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今日も今日とてわたしは早起きをする。
夜更かしをしたわりに朝が早いのは単にわたしがそうしたかったからなだけで、今日も管理人さんにあいさつをしながら外へ出ておいっちにと体を動かして、満足したところで早めに部屋へ戻って扉を開け放したまま授業へ出る準備をする。そう、今日からいよいよ授業が始まるのだ。初日でもあるのでたいした内容にはならないだろうと予想しているけれど、一応ね、心構えをしていきますよ。
カチャリと音がしてお隣からハイネさんがこちらをのぞき見る。
びっくりしているのはわたしが扉を開けっぴろげにしているからだろうということは分かるのだけれど、別に見られて困るようなものもないしね。スライムさんもとい、でっかいクッションが部屋にボンと置いてあるくらいで、それ以外の家具の数はそう多くはないし本当に大したものはないのだ。こちらもでっかい姿見は移動用のポータルと兼用なのだけれど、普段は完全に姿見だし、ファックスはぱっと見ただの扉付きの棚でしかない。飾り気がなさすぎるかなとも思うのだけれど、わたしはそれほど雑多なものを必要としていないのでこれでいいのだ。
カバンに放り込んだ今日の分の教科書と、書き物をするための筆記具、ノートだとかを確認。教科書は叔母様からこういうものを読むことになると教えられた歴史書だとかの分厚い本を薄い紙に圧縮コピーしてひもで閉じたものだね。ノートも貴重な植物紙をまとめて閉じたもの。教科書はたぶん持っていかなくてもいいだろうということは分かっているのだけれど一応ね。それ以外にはお茶を入れた小さめの水筒を1本、口寂しくなった時に食べられるようにカリッカリに固めたドライフルーツを少々。本当はあめちゃんにしたかったのだけれど、カバンに入れようとしたところで、ん? となったので思いとどまった。あめちゃんって、普通に持っていってもいいものなのか?
とにかくこれで持っていく物もよし。それでは朝ご飯に行きましょう。ということでハイネさんと一緒にラウンジに行って、せっかくなのでキャルさんとクレーベルさんも待ってから食べて、そろそろいい時間かなというところでみんなで授業を受けに出発進行。皆さん荷物はと聞いたところ、わたしのまねをしてカバンを用意してきたハイネさん以外は部屋へ取りに行って、それを待ってからね。
個別指導は必要ないという判断なのか100人近い、正確に数えたら89人だったけれど、その人数を講義室に集めて適当に席に座らせた授業が始まる。さすがに学園に来るレベルで基礎の基礎ができていないということはないだろうという判断なのかな。全員一緒の水準にしてしまって大丈夫なのかは分からない。そういうことは偉い人が考えるだろう。
最初の国語は案の定建国記を出してきて、とにかく話す聞く書く読むを身につけることだって言って、まずは教師が読み上げていって、今のここ、ここの言葉を聞き取れたか、書いてみろって言われて筆記板にガリガリ書き込んでいく。今日は聞く書くで手の動き具合を見ているのか、今後は前に出て読んでもらうこともあるそうな。斜め読み適当発音が身についてしまっているわたしには怖いね。
算数は足す引く掛ける割るの基本的な計算をやっていくようだ。今日は基本中の基本になる足す引く。教師が前で計算の仕方を教えていってね、それで出題されて自分で考えて解いてみろっていう。まあ難しい問題はないのでガリガリと解いていくよ。さすがにこのくらいの計算はみんなできるようなのだけれど、桁が上がっていくたびに手が止まる生徒が増えていき、さすがに少し心配になる。わたしが家で勉強した内容がこれから出て来るとなると大変なことになるのでは。
午前中最後に理科。今日はこれから学んでいくことをさらっと解説するだけだった。やっぱり専門性が高いからなのかね、空気や水の状態変化のこと、人の体の仕組みのこと、動物や植物のこと、季節のこと、天気のこと、太陽や月やそのほかの星々の動きのこと。わたしはとても楽しいけれど、問題は昔の、前世の知識と今の知識との不整合だろうね。魔石がある以上は生物も違ってくるし、物理はまあいいとして、天体もな、同じではないということが分かっているのでね。そういうところ。
ここまで3教科が終わったところで授業は一休み、お昼になります。
先ほどまで隣でうんうんうなっていたハイネさんを誘って、お腹がペコですみたいな顔をしているキャルさんも誘って、とても楽しみにしていた大食堂にいそいそと移動。クレーベルさんは授業が終わってお昼ですよと告げられた瞬間にさっとどこかへ逃げていった。なんだよう、一緒にご飯食べようぜーと捕まえるつもりだったのに。仕方がない、また明日だ。
とにかくそれで食堂へ行って、貼り出されている本日のメニューから食べたい物を選んでいく。ふむ、肉肉肉っていう感じのガッツリ系もあるけれど、野菜メインの軽い物もありと。ふむふむ。わたしはお昼にそんなにがっつり食べるつもりはないので、どう見てもBLTサンドなパンと野菜スープをもらって席へ。ハイネさんはまねっこをして同じもの、そしてキャルさんは肉肉肉だった。お肉好きなのね。でも野菜も食べましょうねーって言ったらプンと横を向いたので、プレートにそっとサラダを乗せてあげた。絶望したような顔をしたけれどこれもキャルさんのため。さあさあさあと背を押して逃げられないようにしましたよ。
この大食堂、本来はものすごく広い場所に全学年が混ざり合った状態での食事になるのだけれど、どうも1年生は午前の授業が終わるのが少し早かったのか、席はガラガラの状態だった。見渡したところクレーベルさんはいなかったのだけれど、どうしたのだろう。仕方がないのでわたしたちも適当な席に座ってもぐもぐする。
さすがにこのタイミングでからんでくるような人はいなかったのでそれは良かったのだけれど、しばらくすると2年生以上の生徒がわーっとやってきて、まったく落ち着きのない環境へと変わってしまった。
「ステラ」
おっとこの声は。
「お兄様、先日ぶりです」
「朝は難しいからこのタイミングで様子を見ようと思ってね」
まあそうね、お父様お母様からもしっかり見てくれと言われているわけだしね。
「そうですね、親しくしてくださる方もいますし、授業も困るようなものは今のところありませんよ」
「やあ、そうなのか。そちらのお二人かな? よろしく、兄のロランドです」
ハイネさんは手を止めて待っていたようでさっと立ち上がってぺこり。わたしが座ったままだと変かな? まあいいか。さすがのキャルさんももぐもぐしているものを飲み込んでぺこり。
お、そうだ、お兄様にも伝えておこうかな。メモを用紙して、えー、学園のダンジョン化は現在進行中。現状問題はありません、と。チラリ。はい、びっくりしていますが今は細かいことは話せませんからね。
「また時間を作ってゆっくりお話しましょう。お兄様の学園生活のことだとかも聞いてみたいですし」
「‥‥ああ、そうだね。うん。落ち着いたころにかな」
何だか向こうの方でたぶんお兄様と一緒にここまで来た人たちがこっちをじっと見ているけれど、紹介とかはいいのかな?
「学友たちを待たせていてね、紹介もしたいけれど、それも別の機会に」
そういってハイネさんキャルさんにも、またいずれ、ステラをよろしく、とかあいさつして去って行った。ふむ、ここでは紹介しにくい人でもいましたかね。なんだか囲まれてつんつんされながら移動していくけれど、どういうポジションなんだろう。
『あれが噂の妹かい? そうだよ、紹介したいけれど周りの人たちに迷惑になってもいけないしね、と、そんなところでしょうか。食堂まで拡張しておけばよかったですね』
周りの人たちに迷惑になるような人がいるわけだね。お兄様、もしかして結構いいポジションを確保していたりするのかしら。それから食堂を押さえるのはおいおいでいいよ。ここで今すぐ問題を起こすような人はいないでしょ。
さて、ハイネさんもキャルさんも食事の続きに移っているし、わたしも食べてしまいましょう。
食事は終わり、キャルさんはまだもう少し食べたそうにしていたので、サンドイッチでももらってきたらと言って、本当にもらってきたので、そこでさらに賑やかさの増してきた食堂からは退散した。
中庭まで来たところで食べたいからとベンチに座ってもぐもぐし始めたキャルさんに、遅れないようにねと言い置いて教室に戻ったところで先ほどまでと同じ席に着いて水筒からお茶を飲む。ハイネさんがじっと見てくるので飲みますか? と聞いたけれど、首をぶんぶんと振って否定してきた。単に珍しかっただけだろうか。それからキャルさんは口元をふきふきどうにか次の授業に間に合い、クレーベルさんは授業開始ギリギリを狙ったようにして戻ってきていた。
午後の授業はまず社会から。これもこれから学んでいくことの解説だった。国のことを学ぶのが最大の目的みたいだね。現国王の名前、治世何年目、州の配置、主要街道の位置、主な産物とかとかとか。それから周辺国のこと。どんな国があってどんな関係なのかだとか。特に貴族にとっては覚えておかなければならない要素が多い。中央でお仕事をするのには必須でしょう。わたしは家の資料だとかで覚えていることはいいのだけれど、ずるをしないで答えようとすると州の位置とか産物とかはちょっとね、怪しいんだよね。覚えているつもりのところでもこれで良かったのか? となる。わたしのいい加減な記憶がポカをしがちな分野なのでしっかり勉強していきますよ。
最後に人文総合。哲学、宗教、倫理、それから弁論だとか討議だとかもここに入るのだけれど、今の段階でそこまで求めるのは酷だろうと思っていたら、案の定。表面をさらっていくだけの軽い感じの説明ですら何を言っているのか分かりません状態、お手上げ状態の生徒が多い。あぜんぼうぜんですな。目の前の先生が言っていることが何一つ耳に入ってこないのだろう。
まあ哲学者の名前だとか主要な思想だとか分かるかって言われるとね。貴族ならまだしも、普通の市民だった人にそんなことを考えたことのある人がいったいどれだけいるというのか。宗教の部分だけは熱心な人には響くだろうけれど、思想だ宗教だ倫理だを論理的に話せないといけないから難易度高いのよ。自分の美意識とかさ、直感だとか、それこそ自然現象に至るまで何でもかんでも、あいまいに感じているだけの事柄を言葉に換えて論じないとならないのよ。さすがに難しいよ。それにさ、人文なんて言われてピンとくる人がいったいどれだけいるというのか。まずそこからなのではないでしょうか。ただこの先生は非常に良く勉強しているのだと思う。説明にはよどみがなかった。難易度は高くとも、以前の7教科の中でも重要視されていた分野だから楽しみ。
とにかくそんなこんなで今日の授業は終了。どうやら明日は実技系の授業をまとめてやるそうで、わたしはそっちの方が心配だな。美術も音楽も体育も何もかも。得意なものは一つとしてないし、スキルガーとか言われたら終わるからね。
授業初日の感想としてはこんなところ。
あとは夕食も大食堂が使えるようになって確かにお昼よりもメニューは豪華になったけれど、寮のラウンジで食べるあの落ち着いた雰囲気が恋しくなるレベルで騒々しいのが難点だったこととか。
そしてこちらも今日から利用できるようになった大浴場へ行ったらほぼほぼ新入生のいない状態で、そしてそうなるとわたしの顔を見知っているような人はまずいなくて、さっさと服を脱いで浴室に突撃していくわたしが珍しいということもなくて、思いのほかゆっくりと湯につかってくることができたこととか。ちなみに今日のシャンプーは注目されてもいけないので不使用です。何もかも石けん一つで済ませてきたのでちょっと髪がな、心配することもないけれど、物足りない気がする。
以上本日の業務は終了しましたのお知らせ。
さあここからはお楽しみ、ダンジョンの映像を確認していきます。興味が先走って授業がおろそかにならないようにと忘れるように努めていたけれど、果たしてどこまで効果があったでしょうか。授業内容が右から左にはなっていないので大丈夫だったと思いたい。