第9話 騎士アレックス
「えーと、そろそろいいかな?」
「あ、はいっ。よろしくお願いします」
いつの間にか準備を終えてシオンを迎えに、アレックスが戻って来ていた。
「お忙しいのに、突然すみません……」
「ははは。いやあ、このくらいならお安い御用だよ。僕なんて下っ端だからね」
いつもはもっと酷い事やらされてるし、とアレックスは遠い目をした。
普段は何をやらされているんだろう、とシオンも震え上がった。
そのままアレックスが準備したという場所まで移動する。
そこは第一演習場の隅の方で、間違っても訓練中の騎士達の邪魔にはならない場所だった。
「じゃあ、木剣はこれを使ってくれ」
「分かりました」
こんな剣で申し訳ない、とアレックスに木剣を手渡された。シオンにとっては久しぶりに持つちゃんと持つ剣だ。握り具合を確かめるために何度か剣を振るったが、手にはすぐ馴染んだ。
「準備は良いかい?」
「はい」
「それじゃあ、いつでも仕掛けておいで」
アレックスは剣を片手で持ち、力を抜いてゆるりと構えた。
明らかにリラックスしている。
睨む眼光も緩められ、にこやかに笑っている。
……舐められている。
これまで戦った魔物は例外無く、シオンを敵、或いは獲物と見做し、襲い掛かって来た。
アレックスが自分よりも何段階も強い事はシオンにも分かっている。いくらアレックスが王国騎士団の下っ端と言っても、最強の騎士団の末席には属しているのだ。
しかし、いくら強い事が分かってはいても、この一週間で静かに培われていたシオンのプライドに僅かに爪を立てられた。
「スーッ…………、ハアッ!!」
深く息を吐いて、一気に発走した。
木剣の鋒をアレックスに向ける。
全身全霊の突撃だ。
「良い踏み込みだね。でも、甘い」
「っ!?」
しかし、それすらもアレックスにとっては予想の範疇だったのだろう。軽々としたステップで避けられ、容易に背後を取られる。スッ、と首筋に当てられた剣先の感触に、シオンは冷たい汗を流した。
違う。シオンがこれまで戦って来たどれとも、アレックスは違った。表すならば魔物は狩りで、アレックスは戦闘だ。
これが人との戦闘なんだと、シオンは自覚した。
「さて、一本取ってしまったけれど、続きはどうする?」
「っ、お願いします!」
首に当たる剣を弾き飛ばしてから一旦距離を取り、シオンは持てる剣の全てをアレックスにぶつけた。
「やあっ!」
「おっと」
「たあっ!」
「残念」
「ウオォ!!」
「はずれ」
「ハァッ!」
「まだまだ」
それは最早、戦闘とも呼べず、ただシオンががむしゃらに剣を振っているだけだった。
避けられ、いなされ、受けられる。
実力の差は明らかだ。
敵うはずがない。強過ぎる。
雲泥の差だ。
それでも、シオンは楽しかった。
これまではアリアからの指令で、敵の攻撃を避ける一方で、自分から攻めると言うことが無かった。
こうして剣を思う存分振るうのはいつぶりだろう。
学院で毎日の様に木剣を振るい、安物の真剣は何本使い潰したか分からない。
この一週間の合間にも、アリアにバレない様にゴブリンが残していった棍棒を振るったが、それは剣の感触では無く、ただ筋肉のトレーニングをしている様な感じだった。
(僕は今、剣を振っている!)
それは喜びだ。高揚だ。
剣を振るうのが楽しい。そう思えるなんて思いもしなかった。これまでは努力が結ばれなくて辛かった。苦しかった。
でも、そうか。
(僕は剣が好きなんだ)
「うああああああああああああ!!!」
「ッ!?」
シオンは剣を振った。縦からの大振り、突進による突き、腹部を狙った横薙ぎ。とにかく、振った。
「おい、あれ」
「まだ子供だぞ?」
「すげえな。アレックスに迫ってるぞ」
「決して剣は上手くない。だが……」
「鬼気迫る勢いだ」
「それにあれだけ剣を振っても、疲れを見せない」
「普段からよく剣を振っていたんだろうな」
「一体どれだけの努力をすればあんなに……」
「確か、名前はシオンって団長が言ってたな」
「シオンか。覚えておこう」
アレックスが修行のために第一演習場の一角を選んだのは、他の騎士に”シオンが馬鹿にされないため”と言う気遣いがあった。
今では大人しくなったが、ここにいるほとんどがプライドの高い貴族の息子達だ。平民の子供がこんな場所で無様にアレックスにずたぼろにされていれば、嘲笑の的にされてしまうだろう。
アレックスはそう考えていた。
しかし、それがどうだ。
こんな隅っこにいるのに、シオンの波の如き剣戟は騎士達の視線を、心を奪っている。
騎士達は訓練を忘れ、その指揮を取っていた上官ですら、彼等を叱る事をしない。
アレックスの目から見ても、シオンの剣は凄まじかった。決して上手くはない。強くもない。しかし、その瞳の奥には燃え盛る様な情熱が宿っている。
それは誰かに対する憎しみか? 強くなれない苦しみか? それとも、ただの剣を愛す心なのか?
情熱の正体はアレックスには分からなかった。
ただ、一つだけ分かることがある。
手を抜いては駄目だ。
この子の、シオンの前で手加減は隙になる。
足元を掬われ、簡単に一本取られてしまう。
「っ、“三段突き”!!」
アレックスは反射的にスキルを使用した。
自慢の神速の剣技、その最高速度により、一瞬で三回敵を突くアレックスの必殺技だ。
神速の突きは、回避の訓練をしたアレックスにも容易に避けられるわけがなく、直撃し吹き飛んだ。
「あっ、ごめ……!」
「ま、だ!」
三段の突きの一撃がシオンの鳩尾に直撃していた。アレックスはそれに気が付いて、慌てて手当てに行こうとしたが、シオンは立ち上がった。
剣を杖代わりにして身体を支えら、激痛に蝕まれ口から涎を垂らしながら、その瞳の情熱は消える事なく、今も燃え盛っている。
アレックスは背筋に嫌な汗が流れるのを感じた。
「もう一本、お願いします……!」
これは恐怖じゃない。焦りだ。
後ろから追いかけてくる。努力の化身が、自分の立ち位置を奪おうと猛追してる。
それに対して、アレックスは久しぶりに思い出した。
危機感を。剣に対する情熱を。
「勿論だ、やろうか!」
今度はアレックスからシオンに切り掛かった。
アレックスには油断は無い。遠慮も無い。
この少年、シオンは強いのだ。
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