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次の問題はお昼の時間に起きた。
食堂で今日のメニューを確認し、ランチプレートによさそうなものをぽいぽいと乗せてもらって、よーしとテーブルに着いたときのことだ。
「――能なしがわれわれと同じものを食べるのか、いくら食べたところで肥えるのは腹だけだろうが」
ああん?
魔法の授業の最後、引き上げるときに聞こえたのと同じ声だと思う。男性、というよりも男の子の声だった。先ほども思ったことだけれど、男子生徒ということでいいだろう。
その声に思わず頭を上げてしまったけれど、周囲にはいつもの顔ぶれくらいしかいないし、彼らは心の中でどう思っていようともそれを口に出して言ったりはしない。
それにたとえ能なしといえど、ここでは自由に好きなものをどれだけ食べてもよいと言われているのだから普通に食べるし、わたしはこれくらいの量を食べたところで別に太ったりはしないのだ。
そんなわけで視線をランチプレートに戻しまして、まずはトマトとサーモン、タマネギを細かく刻んで和えたサラダからいただきましょう。もぐ。
「――教会に無能と判定されたようなものをいくら決まりとはいえ入学させるとは、学園の品格を問われるのではないか――」
もぐもぐ。
これはなあ、少し声が遠いからわたしの真後ろで言っているわけではないね、少し離れて、周りに聞こえるように大きな声で言っているよね。同意しろ、同意するものも多いだろう、どうだ、そう言いたいのかもしれない。
もぐもぐもぐ。んまい。
次はマグロのお刺身を細かく刻んで香味野菜と和えたもの。醤油っぽい味付けでこれはもう言うまでもなく、うんまい。マグロ最強だな、マグロ。醤油味、本当に醤油なのかどうかは分からないけれどわたしには醤油に思える、うん、醤油もまた最高。うんまーい。
「――学園の食堂ともなれば国庫から捻出された資金で運営されているものだ、無能が、これぞまさに無駄飯ぐらいだな」
ははは、という複数の笑い声が聞こえる。
もぐもぐ。
国庫ということは当然セルバ家からもそれなりに入っているので、わたしがここでご飯を食べていても問題はないのだ。ルール的にも資金の話に変えてもそう。だから食べる。もぐもぐ。
うーん、ハイネさんが萎縮してしまっているし、キャルさんは唐揚げのようなお肉を咥えてもぐもぐしているけれど、目つきが怖くなっている。クレーベルさんはすごいしかめっ面で、うん、腕組みはやめましょうね。
もぐもぐもぐ。んまい。
今日のご飯はピラフっぽい何か。何のスープストックで煮たのかはわたしの舌ではよく分からない。でもんまい。もぐもぐ。
「――すごいですね、もうスキルが使えるんでしょう?」
「そうさ、片手剣に素手戦闘、たとえ武器を失ったとしても戦えるし、気刃もあるからな。無能とは違うよ無能とは――」
おや、なんだか近づいて、背後を通り過ぎていく。後頭部に感じるのは視線かな、まあそうだよね、この場で能なし、無能ときたらわたしだろう。
むぐむぐ。やはり米の飯はうまい。もぐ。
声と足音は遠ざかっていく。無能無能と言っていたのは1人、他の人がその辺に言及しなかったところをみると、なんかあった時に責任を取りたくないのかもね。
さて、これで落ち着いて皆さんも食事ができるでしょう。
「あなた、よく平気な顔をして食べていられるわね」
「そうですか? どこかでああいったことを言ってくる人は現れるだろうと思っていましたから、それが今日ここで来たというだけですね」
ようやく組んでいた腕をほどいて食事にとりかかったクレーベルさんに答えていると、それを見たハイネさんも食事に手を付け始める。
「すごいねー、殴ってやろうかと思ったんだけど、なんかすっごい食べてるからずっと見ちゃった」
「おや、リリーエルさん。たとえ理由があろうとも簡単に殴ってはいけませんよ。あなたは一般の生徒なのですからね。それから、ここは食事がおいしいので大変に満足です。良い食材と確かな技術。メニューも豊富で文句の付けようがありません」
海から遠いはずなのに海鮮が出るんだよなあ。感動してしまった。
「そう? それハワイっぽいね?」
「はわいが何かは知りませんが、今日の選択は正解でしたよ」
おー、といってメニューの方へててっと移動していく。どうやらこれから選ぶところだったらしい。まあ今日のランチに関してはわたしもハワイっぽいなと思って選んだメニューなので間違ってはいないよ。
「ところで、わたしは顔も見なかったのですが、彼らがどこの何君なのか、どなたかご存じですか?」
ハイネさんは首を振り、クレーベルさんは肩をすくめる。キャルさんは、まあ知らないですよね。そうか、誰とも何の関係もない、と。ふむ。大きな声でしゃべっていた彼を周囲が持ち上げていたような雰囲気だったけれど、構図が良く分からないな。
わたしのことを遠くからひそひそと言っている人はこれまでにも何人もいたのだけれど、そういう人たちはあくまでも遠くでひそひそで、面と向かって罵倒しようとかは思わないし行動しない。それをあれだけはっきりと近くまで来て言っていったのだから、彼らはまた何かしら行動するかもしれない。その点では注意が必要かな。誰とも何の関係もないとなれば、いざとなったら殴り返すことも選択肢に入れておきましょう。
昼食は最後に取っておいたデザート、一見とうふのようなのに食べるとココナッツの味がしてびっくりしたそれをぱくり。今日の昼食は味は満足、過程がもう一つ。せっかくクレーベルさんを一緒にお昼をと捕まえたというのに、楽しくお話をすることができなかったという不満が残ってしまった。残念。
午後の授業は適当にこなし、夜は先にお風呂に入ってから食堂へ行ったのでこれから食事という人は少なく、席はいつもよりも空いていた。問題の彼らは居なかったし来もしなかったので、落ち着いて食べられたことには満足でした。
その後は部屋へ戻って今日の反省会と今後のお話だよ。まずは結局お昼の彼らはどこの誰君だったのだろうということからだね。
『主に話していた彼はガイウス・カート。バルトレーメ州グース地区ザトワ、カート男爵家の次男です。取り巻きは3人いましたが、爵勲士の、そうですね、勲功爵の長男が1人、3男が1人、士爵の長男が1人です』
ほーん、ていうことは現役貴族階級は1人だけか、それは確かに周りは直接は発言できないわね。バルトレーメ、グース、ザトワって地名を3つ重ねたっていうことは男爵とはいえカート家ってそんなに?
『そんなにですね。バルトレーメ州、こちらはクレーベル様のカローダン州に隣接しますが、ハーレンシュタイン伯爵家の所領ですね。グース地区がマルシュ男爵家。カート家はマスターが独立して貴族となった場合には同格、そしてマスターがセルバ家の直系であることを鑑みれば格下です』
そんなもんか。男爵の下に男爵を付けるとか、カート家ってそんなか。んー、クレーベルさん家のお隣っていっても、そこまで下の家だとそれは知らなくても仕方がないわね。実際わたしなんてセルバ家の下ですら全然知らないものね。
それで、周りの反応的にはどんな感じだった?
『そうですね、おおむね想定どおりだったかと。声を聞き、マスターの位置を確認して小声で話す。反応を示したものたちも、悪意とまではいかないのでしょうが、視線や指先からマスターに対して話していたとみて間違いないでしょう。
それからガイウス・カートですが、離れた場所からマスターを確認したため、そこから大声で話し始めました。視線からクレーベル様も視認していたと考えられますので、もしかしたらマスターだけでなく、それを近くに置いているクレーベル様にも当てつける目的があったのかもしれません。その後もヘルミーナが追跡していますので、どこかで情報が得られると良いのですが』
ああ、クレーベルさんの家に隣接している州なんだから、一番の目的はクレーベルさん下げかもしれないのか。その場合には、何だっけ、何とか家、えーっと、ハーレンシュタイン! が何か言っている可能性が出てくるね。学園にはいるの?
『はい。学生名簿を確認したところ、ハーレンシュタイン家は1人、マルシュ家は2人が在学中です。バート・ハーレンシュタイン、4年。ガスケ・マルト・マルシュ、4年。ダーレン・マイス・マルシュ、2年。成績表も確認しましたが、バート・ハーレンシュタインは優秀なようですね。特に何かしらの活動をしているということはないようですが、教師陣からの評価も安定して高いようです。マルシュ家の2人は、そうですね、能力自体は普通の生徒という評価でしょうか。ただしガスケ・マルト・マルシュは女子生徒への強引な接触が複数回あり、注意を一度、そして訓告を一度受けています』
次に何かやったら戒告になりそうだねえ。とはいえ、この情報からだけでは何とも言えないかな。これからもちょこちょこ嫌がらせみたいなことはしてきそうだし、それがどういうタイミングなのかを見ていくしかないか。
『マスター、ご報告を。ガイウス・カートがバート・ハーレンシュタイン、ガスケ・マルト・マルシュと接触しました』
おおっと、いきなり動くのか。ありがとヘルミーナ。
『いえ、追跡していましたから。それと、ダーレン・マイス・マルシュは自室にいて動きはありません。現在自習中。2人とは学年が違いますから、接触は予定していなかったのかもしれません』
そうね、あとは話の内容次第なのだけれど。
『いきなりマスターへの侮辱から入りましたよ。不敬、不敬です。穴を掘って埋めましょう』
やめなさい、話を、話を聞くのです。場合によってはものすごく都合のいい人たちになるんだから、放置よ放置。
『音声を中継します。「中央でも評判の無能だからな、すぐに限界が来る」「それよりもヘルゼンバンドはどうだった」「反応はあるか、直接は難しいが、これはいい標的になるかもな」「セルバのやつも生意気だからな、妹をいたぶってやれば面白いことになるかもしれん」「少し強めにやってみるか」』
おや? おやおやおや?
『予想外の内容が来ましたね。これはセルバ家にとっても敵対勢力になると見て良いかもしれません』
そうね、まさかだったわね。
第1の標的はヘルゼンバンド家。これは隣接する州っていうことで何か問題があるのかもしれないし、もしかしたらそれがクレーベルさんの立ち位置に影響していることかもしれない。ここがまずは調査対象になるわね。
わたしを標的にしたのは彼らにとって、とてもとても都合のいい相手だったからかもしれない。クレーベルさんに近い位置にいるようで、そして教会公認で中央でも評判の無能だったから、こいつをいたぶってやればヘルゼンバンドが嫌がるんじゃね、くらいの感じで選ばれた。
第2にまさかまさかの話。まさかお兄様が狙われていたとはね。そうか、同じ学年か。お兄様の成績、はいいや、それなりに優秀だということくらい聞かなくても見なくても分かるわ。そして恐らくそこそこいい立ち位置を獲得していることも、食堂で会った時の雰囲気で分かる。
つまりはバート・ハーレンシュタインにとって嫌なやつ目障りなやつだとロランド兄様は思われていて、そこへとても都合よくわたしがやってきて、こいつを使ってやろうと考えたということだね。
ヘルゼンバンド家とセルバ家の両にらみでわたしを標的にした、そういう構図だったということだ。はい、これはもう決まり。敵対勢力確定でいいでしょう。
クレーベルさんはね、わたしにとってもクレーベルさんにとってもお互いが都合のいい相手だからね、いなくなったりされると困るのよ。それにね、なんだかんだいってこれまでそれなりに友好的な関係を作れてきているからね、もうお友達候補の1人に入れてしまっているのだもの。
そしてお兄様はね、もう言うまでもないのよ。わたしのお兄様よ。セルバ家の大切な長男で、どうやら学園でそれなりのポジションを獲得してくれているみたいなのよ。その頑張っているお兄様を貶めようって? そんなことわたしが許すはずがないじゃないね。
『集まりは終了、バート・ハーレンシュタインとガスケ・マルト・マルシュがガイウス・カートを繰り返し焚きつけていきました』
おっけー、ありがとねヘルミーナ。埋めるのはだめよ、でもベッドに虫の一匹くらいは放り込んでやれ。
『バルトレーメ州はセルバ家にとっての敵対勢力であると設定しました。今後出身者は全てマークします』
そうね、その方針でいきましょう。ガイウス・カートがうまくやれなければ他の誰かを使うかもしれない。それはお兄様とクレーベルさんとわたしがいる限り続くでしょう。そして繰り返し焚きつけられたガイウス・カート。これはやらかすわね。ほぼ確実に、近いうちに直接来るでしょう。
さすがにそんな人はいないだろうと思っていた、わたしにとって、とてもとてもとっても都合のいい人材の登場よ。準備しておきましょう。わたしが一度戻るための理由に使ってあげようじゃないのさ。