3.失敗しました!
「……ロゼ様」
私は倒れ込むようにロゼリーヌの足下に跪く。
「お会いしたくて……本当にお会いしたくて……うぅっ」
言葉にならず、嗚咽をこらえるので精一杯だった。
「私もよ。ルウ」
彼女は床にしゃがみ、泣きべそをかく私を、ぎゅっと抱きしめた。
「こんなに長い間ルウと会えなくなるなら、結婚を二年延ばせば良かった」
「……ロゼ。それは……本気で言っているのではあるまいな?」
低い声が背後から響く。ロゼリーヌに歩み寄った男は、私を引き剥がして、妻をふわりと抱き上げる。
「まあ、陛下。ほとんど本気に決まっているではありませんか」
「……っ。ロゼ!! あっ、もう、本当に。どうしてそんなにも私を惑わせる!! どう尽くしても完全には手に入らぬロゼ。あーたまらぬ。好きだ。大好きだ!!」
相変わらずの王の変態ぶりに、私は力が抜けた。
見慣れているだろうジェフリーは、落ち着いた様子で王へ服従の儀礼をしている。私も慌てて従った。
王位についてまだ三年の若き王レオニードは、美しきロゼリーヌ王妃との間に、去年王子が生まれた。この二人は、魔法学院時代から率直に言い争う仲だった。誰よりも互いを信頼している。もちろん私やジェフリーよりも……。
それを何年も見せつけられた。大嫌いな男だが、大泣きしながら祝福するしかない。
一通りのいちゃいちゃを満喫したらしい王は、ロゼリーヌの肩を抱きながら長椅子に座っている。
「ヨハンは乳母のところか?」
「はい。ようやく寝付いたところです」
「……ああ。早く二人きりになりたい。──ジェフリー。とっとと要件を申せ」
「はっ」
ジェフリーは面を上げ、王を見た。
「昨日帰宅した際、宰相閣下がルウの額の石に触れました。動揺したルウの様子に、宰相閣下が何か勘づいた可能性があります」
ジェフリーの言う通り、私は大失敗していた。
卒業式が終わったあと、ジェフリーと手をつなぎルンルンで邸に帰ったのは昨日のこと。
なんと多忙極める養父ウラノスが、出迎えてくれたのだ。いつもなら小躍りして飛びつくくらい嬉しいのに、なぜか気もそぞろになった。
いつもようにウラノスに頭を撫でられ、額の石に触れられる。
その途端、酷く気分が悪くなった。手を振り払いたい衝動を、抑え込むので精一杯だった。
そんなルウの様子に、勘の良い養父ウラノスが気付かない訳がない。それでも養父は何も気づかないふりをした。笑顔で卒業を祝ってくれた。私は罪悪感で胸が苦しくなった。決して養父を嫌いなわけではない。ただロゼリーヌとジェフリーの傍にいようとすると、どうしても敵対してしまうだけだ。
「私は最初から、ルウをこちらの陣営に入れることに反対してきた。見ろ。案の定だ」
王の厳しい言葉に、ジェフリーは平伏する。
「申し訳ございません。私の監督不行き届きです」
彼の姿に、心が萎んでいった。全部私のせいだ。ウラノスを裏切る心積もりが、全然足りない。そのせいで、王をロゼリーヌをジェフリーを危うくしている。
「過ぎたことは、仕方ないわ」
軽やかな声に、目が覚めるような気がした。ロゼリーヌはまるで明日の天気を言い当てるような気楽さで、みんなに提案する。
「次にウラノスに触れられたとき、ルウが平気になるよう策を講じましょう」
「策とは?」
不機嫌だった王は、しぶしぶ水を向ける。
ロゼリーヌは私に顔を寄せた。整った顔が、目の前にあって、私はあたふたしてしまう。滑らかな指先が、そっと私の額に触れる。
「私が触れるのは、嫌かしら?」
「いいえ。ロゼ様」
むしろいい匂いが鼻をかすめ、ドキドキしてしまう。少し冷たい指は、ずっと触れていて欲しい、と思ってしまうほど心地良い。
「魔樹が使う極薄の層を張ってみたの。それで……ルウの左手を貸してくれる? ぎゅっと力を入れてみて」
ロゼリーヌは私の手を取り、石に当てた。手のひらに、じんわり温かいものを感じる。
彼女は手を外し、石を見つめていた。ジェフリーを呼び寄せる。
「ジェフリー。ルウの石に触れてみて」
「かしこまりました」
ジェフリーは私との距離を詰めた。触れられたのは、見て分かった。しかし……
「あの……。触られている感覚が全くありません」
白昼夢を見るように、ぼんやりしている私に、ロゼリーヌはにっこり微笑んだ。
「上手くいったわ。念のため陛下にも触っていただきましょうか」
「なに? 触れとな?」
「はい。上手くいったことが確認できたら、この話は終わりになります」
「二人きりになるためなら、喜んでやろう。おい。とっととこっちに来い」
私はそそくさと王の前に膝をつく。嫌な相手に触られると身構えてしまいそうになる。でもこれは、ロゼリーヌがくれた練習の機会。ウラノスに触れられる覚悟で、笑顔で王の手を受け入れる。
「大丈夫そうね。魔樹は大切な実をこの層で包んで守るのよ。ふふ。これでルウの石も守られる。傷一つ付けられなくなったわ」
ロゼリーヌの優しい緑色の目に、心が捕われる。私はこの人がとても好きだ。誰より先を見通していながら、決して怯まない。私の無様な失敗も、まるで何でも無いことのように解決し、前以上に良い方へと導く。そんな人、どこにもいない。
「ありがとうございます」
不甲斐ない私は、言葉でしか感謝を示せない。いつか何倍にもしてお返ししたい。何千回目かの忠誠を心に誓う。