悪役令嬢は高らかに笑う
1
「オーホッホッホッ!御機嫌よう!ノエル様、クリスタ様!本日はとても良いお日柄ですわねっ!」
休日の昼下がり―。
ここは美しいバラが咲き乱れる我が屋敷の庭園。
ガゼボの中で座ってお茶を飲みながら仲睦まじげに話しをしているのは、私の大好きな婚約者ノエル様と彼の幼馴染である美しいクリスタ様。
そんな2人の前に、青空の下で目も痛くなるような真っ赤なドレスを身に着けて現れた私は左手に扇子を持ち、右手を腰に当て、耳障りなキンキン声で高笑いをした。
「や、やあ・・・フローラ・・・。」
栗毛色の美しい髪のノエル様が引きつった笑顔で私を見て挨拶する。
「こ、こんにちは・・・フローラ様・・。」
クリスタ様・・・。
この方はノエルの幼馴染で遠縁の血筋の方である。ノエル様と同様の栗毛色の巻き毛の髪は、私の様に真っ黒でストレートな髪と違ってとても美しく・・・羨ましい。
「お2人と御一緒に、お茶でも頂こうかと思っていたのですけど・・・どうやら一足遅かったようですわね?」
私は2人の前に並べられた紅茶と焼き菓子の皿を眺めながら言った。
「ち、違うんだよ!フローラ、誤解だよ!」
コバルトブルーの瞳を瞬かせながら、ノエル様は首を大袈裟に振って否定する。
「そ、そうです。偶然ここで出会って、何故か偶然メイドの方が現れてティーセットを用意してくれたんですっ!信じて下さいっ!」
クリスタ様も両手を組んで必死になって私に訴えて来る。
「まーあ、お2人共!そのようなお話、この私が信じると思いましてっ?!偶然出会って、偶然ここでお話をしていたら、これまた偶然にメイドがお茶のセットを持って現れるなんて・・。でも、もう結構ですわ!どうぞお2人で仲良くお茶でも飲みながらお話して下さいませっ!邪魔者の私はこれで退散させて頂きますわ。オーホッホッホッ!」
そしてクルリと背を向け、手に持っていた日傘をさすと私は扇子で自分を仰ぎながら立ち去る。
「あ!待ってフローラッ!誤解なんだってばっ!」
「そうですっ!フローラ様っ!お待ちになってっ!」
必死で呼びかける2人を無視して私はバラ園の中を歩いて出て行く。歩きながら私は呟いた。
「偶然・・・?それは当然よ。だって全部私が2人の為に手を回した事なのだもの。」
私は互いの名前を使って、ノエル様とクリスタ様をあのガゼボに呼び出した。
そして2人が揃ったところへ、お茶のセットを届けるようにメイドにお願いしたのだから。そこへ私が現れて、悪役令嬢の役を2人の前で演じて立ち去る・・・。全ては計画通り事が運んだだけの事。
きっとこれでまた、ノエル様の私への好感度が下がってクリスタ様に気持ちが傾いていくはず。
「うん、これでいいのよ。後悔なんかしていないわ。」
私は空を仰ぎ見ると呟いた。
だって・・・私は2人に取っては恋仲を邪魔する存在にしか過ぎない。
いわゆる悪役令嬢なのだから―。
2
私の名前はフローラ・ハイネス。侯爵家の長女として両親、そして2歳年上の兄、レナートと4人で幸せに暮らしている。そして私は15歳の時に伯爵家の長男で同い年のノエル・チェスター様と婚約を結んだ。
ノエル様と初めて会ったのは忘れもしない。我が家で初のガーデニングパーティーが行われた私のデビュタントの日でもあった。そのパーティーに出席していたノエル様こそが私の遅い初恋相手になるとは夢にも思いもしなかった。
あの当時の私は引っ込み思案なうえ、人づきあいがとても苦手でのパーティーにすっかり気後れしてしまい、邸宅の薔薇園に逃げていた。そこへ偶然ノエル様が現れて、隠れていた私を見つけてくれたのだ。
会場では主役である私の姿が見えないと言う事で大騒ぎになり、出席者総出で私の捜索をする事になったらしい。そして私の顔も知らないノエル様が偶然バラ園に隠れていた私を発見し、パーティー会場へ連れ戻してくれたのだ。
それだけじゃない、ノエル様はダンスのパートナーになってくれて、つたない踊りしか出来ない私をノエル様の巧みなリードのお陰で見事なダンスを人々の前で披露する事が出来たのだった。
もう、この段階で私はすっかりノエル様のとりこになり・・それに気づいた私を溺愛する父が後日チェスター家に私とノエル様の婚約話を持ちこみ、私と彼は婚約を結ぶ事が出来たのだ。
憧れのノエル様と婚約する事が出来た私は天にも昇るような気持だったのだけども、その反面罪悪感で一杯だった。
だって、何故なら彼が私と婚約する事が出来たのは・・・私の方が爵位が上だったから。ただ、それだけの理由。
だから私は少しでもノエル様に恥をかかせない為に魅力的な存在になれるように努力した。
引っ込み思案の性格を社交的にするために、無理をして色々なパーティーに参加し、徐々に度胸を付けていった。
そして外見も少しでも美しくなれる様に美を磨く努力をした。
例えばこの黒髪・・・・色だけは変えようがなかったけれども、ある意味この黒を逆手に取ってみようと考えた。
黒髪はきちんと髪のお手入れをすれば美しい光沢が生まれ、いわゆる天使の輪と呼ばれるサラサラつやつやの髪に生まれ変わらせる事が出来ると美容師のアドバイスを受けた。
そこで私は髪のお手入を頑張って続け、ついに念願の美しい黒髪を手に入れる事が出来た。
更に私は地味な顔を少しでもカバーする為に、女性らしいスタイルを維持する事に努力した。適度な運動、美肌に効果のあると言われる食事に心がけ、睡眠をたっぷり取る・・・。そして他の貴族令嬢達から、称賛されるようになれたのだが・・・地味な顔だけはどうしようもなく、その事がずっとコンプレックスになっていた。
ある昼下がりの午後―
青空の下で私は仲の良い貴族令嬢達とお茶会を開いていた。
「本当にフローラ様の髪はお美しいわ。」
私と同い年のマルティナ様が紅茶を飲みながら言う。
「ええ、本当に・・・そしてその美しいお肌に完璧なボディ。同じ女性として憧れてしまいますわ。」
金の髪のベアトリーチェ様がマカロンを口に入れながら私を見た。
「何を仰っておられるのですか?私にとっては貴女の金の髪の方が余程美しいと思いますわ。」
私はベアトリーチェ様に微笑みながら言った。そんな時・・・。
「あら?こちらへ近付いてこられるのは・・ノエル様と・・・遠縁のクリスタ様ではありませんか?」
レベッカ様の言葉に私は振り向くと、確かにこちらに向かって歩いて来るのは私の愛しい婚約者のノエル様と、彼の幼馴染のクリスタ様だった。
「まあ、本当だわ。ノエル様とクリスタ様ね。」
私は笑顔で言うが、他の友人達は怪訝そうな顔になり、互いの顔を見渡している。
・・・・どうかしたのかだろうか?でも、そんな事よも今重要なのはノエル様がこちらへ向かって来ていると言う事。
「こんにちは、ノエル様、クリスタ様っ!」
私は立ち上がって手を振るとノエル様が笑顔で手を振り返してくれる。
「こんにちは、フローラ、そして御友人の皆様。」
ノエル様は笑顔で友人達に挨拶をする。
「「「こんにちは。」」」
3人の令嬢達は綺麗に声を揃えながら挨拶を返した。
「あ、あの・・フローラ様・・。」
するとノエル様の背後にいたクリスタ様がモジモジしながら私に話しかけてきた。
「あ、あの・・・私も皆様のお茶会に混ぜて頂けないかしら・・・。」
「ええ、勿論ですわ。人数は多いほど楽しいですから。いいですわよね?皆様。」
振り返り、私は3人の友人達に声を掛けたのだが・・・。
「い、いえ。私達は・・そろそろお暇させて頂きますわ。」
マルティナ様は言いながら立ち上がると、他の2人も立ち上がった。
「え・・・?何故ですの?」
私が尋ねると、令嬢達は次々と自分達の今日の予定を話し出した。
するとマルティナはピアノのレッスン、ベアトリーチェはダンスのレッスン、そしてレベッカは刺繍の先生が屋敷に尋ねて来るそうだ。
「そうでしたか・・皆様お忙しかったのですね・・。」
私が残念そうに言うと、3人は申し訳なさそうに俯き、今度は必ず埋め合わせをさせて貰うと約束をしてくれた。
そして3人共、帰ってしまった後・・・。
「3人だけになってしまいましたわね・・・。」
私がポツリと言うと、クリスタ様は寂しそうに頷いた。
「まあ、いいさ。僕達3人でお茶会をすればいいじゃないか。」
ノエル様はクリスタ様を元気づけるように笑顔で言った。それはとても素敵な笑顔だった。
「ええ、そうね。」
クリスタ様も元気を取り戻すと、ノエル様と視線を合わせて微笑みあう。ああ・・・やっぱりノエル様はとても親切なお方だ・・・。私は視線を合わせて微笑み合うノエル様とクリスタ様を見つめるのだった―。
3
私がクリスタ様と初めて会ったのはノエル様と婚約して3年目の春の事だった。
この日は休日で、私とノエル様の週に一度の顔合わせの日だった。
私とノエル様は馬車で3時間はかかる場所に住んでいる為に、休日しか会う事が出来なかったのだ。
「ノエル様・・・まだかしら・・・。」
待ち合わせ場所のテラスで私は紅茶を飲みながら恋愛小説を読んでいた。黒い髪の毛の艶とスタイルだけは自信があったが、地味な顔の作りだけはどうしようもない。そこで内面を美しくさせようと、日々恋愛小説を読んで女性らしさや、恋愛について日々勉強していたのだった。
「ふふ・・この恋愛小説は今までになくドキドキするわ・・・。やっぱり愛する二人の仲を裂こうとする展開の有るお話は面白いわ・・・。」
その時・・・コツコツと足音が背後から聞こえ、声を掛けられた。
「お待たせ、フローラ。」
ああ・・・あの優しい声は・・・大好きなノエル様の声だ。
「ノエル様・・・。」
振り向いた私の目にノエル様の背後にいた女性が飛び込んできた。
え・・?あの方はどなたかしら・・?
ノエル様と同じ髪の色に、同じ瞳・・・ひょっとすると妹さん・・?でもそのような話は今まで一度も聞いたことが無い。
するとノエル様は私の女性を見る視線に気が付いたのか、笑顔で言った。
「ああ、いきなり彼女を連れてきたから驚いたよね?彼女の名前はクリスタ・フェルナンド。僕の遠縁の親戚の女性なんだ。年齢も僕たちと一緒で18歳だよ。さあ、クリスタ。婚約者のフローラに挨拶して。」
婚約者・・・。ノエル様の言葉にキュンとしながら私は数歩、ノエル様達に近づいた。するとクリスタ様が前に出て来るとうつむき加減に言う。
「あ、あの・・・クリスタ・フェルナンドと申します・・・。ノエル様とは母方の遠い親戚にあたります。どうぞ・・よろしくお願い致します。」
そして丁寧に頭を下げてきた。
「こちらこそよろしくお願い致します。フローラ・ハイネスと申します。」
ドレスの裾をつまみ、深々と頭を下げて顔を上げると何故かクリスタ様が顔を赤らめて私を見つめている。
「あの・・・何か・・?」
首を傾げてクリスタ様を見ると、ますます真っ赤になりながら言った。
「い、いえっ!あ・・あの、あまりにもフローラ様がお美しかったので・・・。」
え・・・?この私が美しい・・・?
「まあ、お上手ですね。私はこの通り、見た目も地味な女です。むしろクリスタ様。貴女の方が余程お美しくていらっしゃいますわ。」
そう・・・本当にクリスタ様はとても美しい方だ。
「そんな、私なんか・・・うっ!ゴホッ!ゴホッ!」
突然クリスタ様が激しく咳き込んだ。
「まあ!どうされたのですかっ?!クリスタ様っ!」
「大丈夫っ?!クリスタッ!」
ノエル様はクリスタ様を突然抱き上げると私に言った。
「ごめんよ、フローラ。実はクリスタは喘息の持病があるんだ。それで自然に溢れた環境の良い場所で暫く生活した方が良いと主治医に言われて、僕の住む屋敷で暮らす事になったんだよ。」
「え?そうだったのですか?」
「うん・・・ここへ来たのも3日前だし・・・。疲れがたまっているのかもしれない。ごめんね、フローラ。折角の顔合わせの日だって言うのに・・今日はもう帰らせてもらうよ。どうしてもクリスタに会って貰いたかったんだけど・・。」
ノエル様は心配そうにクリスタ様を見つめる。
「い、いえ・・・ノエルは何も悪くないわ・・・私が無理を言って連れてきてもらったのだから・・・。」
クリスタ様は青ざめた顔で答える。
「私の事はお構いなく、どうぞクリスタ様をお願い致します。」
私の言葉にノエル様は頷いた。
「うん。それじゃ・・お言葉に甘えて・・・行こう。クリスタ。」
そしてノエル様はクリスタ様を抱き上げたまま背を向けると歩き去って行った。
「また・・次回お会いしましょう。ノエル様・・・。」
私はポツリと呟いた―。
4
クリスタ様と初めてお会いしてから早いもので1週間が経過した。今日もノエル様と私の週に1度の顔合わせの日。
今日の私は先週よりも気合を入れたドレスを着て、邸宅の温室が見えるテラスで椅子に座って待っていた。
「お待たせ、フローラ。」
「ノエル様・・・。」
笑顔で振り向いた私は背後にクリスタ様がいる事に気が付いた。
「まあ、クリスタ様ではありませんか。」
「こ、こんにちは・・・。」
クリスタ様は恥ずかしそうに前に進み出ると言った。
「ごめんね、フローラ。どうしてもクリスタがついてきたいって言うものだから・・・。」
「あら、いいんですよ。そんな事気になさらないで下さい。クリスタ様、本日もお会いできて嬉しいわ。」
にこりと微笑んでクリスタ様を見ると、頬を赤く染めて私の事を見つめ返して来た。
そこで私は気が付いた。今日は私とノエル様の2人きりで会うものだとばかり思っていたので、クリスタ様のお茶の準備が出来ていなかったと言う事に。
「お2人共、ここでお待ちになって下さい。今、お茶のセットを用意して持ってまいりますので。」
「え?そ、そんな・・・フローラ様に用意して頂くなんて・・・申し訳ありませんわ。」
クリスタ様はオロオロしている。
「うん、そうだね。流石にフローラに用意してもらうのは・・・。」
ノエル様も戸惑ったように言うけれども、こう見えても私はお茶を淹れるのが得意なのだ。
「大丈夫です。すぐにお持ちしますのでお二人でベンチに座って待っていてくださいね。」
そして私は席を立つと、お茶のセットを取りにお茶室へと向かった。
「え~と・・・どのカップがいいかしら・・・。」
棚にずらりとならんだティーカップを見渡し、バイオレットの柄が描かれている乳白色のティーカップを手に取った。
「うん・・・このティーカップならクリスタ様に似合いそう。後、お茶は・・・。」
私は茶葉がズラリと並んでいる棚に前に立ち、少し考えた。確かクリスタ様は前回、喘息の発作が出てすぐに帰られてしまった。それなら・・・。
「カモミールティーは喘息に効果があると言われているから、これを出しましょう。」
カモミールの茶葉が入った瓶とティーカップを持って私は2人の元へ戻った。
「あ・・・。」
2人が座っているベンチが見えてきた時、私は足を止めた。そこには2人が顔を寄せ合って、仲良さげに談笑している場面だったのだ。ノエル様は優しいまなざしでじっとクリスタ様を見つめている。・・・あんな表情を私は未だかつて向けて貰ったことは無い。
ズキリ
何故か一瞬私の胸が痛んだ。
「え・・・?今のは何・・?」
私は顔を上げて、もう一度2人の様子を伺った。ノエル様とクリスタ様は私に気付かずに談笑している。
そんな2人の元へ戻るのは何故か気が引けてしまった。自分があの場に戻るのは酷く場違いな気がしてならなかった。
「どうしよう・・・。」
迷っていると、不意にノエル様が私の方を振り向いた。一瞬、ノエル様の表情が強張った・・・気がしたが、すぐに口元に笑みを浮かべると言った。
「どうしたんだい?フローラ。遅かったね。」
「申し訳ございません、お茶を選ぶのに時間がかかってしまいました。」
私は2人に近寄ると言った。
「あら?何だか・・・良い香りがします。」
クリスタ様が瓶に入ったカモミールの茶葉の香りに気が付いた。
「はい、これはカモミールと言います。喉によく効くハーブなんですよ。クリスタ様の喘息にどうかと思ってこちらをご用意致しました。」
「まあ・・・私の為にわざわざ選んで下さったのですか?」
クリスタ様は頬を赤らめて私を見つめた。・・・・本当に可愛らしい方だ。これではノエル様があのような目つきでクリスタ様を見つめるのも無理は無い・・・。
私は思うのだった―。
5
「さて、今日はどの恋愛小説を読もうかしら・・。」
高等学院の昼休み―
私は1人、学院併設の図書館にやってきていた。既にこの図書館に置かれている恋愛小説の半分は読み進んでいた。そう言えば・・・この間初めて読んだ恋愛小説は今迄読んだことが無いジャンルで面白かったわ・・。
恋人同士の中を引き裂こうとする恋敵が出て来る話・・・。前回読んだ小説は愛し合う2人の前に、彼女に恋する1人の青年が現れて、仲を引き裂こうとするお話だった。ヒロインが2人の男性の間で揺れ動く恋心がとても胸をときめかせたっけ・・・。
「あれと似たようなジャンルの恋愛小説は無いかしら・・・。」
じっくり本を探しつつ・・・私の目はある1冊の小説に目を止めた。
「え・・・・?『悪役令嬢は高らかに笑う』・・?いったい、どんな本なのかしら・・?」
何となく本の題名に興味が引かれた私は貸出カードに本の題名を書き、早速借りて帰る事にした―。
そして夜―
夕食を終え、入浴も済ませた私はナイトウェアに着替えると鞄の中から本日借りてきた恋愛小説『悪役令嬢は高らかに笑う』を取り出し読み始めた。
小説の内容はこうだった。
ヒロインには幼馴染の恋人がいた。しかし、彼の美貌に惹かれた、いわゆる悪役令嬢と呼ばれる女性が2人の前に現れた。彼女はヒロインと言う恋人がいるのを知りながら、自分の方が爵位が高いのを良い事に強引に婚約を結んでしまう―。
そこまで読み終えると、私は一度本を閉じた。
「まあ・・・この小説の悪役令嬢と呼ばれる女性は本当に酷いわ・・・。幾ら青年の事を好きだからと言って、強引にヒロインから彼を奪ってしまうなんて・・。でもとても面白かったわ。もう時間も遅いし・・・続きは明日の夜、読みましょう。」
ふわあああ・・・と欠伸をすると私は本を閉じるとオイルランプを吹き消してベッドへと潜り込んだ―。
私は夢を見ていた。
美しい花々が咲き乱れる公園で、私はノエル様を探していた。すると前方に白いベンチが見え、そこにノエル様が背中を向ける形で座っている。
ノエル様っ!
私は笑みを浮かべ、ノエル様に近付こうとした矢先・・彼の前方から、大きな白い帽子を目深に被り、真っ白なワンピースに身を包んだ女性が近付いて行く。
え・・?彼女は一体誰・・・?すると突然強い風が吹き、女性の帽子は飛ばされる。
その顔は・・クリスタ様だった。クリスタ様はノエル様の隣のベンチに腰掛けると2人は笑顔で語り合い・・やがて互いの顔が徐々に近づき・・・・。
「やめてえっ!!」
気付けば私は右手を真上に上げていた―。
チュンチュン・・・。
窓の外では鳥が鳴く声が聞こえ、カーテンの隙間からは眩しい太陽が顔を覗かせていた。
「あ・・・朝・・・。」
私は起き上がると頭を押さえた。
「な、何て夢・・・。」
私は荒い呼吸をしながらため息をついた。それにしても・・・私は何て夢を見てしまったのだろう・・・。まさか、夢の中でノエル様とクリスタ様が恋仲だったなんて・・・。
「ふふ・・きっと昨夜あんな小説を読んでしまったせいね・・・。」
私は何となく胸にモヤモヤした物を抱えながらも、ベッドから起き上がると伸びをした。
そして制服に着替えると、朝食をとりにダイニングルームへと向かった─。
6
「おはよう、フローラ。今朝は少し遅かったな。」
日差しがたっぷり差し込むダイニングテーブルの上座に座る父が私が部屋の中へ入るとすぐに声を掛けてきた。
「そうね、フローラ。今朝はお寝坊さんだったのかしら?」
美しい黒髪を後ろで一つにまとめた母が笑顔で言う。
「おはようございます。お父様、お母様。そしてお兄様。」
「ああ、おはよう。フローラ。」
やはり美しい黒髪をした私よりも4歳年上の兄がこちらを見ると笑みを浮かべた。
「さあ、早く席に着きなさい。朝食が冷めないうちに皆で頂こう。」
父に促され、私は席に座ると、ナフキンを首に巻いた。そして家族4人が揃った朝食が始まった。
「レナート、大学の方はどうですか?」
母がパンケーキにシロップを掛けながら尋ねる。
「そうですね、後半年で卒業なので論文を書くのに少し忙しいですね。」
「そう言えば・・・マリアンナ嬢とのお見合い・・・断ったそうだが・・何故なのだ?」
父の言葉に私は兄が初めてお見合いを断った事実を知った。
「え?!お兄様・・お見合いの話・・お断りしたのですかっ?!」
驚きのあまり、思わずカチャンと持っていたナイフを皿の上に落してしまった。
「ああ、そうなんだ。あの方は・・・少々性格がきつくて・・・ね・・・。」
兄は恥ずかしそうに頭を掻く。
私は改めて兄を見た。肩まで届く黒髪に、青い瞳の兄は私と違ってとても美しい外見をしている。まるで女性と見間違うほどの容貌で、密かに兄に想いをよせる男性達がいる事も・・・私はしっている。
しかし、兄はそれを迷惑そうにしているので・・・そんな趣味は無いだろうと信じたいけれども、お見合いの話を断ったと聞いて私の胸に一抹の不安が過ってしまった。
「ま、まさか・・。」
思わず呟くと、隣の席に座る兄に聞かれてしまった。
「何がまさかなんだい?フローラ。」
「い、いえ。何でもありません。」
ホホホと笑って胡麻化している所へ、父の執事がやって来た。
「お食事中、申し訳ございません。実はフローラ様に急ぎで渡して頂きたいと、つい先ほどメッセンジャーから手紙をお預かりしましたのでお持ちしました。」
「まあ・・・私に・・?」
でも丁度、朝食が済んだところだったので私は手紙を預かり、送り主の名を目にして驚いた。
「え・・・?クリスタ様・・?」
何と相手はクリスタ様からだったのだ。
「クリスタ嬢・・・確か、ノエルの遠縁の女性では無いか?」
父は言う。
「一体どのようなご用件なのかしら・・?」
母は首を傾げた。
「さ、さあ・・・?」
けれど、私の脳裏には今朝見た夢の光景が頭に焼き付いて離れない。婚約者のノエル様とクリスタ様が実は・・・。
私は恐る恐る手紙を開封して、目を通した。
拝啓
親愛なるフローラ様。今度の週末・・・フローラ様にまた是非ともお会いしたく、お手紙を託しました。またノエルと一緒にお邪魔する許可を頂けないでしょうか?お返事お待ちしております。
クリスタより
「・・・・。」
私は手紙を読み終え、考え込んでしまった。ひょっとすると・・・クリスタ様は私がノエル様と2人で会う事が嫌なので、このような手紙を書いて来たのだろうか・・?やはりクリスタ様とノエル様は本当は恋人同士・・?クリスタ様はとて愛らしいお方だし、誰もお友達もいないのなら・・・私が彼女の友達になってあげたい・・・断る理由は何処にも無いわ。
すぐに返事を書いてあげなければ。
私は立ち上がると言った。
「私、お手紙を書いて参りますので、失礼しますね。」
両親と兄に挨拶をすると、私は手紙を書く為に自室へ向かった─。
7
学校へ行く前に私はクリスタ様への手紙を書き終え、メッセンジャーにお願いした。時計を見ると、丁度登校する時間になっていたので鞄を持って外へ出ると既にエントランスの前に馬車が止まっていた。
「おはようございます。フローラ様。」
御者のボビーさんが帽子を取って挨拶をしてくる。
「おはよう、ボビーさん。それでは学校までよろしくね。」
「はい、かしこまりました。」
返事の代わりに笑みを返し、馬車に乗り込むとガラガラと音を立てて馬車は走り始めた。
「さて・・・学校に着くまでの間、小説の続きを読みましょう。」
鞄から本を取り出すと、パラリと私はページをめくり、本の続きを読み始めた。
それにしても本の内容は凄いものだった。小説に登場する悪役令嬢の妨害にも負けずにヒーローもヒロインも互いの恋を決して諦めない。2人きりで内緒のデートをしていても、悪役令嬢は高らかな笑い声と共に現れて、とことん2人きりの邪魔をして、強引にヒロインからヒーローをその場から連れ去ってしまう―。
ここまで読んだ時、馬車が止まった。
「フローラ様。学校に到着致しました。」
「そう、ありがとう。ボビーさん。」
私はしおりをページに挟むと鞄にしまい、馬車を降りた—。
午前の授業が全て終わると、友人のマルティナ様とベアトリーチェ様が現れた。
「フローラ様、ランチを食べに行きましょう。」
「今日はお勧めランチがおいしそうでしたわよ?」
マルティナ様とベアトリーチェ様が交互に言う。
「本当?それはとても楽しみだわ。」
私は立ち上がると、3人で並んでカフェテリアへと向かった。
「まあ・・・本当に今日のお勧めランチは美味しそうだわ・・・。」
私はトレーの上に乗ったメニューをうっとりとした目つきで見た。
斜めに3枚にスライスしたバゲットの上には3種類の具材が乗って綺麗に並べられている。エビとアボガド、卵とジャガイモ、そして残りはデザート風にフレンチトーストにベリーソースがかかったスイーツ風のバゲットがとてもカラフルで美しい。ポタージュも美味しそうだし、デザートにストロベリーババロアまでついている。
「それでは頂きましょう?」
ベアトリーチェ様は満面の笑みを浮かべて、手をパチンと叩いた。
「「「いただきます。」」」
3人で声を揃えて楽しい食事が始まった。年頃の女性達が集まれば話の内容は決まって来る。おのずと恋愛話に花が咲いていた。
「それで、私の婚約者ったら酷いんですよ。私よりも男性の友人を優先してしまうのですから。」
マルティナ様は口をとがらせて、バゲットを手に取った。
「私なんか、折角2人きりでお会いしても彼はすぐに昼寝をしてしまうんですから。この間なんて話が出来たのはたったの10分ですよ!」
憤慨したようにベアトリーチェ様はスープを口に運んだ。
「それで?フローラ様はどうですの?」
マルティナ様が興味深げに尋ねてきた。
「あ・・・実は私は・・・。」
私は今の状況を詳しく2人に話した。
つい最近、ノエル様の遠縁の女性がこちらに移り住んできて、週に1度の顔合わせの日にノエル様と現れた事。初めて会った日は喘息の発作が出て、すぐに2人共帰ってしまった事、・・・次の週も一緒に現れて、さらに今朝手紙を受け取った事・・・。それらを説明していると、何故かマルティナ様とベアトリーチェ様の顔が曇っていく。マルティナ様に至っては心なしか目に涙まで浮かべている。
「あ、あの・・・お2人共、どうされましたか・・?」
黙り込んでしまった2人に私は戸惑い、声を掛けた。すると・・・。
「フローラ様っ!負けないで下さいねっ!」
「ええっ!私達は・・・何があろうともフローラ様の味方ですわっ!」
マルティナ様とベアトリーチェ様が交互に力強く言った。
「は、はい?あ・・・ありがとうございます・・・。」
訳の分からないまま。私は2人に礼を述べるのだった―。
8
1日の授業が全て終わり、学生達は馬車乗り場で自分達の迎えの馬車を待っていた。友人2人は先に馬車に乗って帰って行ったので、私はベンチに座り本の続きを読むことにした。
「それにしても・・読めば読むほどにこの悪役令嬢は酷いわね・・・元々ヒロインとヒーローは幼馴染で小さい子供の頃からお互いの事を思いやっていたのに・・。それにヒロインが身体が弱いのも気の毒だわ・・・。大体この令嬢は強引だわ。ガーデンパーティーで偶然ヒーローに出会って、恋に落ちて・・・自分の方が爵位が上なのを良い事に無理やり婚約をさせるなんて・・・。」
そこまで考えた時、私はふと思った。あら・・・?これって・・何処かで似たようなシチュエーションがあったような・・・?
その時―
「フローラお嬢様っ!申し訳ございませんっ!お待たせ致しましたっ!」
御者のボビーさんが帽子を持ってこちらの方へ駆け寄ってきた。
「あら、いいのよ。気にしないで頂戴。本を読んでいたから大丈夫よ。」
ボビーさんは息を切らせながら頭を下げる。
「本当に申し訳ございません。それでは参りましょうか?」
「ええ。」
そして私はボビーさんに案内され、自分の馬車に乗りむと、再び本の続きを読み始めた。
この悪役令嬢は本当に神出鬼没で2人のデート現場には必ず耳障りな高笑いをしながら現れ、たっぷり嫌みを投げつけ、さらにヒロインにはありとあらゆる悪事を働いた。そのせいでヒロインはますます体調を崩し、寝込みがちになってしまった。
そしてついに見兼ねたヒーローが友人である公爵家の跡取り息子に相談し、彼は自分の父親に2人の恋を無理に引き裂こうとする令嬢の事を告げる。
そして公爵家の力添えで、ヒーローと悪役令嬢の婚約は破棄され、彼女は辺境の地に住む醜い侯爵の第2夫人として嫁がされてしまう。
その後、ヒロインはヒーローと晴れて結ばれ、生涯幸せに暮らした―。
私はパタンと本を閉じた。屋敷に帰りつくまでにこの本を読み終えてしまった。
この本は今までにないパターンで面白かった。
だが・・・・。
「・・・・。」
何だろう?この寒気は・・・?何だか本当にこの話は現実に起こりえる話に見て取れる。
「あはは・・ま、まさか・・・ね・・・。」
そうだ、余計な事は考えてはいけない。この話はあくまで小説の中の話に過ぎないのだから。
そして私は窓の外を眺め、家に着くまでの間ぼ~っと外の景色を眺めるのだった―。
屋敷に到着し、馬車から降りると2人のメイドとフットマンが私を出迎えた。
「お帰りさないませ、フローラ様。」
「ええ、ただいま。」
出迎えてくれた彼等に笑顔で返事をすると、1人のフットマンが私に手紙を差し出してきた。
「フローラ様、お手紙をお預かりしております。」
「まあ・・・またお手紙?珍しい事もあるものね・・・。今朝、クリスタ様からお手紙を頂いたばかりだと言うのに・・・。」
するとフットマンは言った。
「はい。そのクリスタ様からまたお手紙が届いて居ります。」
「え?!」
私は手紙を受け取り、送り主の名を見ると確かにそこにはクリスタ様の名前が書かれている。
「1日に2度もお手紙なんて・・・何かあったのかしら・・・」
手紙を見ながら私は首をかしげ、部屋に持ち帰ってじっくり読もうと決めた。
「ありがとう、このお手紙・・自分の部屋で読むことに決めたわ。」
するとメイドが言った。
「お嬢様、それならお茶とお茶菓子はお部屋にお持ちしましょうか?」
「ええ。お願い。これから着替えるから・・そうね、30分後に持ってきて頂こうかしら?」
「はい、かしこまりました。」
「それじゃ、よろしくね。」
私は彼らに見守られながら屋敷の中へ入って行った—。
9
部屋に帰ってきた私は制服から濃い緑色のロングワンピースの普段着に着替え、部屋の中央に置かれた白い丸テーブルに椅子を寄せて座ると手紙を開封した。便箋は上部に可愛らしい花が描かれており、フローラルな香りもする。
「まさか・・・この手紙に香水がふりかけてあるのかしら・・・?」
便箋に鼻を近付け、再度嗅いでみるとやはり得も言われぬ良い香りが残っている。
「とても素敵な香りだけど・・・女性が同性に送る手紙に香水って振りかけるものなのかしら・・?」
首を傾げつつ私は手紙に目を通した。
拝啓
親愛なるフローラ様。1日に何度もお手紙を出す非礼をお許し下さい。ノエルから話を聞きましたが、フローラ様の邸宅はとてもお庭が広くて大きな池まであり、さらには小型のボートもあるそうですね。なのでご迷惑でなければ2人きりでボートの上で過ごす時間を作って頂けないでしょうか?どうぞよろしくお願い致します。
かしこ
「・・・。」
クリスタ様の手紙を読んで今度こそ私は確信した。間違いない・・やはりクリスタ様はノエル様の事を好きなのだ。それで・・私とノエル様を2人きりにさせるのが不安で・・・。
「そう言う事だったのね・・・。」
私は呟いた。つまり、私はあの本に出てきた悪役令嬢と同じ立場にあるという事だったのだ。どうりで似たようなシチュエーションが多々あったし、マルティナ様とベアトリーチェ様も浮かない顔をしていたはずだ。
「これって・・・私は2人の恋仲を引き裂く邪魔者って事よね・・・だって無理矢理ノエル様に婚約者になるように財力で迫ったのだから・・・。」
だけど・・・。
私は本当にノエル様が好き。そして好きな人に幸せになって貰うのが私の一番の望み。ノエル様を幸せにする事が出来るのは自分だと信じて疑っていなかったけれども・・・。
「私が相手では無かったって事よね・・・。」
だとしたら、私に出来ることはただ一つ。ノエル様と婚約を破棄する事。でも・・もう両家で婚約は結ばれてしまったのだから、私から一方的に婚約破棄を願い出ても相手が受け入れてくれなければ意味はない・・・。
そこまで考えて私は思った。
「そうだわ・・・。私が直接ノエル様に婚約を破棄にしましょうと伝えればいい事じゃない。ノエル様が好きな相手は私では無いのだから、婚約破棄の話を絶対に受けるに決まっているわ。」
そして、私は手元にあったクリスタ様からの手紙をチラリと見た。
「口頭で伝えるのは・・辛すぎるわ。ノエル様の喜ぶ顔を見るなんて耐えられそうにない・・・・。クリスタ様の様に手紙に書きましょう。でも・・・その前にお父様にノエル様との婚約を破棄したいと伝えなければ・・・。」
その時・・・
コンコン
ノックの音が聞こえた。
「フローラ様、お茶とケーキをお持ちしました。」
私付きのメイドのアリスの声が聞こえた。
「ありがとう、アリス。中へ入って。」
「失礼致します、フローラ様。」
茶色の髪に大きな瞳がとても可愛らしいアリスがトレーに私が大好きなハーブティーとケーキを持って入って来た。
「どうぞ、フローラ様。」
カチャリとテーブルの上に紅茶とケーキを置くアリス。私はそんなアリスをじっと見つめる。すると私の視線に気づいたのかアリスは顔を赤らめてこちらを向くと言った。
「あ、あの・・・フローラ様?どうされましたか?」
「いいえ、アリスはとても可愛らしい女の子だと思って見ていたのよ?」
そしてニッコリ笑うと、ますますアリスは顔を真っ赤にさせる。
「そ、そんな・・・か、可愛いだなんて・・・。で、でも・・フローラ様・・本当に私の事を可愛いと思って下さるのですか・・・?」
何故かスルリと指をからませてくるアリス。
「フローラ様・・・私・・・。」
え?え?何故・・・何故アリスは顔を近づけて来るの?!
「ね、ねえ・・・アリス・・・?ちょっと、待ってくれるかしら・・・。」
すると、途端に目が覚めたかのようにハッとなるアリス。
「あ・・も、申し訳ございませんっ!では私はこれで失礼致しますっ!」
アリスは頭を下げると、まるで逃げるように部屋を去って行った。
・・・それにしても今のは何だったのだろう?
私は首を傾げつつペパーミントティーにローズマリーケーキを口にするのだった—。
10
ディナーの席で私は父に声を掛けた。
「お父様、今夜は大事なお話があります。」
ステーキをカットしようとしていた父はフォークとナイフを静かに置くと私を見た。
「どうしたのだね?私に話とは。」
「はい、他でもありません。実はノエル様との婚約を破棄したいのです。」
「ゴフゥッ!!」
母が物凄い咳き込み方をし、全員の視線が母に集中する。
「コ、コホン!」
母は真っ赤な顔をしてナフキンで口を拭いた。
「フローラ、一体何故彼と婚約を破棄したいんだい?あんなにノエルに夢中だったじゃないか。」
兄はオロオロしながら私を見る。
「ああ、そうだ。フローラ、何故ノエルと婚約を破棄したいのだね?」
さあ、ここから悪役令嬢の役を演じるのよ。
「ええ、簡単な事ですわ。私・・・野心家ですの。」
「「「はあ?」」」
3人が同時に声を上げて私を見る。
「野心家って・・・一体どういう事なのかな?」
父は苦笑いをしている。
「ええ、ノエル様は我が家よりも爵位が低いお方です。私は派手な生活をしたいので、できれば伯爵家より上の家柄の方と結婚をしたいと思うのです。」
「ああ・・・なるほど。しかし・・フローラや。今までお前はそのような事一度も言った事が無かったのに・・一体どういう風の吹き回しだね?」
「はい、つい最近考えが変わっただけですので。」
私は胸をそらせながら言う。
「とにかく私の考えは述べました。なので後はお父様の方からノエル様に伝えていただけますか?きっとすぐに快諾してくれると思いますので。勿論私の方からもお手紙を出させて頂きます。」
「フローラ、貴女本気でそんな事言ってるの?以前の貴女は爵位に等全くこだわらない娘だったじゃないの。」
母は心配そうに言う。
「ええ、そうですが・・・お母様、女は・・・色々変わるものですよ?」
「そうね。言われてみればそうかもね?」
母があっさり納得したので私は少し驚いてしまった。
「そうか・・・でも、彼・・ノエルはあっさりフローラの婚約破棄を受け入れてくれるのだろうか・・・?」
「はい、勿論ですわっ!自信があります。きっと即答されるはずですから!」
兄はいらぬ心配をしていると思う。何故ならノエル様は私に少しも興味を持っておられない。だってノエル様が好きな方はクリスタ様なのだから・・・。
兎に角、家族は全員私がノエル様と婚約を破棄したい趣旨を理解してくれた。
後は・・・ノエル様にお別れの手紙を書くだけ。さて、どんな風に書けばいいだろう・・。
私は野菜のグリル焼きを口にしながら思案するのだった。
家族団らんのディナーも終わり、入浴も済ませた私は机の上の便箋にペンを持って向かっていた。
私はペンを握りなおすと、文面を書き始めた。
拝啓
ノエル・チェスター様。お身体を壊したりはされておりませんか?日頃は何をしてすごされているでしょうか?実は私は最近読書にはまっております。本はいいですね。知識や見聞を広げる事が出来ますし、何より心を豊かにしてくれます。
ここまで書いて、私は手を止めた。
「だ・・・駄目だわ・・・。前置きが長すぎて・・・これでは肝心の婚約破棄の話を書き出す事が出来ないわ・・。も、もうこうなったら・・単刀直入に書くしかないわ。」
便箋をくしゃくしゃに丸めてダストボックスに捨てると、新しい便箋を用意する。
「・・・・。」
少しの間、便箋とにらめっこしていた私は深呼吸すると、一気に便箋にペンを走らせた。
拝啓
ノエル・チェスター様。私は貴方との婚約破棄を希望します。聞くまでもありませんが、当然返事はイエスでしょう?ですが一応返事は下さい。よろしくお願い致します。
フローラ・ハイネス
これできっとノエル様は婚約破棄を受け入れて下さるはずだろう―。
11
おかしい・・・。あれから丸3日経過しているのに、肝心のノエル様からの返事が全く来ない。その代わり、何故かクリスタ様からは毎日手紙が届いている。
その手紙の内容は本当にシンプルなものだった。例えば、今朝は私が夢に出てきたので幸せな寝覚めだったとか、町へアクセサリーを買いに行ったとき、私の黒髪にとても似合いそうなカチューシャを見つけたので、お揃いで買ったとか、美味しいケーキ屋さんを発見したので、今度こちらへ来るときに手土産に持って行くので一緒に食べましょう等々・・・。全て私に対するクリスタ様からの熱烈な?アプローチの内容ばかりであった。
「クリスタ様・・一体どういうおつもりかしら・・・それに肝心のノエル様からは返事が来ないし・・・。」
ノエル様から連絡が来ない限りは、こちらから再度手紙を出すわけにはいかない。
「どうせ明後日は週に1度の顔合わせの日だし・・それまでは待っていた方が良さそうね・・・。」
それから2日間・・・クリスタ様からの手紙攻撃?は続いた―。
そして2日後―
本日はとても良く晴れた日で、風もさわやかに吹いている。私は邸宅の庭に白い木目の3人分のガーデニングテーブルセットを用意してもらい、2人が来るのを待っていた。
何て気持ちの良い風・・・。目を閉じて椅子の背もたれに座って待っていると遠くから私を呼ぶ声が聞こえてきた。
「フローラ様ーっ!」
目を開けて見るとそこにはクリスタ様が私の方を目指して走って来る。私は椅子から立ち上がると2人がここへ来るのを待っていた。クリスタ様の背後からはノエル様が後を追うように走っている。その姿はまるで目の離せない恋人を愛おしんでいる姿に見て取れた。
ノエル様・・・。
私の胸がズキリと痛んだその時―。
「キャアッ!」
突然クリスタ様が躓き、地面に転びそうになった。危ないっ!
「クリスタ様っ!」
私は咄嗟に駆け寄り、クリスタ様は私の腕の中に倒れこんだ。
「クリスタ様・・・大丈夫ですか?」
「え、ええ・・・。だ・大丈夫です・・・。」
クリスタ様は私の腕の中で言うと、顔を上げて私を見た。
「キャアッ!」
途端に真っ赤になるクリスタ様。
「クリスタッ!フローラッ!」
追いついて来たノエル様が走り寄って来た。
「こんにちは、フローラ。クリスタの事、受け止めてくれてありがとう。大丈夫だったかい?クリスタ。」
ノエル様が心配げにクリスタ様に声を掛ける。
「え、ええ・・・。私は大丈夫です。フローラ様・・本当に有ありがとうございます。」
「いいえ、お怪我をされなくて良かったです。」
私が笑みを浮かべると、さらにクリスタ様はますます顔を赤くする。
・・・本当に何て愛らしい方なのだろう。彼女ならばノエル様が恋に落ちても仕方が無い。
「さあ、本日は天気も良くて風も心地よいので、お庭で定例会を開かせて頂こうと思い、ご用意致しました。本日用意したのは冷たいハーブティーで、ペパーミントですよ。喘息の緩和に良いそうです。」
私は瓶に入れてあるペパーミントティーを2人のグラスに注いだ。
「まあ、私の為に・・・本当に何て素敵なお方なのでしょう。私・・フローラ様から頂いたお手紙、大切にとってあるのですよ?」
「ええ、私も大切にしまってあります。」
そこまで言って、私はノエル様を見た。彼はずっと笑顔で静かに私とクリスタ様の会話を聞いている。・・・それにしても何かおかしい。何故ノエル様は手紙の事を話して下さらないのだろう?ノエル様が黙っているのなら私の方から聞き出すしかないか・・・。
そこで、私は息を吸い込むとノエル様を見た。
「あの、ノエル様。お話があります。」
「話?」
ノエル様は視線を私に移した。
「はい、お手紙についてです。何故返事を下さらないのですか?」
「え・・?手紙・・・?何の事・・・?」
ノエル様は首を傾げた―。
12
「もしかして・・・私の手紙・・届いていないのですか・・・?」
ノエル様は困ったように私を見た。
「うん・・僕は目を通していないんだけど・・・手紙が届いていたなんて知らなかった。ごめんね。」
「そ、そんな・・・。別に謝らなくて良いですよ。何か手違いがあったかもしれないですし・・・。」
私が言うとクリスタ様が口を開いた。
「ノエル、もう一度屋敷に帰ったら探してみた方がいいわ。何処かに紛れ込んでいる可能性もあるかもしれないでしょう?フローラ様、すみませんでした。ノエルにはきちんと手紙を探して貰うのでお許し下さい。」
そしてクリスタ様は頭を下げてきた。
「い、いえ・・・そこまでして頂かなくても大丈夫ですよ。口頭で伝えればいいだけですから。実は、ノエル様。私・・・。」
そこまで言いかけた時、何故かクリスタ様が私とノエル様の間に割って入って来た。
「フローラ様っ!この間のお手紙の内容覚えておいでですか?私がボートに乗ってみたいとお話した事・・・。」
「ええ、勿論覚えていますわ。」
「それでは・・・今乗せて頂く事は出来ますか?」
クリスタ様は何故か必死にお願いしてくる。その時私は気が付いた。ああ、やはり彼女はノエル様の事が好きなのだと。だから私がノエル様とお話ししようとするのを阻んでいるのだと言う事を。
心の中で笑った。そこまでお2人が愛し合っているならやはり私は邪魔者以外の何者でもない。だったら早くノエル様にも婚約破棄をを受け入れてもらわなければ。でも今は・・・。
「ええ、いいですよ。それではお2人共、こちらへいらしてください。池までご案内しますね。」
私は笑みを浮かべ、立ち上がると2人を引きつれて池へと向かった。
そこはハイネス家の広大な敷地にある池。池の広さは約400㎡あり、白鳥も飛んでくる事がある。周囲は美しい花畑が広がり、さらには太く立派な木々も生え、緑豊かな葉を茂らせている。夏場は正に涼を取るには絶好のスポットである。
「どうぞ、このボートをお使いください。」
私は2人にボートを見せた。
屋根付きの2人乗りの可愛らしい手漕ぎボート。それを見た時のクリスタ様の瞳がキラキラと輝く。
「まあ!なんて・・なんて美しい場所、そして・・・素敵なボートなのでしょう・・・。」
両手を胸の前で組み、大喜びしているクリスタ様を目にして思った。ここにクリスタ様を連れてきて良かったと・・。そしてノエル様を見ると愛おし気な瞳で口元にやわらかい笑みを浮かべながらクリスタ様をじっと見つめている。
ああ、やはりノエル様も・・・。
それを見た時、再び私の胸はずきりと痛んだ次の瞬間・・・。ノエル様は私の視線に気づいたのか、こちらを見て気まずそうにぱっと視線をそらせた。
「フローラ様、乗せて頂いてもよろしいですか?」
クリスタ様は私に振り向くと言った。
「ええ、もちろんです。」
「それではご一緒に・・・。」
クリスタ様は何故かノエル様ではなく、私に声を掛けてきた。何故私に・・?だけど、私はボートを漕ぐことが出来ない。
「申し訳ございません。私はボートを漕ぐ事が出来ませんので・・・ノエル様と2人で乗って来てください。」
するとノエル様が私を見た。
「・・・いいのかい?」
「ええ。どうぞ。」
私はにっこり微笑んだ。何故ノエル様はそんな事を尋ねるのだろう?私に遠慮しているのだろか?私は2人の恋仲を裂く気は全くない。だって誰がどう見ても私よりもずっとクリスタ様の方がノエル様にはお似合いだって事・・・誰よりも自分が一番理解しているのだから。
「行ってらっしゃーい。」
私は池の淵に立ち、ボートで漕ぎ出す2人を見送った。だんだん岸から遠ざかっていくボート。そして仲睦まじく微笑みあう2人。そしてそれを見ているだけの私・・。
徐々に目頭が熱くなっていくのを目をこすって、私は無理に我慢するのだった—。
13
2人がボート遊びに行っている間、私は池のほとりにある白いベンチに座り、本を読むことにした。もちろん読む本は『悪役令嬢は高らかに笑う』だ。
この小説の通りにふるまえば、きっと秒の速さでノエル様は婚約破棄にうなずいてくれるはず・・・。でも出来れば少しはためらって欲しいなと複雑な気持ちを抱えつつ私は本を開くと、朗読した。
「『オーホッホッホッ!さあ、早く彼から離れなさいっ!この方は私の婚約者なのよ。離れなければ今すぐ城の騎士に貴女を捕まえさせるわよっ!』悪役令嬢である彼女の甲高い耳障りな笑い声は2人の恋人同士の仲を引き裂く合図でもあった・・。」
そこまで読むと私はしおりを挟んで本をパタンと閉じた。なるほど・・・・甲高い笑い声は確かに悪役令嬢を演じるには効果的なのかもしれない・・。
その時・・
「フローラ様ー!」
私を呼ぶクリスタ様の声が聞こえた。顔を上げると、クリスタ様が私の方に向かって駆けよって来る姿が目に入った。そしてその後ろをノエル様が追っている。
「駄目だよ、クリスタッ!走ったら喘息が!」
するとクリスタ様は足を止めると、ノエル様が追いついてクリスタ様の右手を取ると、2人で仲睦まじく歩きながらこちらへ向かってやって来る。私はその様子を黙って見ていたが、心はズキズキと痛んでいた。
「フローラ様、ボート・・・とっても素敵でした。」
クリスタ様は私の傍まで来ると目をキラキラさせて言った。
「うん、本当に良かったよ。ありがとう、フローラ。」
ノエル様も私に笑みを浮かべてこちらを見る。
「オーホッホッホッ!それは良かったですわっ!お二人とも楽しめたようで何よりですわねっ!」
私は右手を腰に当て、口元を左手の甲で隠し、背中をのけぞらせながら言った。
うう・・・我ながら何て恥ずかしい姿を晒しているのだろう。
「え・・?フローラ様・・・?」
「ど、どうしたんだい?フローラ・・。」
クリスタ様もノエル様もあっけに取られて私を見ている。でも、ここで恥ずかしがってはいけない。私は完璧な悪役令嬢を演じてノエル様と完全に縁を切らなければならないのだから。
そして私は懐から婚約破棄を申し入れた手紙をスッとノエル様に手渡した。
「ノエル様、こちらのお手紙・・邸宅へ帰られてから目を通して下さいまし。よろしいですか?必ずお返事を下さいませ。」
普段とは違う強引な口調で私は言った。
実は今日この日の為に、念のために同様の手紙を私は用意していたのだ。
「え・・?これは・・?」
ノエル様は不思議そうに手紙を受け取ると私を見た。
「内容は申し上げられません。それでは後はお二人でお楽しみ下さいませ。私は本日はもう引き下がらせて頂きますので。」
そして私は2人にくるりと背を向けると歩き出した。
「ええっ?!そんな!フローラ様ッ!」
何故か残念そうにクリスタ様が呼び止めようとする。
「待ってっ!フローラッ!」
そしてノエル様までもが私を呼ぶ。そこで私は振り向くと2人に言った。
「あいにく私はあなた方と違って何かと忙しいんですの。なので放っておいて下さりませんか?この池が気に入られたのでしたら、今後もどうぞご自由にお使いください。それでは私はこれで失礼致します。」
そして私は再び2人に背を向け、歩き去った。きっと今日ノエル様は帰宅後、私の手紙を目にするだろう。そして喜んで婚約破棄を受け入れるはずだ。
さようなら、ノエル様。
私は本当に貴方の事が大好きでした―。
14
なんの音沙汰もないまま、あの手紙の件から早くも1月が経過していた。そして何を考えているのか分からないが、クリスタ様とノエル様は毎週末我が邸宅に2人で遊びに来ているのだが・・・そこに私の姿は無い。
「今日も来ておりますね・・・。クリスタ様とノエル様・・・。」
私付きのメイドが部屋の窓の外を見ながら言う。
「ええ、そうね。」
私はわざと興味なさ気にメイドの持ってきてくれた紅茶とお茶菓子を口にしながら本を読んでいる。
「フローラ様にお目通りを願うどころか、お2人でフローラ様のお部屋が見える庭でお話だけされて、夕方前に帰られるなんて・・。」
メイドは溜息をつきながら言う。
「きっとこのお庭が気に入ったんじゃないかしら?」
私は気にも留めない風に言ったが、本当は内心気になって気になって仕方がなかった。一体、ノエル様もクリスタ様も何を考えているのだろう?ノエル様は手紙の返事は一切よこさないし、かと言って私を呼び出そうとする気配すらない・・。
ここまで来ると、私の心は精神的に限界を迎えていた。
もう、こうなれば自分から動くしかないかもしれない・・・。
私は覚悟を決めた―。
この日、私はマルティナ様とベアトリーチェ様と庭でお茶会を開いていた。
「よろしかったのですか?本日はノエル様とクリスタ様がいらっしゃる日なのでは・・?」
遠慮がちにマルティナ様が尋ねてきた。
「ええ、いいんですのよ。気になさらないで下さい。」
私はカップにお茶を注ぎながら言う。そして女3人で話をしていると・・やはり私の計画通り、ノエル様とクリスタ様がこちらへと近づいてきた―。
そして今・・・。
結局、マルティナ様とベアトリーチェ様はクリスタ様とノエル様が近付いてきた段階で帰ってしまった。2人ともそれぞれ用事があると言っていたけれども・・・今にして思えば、おそらくこの2人と話がしたくなかったからなのかもしれない。
けれど・・・マルティナ様とベアトリーチェ様がきっかけでノエル様に近づけるチャンスが出来たのだから・・。私は思い切って手紙の事を聞くことにした。
「「あの。」」
え・・?
なんと私とノエル様の声が偶然ハモった。
「え・・と・・。どうぞ、フローラから。」
ノエル様はモジモジしながら私に言う。
「いえいえ、ノエル様の方からどうぞ。」
するとクリスタ様が言った。
「あら、ノエル。ここはレディーファーストでいきましょう?どうぞ、フローラ様から。」
「う、うん。そうだね。フローラ、先に君から話をしていいよ。」
ノエルはコホンと咳払いをすると言った。
「そうですか・・?ならお言葉に甘えて先に発言させて頂きます。ノエル様、何故お手紙の返事を頂けないのでしょうか?」
「え?!そ、それを言うなら・・ぼくだって同じだよ・・。フローラ。何故・・手紙の返事をくれないの?」
「「は?」」
私達は互いに手紙が届いていなかった事を改めて知った。すると・・・。
「ゴホッゴホッ!!」
突然クリスタ様が激しく咳をしだした。
「だ、大丈夫かい?クリスタッ!」
ノエル様が慌ててクリスタ様の背中をさする。
「ノ、ノエル・・く、苦しいわ・・。」
クリスタ様は胸を押さえながらノエル様を見ている。
「ノエル様、クリスタ様にはお部屋で休まれたほうがよろしいかと思われます。客室へ案内いたしますので、そちらでお休みして頂きましょう。ご案内いたしますね。」
私は立ち上がった。
「う、うん。ありがとう。」
ノエル様はクリスタを背中に背負うと、私の後に続いた。
「どうぞ、こちらでお休みください。」
「ありがとう。フローラ。」
客室に案内するとノエル様は部屋の中へと入り、クリスタ様をベッドへ降ろした。
「それではごゆっくりお休みください、クリスタ様。」
「あ、ありがとうございます、フローラ様。」
クリスタ様は赤い顔で私を見つめる。
「それじゃ後で様子を見に来るね。」
ノエル様は何故かクリスタ様を1人部屋に残そうとしている。なので私は悪役令嬢らしく言った。
「あら?ノエル様は喘息で苦しまれているクリスタ様を1人、お部屋に残していかれるおつもりですか?」
・・本当なら高笑いをしながら言いたかったけれども、クリスタ様の具合が悪ければそれも出来ない。
「え?そういうわけでは・・・。」
「それではお加減が良く成り次第、お帰りになられた方がよいですよ。やはりご自宅が一番ゆっくりできるでしょうから。どうぞ、クリスタ様とお幸せに。」
するとそれを聞いたノエル様の顔色がサッと青ざめた。
「あ、あのね。フローラ。何か勘違いしているかもしれないけれど・・・僕は君と婚約破棄するつもりはないからね?」
「え・・?」
今度は私の顔色が青ざめる番だった—。
15
私は信じられない気持ちでノエル様を見た。まさか・・・ノエル様の家は私が嫁ぐ時に持たされる持参金が無ければ生活できない程・・生活に困窮していたのだろうか?それでノエル様はご両親から私と絶対に婚約を破棄しないように言い含められて・・?
それなら、お父様に相談して私がノエル様と結婚する時に持たされるはずの持参金を援助という形でチェスター家に渡すことはできないだろうか?
私が色々思案していると、再びノエル様が声を掛けてきた。
「ねえ。聞いてる?フローラ。僕は絶対に君とは婚約破棄したくないんだ。」
必死で訴えてくるノエル様を見て私はだんだん気の毒になってきた。お可哀相なノエル様・・・。持参金が必要な為に私と別れる事も出来ないのでクリスタ様と結ばれる事も叶わない・・・。ひょっとするとクリスタ様がいつまでも病弱なのも愛する人と結ばれない苦しみが、心だけでなく、身体も蝕んでしまっているのかも。
それならやはりすぐにノエル様とクリスタ様の前から私は消えなければならない。
でもそうなるには私が見るに堪えないくらの悪い女を演じなければノエル様のご両親は納得しないかもしれない。あれほどの性悪女なら結婚を無理強いさせるわけにはいかなと思えるほどに・・。
それでは・・今から悪役令嬢を演じさせて頂きます。でもそうするには病床におられるクリスタ様の前で演じるわけにはいかない。
コホンと咳払いをすると私は言った。
「ノエル様。少し廊下に出て頂けませんか?お話したいことがございますので。」
「う、うん。分かったよ。」
私たちはドアを開けて部屋の外へ出た。
「それで、フローラ。話って何?」
ノエル様は真剣な瞳で私を見つめてくる。ああ・・・そのノエル様の瞳に映される姿が常に私だったら良かったのに・・。でも、それは叶わぬ願い。私が好きなのはノエル様だけど、ノエル様が好きな女性は私ではないのだから。
私は深呼吸した―。
「オーホッホッホッ!」
突然の高笑いにノエル様は明らかに驚いたように肩をびくりと震わせ、私を見た。
「な?何?!またその笑い?一体どうしちゃったの?フローラ?」
「ノエル様、何故もっとちゃんとクリスタ様を看てあげないのですか?クリスタ様が喘息の発作を起こされたのはノエル様がクリスタ様のお身体の事を考えておられなかったからですよ?貴方のクリスタ様へのお気持ちはそれっぽっちのものだったのですか?」
「え?そ、そんな事は無いよ。僕はいつだってクリスタの事はきちんと考えているし、彼女の健康状態も見ているつもりだよ?」
ノエル様の言葉を聞きながら、私は密かに傷ついていた。やはりノエル様はクリスタ様の事を大切に思っているのだと言う事が様々と感じられたからだ。
「さようでございましたか。それではこの先も是非そうして下さいませ。」
「え?」
「ですから、ノエル様が本来お傍に置くべきお方はクリスタ様だと言う事です。」
「ちょ、ちょっと待って・・・。フローラ、君・・一体何を言ってるの?」
ノエル様の顔が青冷めている。
「まだお分かりにならないのですか?ノエル様が本来選ぶべきお相手は私では無く、クリスタ様と言う事です。ご理解頂けましたか?」
私はわざと冷たい視線でノエル様を見つめた。でも・・・本当ならこんな真似はしたくないのに・・・。
「ねえ、フローラ。君は何か勘違いしているようだね?確かにクリスタは僕にとって大切な存在だけど、フローラ。君の事も僕は大切に思っているよ?クリスタよりもずっと大事に思っているんだよ?」
けれどもノエル様が必死に訴えれば訴える程、私の心は悲しくなっていく。あんな台詞を言う程に、チェスター家は追い詰められているのだろうか?
こうなれば私は徹底的に悪役令嬢を演じ、ノエル様に嫌われなければ・・・。
私は深呼吸すると、ノエル様を見つめて口を開いた―。
16
「とにかく、この屋敷に今後も来たいのであれば、どうぞご自由にいらして下さい。幸い、クリスタ様もここをお気に入りの様ですからデート場所にでも利用して頂いても結構ですが、私にはもう構わないで下さいませ。後、クリスタ様の具合が良くなられましたら早々にお引き取り下さい。早く邸宅に連れ帰られて、大切なクリスタ様の看病をなさって下さいませ。」
私は、ノエル様に一言も喋らせないように一気に話すと、そのままクルリと背を向けて歩き始めた。
一瞬、少しでもノエル様が引きとめてくれる事を願ったのだが・・・それは空しい願いだった。何故なら私が背を向けて歩き始めた直後にクリスタ様の寝かされている部屋のドアがカチャリと開けられた音がしたからだ。きっとノエル様がクリスタ様の様子を見に部屋に戻ったのだろう・・・。
これで私はノエル様に愛想を尽かされ、婚約は破棄されるだろう・・・私はそう思ったのだが・・・。
翌日―
「フローラ様。またノエル様がクリスタ様を連れて庭園にいらしてますよ?」
昼食後、紅茶を飲みながら大好きな読書をしていた私に専属メイドのアリスが声を掛けてきた。
「え?!」
思わずカチャンとティーカップを乱暴に置いてしまった私は慌ててテーブルに飛び散った紅茶をペーパーで拭きとりながらアリスを見た。
「ま、又来ているの・・・?昨日の今日で・・・?」
「ええ、そうです。でも・・今日も休日で学校はお休みですけど・・。ですが、本日は顔合わせのご予定はありませんし・・。」
アリスは首を傾げながら、外の様子を伺っている。
「え、ええ。確かにそうね・・・。」
言いながら、私は内心焦っていた。一体ノエル様は何を考えているのだろう?昨日、あれ程私には構わないでとお願いしたのに、今日もクリスタ様を連れて・・・。
それとも、クリスタ様は本当に我が家の庭を気に入って、それでここを2人のデート場所に指定しているのだろうか?
庭を気に入って貰えるのは嬉しいけれども、出来れば元婚約者の家でデートをするのは勘弁して欲しい。しかし昨日、やけになって自分からデート場所にでも利用して頂いても構いませんと言った手前・・・出て行って下さいと追い返すわけにもいかないし・・・。こうなれば私の顔を見るのが嫌になるくらい、徹底的に2人に嫌われようにしなければ・・・。
「う~ん・・・どうすればあの2人に徹底的に嫌って貰う事が出来るのかしら・・。」
私は腕組みをしながら考え・・・『悪役令嬢は高らかに笑う』のある一節を思い出した。そうだ・・・あの小説の話と同じことをしてみよう・・。
「ねえ、アリス。以前お父様からプレゼントされた、あの真っ赤なドレスを出して貰えるかしら?」
するとアリスは目を見開いた。
「まあ、フローラ様。あのドレスは派手すぎてノエル様の趣味に合わないから、もう着ないとおっしゃっていたではありませんか?」
「ええ。だからこそ着るのよ。あと、アリス。あの2人の為に紅茶と焼き菓子を出して来てくれる?」
「え?ええ・・それは構いませんが・・・でもよろしいのですか?フローラ様。」
アリスは心配そうに私を見る。
「ええ、いいのよ。お願いね。」
私はウィンクをした。
そして、話しは冒頭部分に戻る―。
「オーホッホッホッ!御機嫌よう!ノエル様、クリスタ様!本日はとても良いお日柄ですわねっ!」
高笑いをしながら、私は2人の前に現れると言った。
「お2人と御一緒に、お茶でも頂こうかと思っていたのですけど・・・どうやら一足遅かったようですわね?」
当然、ノエル様とクリスタ様はこれは誤解だとか、偶然用意されたものだと言ってくるが・・・そんなのは百も承知。だってこれは全て私が仕組んだことで、ノエル様に完全に嫌われるための策を練ったのだから。
最後の仕上げに私は2人にとどめの言葉を投げつけた。
「まーあ、お2人共!そのようなお話、この私が信じると思いましてっ?!偶然出会って、偶然ここでお話をしていたら、これまた偶然にメイドがお茶のセットを持って現れるなんて・・。でも、もう結構ですわ!どうぞお2人で仲良くお茶でも飲みながらお話して下さいませっ!邪魔者の私はこれで退散させて頂きますわ。オーホッホッホッ!」
この台詞を聞かされた2人は顔面蒼白になった。その顔を見て私は確信した。
よし、きっとこれで私は完全にノエル様に嫌われ・・ノエル様とクリスタ様の仲は急速に近づき、2人はきっと結ばれる事になるだろう・・・。
そして、私は必死で呼びかける2人の言葉を無視して庭園を歩き去った―。
17
翌日―
私が学校から帰宅すると、メイドのアリスが慌ただしく出迎えにやって来た。
「フローラ様・・・た、大変です・・・。」
ハアハア息を切らせながらアリスが言う。
「大変ですっ!クリスタ様が・・・!」
「クリスタ様がどうしたの?」
「な、何とお1人でいらしたのですっ!今客室でお待ちです。すぐにいらしていただけますか?」
「わ、分ったわ。」
制服を着替える間もなく、私はアリスの後に続いた。
「クリスタ様。」
客室を開けて中へ入ると、椅子に座っていたクリスタ様が立ち上がって笑顔を向けた。
「フローラ様っ!」
「一体どうされたのですか?お身体の具合は?お1人で来られたのですか?」
つい、立て続けに質問してしまった。するといきなりクリスタ様は頭を下げてきた。
「申し訳ございませんでしたっ!フローラ様っ!」
「え?クリスタ様・・・何故頭を下げるのですか?」
するとクリスタ様は言った。
「私・・私が今までお二人のお手紙を隠していたのです!」
「え・・?な、何故ですか・・?と、取り合えず座って下さい。」
私はクリスタ様を促し、自分も向かい側のソファに座った。
「はい・・私はお二人の恋文を・・妨害してしまったのです・・。どうしても・・お二人の仲を引き裂きたくて・・・。」
ついにクリスタ様は自分の気持ちを告白した。
「大丈夫です。安心してください、私はノエル様に婚約破棄をお願いしましたから。」
私はニッコリ微笑んだ。
「ええ・・・安心しました。これで私は心置きなく告白できます。」
クリスタ様は頬を染めて言う。うん、とても正直で・・・・可愛らしい方だ。きっとノエル様と幸せになれるだろう。
「それは良かったですね。」
「本当にそう、思ってくれますか?」
「ええ、勿論です。」
クリスタ様の言葉に頷くと、ますますクリスタ様は真っ赤になり・・私を見つめると言った。
「フローラ様・・・。好きですっ!私は・・・貴女を愛しておりますっ!」
「え・・えええええっ?!」
衝撃の告白に驚いていると、クリスタ様はソファから立ちあがり、私の隣に座ると両手を取り、握りしめてきた。
「フローラ様、初めて貴女を見た時から、私はずっと貴女をお慕いしておりました。そこでノエルに無理を言って、一緒にこちらへ来ていたのです。そして日ごとに貴女への恋慕が抑えきれず・・お2人のお手紙を隠しておりました。ですが、昨夜ノエルから話を聞きました。フローラ様に婚約破棄をしたいと言われていると。フローラ様、ノエルとは別れるのですよね?つまり私にチャンスがあると言う事ですよね?どうか・・どうか私の愛を受け入れて下さいっ!」
そして強く抱きしめてきた。
「ちょ、ちょっと待って下さいっ!わ、私には女性を愛する趣味は・・・!」
しかし、クリスタ様はギュウギュウにしがみつき、耳元で囁く。
「クリスタ様のその美しい黒髪・・その神秘的な緑色の切れ長の瞳・・そのどれもが私を惹きつけて離しません。お願いです・・・私は貴女を・・・。」
「お、落ち着いてくださいっ!クリスタ様っ!」
最早私は完全にソファの上に押し倒されていた。妖艶な笑みを浮かべたクリスタ様はどんどん唇を近づけて来る。も、もう駄目・・・!
その時・・・・。
「おや?フローラ。そんなところで何をしているんだい?」
ドアの隙間から兄のレナートが顔を覗かせた。
「お兄様っ!」
クリスタ様の下で必死に叫ぶ。
「お兄様・・?」
クリスタ様は兄の方を向き・・・途端に顔が真っ赤に染まる。
「な・・・何て素敵な殿方・・・。」
え・・・?
どうやら・・・クリスタ様は兄に恋をしてしまったようだった―。
それから1月後―
最速のスピードで兄とクリスタ様は婚約発表をした。その夜は盛大なパーティーが行われ、私とノエル様は会場を抜け出して、夜の庭園のベンチに座っていた。
「おめでたいパーティーですね。」
隣に座るノエル様に私は微笑んだ。
「うん、本当にね。でも・・君から婚約破棄を言われた時はどうしようかと思ったよ。だって僕は本当に君が大事なのに、理由も聞かされずいきなりだったからね。」
「申し訳ございませんでした・・・てっきりクリスタ様と恋仲だとばかり思っていて・・。」
「それこそあり得ないよ!僕とクリスタは本当に兄と妹のような関係なんだからさ。でも・・・フローラ。僕に嫌われるために、あんな真似するとは思わなかったよ。」
ノエル様は意味深に笑う。
「あんな真似・・・?」
「そう、ほら。あの高笑いだよ。」
途端に私の顔は真っ赤になる。
「あ・・・あの事は忘れて下さいっ!は・・恥ずかしいです・・。」
しかし、ノエル様は言った。
「どうして・・?あの傲慢そうな微笑み・・・・耳に触るキンキン声の高笑い・・・どれも最高だったよ。あれを聞くたび、僕はずっとゾクゾクしていたんだ・・・。」
ん・・?何だかノエル様の様子がおかしい・・。そしてノエル様は耳元で言った。
「フローラ。今度はもっと過激に僕をののしってくれるかい?あの時の胸の高鳴りが・・・今も忘れられないんだ。」
「・・・・・。」
頬を赤らめるノエル様。どうやら私はノエル様を新たな世界?へ目覚めさせてしまったようだ。
だけど、実は私もあの悪役令嬢を演じていた時に高揚感を感じていた。
だから私はノエル様の頬に手を当て、口づけすると言った。
「ええ、分かりました。ノエル様。フフ・・可愛い方ですわね?」
「フローラ・・・様。」
ノエルはうっとりした目で私を見つめる。
きっと、私たちは夫婦になってもうまくいくだろう。
空の上では月が優しく私達を照らしていた―。
<終>