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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

うわさ

作者: 佐藤山猫

とある小説を読んでいた時にアイデアがわきました。

ちょうど企画の時期だったのでよかったです。

お楽しみいただけると幸いです。

「先輩、俺たち、うわさになっているみたいなんですよ」


 土曜日の昼間。一日で最も気温が上がるとされる十四時頃。今日は先輩とデートの日だ。待ち合わせまで時間があって、ファストフード店で時間を潰そうと二階席に上がると、奇遇なことに先輩も同じ考えだったようで、俺たちはカウンターに横並びとなった。駅前の目抜き通りを見下ろす。

 昼には遅い時間帯だったから、席は閑散としていて、二階は俺たちの貸し切りだった。

 デートの前座というではないけれど、頼んだシェーキを飲み干してから出かけるのでもいいだろうと提案され、俺たちは固いバニラアイスと戦う傍らで雑談に興じていた。


 そして、冒頭の発言に至る。

 出し抜けに言われたのに、先輩は表情ひとつ変えず、いつも通りの微笑のままだった。


「未成年喫煙がバレちゃったのかな?」

「そうじゃないです」


 先輩の軽口に俺は嘆息した。


「俺たちが付き合っていることです。今日、クラスの子から訊かれたんです」


 昼休み、廊下でたまたまクラスメートの柚葉詩織とふたりきりになったおり、「ねえ、もしかしてさ、彼女できた?」と声を潜めて尋ねられたのだ。微かな驚きと、照れくささ。なんとも面映ゆかった。


「他校にまで知られちゃってるのかあ」

「さすがに名前までは。西高の女子、ってくらいですよ」


 先輩こと芦屋純佳とは、塾で出会った。


 俺が通う学習塾には、授業時間外にも生徒が勉強できる自習室が備えられている。静謐で緊張感漂う部屋。受付表で名前を書いて席を指定する。パーテーションで仕切られた机の数は三十あまり。その中の、右列最後方が俺の指定席だった。背後と右方が壁だ。妙に落ち着く。

 左斜め前。いつも座っている女子生徒がいるなとは早くから気付いていた。私服が多かったが、制服を着ていることもあった。西高の生徒だというのは制服で分かった。

 塾は駅前のアーケード街の中に構えていた。パチンコ店、カラオケ店、居酒屋。立ち並ぶ店はおよそ高校生の教育にふさわしくなさげなラインナップだった。道の脇によくタバコの吸い殻が落ちている。

 駅と塾との途上には喫煙スペースがある。灰皿だってある。然るべきところで吸えと喫煙所を横目に見たとき、先輩らしき顔を垣間見た。

 自習室でよく見る人──によく似ている。

 そう思ったのは、格好がまるで塾で見るものと違う大人びたものだったから。そしてまさか女子高生が堂々と喫煙しているとは思わなかったから。


「きっと気のせいだ」


 その日、俺より少し遅れて自習室のいつもの席に座った先輩は制服姿だった。吐いた溜息は安堵だったけれど、何に対して安堵したのかは自分でもよく分からなかった。


「やっぱり気のせいだ」

「気のせいじゃないよ」


 自販機に向かうため自習室を出て、ジュースを選ぼうとした時だった。先輩は不敵な笑みを浮かべて、


「君、さっきわたしを見たでしょう?」


 先輩は僕の耳元に口を寄せた。


「北口の喫煙スペースで」


 ぎょっとして目を向く俺を尻目に、先輩は俺と同じジュースを選ぶ。キャップを開けて、さっと一口。「おいしいね。これ」

 まともに正面から捉えるのは初めてだった。先輩の人を食ったようですらある妖しい微笑みに、俺はその瞬間堕ちてしまったのだと思う。


「秘密にしておいてくれる?」


 先輩は小首を傾げた。


「ありがとうね」


 踵を返す先輩の腕を、思わず掴んだ。


「先輩」


 興味深げに振り返った先輩の両目をまっすぐ見つめる。


「俺と付き合ってもらえませんか」


 先輩の大きな両目が、さらに大きく見開かれた。




「──付き合ってる、ねぇ」


 あの日と同じように大きな目が、あの日と同じように好奇の色を湛えて俺を捉えていた。


「で、なんて答えたの?」


 先輩はおもしろそうに訊く。


「付き合ってるって答えました」

「へえ?」


 先輩は微笑をさらに深くした。顎の先に指をかける。


「まさか、『わたしたちって付き合ってたんだ』とか言わないですよね?」

「やー。さすがにキツいでしょ。冗談にしてはさ」


 先輩は飄々としていて、その天衣無縫さは時に人を食ったように見えるけれど、先輩なりに分別をつけているらしい。先輩を貶すような発言に自己嫌悪を覚える。

 先輩は俺の発言など一切気にしていないような爛々とした瞳で俺の顔を覗き込んだ。


「その質問をしてきたのは、男の子? 女の子? さては女の子だな?」

「え? ああ。正解です」


 スマホを繰る。グループトークから、クラスのトークルームを選び、その中の文化祭のアルバムを開けた。

 カメラが趣味の同級生がいて、当日だけでなく準備期間の作業の風景をも撮影して共有してくれていたのだ。


「この子です」


 そいつや俺を含む男女何人かで大きな方眼紙に型取りをしている写真を見つけ、先輩に見せた。やや斜めを向いたそいつの顔は、なにげなくレンズの方を向いた瞬間にシャッターを切られた然としていた。名前を、柚葉詩織という。


「かわいい子だね」


 先輩の言葉に俺は僅かに驚いた。どうも芦屋先輩は、他の女子と比べても「かわいい」という言葉を濫用しないからだ。人を指すときも人じゃない者に対しても、先輩は意味範囲が狭く、的確な言葉選びをする。つまり、先輩は柚葉を心底「かわいい」と言ったわけだ。

 他意はないのだろうか。先輩はいつも微笑を絶やさないから、表情を読み難い。妬いてくれていたりしたら男として冥利に尽きるんだけどな、と煩悩にまみれた思考を巡らせていると、先輩が俺の袖を引いた。


「ねえ。あれ。そのかわいい子じゃない?」


 差された指の先を追って、窓の外の通りを見やる。落ち着いた色調の服でファッションをまとめた女性が立っていた。

 日差しを感じていないような長袖のブラウスとフレアスカート。街並みから浮いているようにすら見える。


「……あれが、柚葉?」


 とてもではないがそうは見えなかった。


「まさか!」

「ううん。合ってるよ」

「いやいや、勘違いですよ。先輩、柚葉を知らないでしょう? あんなお淑やかって感じじゃないですって」


 お淑やかというよりは、季節感をまるで無視して浮いた格好だけれど。


「確かにわたしはその子を知らないよ。柚葉って名前が、苗字なのか下の名前なのかも分からない。でもあれは写真の子と同一人物だ」


 先輩がそこまで言うなら、そうなのかもしれないという気がしてくる。しかし──。


「信じられないですよ。あれが本当に柚葉なら、もう変装の域だ」

「変装してるのかもよ?」


 先輩は俺の目を覗き込んだ。澄んだ両目はまるで俺を試しているみたいだった。


「街中で、何もないのに変装するなんて、アブナイよ。コータくん。彼女には気をつけた方がいい」

「気をつけるって……」


 クラスのムードメーカーのような柚葉が、腹に一物を抱えている様など、想像だにできない。同じ天真爛漫でも、先輩のそれと柚葉のそれでは毛色が違うのだ。


 通りを歩く柚葉らしき人影はぬらぬらと、まるで幽霊みたいに白昼の通りに佇んでいる。通行人もどこか避けて歩いているようだ。奇異の目でそれを眺め下ろしながら、ふと、あの日、もうひとつ、柚葉に吹き込まれたことがあったなと思い出した。何の気なしに、脊髄反射みたいに口からこぼれ出る。


「そういえば、先輩についても……」

「ん? 他にもあるのかい?」


 ひとりごとと誤魔化すには明瞭な言葉だった。しまった、と思う。本人についてのうわさを、検証も検討もなしに本人にぶつけるなんて!

 今から無かったことにできないか。焦る俺の目を先輩は覗き込んで「わたしたちの間柄だ。隠し事は無しにしよう」なんて言ってくる。「怒らないからさ。嘘をつかれる方が悲しいな」とも。

 魅せられた笑みと後ろめたさに負けた。


「うわさ、聞いちゃったんですよね……」

「おっ? どうにも明るくない話題のようだね」


 少し沈んだ俺の口調を鋭敏に感じ取ってなお、先輩はいつも通り綽綽としている。


「先輩が男を食いまくってるって」

「ははっ。……つまらない冗談だね」


 先輩が鼻で笑うのが少し頼もしい。年上の彼女との日々は新鮮で、手のひらで転がされるような感覚がして、それを楽しみに思う自分もいて、だからといって彼女が彼氏をほっといて他の男と不純異性交遊三昧なんてお笑い種も生えない。


「怒らないとは言ったし怒らないけどさ。……いや、それを直接わたしに言ってくるのもどうなの? 全然考えて喋ってなかったでしょ」

「うっ……。はい、すいません」

「いやそれがコータくんの美徳かもしれないけど……」


 怒りというよりは呆れ。先輩は苦笑いを抑えられない様子で、しだいに噂の出所に興味が湧いたようだ。声が少し低くなった気がした。


「これはいったい誰が言ったんだ? ちょっとお話しする必要があるな……」

「先輩?」

「……別に、ただお話しするだけだよ」





 あの日、俺の彼女の名前を知った柚葉は、眉をひそめ、少し目を伏せた。


「西高の芦屋先輩? うーん。あんまりよくないと思うなあ」

「なんで?」

「いやあね。付き合ってていかにも幸せですってほっぺた緩みっぱのコータには悪いんだけどさ……」


 柚葉はいかにもバツが悪そうだったけれど、しかし妙に上気した表情でもあった。俺の耳元に顔を寄せ、囁く。


「芦屋先輩ってさ。男とか食いまくってるらしいよ」





 






 いつしか、眼下に見下ろす通りには、人影のひとつも見えなくなっていた。太陽はまだ上空に留まっているけれど、時計の上では直に夕方だ。


「出かけるのは、ちょっとタバコを喫ってからでもいいかな」

「ええどうぞ。俺はここでシェーキと戦っています」


 これ見よがしにズゾゾと音を立てて吸ってみせると、先輩は微笑を深めた。俺の好きな表情だ。


 手のひらを振りながら、先輩がフロアの隅の喫煙ブースに消えていく。後姿は、本当は成人しているのでは、と思わせるほど貫禄があった。


 もうシェーキは殆ど残っていない。ゴミ箱にカップを捨てて、俺は柚葉の言葉について改めて考える。

 先輩について、俺の知っていることは少ない。通っている高校ではどんな交友関係を築いているのか。将来の夢や目標は何だろう。好きな食べ物も音楽も仕草も、俺のどんなところに恋仲を許せたのかも分からない。

 ミステリアスな先輩のことだから、実は二股をかけられていたり遊ばれていたりしてもそうは驚かないだろう。たとえば先輩のバイト先で、なんか。それはそれで泡沫の夢を見せられたと笑えるかもしれない。

 男を食いまくっている、ということは色情狂か援助交際かだろうと思う。ただ、どちらも先輩のイメージには合わない。察するところによれば、先輩の家はそれなりに裕福な家庭で、それこそ煙草くらいなら月々の小遣いで賄えるようだ。アルバイトもしていることだし。後ろ指をさされるような手段をとってまで、お金が必要なタイプだとは思えない。

 分からないといえば柚葉もだ。どうして俺にそんなうわさを吹き込んだのか。

 ただのゴシップ好き? それとも深遠な意図があって? 俺と先輩との仲を引き裂こうとしているのか──ならなおどうして?

 俺や先輩に実は恨みがあったのか。俺はともかく、先輩と柚葉に面識はないはず。さっき先輩はそう言っていた。会ったことがなくても恨みを募らせることは可能なのだろうか。想像だにできない。


「なんで柚葉は……」

「ああ、やはり柚葉ちゃんが吹き込んだのか」


 ひとりごとにしてはまた大きかったのか。喫煙ブースから出てきた先輩が頷きつつ言う。全く気配を感じなかった。

 ──今も。話しているはずなのに、目の前にいるのに、まるで先輩の気配がしない。


「だとしたら納得だ」

「……先輩、あの……」

「コータくん。もしうわさが本当だったら、どうかな?」


 俺の言い訳は、先輩の言葉に被せられ喉管の底に沈んだ。


「どうって……。そんな訳ないでしょう?」


 突然の言葉に言葉がつっかえる俺に、先輩はゆるゆると首を振った。


「コータくん。実は『わたしが男を食いまくっている』というのは本当なんだ。いや、いまは控えているから、『食いまくっていた』が正しいんだけど」

「先輩? どうして急に」


 先輩は嘆息する。そして、俺の方ではなく、階段の方に向かって「もういいよ。出てきたらどう?」と言った。

 振り向くと、ホットコーヒー用の厚めのカップを片手に、柚葉が二階に踏み入れたところだった。窓の外に見た格好で、向かい合うと見目明らかに柚葉なのに、どこか異なる雰囲気を纏っている。


「変なうわさなんて吹き込んで。どういうつもりなんだ?」

「純佳ちゃん。あたしが先に目をかけてたの。コータは譲ってくれない?」

「譲るもなにも、わたしは禁食している。タバコ代が嵩んで仕方がない」

「そっかあ。じゃあまるごといただいちゃうね」

「……ちょっと、どういうこと?」


 たじろぐ俺の質問に、先輩も柚葉も無言で──いつにない無表情で、天衣無縫さは鳴りを潜めて──ただ俺を凝視する。


「おかしいと思ったんだ。火の無いところに煙は立たないというなら、わたしは処女だし、彼氏を作ったのもコータくんが最初だ。じゃあ比喩でもないそのままの意味の方か? これも引っかかった。わたしたちが食人したあと、その人間は世界の記憶からも消えて、最初からいなかった存在となる。だから『男を食いまくっている』なんてうわさを流せるのは、本当に全部つくり話の嘘か──」

「世界がどうとか関係ない同族だけ。で、今回は同族の方だったってこと」


 柚葉はここにきて初めて笑顔を見せた。けれども、白い犬歯を見せて笑うその表情は、まるでいつもの無邪気さとは程遠くて、


「純佳ちゃん。タバコなんかで食人衝動はごまかせないでしょ? 柄にもなく彼氏なんてつくっちゃって。それもよりによってコータだなんて」

「前に詩織が『好きぴになってから食べると格別においしいよ。熟成肉みたいで』って言っていたのを思い出したんだ」

「で、試してみたの? 純佳ちゃんが? 男の子を好きになったって?」

「うん。そうだが?」

「意外だなー。でもそっか。コータ、美味しそうだもんね」

「そうだな。そそるよな」

「うーん。かわいそうだから一番おいしいところは分けてあげる」

「恩に着る」

「じゃあ、いただきます」

「……いいところまで食べすぎないでくれよ」


 かぶりつくように口を開いた女子高生たちが迫ってきて、目の前に口腔の、赤いというよりはただ闇の如く暗い色彩が飛び込んでくる。呆気に取られて? 身が竦んで? 悲鳴を挙げることすらできない。フロアに他の客はいない。

 耳が、俺の骨の砕ける音を聞いた気がした。

お読みいただきありがとうございました。


感想の他、ブックマークや☆等もお待ちしております。

☆はひとつだけでも構いません。数字に表れることが嬉しく、モチベーションになります。よろしくお願いいいたします。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 「男を食う」「女を食う」という表現をそのまま物理的な意味に変換した話は多々あるけど、2人で分けあうという流れは新鮮でした。 [一言] これ、2人が取り合う隙に主人公が逃げる展開だとアクシ…
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