距離ができるのだけれど、どういう手段で来るでしょう。ステータスを見た感じ、使ってくるものはおおよそ分かっているのだけれど。
近づくほどに、「‥‥あれが」「‥‥無能」「はずかしい‥‥」などというひそひそとささやくような声と、それに視線も感じるようになる。想定していた反応だとはいえ、気持ちのいいものではないよ。でもまあ、これは来る前からすでに想定していたことなのでどうでもよろしい。こんな場所で堂々と、聞こえるような声で人を貶めるようなことを言ってしまう人たちだ、ヘルミーナはチェックしているだろうけれど、わたしは本当に興味がない。
「どうやら今日も本当にただ肥えるためだけに食べるつもりのようですよ」
「食べたところで活力を得ることすらできないだろうに」
「こんなやつに食べさせるとか、本当に無駄なことだな」
声は大きくなるけれど、それを無視するように視線を切り、テーブルへ向く。わずかながら距離は離れていく。手は届かない距離。でも届くものはある。
取り巻きたちの中央でガイウス・カートが手を上げる。手のひらがわたしの背に向いていて、あいつがと指し示しているかのようにも見えるだろう。
もう少しでテーブル、というところで背中に圧力を感じた。
その圧力によって背中をドンと押されたことで前のめりになり、持っていたランチプレートがテーブルに向かって投げ出される。予想どおりの展開だったこともあり、プレートは無事テーブルの上へ、上へ、上へ‥‥乗らねー! ぎゃー!
ガシャ-ンという大きな音をさせて金属製のランチプレートがテーブルの縁に力一杯ぶつかり、そのままひっくり返って乗っていた食事がぶちまけられてしまう。わたしはそれを見ながらバタバタとした動きでテーブルに手を着いて転倒しないようにするのに精一杯で、落ちていく食事をどうにかすることなんてとてもできなかった。
「‥‥きゃ、ぎゃー! ごめんなさーい!」
思わずはしたない叫びを上げてしまったわたしを許してほしい。
「うわー、ごめんなさい! あー! プレートがゆがんで‥‥ああー! わたしのご飯が‥‥あー!」
「わー、ちょっと! 大丈夫!?」
「うわー、ごめんなさい、ああ、アニスさん、お騒がせしています。ああー、わたしのご飯‥‥」
大騒ぎにしてしまったことでいずらくなったのか、ガイウス・カート一行が離れていく。ちょうどそこへクレーベルさんや他のみんなもわいわいと集まってきて、そして職員さんも来てくれて大丈夫ですよー、片付けますねと言われてしまう。いや、片付けるくらいわたしがやりますから。ハンカチで散乱してしまったパンだとか、キュウリとかハムとか、サラダのあれこれとかを集めるのだけれど、ああー、なんてもったいない、せっかくの美味しそうなご飯が。もうね、本当に申し訳ない。食事を作ってくれている人たちにも、あとで掃除をすることになる人たちにも謝罪を。
「はあー、テーブルの上に投げ出す予定だったのに、目測を誤るとか」
「あなた、何を考えていたのよ」
「いえ、あそこで背を向ければ仕掛けてくるだろうという予定ではあったのですが」
「手を伸ばしたようには見えたけど、何かしたようには見えなかったよ?」
「そうでしょうね、見えざる手と言いますか、無手の遠当てといいますか、そういう類いの技術がありまして」
「見えざる? 何かスキルを使ったということね?」
「押されましたからね、彼の能力はこれで確定したということで良いでしょう」
クレーベルさんやリリーエルさんに取り囲まれて問い詰められているけれど、片付けの続きをさせてほしい。や、職員さん、これくらい自分でやりますから。結構あることなんですよう、と言われましても、お手数おかけして申し訳ないです。
「先ほどの口振りだとあなた、何か知っているようだけれど」
「お? お? あいつ悪いやつ? やっつけるの? 手伝うよ?」
「彼が何者で何の意図を持ってこんなことをしてくるのかは分かったのですが、わたしからは特に何もしませんよ。リリーエルさんもそんな殴ってやるみたいな格好はやめておきましょうね」
「知っているということね。私に手を出すなといったということは私も関わりがあるのかしら」
「うーん、ここで具体的な話はやめておきましょう。ただ、そうですね、ヒントとして、彼はガイウス・カート、バルトレーメ州グース地区ザトワだそうです」
「バルトレーメ? ザトワ、ザトワ‥‥?」
クレーベルさんが手を出してしまうとややこしくなるだろうから、わたしがいない間でも見て見ぬ振りをしていてほしいのよね。放っておくと殴り返しそうだし、ハイネさんたちに止められるようにも思えないし。リリーエルさんはストップって言えば止まってくれるタイプっぽいから言っておくだけでいいでしょう。
簡単に掃除はしたので、このまま職員さんと一緒に床に落ちてしまった食事を片付けます。それからもう一度謝罪をして、食事を作ってくれている人たち、配膳してくれている人たちにもペコペコと頭を下げながらもう一度同じメニューを受け取ってからテーブルへ戻り、難しい顔をしているクレーベルさんにほらもういいから食べましょうと言って、バタバタしたけれどようやく遅い昼食を取ることができましたとさ。
『あまり多くのことを話してしまっては』
そうなんだけどさ、多少は言っておかないとちょっとね、あとが心配だよ。
今日か明日にはヴァイオラが来ることになるんだし、外部にも情報源を持っていてやりとりする手段もあるんだよみたいにしておけばいいかなって。
『クレーベル様の価値、評価を引き上げておきますか。今後マスターの特殊性を見せていくうえでの、これが最初になるのでしょうね』
そうそう、そんな感じよ。どうせさ、あり得ないようなことをちょろちょろ見せていくことにはなるんだからさ、それこそ怪しい道具だとかをいろいろ持っているんだぜってことにしておこう。
それはそうとして、どうだった?
『言い足りないといったところでしょうか。もう一押ししてみるかと拳を握っていましたからね、次も注意が必要です』
次、次って何だっけ。あ、体育か。おー、これはチャンスなのでは?
『手を出してくる可能性が高いでしょう。ヘルミーナの元にいるマスターにダメージなど通らないでしょうが、それでも十分に注意してください』
分かっているよ。けがをするのは嫌だし、痛いのも嫌だからね。
それにしても、ガイウス・カート、道を誤ったよなあ。
『サイ・ウォーリアーをまだ持っていないのにもかかわらずサイオニック能力にすでに目覚めているのですから、道を間違えなければ優秀な戦士になったのでしょう。口だけではなく手を出してしまった時点で彼の将来は絶望しかありませんが』
ね。ハーレンシュタインも優秀だっていうのなら下の者の能力くらい把握してもっとうまく使ってあげなさいよ。食堂で仕掛けるのなら別にガイウス・カートでなくても良かっただろうに。
『カート家の立ち場がそれをさせたのでしょう。いずれにせよガイウス・カートは行動に移してしまいました。彼にはもう未来はありません』
わたしたちが何もしなくても、国がそれを許さない。
君は手を出してはいけないものに手を出してしまったのだよ。
それにしても、はー、ご飯を無駄にしてしまうとは失敗したわ。もう少し頑張れ、わたしの運動神経。




