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第一章④

依頼内容を単刀直入に尋ねるのも問題ないのだが、私はまず初めに信頼関係を構築するように心がけている。この方がいざ依頼内容を尋ねた時にも与えられる情報が豊富になるし、何よりもミスマッチを防ぐことができる。

そう思って所長席にあるノートパソコンを持って、さあ雑談をしようと伊藤夫人に向き合うようにソファに着いた。

早坂が隣に図々しくも座った。

伊藤夫人は紅茶を味わい感想を述べた。それに返答しながら、雑談を交えていく。

「あなたが淹れてくれたのかしら?」

「はい」早坂は自信満々だ。

「素晴らしいわ。こんなにも優美で淡い香り、マイルドで口当たりも一級品よ」

「ありがとうございます」

伊藤夫人は紅茶本来の味を楽しむために、始めはなにも入れなかった。

しかし半分ほど飲んでから、ミルクを注いだ。

いい味わい方だ。

私は伊藤夫人の所作ではなく、改めて全身の観察をした。

すると、面白いことが分かった。

伊藤夫人はどことなく落ち着かない様子で、それを誤魔化すかのように紅茶とクッキーを口に忙しなく運んでいた。

私と目が合っても不自然に逸らした。

どことなく興奮している様は、紅茶の熱さが原因ではないのだろう。早坂とのやり取りも、おためごかしか。

緊張、興奮、不安、など。

探偵事務所に依頼を出すのは初めてなのだろうか。予約フォームの記載内容にあった「人探し」という言葉を思い出した。

つまり、浮気調査ではないのだ。

どういうことか。

誰かを見つけてほしいのか。

誰かがいなくなったのか。

であれば、旦那でも失踪したのか。

私の心の中に、あれこれと邪推ともとれる考えが浮かんでいく。

しかし、そのような込み入った内容をズケズケと問い質すということは、私の信条に反する。可能な限り依頼人に寄り添う。私はこれをモットーにしていた。

かつての友人が、頻繁に私に話してくれたことだった。

「『街外れの探偵屋』さんの評判は、それはもう去年の事件以来何度も耳にしていましてね」

「それはそれは、ありがとうございます」

私は笑顔で答えた。褒められて悪い気はしないし、二年目でこれは上々だろう。

ノートパソコンは閉じたままだ。

伊藤夫人は「街外れの探偵屋」を誰かから紹介されたのだろうか、それは誰だろうか、と考えた。あるいは、早坂の言っていた通り、単純なSNSの影響も有り得る。

去年、私は警察から反感を買い、民衆から評判を買ったのだ。

警視庁捜査第一課殺人犯捜査第一係のナントカ警部とナントカ警部補とナントカ巡査部長は、私に敵意を抱いているだろう。言い過ぎかもしれないが。

特にあの警部補だ。森山(もりやま)、とか言ったか。

私に命を救われたというのに、ライバル心か敵愾心かを私に抱いているのだ。年齢も近い民間人に助けられたことを末代までの恥ばりに意識してしまっていた。事件解決後、そして森山警部補が退院した後に直接話したから分かる。

「それでですね」

伊藤夫人はティーカップを置いた。残りは半分ほど残っていた。ティーカップから蒸気が微かに揺蕩う。

いよいよ、切り出されるタイミングだ。

ここからは聞く係に努めなければならない。

「伊藤家の恥を偲んで、今日はここに参った次第なのです」

「はい、何なりと」私は膝を揃えた。

「実は・・・・・・」

伊藤夫人は膝の上に、握った右手を左手で包んでいた。まるで、何かを嘆願しているかのようだった。「恥を偲んで」というのを、その行動で示していた。

「実は、娘の麻衣(まい)が行方不明になりまして」

「行方不明・・・・・・」

人探しと聞いていたので、その可能性は充分にあった。あるいは「昔お世話になった人に会いたい」というものも有り得るのだが、現実の依頼内容はそこまで美しいものではない。

夫の蒸発ではなく、娘の家出か。

「麻衣さん、という方はどういう人物なのでしょうか。年齢であったり社会的な身分であったりは?」

「麻衣は早應大学の三年生で、法学部にいるんです」

早坂が現在在籍しているのが慶稲大学で、この伊藤夫人の娘・麻衣が在籍しているのは早應大学ときた。二つの大学は並んで「私学の竜」と呼ばれるらしい。

高学歴ばっかりだ。

英語力はどの程度なのだろうか。

隣に座る早坂は冷静な表情で、口を挟まないでいた。

「今現在、麻衣さんは何歳なのでしょうか?」念のため窺った。

「麻衣は大学受験に失敗しているので、三年生ですけど二十二歳なんです。今年で二十三歳になります」

私は頭の中で年齢の計算をした。

つまり、二浪しているということか。日本の大学にストレートで入ったのなら、三年生は十九歳から二十歳になるはずなのだ。

私は再び伊藤夫人の分析をした。外見のみならず発言もまた、人間の構成要素なのだ。相手の人となりを発言からゆっくり丁寧に推定していく。

麻衣が浪人をして早應大学に入ったことを、伊藤夫人は最初に話さなかった。私が「年齢であったり社会的な身分であったりは?」と聞いたにもかかわらず、だ。

人を探してほしいというのに年齢を後に持ってくるのは、そこに伊藤夫人の心理が隠されている。

伊藤夫人は麻衣の年齢を隠そうとした。

浪人して遅れた、というのもあながち間違いではないが、実のところ第一志望は他にあったに違いない。

しかし二浪してもダメで、滑り止めだった早應大学の法学部に行き着くことになった。

これが真相だろう。

そして、それを恥と考えているので、年齢を告げなかったのだ。

全体の印象から、伊藤夫人は教育ママに違いないと結論付けた。

「麻衣さんは一人暮らしですか?」

いいえ、と否定するに違いない。

経済的に困窮していなかったら、教育ママは子供の独り立ちを認めない傾向にある。トロフィーを自室に保管するのと同じように、子供を実家で大切にするのだ。心の中に渦巻くのは支配欲に他ならない。

「いいえ、実家住みです」

やはり、予想通りだ。

「最後に麻衣さんを見たのは?」

私はノートパソコンを開いて、既に聞いた内容を打ち込んだ。キーボートをカタカタと叩く音が来客スペースに心地よく響く。

「今週の月曜日です」今日が水曜日なので、つまり二日前だ。「お昼に麻衣が『勉強合宿に行ってくる』と告げて外出したのですが、それ以来連絡が途絶えていて」

「合宿先は聞いていますか?」

「いいえ」

「奥様以外の方からの連絡はどうでしょうか?」

「私もそう思って、次女の亜由美(あゆみ)にもお願いして連絡してもらったんです。ですが、それでもダメで」

「麻衣さんが長女で、亜由美さんが妹ですか」

「ええ、そうです」

大学三年生で二十二歳の伊藤麻衣。

二日前の月曜日の昼に「勉強合宿に行く」と告げて外出し、それ以来行方不明になっている、ということか。

母親からの連絡も、そして妹からの連絡も繋がらない。

単純な家出か。

犯罪に巻き込まれたか。

「麻衣さんのご友人をご存じですか?」

もしも一時的な家出か何かなら、友人宅に泊まるのが常道だ。寝泊まりする先もなくして家出をするほど、先々を考えられないチンパンジーではないだろう。交友関係を、伊藤夫人はどれくらい把握しているのだろうか。

「大学生になってからは、麻衣の交友関係はあまり知らないんです。小説同好会というものに入っていると聞いたことがありますけど」

早應大学の小説同好会。

文学作品が好きということで、未だ見たことのない伊藤麻衣の外見をぼんやりと思い浮かべる。

法学部ということもあり、書物の似合いそうな知的な女性像が頭の中で形作っていく。

「麻衣さんの幼馴染であったりはどうでしょうか?」

「うーん、分かりません。私立の中高一貫校に通っていましたので、小学校の友人とは切れてしまったらしいですし、詳しいことは分かりません」

伊藤夫人は不自然に堂々としていた。

私はそれを見逃さなかった。

嘘をついている。

伊藤夫人は、伊藤麻衣が私立の中高一貫校に通っていた際の交友関係を知っていて、それにアレコレ口出しをしていたに違いない。

教育ママが干渉する範囲はマチマチだ。成績にのみ言及するタイプもいれば、恋人に干渉するタイプ、ひいては交友関係にまで口を出して「誰誰と仲良くするように、誰誰とはもう遊ばないように」などと指示してくるタイプもいる。

いずれにせよ、私が現地に足を運んで調べるしかないだろう。

伊藤夫人は当てにならない。

私は息を大きく吸い込んだ。

人探しは苦手ではないが、浮気調査の方が必要となる労力は少なくて済むのだ。そのかわり、尾行などで神経は削れてしまうが。

「確認させてください。月曜日の昼に麻衣さんが外出する前に、何か違和感などはありましたか?落ち着いていない様子であったり、いつもと違っていたりは?」

伊藤夫人は過去を回想するように、手のひらを顎のラインにあてた。まるで歯が痛んでいるようだ。

「いいえ、気付きませんでした」

「そうですか、分かりました」

私は一般的な助言をすることにした。わざわざ探偵事務所に依頼を出している以上どうせ否定するに違いないが、これを言わないわけにはいかない。

「若い女性が行き先も告げず連絡も取れない状況である以上、警察に捜索願を届け出るのが先決だと思います」

警察に捜索願を出したところですぐ探してもらえるわけではない。そのため探偵に探してもらうように依頼をしてくることはあるが、しかし第一にするべきことが捜索願の届け出だ。娘が行方不明になっているのなら、そうするのが普通だ。

ところが、伊藤夫人は未だに「警察に捜索願を提出したのですが」と言ってこない。

提出すらしていないということだろう。

伊藤夫人は、鼻に手を当てて答えた。

「実は主人が今、海外に出張に行っておりまして。その間の出来事とあって、なるべく大事にはしたくはないのです」

「そうだったんですか」と相槌を打った。分かる気もしたが、しかしそんなことは言っていられない状況なのではないか。

そう思ったが、口にはしない。

私が調査した上で尚も伊藤麻衣の行方が知れないのなら、最終手段として警察に言うことを進言する。あくまでこれは最終手段だ。

その気になれば、私なら大学生ぐらい見つけられる。

私には自信があった。

現代人は有り得ないくらいインターネットに自身の痕跡を残す。

それを辿っていくだけだ。

ノートパソコンのスクリーンに目を落とした。情報が多く書かれているが、文字数が多いだけで内容は浅い。伊藤麻衣という人物についても分からないことが多い。

「では、麻衣さんはどういう方でしょうか。人間性という意味です」

「麻衣は、そうですね」

伊藤夫人は言葉に詰まって悩んでいる様子だった。自身の娘について、どう表現するのだろうか。

褒めるのか貶すのか。

「麻衣にしろ亜由美にしろ、幼少期から様々な習い事をさせていますが、亜由美の方が出来はいいですね。麻衣は大学受験に何度も失敗するし、大学生になってからは夜遅くまで帰ってこないことも増えました」伊藤夫人の声に、勢いが増していった。「ただ、亜由美は亜由美で勉強はできるんですけど変な問題を抱えているし」

伊藤夫人は次女である亜由美に期待を寄せているようだ。長女の麻衣が大学受験に失敗している以上、妹にしわ寄せが来るのは当然のことか。

「変な問題を抱えている」という亜由美についても知りたいが、主題は麻衣の行方なので控えておいた。

「夜遅くまで外で遊ぶことがあった、と?」

「はい。高校生の時はそんなこと一度もなかったんですけどねぇ。麻衣は大学生になってから、勉強も疎かにしだして」

「直近ではどうですか?」

「そうですね。それこそ、日曜日も遅かったですね」

「何時に帰ってきたかは分かりますか?」

「分からないんです。月曜日の朝にはいたんですけど。多分、十二時過ぎじゃないかしら」

「夜遅くに帰宅するのは、飲み会か何かですか?」

「そうでしょうね。大学生になってから、完全に自由になってしまって」

伊藤麻衣は日曜日の夜遅くに帰宅した。そして月曜日の昼に外出し、行方不明になった。

頭の中で、様々な仮説が浮かんだ。

しかしいずれにせよ、私はこの依頼を引き受けるつもりでいた。ので、実のところ、伊藤夫人からこれ以上聞くことはなくなっていた。

自己申告は信用できない。

当たり前のことだ。

これから様々な人物と会って話を聞き、そうしてマクロとミクロを解き明かしていこう。

その後も調査に必要と思われることから伊藤夫人の雑談に合わせたものまで会話を継続した。

私はタイミングを見計らって、契約書と記入用紙を差し出した。記入用紙には名前から住所、そして携帯番号も書いてもらう。

伊藤夫人はバッグからスマホを取り出して携帯番号を確認していた。スマホが普及してから、自身の番号を覚えていない人物が多くなったものだ。

私は、伊藤夫人がスマホにパスワードを掛けていないことを見抜いた。

これはよくない。

「なるべくスマホにはパスワードを掛けた方がいいですよ。スマホを落としてしまった場合、中に入っている個人情報などを悪用される可能性がありますし」

数年前のことだ。私がまだ「街外れの探偵屋」を開く前、私が前職に就いていた頃、そんな事件があった。

スマホを落とした二十代の女性は、死体で発見された。頭を至近距離で打ち抜かれていた。

なかなかの難事件だった。

「早速本日から調査を開始します。もしも麻衣さんから連絡があった場合などは、連絡をくださると助かります」

一週間後時点で経過報告書をまとめて自宅に直接手渡しする旨を説明した。

そして最後に、伊藤麻衣の顔が分かる写真を送信してもらった。その写真は、伊藤麻衣と伊藤夫人の二人が早應大学の正門前で撮ったものだった。

スーツ姿なので、入学式だろうか。

伊藤麻衣の顔を確認した。

黒髪の耳かけショートで、案の定ナチュラルメイクだ。リングのピアスでも似合いそうなのだが、伊藤夫人の影響か、ピアスも派手なネイルもしていなかった。

ショートヘアの似合う大きな瞳と笑みを浮かべやすい唇の形などは魅力的だ。その辺のアニメでは、天真爛漫キャラとして登場しそうだ。

が、その写真では、伊藤麻衣も伊藤夫人も、口角は上がっていなかった。

伊藤麻衣、早應大学法学部の三年生で二十二歳。小説同好会所属。教育ママの和子、そして妹の亜由美がいる。大学受験に失敗した過去がある、らしい。二日前の月曜日に「勉強合宿に行く」と家族に告げて、それから連絡が取れない。

家出か、それとも何か犯罪に巻き込まれたか。

ひとまずここで分岐する。

女子大生の失踪。良いイメージというものは一切浮かばないが、そんなことはおくびにも出さずに「見つけ出しますよ」と伊藤夫人に自信を持って伝えた。

そういえば、伊藤夫人から依頼内容を聞いている間、早坂は一度たりとも口を挟まなかった。緊張していただけか、それともそのあたりの弁えはあるということか。

依頼の相談においてトラブルを起こさなかったので、ひとまずは安堵した。あれこれズケズケと聞いて依頼人の気分を害してしまうよりは百倍マシだった。


伊藤夫人が車を運転して砂利道の先へ消えていくまで、私と早坂は玄関前で見送っていた。車が見えなくなってから、私は溜息を吐いた。

「女子大生の行方不明って、なかなか怖いですね」

「そういえば君も女子大生だったか」

伊藤麻衣と学年は一緒だが、早坂は現役で入っているみたいなので二学年下だ。

「私がいなくなったら、パパとママはどうするんだろう」どれくらい心配してくれるんだろう、という悪戯顔で早坂は思案していた。

「いずれにせよ、結構ワケアリ案件っぽいな」

「そうですね、私も気合が入ります」

私たちは来客スペースに戻った。私は所長席に座り、早坂は背を向ける形でソファに座った。

「って、なぜ調査に参加するつもりでいるんだ?」早坂の背中に尋ねた。

すると、早坂はクルリと振り返った。「だって、都築所長の助手ですもん」

先程までのお淑やかさは、クリスマスの雪みたいに消え去ってしまったようだ。伊藤夫人という依頼人がいなくなった途端、桜の樹々が春を迎えたみたいに、早坂の図々しさが復活してしまった。

早坂は立ち上がって、テーブルの上に放置されたままのトレイと平皿を持って給湯室へ入っていった。水の流れる音が聞こえる。気が利くのか、それとも仕事を強奪してでもこなそうとしているのか。

切り替えて、私はこれからの調査について考えた。

女子大生の失踪。

ひとまず伊藤麻衣の通っていた早應大学に足を運んで、彼女と親しくしていた人物から話を聞く必要がある。

しかし、と私は少し頭を抱えた。

気がかりがある。

もしも伊藤麻衣が自発的に家出をしていた場合、そのことを友人に吐露しているかもしれないのだ。そこで探偵である私が「麻衣さんを探しています」とノコノコ出て行ったところで、協力してくれるはずがない。

あるいはSNSで活動報告でもしているのか、とノートパソコンを開いて早應大学の小説同好会について簡単に検索を掛けてみたが、専用のアカウント等は開設されていないことが判明した。伊藤麻衣の言う「勉強合宿」が現実に行われているものなのかどうかも分からなかった。

これからどうするべきか。

やはり、小説同好会に顔を出すしかない。そして伊藤麻衣と親しい人物から話を聞く。相手が何か隠しているかどうかは、私の目が見抜く。キーパーソンに思われたら、その人物を張ればいいだけだ。芋づる式で伊藤麻衣に辿りつけるだろう。

一般人による庇い匿いなど、私には通用しない。

帰り道にバンに連れ込まれて誘拐でもされていたら、それを見つけ出すのは厳しいかもしれない。

それこそ警察の仕事だ。

「で、どう調査するんですか?」

給湯室から早坂が戻ってきた。同じ女子大生として、心配することもないのだろうか。また一つ仕事をしたことが理由か、所長席の机を挟んで、私の前で自信満々に腕を組んだ。

「君は雑用では?」私は釘を刺した。

「雑用係でも、調査もしたいんです。何でもやるって言ったでしょ」早坂は憤慨したように反論した。

「生憎、従業員は足りている」

「嘘つき」

「事実だ。君の助けなんか僭越ながら一切要らないから、外の庭でエラトステネスの篩でも書いていたらどうだ?」

「あら、よくご存じで。でも不十分ですね。アトキンの篩という高速アルゴリズムの方がより最適化されていて現代的です。素数は魅力的ですが、何よりも私は素数生成のアルゴリズムに興味はありません」軽口を一つ言ったら百で返された。気の強い女だ。「で、他に何か?」

私は攻め方を変えることにした。

「私が外で調査をするから、ここで留守番をすることが仕事だと言ったら?」

「見ず知らずの私を事務所で一人にしていいんですか?」

「君の入れるところに秘密などないよ」

「それ私が指摘したやつです。それに、不用心ですよ」早坂は呆れたような顔を浮かべた。「で、どうやって調べるんですか?」

これが早坂のペースだ。

ワガママで意思が強固で、相手が折れるのを期待している。

一体どんな風に育てられたのか。

私は早坂を試すことにした。

「早坂、君だったらどう調べる?」

「私ですか」早坂は顎に手を当てた。「ひとまずは早應大学の小説同好会に行きますね。都築所長にはできない手が私には使えます」

「僕にできない手?」少し癪で、首を傾げた。

「あら、一人称が『僕』になりましたね。ちょっと距離が近づいたっ」

「どうでもいいから、どんな手だ?」

「私も女子大生なんですよ」早坂は胸を反らせて自信満々に答えた。

「らしいな」

「それに慶稲大生です。ので、小説同好会に潜入することができます」

「はぁ」

「『はぁ』って。これって凄いことですよ。都築所長だったらどうやって聞き込みをするつもりですか?」

「いや普通に『麻衣さんを探しています』って聞き込みをするだけだが」

「そんなバカ正直に聞いてバカ正直に答えてくれる人がいますか?よく分からない男の人が女子大生の所在を聞いて、不審者極まれりですよ」

若干ズレている気もする。そのように指摘されたところで聞き込みを早坂に委任するはずがない。

聞き込みの対象が嘘つきの可能性も、とっくに考慮している。

しかし、問題ない。

私は違和感を見破れる。

ところが、早坂にそう告げるのは無意味なのだ。「自信過剰」と冷めた目で見られるだけだ。

「いずれにせよ、調べるのは僕の仕事だ。君は必要ない」

「頑固」

「素人に調査を任せるわけがないだろう」

「都築所長はプロなんですか?」

「そりゃあね、少なくとも君よりはできる」

「自称プロね」

「それで構わない。去年のケースをご存じだろう?」とストレスを吐き散らすように言い返した。

「解決できますか、消えた女子大生の謎も?」

「そうだと願っている。自信も手段も揃っているんでね」

そこで、早坂を怒らせ、失望させるプランを頭の中で考えついた。これを用いることで、彼女がどんなリアクションをするか。

ついて回るのを止めてくれればいいが。

「そもそも早坂、女子大生がいなくなるだなんて、そんな頻繁に起こることなのか?」

「話が逸れていきますね。で、現役の女子大生が行方不明だなんて一大事ですよ。どう考えても警察に届け出るのが当然です」

「そうだろうな。もしも早坂が行方不明になるんだとしたら、どんなことが挙げられる?」

「えぇ、分からないですよ。私は絶対に家に帰りたいし」

「もしもトラブルに巻き込まれていないんだとしたら、では伊藤麻衣なる人物はどこに隠れているのか、そしてなぜいなくなったのか」

「どこにって、友達の家とか、あとお金に余裕があるならカプセルホテルとか満喫ですか。なぜかは分かりませんね」

「あれこれ考える必要がありそうだ。ところで車は?」

「車?」早坂は首を傾げた。

「ここまでどうやって来たんだ?」

「タクシーですよ」

一般の女子大生が用いる交通手段ではない。

これだから令嬢は。

「音は聞こえなかったが」

「砂利道に入る手前で停めてもらったんです。え、車ないんですか?」

「運転はできるが、そういえば有効な免許は持っていないな」

「犯罪ですね」

「無免許で運転技術を有していることが犯罪なら、この国の誰も免許を返納しなくなるだろうな」

私はスマホを取り出してタクシーアプリを開いた。山道の途中にある「街外れの探偵屋」だが、東京なのでタクシーを呼べばすぐに来てくれる。車がなくても全く困らない。その代わりに交通費が嵩んでしまうのだが。

「早坂紅葉、と言ったな」

「はい何でしょう、都築所長」早坂は背筋を伸ばした。

私は彼女をジロリと見て言った。「まだ君を雇ってもいないし、雇うつもりもない」

「そんなこと言わずに」

「家はどこにある?」

「渋谷ですけど。今は実家住みなので」

今は、という表現に内包されている様々な意味は無視した。

「偶然だな、これから行く先は渋谷駅だ」

「え、早應大学じゃないんですか?」

「従業員と顔を合わせないといけない」

「行きましょ行きましょ。渋谷駅周辺は私のテリトリーですよ」

十分もしないでタクシーが来てくれた。私の気が変わらないうちに、と早坂に背中を押された。

こうするしかない、と私は割り切って早坂とタクシーに乗り、渋谷駅へ向かってもらった。車内ラジオの音量が大きかったが、小さな声で話せば運転手にも会話を聞かれない、というメリットもあった。

「事務所、空けちゃったままで大丈夫なんですか?」

「君に残ってもらう算段だったが、問題ない。完全予約制でね」

「こういう依頼は多いんですか?猫探しとかも?」

「ペット案件は受けない。人をメインにしてるんでね」

「浮気調査とか」

「そういうのもあるな。現実の探偵業はフィクションもののとは違って、いたって地味なものだよ」

「相談する人はやっぱり女性が多いんですか?」

「統計を取っているわけではないから分からない」

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