5.ぶらっく!
(ヘイ。ルウ。道案内してやろうか?)
格好つけた声が足元から聞こえた。しゅっと締まったスマートな黒い身体に、不釣り合いに丸い頭部。さらりと長い前髪で顔は全く見えない。
この精霊がやってくるのは、私が落ち込んでいるとき。力は強いが、意地が悪い。他の精霊と上手くやれないのか、いつも一人で現れる。
「頼みたいけど、私はあなたを笑わせるの苦手だよ」
(ノンノン。俺は十分楽しませて貰ってるぜ)
「そう? じゃあ、お願いしようかな」
私まで、勿体ぶった言い方になってしまう。意地悪精霊は、クククッと笑いながら、通路をたどる。約束は守るはずだから、と信じてついていく。
(ルウはいい奴だから、教えてやるよ。笑いってのはな、明るいだけじゃ面白くない。悪い冗談も必要だ)
「ぶらっくゆーもあ?」
(ああ。黒いのも、たまにはいいって話さ)
「黒いの……」
黒い精霊の言うまま、私は新しいネタを考えながら、出口へ向かった。
◇◇◇
次の朝、王宮は大騒ぎになっていた。
「真っ黒だぞ……」
「ある意味すげー。カッコいい」
「で、これどうやって戻すんだ?」
みんな建物を見上げている。私は直視できず、地面を見た。
昨日、黒い精霊と歩きながら『黒色になったら面白いもの』というお題で話をした。その答えがこれなのだろう。
「王宮の壁が黒いと、魔王城か何かみたいだな」
いくつもの大きな建物を有する王宮の壁の色が、一夜にしてすべて黒色に塗り替えられていた。
本来真っ白のものが真っ黒だと、本当におどろおどろしい。黒光りまでして、薄気味悪い。
(もう! なんて趣味が悪いの!)
(またあいつね。何でも黒くしちゃうんだから!)
精霊たちが集まってきて、ぷんぷん怒っている。花弁を染める色の精霊が、小さな腰に手を当てきっぱりと言った。
(私にまかせて!)
魔導士たちは一晩かけて、黒から白に戻した。それなのに、次の日の朝、王宮は花柄模様のファンシーな装いに変わっていたのだ! 魔導士たちの悲愴感は相当なものだった。
唯一の救いは、その日遠方の王国から来訪した王夫妻が、王宮に着いた途端「ファンタスティック!!」と叫び、大喜びしてくれたことだ。彼らを歓迎したものだと勘違いしたらしい。
こんなことがあったせいで、魔導士たちに新しい仕事が増える。重要な客人を迎える際は、王宮の壁面を模様替えして、もてなすことが通例となった。
◇◇◇
私の部屋に、ジェフリーが訪ねてきた。
「ルウ。誤魔化すの大変だったぞ」
ですよね。ご迷惑おかけして本当にすみません。
「王宮の壁に落書きするのは、もうやめさせろよ」
はい。もう、絶対させません。
「同僚たちは、精霊の悪戯だから仕方ない、と諦めてくれた。この件は誰にも話さないように」
もちろんです。バレたら、王宮の魔導士の方々からどんな目に合わされるか! 絶対に黙秘します。
「……おい、ルウ。なんとか言え!」
口にお休みさせて、背中で返事をしていた私に、遂にジェフリーがキレた。
怖い。しかし、ここは一発何か言わなければ。
私は振り返り、精一杯答える。
「なんとか」
「……………………ようやくこっちを見た」
久しぶりに見たジェフリーの顔は、なぜか泣きそうだった。
「そ、そうでしたか? 毎日お会いしておりましたが」
「ルウは地面ばかり見て、顔を合わせようとしなかった。避けられていることぐらい、俺でも分かる。なあ、俺、ルウに何かしたか?」
「いいえ」
「……俺は、ルウが理由も言いたくないほどのことを、したんだな」
「いいえ!」
泣きそうなのはこっちだ。ジェフリーはいつも通りか、ちょっと優しいくらいで、何もおかしくない。勝手に私の心が真っ黒になっているだけだ。
何か良い言い訳をしなければならない。なのに、こういうときに限って私の頭は回らない。
ジェフリーはしばらく黙ったまま、見ていた。私の言葉を待っているのかもしれない。そう思うとますます何も浮かばなくなる。
彼は大きく息をついて、椅子に座った。
「ルウ。騎士部隊の寄宿舎に入る、と聞いた。本当か?」
「はい」
「なぜだ」
いつか訊かれるだろうと、答えを用意しておいて良かった。
「特に大した理由は無いのですが、隊長に熱く説かれまして。どうも、私のことを気に入ってくださったようです。──護衛騎士になると、他の部隊と疎遠になります。有事の際に連携できず、足手まといになるそうです。そんなのご免です。これだからエルフは、と言われるのがオチです。寄宿舎で鍛え直してきます」
ジェフリーの表情は暗い。私の口は滑らか過ぎたかもしれない。かえって怪しまれている?
「……ルウ」
マズい。これ絶対駄目なパターン。ジェフリーの顔から目を逸らした。
彼は重ねて言う。
「ルウ。話がある」
「あー。明日から荷物の運び込みがございまして。申し訳ございませんが、私、これから準備をしなければなりませぬゆえ」
聞きたくない。ロゼリーヌと想いを交わした報告など。私にどうしろというのだ。
ジェフリーは私に歩み寄り、手を取った。
「ルウ。頼むから、聞いてくれ」
「嫌です」
「なぜだ。俺の話が何なのか、分かっていてそう言うのか?」
「……私は腕を磨いて、ロゼ様のお役に立てるよう頑張ります。どうか護衛騎士として務めを果たさせてください」
「今は嫌だと、そういうことか」
「はい。ロゼ様を守りきったあかつきには、どんなことも……受け入れる所存です」
「……分かった。ルウがそのつもりなら、俺も従う」
踵を返すジェフリーは、怒っているようにも、悲しんでいるようにも見えた。バタンと閉じた扉の音が、部屋に響く。
二人が結ばれたことを知らない間は、ジェフリーとロゼリーヌの傍にいられる。引き延ばすことを私は望む。
私は自分の額に生えている大きな青い塊に触れた。ロゼリーヌの技術のおかげで、上手くコーティングされている。触っている感覚がなく不思議だ。いつも私の味方をしてくれる美しい人。
「命に変えても、守ってみせます」
そのために死ぬのは、最高の終わり方だ。
ドンドンドン ドンドンドン
再びジェフリーが訪ねてきた。扉が壊れるまで叩き続けそうな勢いだ。
さっきの今で、なぜまた来れる? その間にも、ドンドンドンドンうるさい。本当に、本当に、もう!!
私はえいっと扉を開けた。
「ジェフ様。火急の要件ですか?」
「そうだ」
「……何事でしょう」
「お前の気持ちは分かった」
は? それが火急の要件?
鬼気迫るジェフリーの顔からすると、本気らしい。
「……ご理解いただき嬉しいです。そうであればお引き取りを。私は、聞きたくないと申し上げました」
「分かっている。無理強いなんかしない。ルウの気持ちを尊重する。だから……」
私を見下ろしている彼は、緊張しているように見えた。
「無視するな。傷つくだろう」
これを言いに来たのだと、分かった。私だって本当は、ジェフリーと話せなくて辛かった。今まで通り、幼馴染としてロゼリーヌを守る相棒として関わっていきたいのに、なんでこんなことになってしまったのかと、悲しくて仕方がなかった。
「かしこまりました」
「本当か? また俺を避けたりしないか?」
「もちろんです。今回は失礼な態度をとり、誠に申し訳ございませんでした」
私は深く頭を下げた。
彼は深く息をついた。ジェフリーの緊張が溶けたような気がした。
「それはもういい。俺が急ぎ過ぎたんだ。悪かった。俺が言うのはこれからのことだ。──もし今後ルウが無視したら」
彼はむむっと眉間にシワを寄せて、考え込んだ。
「……報復として食べ物の味がしなくなる魔法をかける」
「え? なんて非道な! ご飯が美味しくなくなったら、何を生き甲斐にすればいいのですか」
「そんなにか」
「はい。人生の半分を奪われた気分です」
「よし! 約束だからな。俺も地味に魔力を消費する魔法だから、使いたくない」
「はい! ご飯は美味しく食べたいです」
「……ご飯のため、か」
「違うと思います。私は……ジェフ様と楽しく過ごせなくなって、本当は……とてもとても辛かったです」
「俺もだよ。ルウ」
さっきとは打って変わって、穏やかな表情でジェフリーは部屋を出ていった。
私はジェフリーとロゼリーヌを祝福することはできないが、幼馴染として祝い金くらいは遺しておこうと思った。愛の逃避行の足しになるはずだ。
(そうそう。それが悪い冗談ってやつだぜ)
黒い精霊がクククッと笑ったような気がした。
次回から不定期更新でいきます。