第8筆 おいしい紅茶に罪はない
執務室に戻れば、できる侍従が紅茶の用意をしていた。
「おかえりなさい、リット様」
トウリが目を留める。
「その書物は何ですか?」
「読んでみるか? トウリ」
リットが表紙を見せる。
「厄災を招くという魔書だ」
「ええっ!」
トウリが壁際まで距離を取った。
「あ、あの噂の! 所有しているだけでも厄災が降りかかるという、恐ろしい書物ですか! どうして、そんなもの!」
「うん? ラウル殿下に押し付けられた」
「あああああ」
トウリが打ちひしがれる。
「リット様。厄災に吞まれる前に、僕に近衛騎士団への紹介状を書いてくださいね。お願いしますね。絶対ですよ」
「厄災に呑まれる前に、紅茶を飲むから無理だな」
言外で、紅茶を早くしろと催促をする。
「……わかっています」
ゆるゆると、トウリが動き出す。
カップへポットの中身を注ぐ。湯気の立つ深黄赤色が白磁器のカップを満たす。すっきりとした香りが漂った。
「西領ソラド産の二番茶摘みです」
トウリが、ソーサーごとカップを渡す。
「西領のソラド……フィルバード公爵家の領地だな?」
魔書を小卓の上に置き、リットが椅子に座った。カップに口をつける。
「ええ。フィルバード公爵から王城へ贈られた、とのことです」
「ふーん。領地の産物を献上するのは、よくあることだからな。ふーん」
「なんですか。何か含みがありますね、リット様?」
「んー? ニーナ神殿はフィルバード公爵の領地の近くだな、と思って」
カップを卓上に置いた。リットが胸の前で腕組みをする。
「閉山となったニーナ銀山の麓に、神殿はある。ついでに、シンバルの国境まで近い」
「あっ」
トウリが声を上げた。
「リット様。ご報告があります」
「なんだ? 彼女でもできたか?」
「違います!」
顔を真っ赤にして、トウリが怒る。
「そんな風にからかうと、言いませんよ!」
「悪い、悪い」
じとりと、トウリが目を据わらせる。
「……心から悪いとは、思っていませんね?」
「うん」
臆面もなくリットが頷けば、トウリは深いため息をついた。
「それで、報告ですが。三つあります」
「三つもか。大収穫だったな、トウリ。簡潔に頼む」
頷き、トウリが人差し指を立てた。
「一つ目です。ナルキ様はフィルバード公爵のお屋敷に滞在していること。
二つ目は、ニーナ神殿にフィルバード公爵から多額な寄付があったこと。
三つ目は、侍従たち全会一致で、ザイール宮廷医薬師長が暗殺なんて企むお人ではない、ということ。です」
束の間、リットは目を閉じた。
腕を組んだまま、眠っているように見える。
沈黙が室内に満ちた。
「……リ、リット様?」
ゆっくりと瞼が上がる。現れた翠の瞳には、冷々とした光。その鋭さに、トウリが唾を飲み込む。
「――『真実は権力の花ではなく、時間の花』」
リットが呟く。
「『時をかけて、その花弁を開く』……か」
カップに手を伸ばし、紅茶を飲む。
「うん。美味いな」
普段通りの彼の様子に、トウリが胸を撫で下ろす。
「蒸らし時間を短めにしてみました」
「ああ、そのほうが香りが際立つ」
紅茶を飲み干して、リットが椅子から立ち上がった。職位のマントを羽織り、白鷲の三枚羽根を胸に留めた。
「よし、行くか」
「どこにですか?」
きょとんとするトウリに、リットが笑う。
「まずは、ザイール宮廷医薬師長どののところ――」
コンコン、と執務室の扉がノックされた。
「はい?」
引き継ぎでトウリが扉を開ける。
「やあ、トウリ」
胸にオオルリの二枚羽根を着けた、ミズハが立っていた。
「リット様も。ご機嫌麗しゅうございます」
「どうした、ミズハ二級宮廷書記官?」
リットが尋ねる。
「セイザン宮廷書記官長から呼び出しか?」
「いえ」
ミズハが首を横に振った。
封のされた封筒を、リットへ差し出す。
「うん? ラウル殿下では……なさそうだな」
受け取り、封蝋に押された紋章を見て、リットは眉を寄せた。
「……どういう風の吹き回しだ」
「わかりません」
リットの言葉に、ミズハが俯く。
「どなたからですか? リット様」
不思議そうに、トウリが首を傾げる。
リットは手に持った封筒、その封蝋の紋章をトウリへ見せた。
翼を広げる双頭の鷲。
「フィルバード公爵だ」