第17筆 優しい悪夢
――こうして、かわいそうな羊は、狼に食べられてしまいました。おしまい。
ぱちり、と暖炉の薪が爆ぜた。
――ねえ。どうして狼は羊を食べてしまったの?
せっかく、友だちになれたのに。
――いいかい、リット。
大きな左手が、頭を撫でる。
――この世の根源は、絶望なんだよ。
はっと目が覚めた。
一瞬、意識が混乱する。
薄闇に見えたのは、ぼろ屋の天井――ではなく、手の込んだ造り。銀の装飾。
王城の私室、寝台の上。
窓の向こうには、しっとりとした闇が張り付いている。夜明け前。
ゆっくりと、リットは体を起こした。青い闇の中で、呼吸を整える。寝汗がひどい。
「……くそ」
片手で顔を覆い、しばらく動かなかった。
「珍しく、憂鬱な顔で紅茶を飲んでいますね。リット様」
朝陽が差し込む執務室で、トウリが自分のカップに紅茶を注いだ。
「どうか、されましたか?」
「……強いて言えば、何も言ってこない侍従が怖い」
トウリが紅茶のポットを小卓に置く。
「陛下の亡き姉君、イリカ様のご子息ということですか?」
「そー。それ」
窓辺に立ち、外を見る――フリをして、リットはトウリと視線を合わせない。
「別に。興味ないので」
「ひどいな!」
思わずリットが振り返れば、真剣な茶色の瞳があった。
「リット様は、リット様です」
トウリが言う。
「紅茶が好きで、働くのが嫌いで。人をからかって、でも、真実を見ている」
茶色の瞳は、揺らぐことがない。
「一級宮廷書記官、兼、宮廷書記官長補佐。高い職務に就いているくせに、奢らない。爵位なしだろうと、王家の血を引いていようと――」
トウリが笑った。
「僕の、たったひとりの、ご主人様です」
主人の目が大きく見開かれた。
零れ落ちそうになる、翠。
「さあ、リット様。今日も働いてもらいますよ?」
手の平で、トウリが執務机を示す。
「……いやぁ、優秀な侍従を持って、俺は幸せだなあ」
微笑み、リットが紅茶を飲む。