13.消えませんように。
ジェフリーは私の左腕を掴んだまま、王宮の廊下をずんずん進んでいく。
(痛い。痛いだけなら我慢するけど。何か、折れちゃいそう)
腕がきしむほど強く握りしめていると、彼は意識しているのか。
物言わぬ横顔は、何を言っても聞こえないんじゃないかと思うほど、怒りに駆られている。
怖いけど。それだけじゃない。とても不安定で、どうかすると泣きそうにも見えた。
これ以上引きずられていくわけにはいかない。お茶係の仕事が途中だ。腕を折られても困る。護衛の仕事に影響する。
「ジェフ様……。どうか。腕を、離して……。止まって……ください」
蚊の鳴くような声で、ようやく苦情を言う。
ジェフリーは、はっとした様子で手を離し、足を止めた。蒼白の顔で、私の左袖をまくり上げる。
「……っ」
彼は赤く腫れた私の腕を目の当たりにし、うめき声を上げた。
「お気になさらず。ジェフ様。あの……どうされましたか?」
らしくない彼が心配だ。
「…………ルウ。さっきのアレはなんだ」
「アレとは……?」
「父上が……ルウを……女を見る目で見ていた。……殺してやりたい。何でこんなことになっている」
「ジェフ様……」
「何があったか、言え。ルウ。……気が狂いそうだ」
ジェフリーは、苦しそうで悔しそうで、とてもとても悲しそうだった。実父ウラノスを、父上と呼ぶのを初めて聞いた 。こうも憎々しげに呼ぶものなのか。
「宰相派の譲歩の条件が、私とウラノス様の結婚でした」
彼の鳥の巣頭が、ぶるんと揺れた。
「……なるほど。そうか。無所属派に人気のあるルウを、宰相派への反発を抑えるのに使うわけだ。合わせてロゼと俺を封じる、人質にもする。……その交換条件が、王派の法案の通過か」
「そうです。ジェフ様」
「……そんな胸糞悪い提案を、誰が? 父上……いや、王から言われたな?」
「……はい」
「分かった。受ける必要は無い。俺と結婚しよう」
「………………………………はい?」
「正式に結婚してしまえば、いかに父上とて、手が出せまい」
そんな理由で、結婚してしまっていいのだろうか。
そもそも宰相の息子で爵位持ちのジェフリーが、平民の私と正式に結婚するなんて、できないと思う。しかも最初に娶る相手は、自動的に第一夫人になる。私が? ……いやいやいや。ありえない。
それなのに彼が真剣に見つめるから。本気に見えて、喜んでしまいそうで困る。
「ルウの石を解決してからでは、間に合わない。先に結婚する」
「石……」
「ああ。本当に綺麗な青色をしているのにな。残念なことに、秘めた力がルウ自身を傷つけるかもしれない。本当は解決してから伝えるつもりだった。が、仕方あるまい。……今度ロゼに時間をもらって話をしよう。少々厄介だが、俺たちがいる。何とかするから心配いらない」
ずっと額の青い石の話をしなかったのは、私のため? 利用するつもりではなかった? そうだったのなら。どうしよう。いろいろ諦めていた気持ちが溢れてくる。
これじゃ駄目だ。叶わない夢を見るのは辛い。止めよう。だから……禁じ手を使う。
「……ジェフ様。ロゼ様への……お気持ちはどうするのですか?」
彼の顔がぶわっと赤く染まった。
「……ロゼは……俺の初恋だが……。今はそれだけだ」
そんなはずはない。何もない二人が抱き合うわけがない。
ああ。そうか。これは一種の政略結婚なのだ。
好きな人との結婚がすぐには難しいジェフリーは、私を助けるためにしばらくの間、形式上の夫になってくれようとしているのだろう。
「俺と結婚するなら、ロゼの護衛騎士を続けられる」
「そうですね」
「他に条件があれば、全部叶える」
「叶えると言われましても……宰相派との対立はどうするのですか? このまま王派の法案が通らなければ、ネランドール王国は」
「おーい。ジェフリー!」
大声が、私の言葉を遮った。
「ねえねえ。そろそろ戻ってくれないと〜。うひょーっ!!!」
「うるさい。なんか用か。カーター」
王宮魔導士第二連隊副隊長はそんな名前だったらしい。
「ああ。いい。やっぱ。いーわ。落ち着いたら帰ってきて~。誤魔化しとく。あーでも、エルフちゃんはどうしよう。下働きの女の子たちが探してたんだよ〜」
「すぐ戻ります」
お仕事大事。上司の面目を潰すようなことになったら、大変だ。
私の進行方向を、カーターがひらりと身を翻し、遮る。
「僕が話しとく。もうちょっとだけジェフリーに付き合ってやって? あと、君たち目立ち過ぎー。だから隠匿の陣ひいとくね〜」
こちらの話は一切聞かず、颯爽と立ち去る姿が腹立たしい。
こうしてはいられない。
「ジェフ様。私行きます」
「……ルウ。腕を治させてくれ」
ジェフリーは私の左腕を凝視している。袖で隠れた腫れと痛みを意識してしまう。
「このままで良いです」
「そんなわけにはいかない。……怪我させて本当にすまなかった。痛かったろう? 頼むから治させてくれ」
「本当にいいです。もう行きます」
「そんなに時間はかけない」
説明しなければ、行かせてもらえなさそうだ。本音を言うしかない。
「ジェフ様が私を、ウラノス様に渡したくない。と、思ってくださった跡ですから。消したくありません」
変態じみた本音に、どうか引かないで欲しい。
こわごわ見上げる。彼の橙色の目が大きくまん丸に開かれていた。
ボボン
何かが爆発した。
(暑っ。無理ー。耐えられない)
ジェフリーの紺色のもじゃもじゃ頭から、精霊たちが飛び出した。
(悔しー。急に暑くなるんだもの。出ちゃった)
(我慢くらべは、僕の、勝ち……。ちちち、あっちっちっ)
(もう出ちゃえば〜? 顔真っ赤〜)
精霊たちが彼の髪から出たり入ったり。楽しそうだ。
ジェフリーは片手で顔を覆いながら、直立不動。顔も耳も首も……手までも変色している。全身から汗が吹き出していた。
「……ルウ」
ようやく出た声が、かすれている。
「はい。ジェフ様」
「……今、結婚したい」
嬉しい。冗談でも嬉しい。
結婚相手が違うだけで、これほど違うものなのか。
頬が火照って困る。
「さすがに無理ですよ。そうとは分かってはいるのですが。へへへ。どうしても顔が緩んじゃうみたいで。すみません……。お気持ち嬉しいです。ありがとうございます」
「……ルウ」
本当にジェフリーと結婚できるなんて、思っていない。ウラノスはそんなに甘くない。
でもジェフリーが、私のために本気で結婚しようとしてくれたことは本当だから。その気持ちだけは消えないといいな、と思う。
(ルウが急いで会議準備室に戻ったら……)
まだ全員カレーを食していたので、食後のお茶に間に合った。
王妃付き護衛副官も、ほかの護衛騎士も手伝いに来ていて、心配そうに囲まれる。
「鼻血が吹き出して、止まらなくなったんだって?!」
「無理せず寝てていいのよ!?」
「……」
お付き合いいただきありがとうございました。
不定期更新に戻ります。




