第3筆 涙の理由
トウリが泣いている。
ぼろぼろと、大粒の涙を零して泣いている。
椅子に座ったトウリの頭上に、白いハンカチが落とされた。
「休憩中に号泣とは。憂鬱な事象だな」
「だっで、リッドざま!」
トウリが傍に立つリットを見上げた。頭のハンカチを手に取り、涙を拭く。
「〈アルバート王〉の主人公、アルバート王が、かわいそうで! 名君だったのに、弟に王位を簒奪されて、王妃にも裏切られて、ひとり荒野を彷徨うなんて!」
リットが肩をすくめる。
「悲劇か。お前、意外と雑食だなぁ。トウリ」
「一番好きなのは、トリト・リュート卿の〈白雪騎士物語〉です!」
ちーん、とトウリが鼻をかんだ。
「洗って返せよ、それ」
「心が狭いですよ、リット様」
目元を赤くした、茶色の瞳に睨まれる。
「大体、休憩時間に号泣必至な悲劇を読むなよ」
リットがそう言えば、トウリは膝の上の書物を両手で掲げて見せた。
「知らないんですか? 今、流行っている、サールド・フィルド卿の悲劇ですよ!」
「そんなものが流行っている事実を知りたくなかった」
顔をしかめるリットに、トウリが首を捻る。
「リット様は、悲劇が嫌いですか?」
「まーな。現実がもう悲劇だからな。十分間に合っている」
執務室の片隅、水の張った木桶からポットを持ち上げた。ぼたぼたと水滴を垂らしながら、リットはカップを片手に取る。
「あ! 誰が床を拭くと思っているんですか!」
「トウリだろ」
しれっと言ってのけて、リットはカップに冷やされた紅茶を注ぐ。白く濁っていない、琥珀色の紅茶がカップに満たされる。
少量の砂糖が入った、微かに甘い紅茶をリットは一口飲む。ポットを木桶に戻して、窓際へ移動した。入れ替わりに、トウリが木桶周辺の床を拭く。
リットが窓の外を眺める。
薄曇りの空に、青いフルミアの旗がはためいている。遠く騒めきが聴こえる。
「……何かあったか?」
主人の呟きに、侍従が顔を上げるのと同時。
「リット!」
ジンが執務室に飛び込んできた。
リットとトウリの肩が揃って跳ねる。
「どうした、ジン。王城の庭で鯨と狼がダンスをしていたか?」
「軽口を叩いている暇はない、リット」
急いで来たのだろう、ジンの息が弾んでいる。
「来い」
有無言わせぬ灰青の瞳に、リットの目が瞬く。
「どこに?」
「謁見の間だ」
真剣な表情で、ジンが唾を飲み込む。
「王姉の遺児を名乗る男が現れた」