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第一章①

首吊り死体を発見した。

五月中旬の、ある日のことだ。

この日、私はいつも通りのルーティーンをして、いつも通りの日常を送っていた。普段とは違っている点に気付いたか、と聞かれたら首を傾げていただろう。間違い探しほどエンターテイメント性があるわけでもない、ただの意味不明な質問に終始していたに違いない。

本当に、普通の日常だったのだ。

朝、ベッドサイドテーブルに置かれたスマホのアラームを止める際に、手をテーブルの縁にぶつけるなんてこともしなかったし、朝食がいつもと違う味がしたわけでもない。勿論、いつもする朝シャワーだって快適極まりなかった。ノズルヘッドから出る水量も、髪を乾かすのに掛かる時間も大して差はなかっただろう。

この日の天気は、雲が全体の二十パーセントを覆っている程度の空模様で、気温も四捨五入すれば華氏七十度、つまり摂氏二十度ほどだった。上着を羽織ってもいいし脱いでも構わなかった。おしゃれの幅が広がるので喜んでいる人も多いことだろう。

夏は一枚しか着られないし、反対に冬は着込まなければならない。こういう天気の方がファッションには向いている。少なくとも、エアコンの設定温度についてあれこれ論じる必要はなかった。

つまり、この日は過ごしやすく快適な一日だったのだ。五月にはよくある、不快感のない日だった。

結論、こんな事態に直面するだなんて露ほども考えていなかった。一体どんな人生を歩んだら首吊り死体などと直面することになるのだろうか。何か悪いことをしただろうか、と振り返っても、ただの日常をただ過ごしていただけなのだ。

しかし、目の前に映る現実は、現実そのものだ。

首吊り死体。

それ以外の何物でもない。どの角度から見ても、クリスマスプレゼントには見えない。

首吊り死体を発見したのは、私の家から歩いて行ける山の奥だった。道も整備されていない、最近ここに人が入ったかどうかも分からない、硫化水素でも滞留していそうな、重い空間だった。

なぜ人が首を吊るような場所に、私は足を運んだのか。それは、最近になって焦りというものが生まれていたからだ。このままではいけない、という焦燥感が私の背をジワジワと焼いていたのだ。

訓練に明け暮れていたアカデミー時代と比べると、あまりにも体力がなくなってきているのだ。

歩くことも走ることも、それこそ昔はいくらでもできたのだ。現状を考えると、あの頃の無尽蔵なスタミナは果たして本当にこの肉体に収められていたのだろうか、と疑いたくなる。それくらいの体たらくだった。

狼のような脚力は、一体どこへ行ってしまったのだろう。

これだけを見るとあたかも私は生産年齢人口にカウントされない人物のように思えるが、それは違う。まだ三十歳になったばかりなのだ。肉体的な衰えを実感するほど私は老いていないし、バラエティ豊富な経験をしてきた老師でもない。

山登りの趣味などなかった。が、このままでは最悪レベルにまでだらけてしまうと焦った結果、足腰の強化ということで、最近では山歩きを日課としていた。

山登りではない。あくまで山の中をグルグルと歩くだけなので、川沿いのウォーキングと大差ないものだった。服装もラフなもので、電波が通じないなんてこともない。遭難の心配など、一度たりともしたことがなかった。

ハイキングコースから獣道、そして普段は入って行かない森へ何かを求めて探索に出かける、というのもなかなかスリリングだった。どこぞのRPGゲームのようにお宝を探しているかのような。迷子にならない程度に山奥探索を続けていたのだ。

今日の山歩きは十四時にスタートした。太陽は一番上にあったが、山の中へ入っていくと、日光は木々に遮断されて眩しくはなくなった。

首吊り死体の発見場所は、自宅から数百ヤードは離れていた。獣道の途中で枝が地面をウネウネと這うような、車椅子では絶対に通れない荒れた道を進んで出たエリアで、途中から鼻をつまんでもどうにもならない臭いがしていた。

そして、仏様と対面することになった。

この時、時刻は十五時になろうとしていた。

下半身トレーニングとはいえスリルを求めていたのは事実だった。人間の本能のようなものだ。

夜間に山に入ったこともある。木々の騒めきに首筋が震え、何度も辺りを見回して、何も私の後を付けていないことを不必要に確かめた。不審者がいたところで、そしてその人物が武器か何かを持っていたところで、私が引けを取ることなどないだろうが、それでも夜間の異常者に恐怖を覚えないほど私の感覚は常人離れしていない。暗闇を恐れるという反射は、私にも備わっている正常な機能だ。

勿論、首吊り死体と対面するまで何も想像していなかったわけではない。鼻を曲げる強烈な異臭を嗅いだ時から、確かに嫌な予感を抱いてはいた。もしかしたらこの先には、という直感だった。

かといって、好奇心は抑えられなかった。この異臭の発生源まで確かめようと歩みを進めたのだ。

が、しかしまさか本当に死体を発見することになるとは。

なかなか縁起がいい。勿論、皮肉だ。

目の前の首吊り死体。

私に発見してくれるのを、文字通り首を長くして待っていたこの死体は、スーツに身を包んだ四十代ほどの男だ。たった今首吊りをしたわけではないことは明らかなので、蘇生措置などは行わない。

首吊り自殺の直後だったら糞尿を撒き散らしていただろうが、スラックスをちらりと確認したところ、今では既に乾燥しきっているようだ。ブンブンブンブンと蠅の飛ぶ音がスズメバチ並みにうるさい。火炎放射器でまとめて焙りたくなるほどだ。

今更死体などで悲鳴を挙げたりはしない。これは慣れだ。

ところが、臭いだけはどうしても慣れない。近づけば近づくほど臭いがきつい。生ごみを一年間放置してもここまでにはならないだろう。それほど、放置された死体の臭いというものは強烈なのだ。

もしも腐乱し切ってしまうと、その臭いは絶対に取れないと断言してもいいレベルになる。賃貸アパートで自殺をした男性の家族に、アパートの大家が損害賠償請求をした、というケースを知っている。腐敗臭が部屋にこびりついてしまい、貸し出せなくなってしまったのだ。

つまり、常識論で言えば、死体になど喜んで近づきたくはないはずなのだ。一般の対応を取るのなら、とりあえず距離を置いて、緊急通報するだけでいい。死体が臭いを放っているのなら、まさにそうだ。

それが、一般人の正常な神経であるはずなのだ。「死体を発見しました」という通報に時間も料金も掛からない。

しかし、身に付いた習性というものは厄介極まりなく、警察に通報するよりも前に、私は現場と遺体の状況を調べることにした。そうしてしまった。

あれこれ調べて、様々なことを考える。

染みつくのは臭いだけではないのだ。

ひとまず周囲の足跡を確認する。現場を私が台無しにする以前に、微生物をも確認しようと目を凝らした。

どうやら、目立っているものはない。

何のヒントもなく、そこで安心して遺体に近づいた。

死体の足先は地面から十インチほど浮いていて、全体重が首にのしかかっていることが分かる。宙ぶらりんだ。片手で押すだけでブランコのように揺れそうだが、その後は待ち焦がれていたかのように私のほうへ戻ってくるため、一応控えておいた。

蠅を両手で振り払いながら具に観察した。

安物の黒のセットアップスーツにところどころ黒ずんだ白のワイシャツ。服装だけで判断するのなら、どこぞの会社の務め人だったのだろう。ブルーカラーではない。

しかし腕に時計をつけておらず、ネクタイもない。スーツの袖ボタンは四つ並んだ開き見せだったが、左手の一つは外れていた。いつ外れたのだろうか。外れていたにもかかわらず、それを放置していたか。

爪は伸びていて、五指全ての指先から一インチほどはみ出ているほどだ。強くぶつけたら、雷のようなヒビが爪の先端から根本までばっきりと入ってしまいそうだ。

万が一、この男性が爪を定期的に切っているような、マメなタイプだったとしたら。

まさか、死後伸びたのか。

くだらない考えが浮かんだ。

ざっと見たところ、この男性は身嗜みに気を遣うタイプではなさそうだ。

革靴は何年も履き潰したものだ。横線が幾筋も入った踵の部分を見れば、靴ベラを用いないのだと分かる。玄関で足を強引に突っ込むタイプだ。踵が潰れている状態で、ドンドンドンと地面を踏みしめるように、そしてつま先を地面に叩きつけるように地団駄を踏んで履くのを日常としていたに違いない。

グレーのプレーンベルトは百均に売ってそうなクオリティのもので、少なくとも革ではない。

ワイシャツの第一ボタンが外れており、そして首回りをポリエステルロープがぐるりと一周してあるのが見えた。

見上げると、枝にロープがグルグルと巻き付いていた。枝と首を繋げるそのロープを伝って、見たこともない小さな虫がびっしりと行列を作って蠢いていた。

そりゃそうだ。

蠅以外も、死体を漁りたいのだろう。

あの枝は、ジャンプして届く高さではない。あそこまで十三フィートほどはある。

であれば、自殺する直前のこの男性は、あの枝まで木登りし、ロープを結んでから首に回し、そうして飛び降りたのだろう。

スラックスの内股を確認すると、樹皮と思われる茶色の断片が、刺さるようにわずかに付着していた。

全体重が頸部に掛かった時、本当に意識を失ったのだろうか。頸部に掛かる重さは三十三ポンドほどでも死の危険があると聞いたことはあるが。

いずれにせよ、死亡した後も、長いことブラブラと揺れていただろう。

しかし何の力も働かず、やがて制止した。

その後、数時間かけて死後硬直が始まり、そして緩解した。

私は遺体の正面に回った。

首がだらしないほど伸びていて、異形に他ならない。

パルミジャニーノの『長い首の聖母』を思い出すが、あれほど優雅でもないし美しくもない。かといって、ろくろ首ほど長くもない。不自然に首だけがびにょーんと伸びているだけで、それ以外は一応のスーツに身を包んでいる中年男性なのだ。

首吊り死体の男性は自身のつま先を眺めているかのような角度で顔を真下に向けている。

中腰になって顔を窺うと、生前の面影はゼロだった。

胃の中の物を吐き出そうとしているかのように口を突き出していて、急ブレーキを掛けたかのように舌が飛び出していた。

それぞれの器官が自我でも覚えたのだろうか。グロテスクな見た目の爬虫類みたいだ。

真正面から覗きたくなるような表情ではなかった。むしろこんな表情がスマホの画面に突然現れたら、殆どの人間はそれを思わず投げてしまうことだろう。

何度かお世話になったが、改めて検視官は凄いと思った。彼ら彼女らは目を覆って逃げ出したくなるような惨殺死体を直視するのが仕事なのだ。

coronerだのpostmortemだのは、私には無理だ。

死体の目は大きく見開かれていて、その瞳は私を認識していなかった。死んだ目というのはこういうのを言うのだろう。

何も映していない。

何も知覚しない。

確認したところ、眼球とまぶたの隙間に、ダニやクロバエが百を超える卵を産み付けていた。既に生まれたダニの幼虫や蛆虫もブニブニとした体を這わせて、命を唄っていた。

衣服を脱がせたら、総勢いくつになるのだろうか。

こいつらからしたら、成人男性の遺体は栄養の塊なのだろう。体液という体液を吸いたくてたまらないに違いない。

火葬や埋葬をするわけだ。

そうしなければ、尊厳などあったものじゃない。絶世の美女も、水も滴る王子様も、他者を惹きつける誘惑的な魅力は、生きている間だけ有効なのだ。

死亡したら、そしてそれを放置したら、例外なく全員がこうなる。

身体が膨らんでいないのを考えれば、死後二日目といったところか。

私はエキスパートではないが、そんな気がする。山奥での首吊りにしては発見が早いかもしれない。

これから体内で発生したガスによって腹周りはブクブクに膨らんでいく。消化液が自身の胃腸を消化してしまうのは、どれくらいの時間が経過してからなのだろうか。

また、腐敗が進み過ぎた首吊り死体は首の部分から千切れる、らしいが直接見たことはない。

周りを見ても遺書の類は置いていないし、ロープを入れていたであろう袋なども見当たらない。バッグもない。

森の中だからか、それともこの男性はスーツポケットの中に生のロープを入れていたのだろうか。

スーツを着たまま自殺をするだなんて、よっぽど仕事に思うところがあったのか。

何故、自死などを選んだのか。

左手の薬指に指輪はしていない。森の中で孤独な縊死を選んだところを見ると、この人は独身男性なのだろうか。

遺体すら発見されなくても構わない、という投げやりな考えがあり、故に電車に飛び込んだりビルから飛び降りたりするのではなく、山奥での首吊りを選んだといったところか。選んだ死場がここなら、それほど孤独な生活を送っていたのか。

スマホを調べたいのだが、どこのポケットに入れているのかが分からない。スラックスのポケットが平坦に潰れているので、そこには入っていなさそうだ。であればスーツジャケットか。

しかし、手を入れてみたところで、訳の分からない虫に噛まれるのだけは御免だ。死体に群がる虫がどんな病気を持っているか、分かったものじゃない。ただ、ビタミン剤ほど健康的な作用をもたらしてくれるはずがない。博士号を持っていなくても、これだけは分かる。

いずれにせよ、ここから数百ヤード歩いたところに私の自宅があるのだから、是非とも撤去していただかなければならない。周りに迷惑を掛けていないと思ったら大間違いだ。

というわけで緊急通報をしようとしたところ、番号を間違えてしまった。そういえば、去年も番号を間違えた。

一つ舌打ちをして、しっかりと一一〇をタップした。死亡しているのが明らかなので、一一九に連絡する必要はないだろう。


首吊り死体は山奥にあったため、言うまでもなくそんなところに警察車両は入って来られない。しかし私は、道も人名も顔も覚えるのが得意なのだ。

首吊り死体から最も近い場所にあって車の入って来られるところ、かつ目印となる場所を告げれば一発だった。

通報をした後、待ち合わせ場所に歩きで向かった。自宅に戻ると遠回りになってしまうので、最短経路で行った。

しかし、慌てていたわけではない。私が発見したのは、市街地ど真ん中の血塗れの人間ではなく、山の中の首吊り死体なのだ。凄惨な現場というわけでもないし、とっくに死亡している。警察側も急いでいるはずがない。

そんなわけで、十分以上掛かって待ち合わせ場所に着いても、まだ警察官は到着していなかった。

そこで五分ほど立ったまま待っていたら、ようやく黒のワンボックスがクラクションを鳴らして入ってきた。

警察官たち五、六人が降りてきた。

「通報をされた方ですか?」

「はい。都築翔太郎(つづきしょうたろう)といいます。発見した場所までご案内します」

私は彼らを率いて、現場まで歩いていった。

移動中に警察官からあれこれ聞かれた。

「死体を発見した経緯を教えてください」

「最近の趣味で山歩きを始めたんです。お昼ごろに山に入ってあちらこちら散策するだけなんですけど、探検みたいで結構楽しいんですよ。いつも行くコースもあるんですけど、今日は気晴らしに獣道の奥まで進んでいきまして、そしたらとんでもない臭いが立ち込めていたんです。犬か猫の死骸でもあるのかな、とゆっくり近づいていったんですけど、そうして発見しました」

「どこかに触れましたか?」

「いえ、触っていません」

「山歩きをしていた際に、誰かを目撃したことは?」

「ハイキングコースでは誰かとすれ違うことはありますね。高齢な方が多いですけど、休日だったら若い方も」

「何か気付いたことはありますか?」

「いや、よく分からないです。まさかあんなのに遭遇することになるなんてねぇ」

私は自身で調査した内容は全て伏せ、具体的な質問をされても「怖くて直視できませんでした」と濁すことにした。

そりゃあそうだ。首吊り死体を発見しておきながらその人物のプロファイリングをする人間が、一体どこにいるというのだ。「私も警察官なので」などと微妙な嘘はつけないし、身元を探られるのもいい気がしない。

思い返すと、通報した際もオペレーターから「息があるかどうか近づいて確認できますか?」と聞かれたのだ。

倒れたまま動かない人物を発見したのとはわけが違うというのに。首を吊った死体を発見した、という通報内容に呼吸の有無などを要請するだなんて、相手は新人かサディストに違いなかった。

当然、私は「虫が集っているのでとっくに絶命していると思います」と遠慮した。

「この辺にお住まいですか?」

転ばないように足元に注意しながら、警察官の一人が質問した。私は住所から氏名、年齢までを全て説明した。

「向こうにある山道に東京側から入って、砂利道が横に伸びているのでそこを真っすぐに行くとあります」と丁寧に告げた。

相手が警視庁捜査一課のあの係でない限り、変な目では見られないだろう。自殺者を発見しただけで、変な勘繰りなどもされないはずだ。

私は身元を警察に探られたくない。

深入りしてほしくないのだ。

そのため、聞かれたこと全てに、朗らかに答えるようにしている。ワケアリだと思われなければ、誠実な人間だと思われれば、詮索されることはないのだ。

氏名を名乗らないだけで、住所を告げないだけで、警察官にはスイッチが入る。反対に、一を聞かれると十を答えるようなお喋りな人間は、演技じみていなければ、疑われることも少ない。

これに関しては、私は専門家だ。

尋問することもされることも問題ない。

様々な対人関係を想定した厳しい訓練を受けていて、シリアルに牛乳を注ぐように、私はそれらを容易にこなすことができるのだ。

今回のケースは明らかな自殺だ。第一発見者の素性も重要ではない。検死も一日中に終わるに違いない。それでも数時間は拘束されることになるだろう。

これは、致し方ない。

「ほら、あれです」

その後、警官たちは、私により詳細な事情聴取をする役と、現場を調べる役に分かれた。私が反抗的な態度を取っていたら、現場を調べる人数を少し減らして二、三人で私の対処に当たっていただろう。

しかし繰り返しになるが、私には鍛え上げられた対人関係能力がある。相手を信頼させるための弁論術も心得ていた。

聴取を担当した二十代後半の男性警察官に発見した時のショックなどを、身振り手振りを交えて臨場感たっぷりに話してあげた。相手の目に私はただの一般人に映っただろう。

カウンセラーの紹介などはされなかった。深刻なダメージを負っていると思われなかったからか、それともまだ浸透していないのか。

十七時頃、ようやく私は解放された。

死体を見つけて警察に通報したのだから、あれこれ聞かれるのは当然のことなのだが、時間を浪費してしまった点は否定できない。

五月の山とあって、若干薄暗くはなってきていた。山の中はなおさらだ。木々の影がやけに鋭く、夜になっていくにつれて、山は突き刺すような雰囲気を醸し出していた。

勿論私の自宅は決して山奥の薄暗い空間にあるわけではないし、ワケアリ物件というわけでもなかった。夜に帰宅するとそのようにしか見えなくなってしまうのだが、慣れればどうということもないのだ。

トボトボと歩いて自宅に帰った。肉体的な疲労は蓄積されていないが、行きよりも足取りは重かった。

いつも通りの山歩きがとんでもないことになってしまった。

ただの日常を過ごしていて、足腰の強化で始めた山歩きだ。何も特殊なことはしていないはずなのに、死体が私を逃がしてくれないようだ。

勿論、野生動物に遭遇するよりも危険度は低い。死体よりも野犬の方がよっぽど怖い。

当たり前のことだ。死体はただの大人しい肉塊だが、野生動物は人肉と血を求めて、獰猛に襲い掛かってくる危険がある。

私は応対した警察官のことをぼんやりと考えた。

これからどうなるだろうか。まさか通報者の経歴などを仔細に調べたりはしないだろうが、しかし私一人に対して、複数の警察官というバランスはなるべく避けたいものだ。トークのパフォーマンスが落ちることなどは一切ないが、危険は排除するに限る。

自宅に着いた時、時刻は十八時になろうとしていた。もうすっかり暗くなっていた。

私の自宅は東京都と神奈川県の境にある山の、東京側の入口から山道に入ってすぐにある横の砂利道を進んでいくと辿り着ける場所にあった。私の住居かつ職場でもある「街外れの探偵屋」だ。

私は探偵なのだ。

「街外れの探偵屋」の事務所に、広い庭もある。庭の端にラインを引いて駐車スペースを作りだしたものの、それでも表も裏も余っているほど広い庭だ。十数人でプロレスでもできそうだ。

ソロキャンプやバーベキュー程度ならここの庭でできそうな雰囲気に包まれていて、自然が好きな人には打ってつけの物件だと言える。花火も充分にできるが、山に火が広がっていってしまいそうな怖さがある。それ以前に、ソロキャンプもバーベキューも、この庭でしたことはないのだ。

家までの砂利道や庭先などに草木は生えていないものの、玄関を出て周囲を見渡すだけで緑に包まれる、「街外れの探偵屋」はそんな立地にあった。

外から見ても「街外れの探偵屋」は別荘として使えそうなほど大きく、荘厳な雰囲気が放たれていた。階数は三で、地上二階地下一階だ。鉄筋コンクリート造と鉄骨造の混構造で、外壁は茶色と周囲の自然に合わせている。

もしも外壁は白だったら、そして敷地を海岸沿いにすれば、いつでもどこでも海を一望できる人気別荘となっていただろう。

このモダンな外観を自然に見事なまでに適合させている様を一望するだけで、ここが探偵事務所だとは忘れてしまいそうだ。仮にそうだと知っていても、少なくとも従業員一同プロに違いないと信じ込ませるほどの高級感さえあった。

現実、その通りなのだ。

つまり、依頼者はこのオーラに圧倒され、そして都合の良いことに第一印象を私に会う前から抱くことになる。

個人的にも、この立地は気に入っていた。

地図上で言えば、一応は東京在住ということになる。だが、ここは都会の喧騒を忘れさせてくれる、自然豊かな場所だった。

そんな環境が自宅の周囲を囲っていた。高層ビルもなければ飲み屋もない。つまり、人がいないということだ。騒音にもゴミにも悩まされることはない。数十年に渡る労働を終えた歴戦の高齢者が隠居先に選ぶとしたら、まさにこういう環境だろう。

素晴らしいことだ。

難癖などつける余地もない。

少なくとも、辛い過去を引きずっている私にとっては、見渡せる自然は心を癒してくれる数少ない仲間なのかもしれない。

一年を通じて確認してみたところ、春と秋では山は色とりどりな顔を見せ、ベージュからオレンジから白から黄色まで、緑という印象を霞ませるほどの色彩を放っていた。反対に夏と冬は緑一色となり、心底リラックスできる風情があった。

同じ木の葉が季節によって色を変えるのか、それとも色を持つ葉の木が季節ごとで異なっているのか。深く考えたことはないが、あれこれと頭を働かせて悩ませるような、無粋で都市的な風景でないことだけは確かだった。

誰にも来てほしくない。この自然美を享受するのは、私だけでいい。ゴルフ場などもってのほかだ。

窓から入ってくる鳥の鳴き声や木々の揺らぎを耳にすると、クラシック音楽と対抗させてみたくなったりもする。

木々がサワサワと揺れる様を眺めると、風の流れまでもが手に取るように分かって、その感動に目を細めたくなる。

どこかの枝に並んで止まっていた複数の鳥が一斉に飛び立つのを見ると、天空に思いを馳せる。どこまで飛んでいけるのだろうか。空を飛ぶという行動は、どれほどの感動なのだろうか。

自然の美しさが、それを否定しきれない心の底に染みる。真冬で身体が冷え切っていたら、寒さを長いこと耐え忍んでいたら、どの人間も熱々の風呂に抗えない。全身の力を抜いて身を委ねる。私は同じことを、この大自然に対して無防備にしていた。

ちなみに交通の便も悪くない。家から出て砂利道を進んでいけば山道の入口近く、といった具合なのだが、この山道は別に荒れていることなどない。むしろスケートボードができそうなほどに綺麗に舗装されており、街灯も数メートルおきに等間隔で設置されている。

幅員を考えるとすれ違い通行に若干の怖さがあるかもしれないが、少なくとも物陰から熊か何かが飛び出したりする可能性は恐らく低いだろう。野生動物に襲われるような物騒な経験をしたこともなく、ガードレールもツルツルしていて真新しい食器のように映った。

夜間に暴走族が山道を爆音で走るということも、今のところはなかった。調べてみたところ、これは恐らく、山道がおよそ直線でないことが関係している。頻繁にハンドルを右に左に切らなければならなくなるので、一直線にアクセル全開することができないのだ。暴走というよりも、車椅子を押すかのような丁寧さが必要になってしまうのだ。スピードに酔いしれる人物にとってこれほどの苦悩はないだろう。

ただ、私は車を持っていない。そして自宅は山道の途中にあるので、言うまでもなくバスも走っていない。

始めは不便さを覚悟していたが、これも杞憂に終わった。便利な世の中なので、アプリを使えばすぐにでもタクシーが来てくれるのだ。呼んでからタクシーが到着してくれるまでの予想時間も随時更新される。全てオンラインで、しかもボタン一つで行えるので、これほど便利なものはない。

仕事上、市街地に足を延ばすことは多いものの、今のところ不便はしていなかった。山道を降りてすぐに総合スーパーもコンビニもあるというのも大きい。距離にして、歩いて十分ほどだ。

そんな素晴らしい環境で私の居住食は綺麗なまでに整えられていた。何のトラブルもなくストレスもない生活を送ることができるのは幸せなことだ。とりわけ現代というストレス社会においては、だ。

私が「街外れの探偵屋」を開いてから、ここに住んでから、これで二年目になる。

一年目は大変だった。

始めは仕事がなかった。従業員も私しかいなかった。

それでも意欲的に活動し、激動の事案に携わることになった。それによって優秀な従業員も確かな功績も獲得し、今では仕事に困ることはなくなった。

「街外れの探偵屋」を開く前の話、私は別の職についていた。

それは私の天職で、プライベートの時間を全て捧げることに何ら躊躇いもなかった。正義感と使命感に溢れ、正しいことをしているという手応えがあった。

しかし、全てが崩壊した。

万死に値するミスをした。

どれだけ時間が経っても、これだけは忘れてはならない。

そうして、私は探偵になった。

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