第20筆 役目を果たすその時は
医薬室に戻る途中で、ミズハとは別れた。
「さて」
奥の部屋、散らかった大机の上の物を、ユヅキが雑にどかす。
「紅茶を淹れよう」
「あ、僕やります」
トウリが挙手した。
「そう? 悪いね」
ユヅキが部屋の棚を指差す。
「カップとポットはあっち、茶葉はここ。湯は沸かすよ」
「わかりました」
無駄のない手際で、トウリが紅茶の準備をする。
その間に、ユヅキが水の入ったビーカーをオイルランプに掛ける。くつくつと気泡が沸く。
リットは椅子に座り、大机に頬杖をついた。
「何か物思いかい? リット」
「そうですねぇ」
翠の目は、宙を睨んでいる。
「なーんか、引っかかっているんですよねぇ」
「何がって、何が?」
「ユヅキどのには、ありませんか? 違和感」
疑問を質問で返され、ユヅキが目を見張る。
ただ、自身を見つめるリットの目の真剣さに、考えを巡らせた。
「私の違和感は……王妃様が陛下の傍から離れない、ということかな」
「献身的じゃないですか」
リットの言葉に、ユヅキが首を傾げる。
「朝からずっと、だぞ?」
「陛下の容態が悪いのですか?」
「いや。普通の夏風邪。栄養を摂って、安静にしていれば治る。ずっと付き添う必要はない」
「普通の夏風邪ではなければ?」
リットの問いに、ユヅキが口を閉じた。
沈黙が満ちる部屋に、くつくつと湯が沸く音がする。
「……もし、毒を盛られていたら」
彼女が静かに言う。
「このままだと容体は回復しない」
「……王妃よ」
寝台からの呼びかけに、王妃が微笑む。
「はい、陛下」
「……朝から、ずっと付き添っておるだろう」
「ええ。ご迷惑でしたか?」
王妃が首を傾げれば、王が咳き込んだ。
「水をお飲みになりますか」
「……いや、よい」
熱にうなされても、王の紫の瞳は鋭い光を宿している。
「……余は、大事ない。お前も、少しは休め」
「あら。お優しい陛下」
ふふふ、と王妃が笑う。
王が睨む。
「……休め」
「わたくしは大丈夫です。陛下こそ、お眠りになられては?」
それとも、と王妃が続ける。
「お傍にいては、気が休まらない?」
「……どう、だかな」
王が唇を歪めた。笑おうとしたのだろうが、咳き込む。
「お前に、夏風邪が、うつると、困る」
王妃の目が丸くなった。
「どうして、困りますの?」
「お前が余の妃だからだ。アルシア」
寝室を後にした王妃は、控えの間で椅子に座っていた兄の姿に、足を止めた。
「フィルバード公爵」
彼が眉間に皺を寄せる。
「二人きりの時は兄でよい。アルシア」
「ふふふ。これは失礼しました。お兄様」
フィルバード公爵が椅子から立つ。
「陛下の容態は、どうだ?」
「熱と咳。ユヅキ一級宮廷医薬師の診察では、夏風邪とのことです」
「ふむ、ノール大神官も、王都に来る前に体調を崩したそうだからな」
「いやだわ、お兄様」
王妃が微笑む。
「ノール大神官は、陛下より二十も年上ですよ。四十半ばの陛下を、ご老人扱いしないでくださいまし」
「しかし。世の中には、夏風邪をこじらせてしまうことだってある」
フィルバード公爵の青い瞳が剣呑に光る。
「ユヅキ一級宮廷医薬師がおります」
王妃が言い返せば、フィルバード公爵は首を横に振った。
「だが、ザイール宮廷医薬師長はいない。小娘に何ができる?」
「お兄様ったら。ユヅキも有能な宮廷医薬師で、淑女です。小娘ではありませんわ」
「アルシア」
フィルバード公爵が王妃の手を取った。
王妃が目を瞬かせる。
「フルミアのためなのだ。フィルバード公爵家の者として、務めを果たせ」
彼女の手に、小さな瓶を握らせる。




