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第一章⑧

「麻衣さんと初めて会ったのはいつでしたか?」

「麻衣が小説同好会の新歓に来た時ですね」

「飲み会ですか?」

「はい。といっても夜までやってるカフェでディナーしただけですけど」

その時二年生だった溝口は麻衣を迎える側だった。懐かしむように溝口が語った。

「麻衣とは話が合って。ほんとに偶然です。そこで受験の話になって同い年だって知ったんです」

新歓で仲良くなってそれ以来ずっと交友を継続しているというのは、その実レアな話ではないか。特に新歓など、入らないサークルのにも乱発的に参加したりするらしい。

「確かに、麻衣さんは新入生の時点で二十歳だったんですもんね」

そんな状況で、学年が一つ上でも同じ年齢の溝口愛と仲良くなれた。会話で盛り上がり、そして同い年だと知った。

溝口が一年遅れていたというのも大きいだろう。そうでなかったら一年生時の麻衣の同い年は三年生になる。さすがに気掛かりだろう。二年生であれば壁も少ない。

伊藤麻衣にとって、溝口は小さい存在ではなかったか。

それが、現在のこの状況を形作っている。

私は溝口に対しても、疑いの目を持っている。

いつ追及するべきか。

今でないとしても、いつか詰めなければならないのだ。

「ちなみに妹の亜由美さんは、麻衣さんが行方不明であることを知っているんでしょうか?」

伊藤夫人は、亜由美に連絡をしてもらったがそれでも繋がらない、などと言っていた。妹からすると、姉が行方不明であるというのはどういうものなのだろうか。

心底心配しているか、存外無関心か。

姉御肌らしい伊藤麻衣は、妹である亜由美をどれほど想っていたのだろうか。

「麻衣は実家住みだから、さすがに亜由美ちゃんも知っているとは思いますよ」

「麻衣さんと亜由美さんの仲はどうでしたか?」

「そうですね、麻衣は亜由美ちゃんを可愛がっているみたいです。でも、亜由美ちゃんからはどうなんでしょう」と溝口は首を傾げた。「亜由美ちゃんがシャイだからかもしれないけど、物凄く好きってわけじゃないかも」

伊藤麻衣は妹を溺愛していた。

「じゃあ、あなたから見て、麻衣さんはどうでしたか?」

「私ですか?」

「はい。キャンパスライフを謳歌しているか、それとも大学受験の失敗を引きずっているか。どう見えましたか?」

「難しい質問ですね。最初に小説同好会に入ってきた時は、浪人生らしい感じはしましたね。後から聞いてやっぱりって思いましたよ」

「浪人生らしいって?」

「高校生の時の話とか、同期とで盛り上がったりするんですけど、麻衣は一歩引いていたんです。だから『もしかしたら浪人したのかな』って思って聞いてみたらその通りで。この大学で浪人生なんて珍しくもないですよ。ただ年齢差があると敬語を使うべきかどうかとか、変になっちゃうんで」

日本語とはかくも厄介なものだ。敬語だのタメ口だの、不必要な形式が多すぎてあまりに面倒だ。

情報を伝達することがコミュニケーションなら、必要最低限のルールでいい。そこに年齢だの地位だのは関わりを持つべきではないというのに。

さすが、英語は素晴らしい。

「それでも、麻衣さんと親しくなった」

「そうですね。あの時私は二年生でしたけど同い年だって知ったので、それ以来の仲です」

「麻衣さんは同期とはよくやっていたでしょうか?」

「んー、どうでしょうね。そういう話は聞きません。有香ちゃんと亮子ちゃんみたいに小説同好会の中でも親しい後輩はいたでしょうけど、広く浅くの付き合いはしないタイプですね」

「麻衣さんは、アルバイトは?」

「していたんですけど、それがバレで辞めさせられちゃったみたいで」

「お母さんに?」

ここでも伊藤夫人の干渉か。

「そうです。居酒屋のホールだったんですけど、ダメだって」

自身の娘が居酒屋で接客をしている。

そんなものを教育ママが許すはずがない。水商売とは違うものの、色んな偏見を持っていそうだ。塾講師のアルバイトですら、あれこれ文句をつけそうな気もした。

「恋愛とかはどうでしたか?誰かと交際している、とかは聞いたことがありますか?」

溝口との話し合いはスムーズだった。コミュニケーションに障害もなく、恋愛絡みの質問も問題ないと私は判断していた。

「今はフリーだと思います。あ、でも『付き合っていた人と別れさせられた』って言ってたことがあります」

「別れさせられた?誰に?」いつ時代の話をしているのか、と私は思わず目をパチクリさせて凍った。「まさか・・・・・・」

「はい、お母さんです。相手の男子がどうのこうのってことで。しかも一回だけじゃないらしいんですよ」

「大学生の時に?」

「いえ、いずれも中高ですって。中高一貫校だから交友関係も把握されちゃっていたみたいで」

「大学生になってもアルバイトに干渉する、と」

「それが麻衣のお母さんです。まぁ麻衣が大学生になってからは少しだけ自由になったらしいですけど。少しだけ」

「で、その元カレが誰かって分かりますか?」

「んー、ごめんなさい。私はちょっと」

クリック音のような通知音が鳴り、溝口はバッグからスマホを取り出した。どうやら、伊藤亜由美から連絡が来たそうだ。

「明日の放課後だったら大丈夫みたいです」

「放課後っていうと何時ぐらいでしょうか?」

「十六時ぐらいになるんじゃないですか?場所はどうしますか?」

「亜由美さんに任せます」

私はホットのミルクティーを飲み干した。

登場人物が少しずつ増えてきていて、頭がこんがらがりそうだった。

人が増えれば情報も多くなる。

そして情報は玉石混交だ。誰かが嘘をついている可能性だって充分にある。

そのあたり、適切に見極めなければならない。

何とも神経の削れる戦いだった。

「明日の十六時ぐらいに、西王谷高校近くの公園でどうですか?古びた小さな公園があるらしくて」

「そうします。亜由美さんに都築という探偵の名前を伝えておいてください」

「分かりました」


溝口愛が正門から外へ出た。授業が終わった彼女は、今日は小説同好会には顔を出さないようだ。同様に自宅へ帰っていく大学生と思しき人たちの波に呑まれて、彼女の姿が見えなくなった。

私は中原奏に「早應大学教育学部四年の溝口愛について調べてほしい」というメッセージと顔写真を送った。読んだという印のチェックマークがついているが、中原から返信は来ない。いつものことだ。

私はその場から動かないで、溝口との会話を思い出した。

不自然な仕草を度外視しても、やはり彼女は怪しい。

罠を張ったところ、彼女は見事に引っかかったのだ。

しかし、その中でも変な感覚がある。

あれこれ仮説は立てられるが、本質的な部分が見えてこない。

プラスアルファがあり、それに賛同しきれていないのか。

伊藤麻衣の親友だという溝口愛。キャンパスに来て初めて会った、小説同好会の後輩である吉田有香と大津亮子。

自動販売機のところへ行き、空いたペットボトルを捨てた。そして、正門に向かって歩き出した。

吉田と大津と溝口の背後に伊藤麻衣がいて、三人に指示を出している可能性。

全てが私の考え過ぎで、伊藤麻衣は適当に家出をしているだけの可能性。

あれやこれやと疑問に疑問が生まれている。それをベースに二時間ドラマばりのあれこれを想定することができるが、蓋然性の話をするのならそれらを重視することはできない。

それにしても会話をする中でこれほどの違和感を覚えるとは、人間の無意識というものはやはり侮れない。ミスをした本人さえもそのことに気付いていないのだ。秘密の暴露ほど確定的ではないが、調査のヒントには充分なる。

言うまでもなく、それをその場で指摘したり問いただしたりしない。そうするのは適切ではないことを、私は前職でとうに学んでいた。

俗に言う「泳がす」というものだ。フォーカードを持っているからってレイズしまくるのは得策ではない。カードを切るタイミングを見極める必要があるのだ。

遠回りは、大歓迎だ。

正門を通り抜けてキャンパス外に出た。その際、学ランを来た高校生と思しき集団を見かけた。

早應大学の付属校生だろうか、全員が満ち満ちた表情をしている。憧れのキャンパスライフに思いを馳せているのだろうか。

そのまま歩き、W駅へ向かおうとしたところで、私は思わず足を止めた。

目の前の光景が信じられなかった。

目の前に、早坂紅葉が両手を組んで立っていたのだ。朝と服装は一緒だったが、バッグのみならずレジ袋を持っている。

どう見ても怒っている。憤懣やるかたないといった表情で、漫画だったら両の頬を膨らませた絵が適切だろう。

「日本人の中で百八十センチを超えている人なんてレアですからね。人の多い大学のキャンパス内でも都築所長は目立つんです」

ゆっくりと歩いて近づいてくる早坂は、余裕さを表そうと努力していることが窺えた。しかし私としては、そのまま殴られるのではないか、と恐しかった。

「よく見つけられたな。自宅にでも戻っていればよかったのに」

「もう色んな所を行きましたよ。事務所にも行ったんですけど、誰もいないみたいだし」

「侵入しようとはしてないよな」

「まぁ窓ガラスを割って入ろうかなとは思いましたけど。あ、はいこれ」

レジ袋を渡された。

中身を確認すると、缶コーヒーとツナマヨサンドイッチが入っていた。

顎が外れそうだった。

お遣いを果たしてくれたのか。

手渡すために、持ち続けていた、と。

「置いていくのも忍びないから、ということで君の食事用と思っていたんだけどね」

心底驚きながらも、私はどことなく胸が痛かった。

置いてけぼりを喰らったにもかかわらず、早坂は私のお遣いを最後までやり遂げたのだ。

何だか、自分がダメな人間のように思えて申し訳なくなった。

「私、意地っ張りなんですよ。『街外れの探偵屋』の住所もばっちりですし、これはもう付け回すしかないな」

早坂の頑固さはこの世の尺度では推し量れないほどのようだった。

彼女に対する申し訳なさは、途端に霧散した。

どうしてここまで付きまとうのだろうか。

そういえば、伊藤麻衣は本田俊樹という先輩に付きまとわれていたっけか。

それと同じように、私は今や早坂に付きまとわれている。私が女だったら、早坂が男だったら、それこそ戦慄していたに違いない。

「君には何か大いなる目的があるように見えるな」と私の分析を述べた。「で、それを達成するためのキーパーソンが俺なのか?」

「そうですね」早坂は瞬きさえせず、躊躇いなく肯定した。

「どうして俺なんだ?」

「え、都築所長の一人称って『俺』なんですか。あらあらびっくり」

そういえば「僕」と言った時もそのことに目ざとく気づいて指摘してきたのが早坂だ。発言にアンテナを張っている私ではあるが、私がしてきたことを相手にされるのは、あれこれ言われるのは、何だかむず痒い気がした。

「私には色々調べたいことがあるんです。だから助手をしています」

「認めていないはずだが」

「無給でも最悪良いですけど、その時は出るとこ出ますからね」早坂は両腕を組んだ。

「労働契約は結んでいないんだから、何の問題もない」

「労働契約も結ばせてもらえず無給で働かせられたって言って、テレビカメラの前で泣きます」

「お前なぁ」

いつものペースだ。

どんなことをしてでも自分のわがままと貫き通す。

手塩どころか蜂蜜に掛けて育てられたのか。それに巻き込まれる被害者の私は、泣き寝入りするしかないのだ。

「で、調べたいこととは何だ?私ならそれを解決できるというのか?」

「そういうことじゃないですけど」

「じゃあどういうことだ?」

あまり要領を得ない。

「何でそんな矢継ぎ早に聞くんですか。女子大生の私生活を丸裸にしたいだなんて」早坂がジロリと睨んできた。

私は冷めた目で早坂を見つめた。

「何ですか?まさかプライバシーのみならず物理的に丸裸にしたいんですか」

「もういよいよ君が面倒臭くなってきた」

「それはそうと、ご飯奢ってください。女の子を一人で放置するなんてサイテーです」早坂は唇を突き出して、本当に頬を膨らませた。

煩わしさで言えばトップレベルだった。ストレスチェックを受ければ、異常が見つかるかもしれない。

しかし、と私は考えた。

早坂は言われたものを買い、置いてけぼりを喰らいながらも私を探し出した。それまでずっと幸福だったはずがない。

タクシーが去ったのを見て、早坂はどう感じただろうか。

一人取り残されて、早坂は何を思ったのだろうか。

純粋に怒ってほしかった。

そうして私を見限ってほしかった。

それなのに、早坂は律儀にも私を見つけ出し、言われた通りの物を手渡してきたのだ。それも、何時間も掛けて、だ。

私は葛藤していた。

私は元来、極悪人ではない。私が悪いことをしてもなお相手がちゃんとした態度でいれば、それだけ良心の呵責を感じるし、悪意を相手にぶつけて快感を覚えることもない。

正体の分からない早坂だが、食事くらいなら一緒にしてもいいかもしれない。

無言のまま早坂と二人でW駅から渋谷駅まで行くことにした。その道中で、渋谷のフレンチレストランに予約の電話を入れた。

幸いにも入れるそうだ。

これでディナーを共にすることが確定してしまった。


そのレストランは駅から離れた位置にあるものの、大都会の恩恵をふんだんに受けていた。田園風景的なデザインの店内に、それにマッチしたテーブルに椅子、雰囲気、内装は上々だった。

小さめな音量で小川のように通り抜けていくピアノ曲もばっちしだった。静謐な環境は、私の事務所の来客スペースを思わせた。

さすが都市のレストランだ。

ちゃんと分かっている。

室内灯の明かりは絞られていて、心休まる暖色だった。高い天井にあるライト付きのシーリングファンがグルグルと回っていた。

二十代後半と思われる懇意丁寧な男性店員に、私たち二人は奥のテーブルへ案内された。窓からの景色を楽しめない、壁に面しているようなところだった。見渡すことができるのは店内くらいだ。が、むしろ人目を避けられるので気にならなかった。

社会人である私には、一つ心配ごとがあった。

早坂は女子大生なのだ。

私は三十歳で、早坂は二十一歳。

年齢差でいえば九歳差なのだ。間違ってもパパ活や援助交際のようには見られたくない。私が彼女に付きまとわれているのだから。

しかし、店員の振る舞いに不自然な点はなかった。訝しむような目もしておらず、私たち二人に対して、最高の接客をしてくれていた。

想像するに、早坂の服装が大人びて見えるので、私たちは社会人カップルに見えるのだろう。また、メイクという要因も無視してはいけない。小学生にしっかりとメイクを施せば、高校生にも大学生にも見せることが可能なのだ。それほどにメイクの威力は想像を絶する。

今のところ、アレと疑われる心配はなさそうだ。

礼儀として奥の席を早坂令嬢に譲ってあげた。が、椅子を引いてあげることはしなかった。私は紳士的でいるよう努めているが、誰に対してもというわけではないのだ。

合成皮革のフォルダを手に取った。メニュー表だ。

ここは、ビストロ料理にワインが絶品、らしい。といっても私はアルコールを飲まないようにしているので、この店自慢の醸造所限定のワインに興味はなかった。

前菜のマリネ、ペペロンチーノ、サーロインステーキ、そしてデザートのガトーショコラのメニューを注文した。これで四千円を超えない。リーズナブルだ。

早坂が注文したのは前菜のカポナータ、卵とチーズのシーザーサラダにサーモンのカルパッチョ、赤身牛のサーロインステーキにデザートのガトーショコラ、紅茶もついているメニューで四千数百円だった。

オシャレなお店とあって静かな空間だった。料理がサーブされる時間も短く、ストレスを感じない。

三〇一〇運動にあやかって、暫くは黙々と料理に舌鼓を打った。

「美味しいですね」

「あぁ。初めて来たが、良いお店だ」

「それはさておき、連絡先をください」早坂は体を前に乗り出した。「連絡先ー、おーい」

「聞こえている」

「ください」

「強引なナンパだな」

「私は従業員なんですから。ホウレンソウって知ってますか」

「知っている。英語でspinachだろう」

「いや違いますよ」と早坂に真顔で言われた。「報告連絡相談の三つ、ホウレンソウです」

「・・・・・・そういうのがあるのか」

聞いたことなかった。なかなか興味深いabbreviationだった。

「報告するためにも連絡するためにも相談するためにも、です。早くください」

私は黙々と料理を口に運んだ。

味はマイルドで、舌の上で溶けていく。

しかし、目の前の人間はしつこく消えない。

「君のことが全く分からない」

「分からなくていいですよ。女心と秋の空です」

「そういうわけにはいかない」知らない表現は無視した。

「あー、それを大義名分に、生女子大生の生プライバシーを知り尽くしたいんですか」

「なぁ、待て」と手をかざした。「おかしいと思わないか。君が僕の立場になったらどう考える?」

「どうって?」

「自分が探偵をやっていて、ある日突然女子大生が訪ねてくる。不可解だ」

「運命の出会いですね。ドキドキします」

「探偵業は秘密を扱うからその女性を追い払おうとするも、意味不明に付きまとってくる」

「これは純愛ですね。ワクワクします」

「探偵はあれこれ考える」私は諦めなかった。「産業スパイにしては正面突破を狙うのが分からない。しかし、その女子大生の狙いも分からない。聞いてもはぐらかされる。社会的身分を調べても、いいところの令嬢で生活に困っているはずがない」

「深窓の令嬢ですね。しかも麗しい。雇わない手はありませんわ」

早坂の今を表す形容詞としては、nonchalantしか思い浮かばなかった。いちいち難しい表現を使うというのもあり、せっかくの食事にもかかわらず、少しイライラしてきた。

「なぁ。はぐらかすのもいい加減にして、君の狙いを教えてくれないか?」

「狙い、ですか」

「『色々調べたいことがある』って言っていたな。何なんだそれは」気になっていたことを質問した。

「『話したくない』って言っているのに、いやらしい人」

「『話したくない』なんて言われていない。で、何なんだ?探偵なら他にもいるだろうし、深刻なら警察を頼ればいいだろ」

「私のことは、いいじゃないですか」早坂は呆れたように言葉を漏らした。

呆れているのは私なのだが、なぜこんな目に遭わなければならないのだ。

「全てを言ったら従業員として雇う、という条件ならどうだ?」食事を止めて、早坂に条件を提示した。

勿論、そんな約束を守るつもりなどサラサラないが。

「嘘ですね」

「なぜ?」

「だって、私が嘘をついているかどうか分からないでしょ」

「人間観察もプロファイリングも得意だが。それに、仮に分からないとしたら何なんだ?」

「都築所長の変態的趣味に口出しはしませんけど。ただ、聞くだけ聞いて『本当かどうか調べるまで雇うわけにはいかない』とか言って時間を稼いではぐらかすでしょ」

「まぁ、悪くない対応だな。しかしだからといって、黙秘権の行使を馬鹿正直に認めて雇うわけにもいかないだろ」

「私も都築所長に聞きたいことがたくさんありますよ。でも、教えてくれてません」

「何だ、聞きたいことって?」純粋に興味があった。

「都築所長のとは違ってエッチなのではありません」

「僕のもそんなのじゃなかったが。で、何だ?言ってみろ」

「例えば、都築所長はどうしてカラコンをしているんでしょうか?」

私は動きを止めた。

驚いた。

そのことを指摘されたことは、一度たりともなかったのに。

「男性でもカラコンを使う人はいます。でも都築所長が黒コンを使っているのはびっくりですよ。個人の自由ですけど、どうして使っているんでしょうか」

「純粋に、黒目を大きく見せるためだが」

「ほら、はぐらかした。嘘ばっかり」早坂は怒った表情でモグモグしながら睨んできた。目で黙秘を主張してきた。「全く同じですよ。都築所長にも秘密があって、でもそれは誰にも迷惑を掛けないもの」

私の秘密がどういうものか。

私は早坂に語るつもりなど毛頭なかった。話せば楽になる、とよく言われるが、何でもかんでも話せばいいというわけではないのだ。それに、私は楽になりたいなどと思っていない。

「私も同じです。秘密はあります。ですが誰にも迷惑は掛けない。確かめたいことがあって、そのためにどうしても『街外れの探偵屋』に来る必要があったんです」

「過去の依頼に関することか?」

「どうでしょうね。これから明らかになっていくかもしれませんね」

何が何だか分からなかったが、私が話さないのと同じように、早坂も話さないようだ。

We agreed to disagree.

早坂と話している過程で、彼女が反社会的勢力との繋がりがあるとは思えなかった。爆弾テロリストだとも思えず、危険思想などは持ち合わせていないだろう。

早坂が「街外れの探偵屋」に来た理由は分からないが、少なくとも害はないと思われた。

それどころか、なかなか見抜く目を持っている。あるいは、活用することができるのかもしれない。できないかもしれないし、そもそも積極的に活用したいとも思わないのが事実だが。

「名刺でもいいですけど、連絡先。この場で掛けますからね」

何が何でも連絡先を獲得するつもりのようだ。

なかなかの粘着質だ。

都築翔太郎の正しい名刺もあるし、連絡先は正しくも名前が異なる名刺もある。電話番号も名前も虚偽で、フリーメールアドレスだけ正しい適当な名刺もある。様々な職業の様々な名前の様々な連絡先の名刺を私は持っている。

それらを使い回すこともあれば、今回のようにストックがあるにもかかわらず新しく作ることもある。そのため、名刺が溢れていた。

偽の名刺を渡したら、早坂は納得しないだろう。この場で電話を掛けるとすら言っている。

彼女に付きまとわれるのは厄介だが、しかし心底恨んでいるわけでもない。いなくなってほしいとも思っていない。

どういうわけか、彼女に親近感を抱いている自分もいた。

「しつこすぎて往生際が悪くて面倒くさくて、何なんだよ」

仕方なく、ちゃんとした名刺を渡すことにした。早坂はその場で私に電話を掛け、私のスマホに繋がることまで確認してきた。

「本物なんですね」

「疑い深いな」

「名刺なんて誰でも作れますからね。ただの文字です」

それで一般人を騙している私としては、釘を刺されたような気がした。その辺の主婦を騙すことは出来ても私は騙せないぞ、という主張だった。

「で、早坂はどういう目的で『街外れの探偵屋』に来たんだ?探偵事務所が目的か、それとも俺が目的か」

「しっつこいですね」

「まさか君にそれを言われるとは」

「はぁ、女子大生の私生活を覗き見するんですか?都築所長もなかなかですね」

「はぐらかすなよ」

「私だって都築所長に聞きたいこと沢山ありますけど、自制しているんです。にもかかわらず都築所長は質問ばかりで、自制できない生き物ですね」

少し腹が立ったが、その時にスマホが震えた。

確認すると、中原奏からメッセージが来ていた。彼女には調べ物を複数頼んでいる。早坂紅葉、伊藤和子、本田俊樹、そして溝口愛の四人だ。

中身を確認した。溝口愛と本田俊樹に関する調査の報告と、一つの画像データが送られていた。

まずは、溝口愛の調査報告を読んだ。

溝口愛はワンルームマンション「シリウス」の四〇五号室に住んでいるそうだ。場所でいえば、早應大学と「街外れの探偵屋」の中間に位置していた。

また、彼女は奨学金を借りているらしい。幼少期に両親が離婚して、シングルマザーの元で育てられたそうだ。

次に、本田俊樹の調査報告だ。

本田俊樹は早應大学が提携している学生寮の一〇五号室に住んでいるようだ。奨学金は借りておらず、アルバイトに明け暮れているらしい。個人経営の学習塾で大学一年生の時からアルバイトをしているらしく、本名を検索すればその塾のホームページがヒットする、と書いてあった。

本田俊樹の住む学生寮を調べてみると、早應大学の西キャンパスから歩いて行けるところにあった。西キャンパスの最寄り駅もW駅で、早應キャンパスに近い場所にある。

その場で検索してみたところ、早應大学の理系学部は西キャンパスに設置されているらしかった。一人暮らしとはいえ大学に近いのは、便利なことこの上ないだろう。

「お食事中にスマホをいじるなんて。何を見ているんですか?」いい加減気になる、と早坂から聞かれた。

「いや別に」とお茶を濁した。

大学生の住所を特定してもらった、と早坂に言ったら、普段から勝気で殊勝な態度の彼女はどんなリアクションをするだろうか。多分、赤面するよりも、真顔で「え、うわっ」と引かれそうな気がする。

続けて、送信されていた画像データを確認した。

早坂紅葉の学生証の両面だった。

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