第6話 戦闘終了と森の主
ドンッと鈍い音を立てて地面に落ちたのだが何故か痛みがない。即死かと思ったけれどそしたらなんで思考しているのかという話になる。実際背中の痛みは健在だ。痛みに健在っていう表現が正しいのかは置いておいて。ということは墜落の衝撃で痛覚が飛んだということでもないのだろう。
「ギィェェェェエエエエ!!」
とんでもない声量の甲高い鳴き声に思考が止まる。
どうなっているのかわからないが、とりあえず体を起こすとなんとか動いた。声のする方を向けば脚を斬られたことで怒り狂った石像が尾を振り乱して鳴いていた。
お前、鳴くのか。石像なのに。いや、そんなことを言うとそもそも飛んでいる時点でおかしいのだけれども。というかやっぱり血出てるよな? なんで?
ワイバーンが石像を避けて俺の横に降りてくると、それに気づいてのか石像がこちらを見た。うわ、目怖。
「ギィィィイイイイ!!」
超音波か! 怒り心頭ですよね、わかります。でもお前は許さん。先に手を出したのはお前だ。人質さえいなければお前なんて怖くないんだぞ。なんでこんな自信満々なのかわからないけど。大口を開けた石像を指差せば一瞬で凍りつく。
浮力を失った石像がガシャンと落雷のような音を立てて落ちてきたせいで地面が抉れた。ああ、綺麗な石畳が。
「ばうっ!」
ワイバーンから飛び降りて駆け寄ってきたロボの頭を撫で、剣を仕舞いながらワイバーンに近づく。ワイバーンは両手を地面について子供が落ちないように背中を平らにしてくれていた。うわー、良い子。
ありがとうとワイバーンの頭を撫でて子供を確認すると、気を失ってはいるが見たかぎり大きな怪我は無さそうだ。子供を抱えて下ろして気づいたけれどワイバーンの肩から血が出ている。無理に石像の鉤爪から逃れたせいだろうか。この状態で飛んでくれていたのか。ごめんね、痛かっただろうに。
もう一度ワイバーンを撫でていると視線を感じた。なんだろうと思って視線を動かすとたくさんの人が俺たちを見ていた。ヤバイ。街中を抜身の剣を持って走り回っていたらそりゃ目立つよな。
ヒゲモジャのおじさんが近づいてきたので覚悟を決める。器物破損ってどのくらい怒られるんだろう。おじさんにバシンと腕を叩かれる。
「よくやった兄ちゃん!」
……はい?
バシバシ叩きながら満面の笑顔で褒めてくれるおじさんを皮切りに他の人も口々に褒めてくれる。お? え? あ、ありがとうございます?
困惑していると人混みをかき分けてレオとウィルが現れた。
「ユウ、だよ……な?」
レオがすごく不審そうに訊いてくる。なんで? つい20分くらい前まで一緒にいたよね?
「そうだ」
「お前その格好どうした」
格好? ウィルが指差す方を見ると武器屋の前にピカピカに磨かれた鉄の盾があった。よくわからないまま近づいて見れば、鏡のような盾になんとも不思議な黒い鎧を着た男が映る。俺と同じ子供を抱えているので、この鎧男は俺なんだな?
兜はフルフェイスメットのような形で目元がシャチのアイパッチのように白抜きされていて、縦に白いラインが入っている。鎧は父さんのものに似ている気がするが、ずっと細身でシンプルだ。腰元から垂れる布が風ではためいている。肩や脇、脚などの鎧に覆われていない布の部分も元の服とは色が違うから変わっているようだ。そういえば手袋までしている。
西洋の甲冑にも見えるけれど全体的にすっきりしているし騎馬を想定しているようには思えない。……まぁつまり俺はずいぶんファンタジーな鎧姿に様変わりしていたようだ。
「どういうことだ?」
「いや、知らんが」
ですよね。意味がわからなくて二人を見るけれど首を振られた。どういうこと?と思っていると、鎧が溶けるように崩れて顔に集まって仮面になり落ち着いた。世界樹の種子だったのか! なるほど、さっきのが鎧モードか。それで落ちても大丈夫だったのか。ありがとう、世界樹の種子。鎧一つで50メートル弱落ちても平気ってどういうことだ、万能の鎧ってそこまで万能なのか。異世界すごい。
「なんだ?」
仮面になった世界樹の種子にレオが不思議そうな顔をする。ウィルは目を細めたのでこれが何かわかったのだろう。頭を掻かれた。
「不可思議仮面だろう。それよりもグロテスクをどうにかしないと」
誤魔化した方がいいのかと迷っているとウィルの方が話を逸らしてくれた。やっぱり世界樹の種子のことはあんまり言いふらさない方が良さそうだ。ところでグロテスクってなんですか? 形容詞かと思っていたら二人は石像に近づく。その石像もしかしてってグロテスクって魔物ですか。
俺とレオたちが話している間にヒゲのおじさんが石像改めグロテスクを検分していた。レオとウィルが近づいたので場所を譲ったおじさんが俺の方に歩いてきた。ロボとワイバーンはしきりにグロテスクの匂いを嗅いでいる。
「あのグロテスクは妙だな」
「やはりか」
顔をしかめるおじさんは俺と同じようにグロテスクに違和感を感じたようだ。同意を示すと兄ちゃんも気づいていたかと腕を組んだ。
「そもそもグロテスクは東の平原の向こうの森に棲んどる魔物だ。それがワイバーンの領域までやってくるなんて滅多にない。そのうえグロテスクがワイバーンの子を拐うなんぞ只事ではないぞ」
へぇー…………その滅多にないことを引き当てたのが俺の幸運値の低さのせいだと? 悲しい。
「そういえば、怪我人はいないか? 下を気にしている余裕がなかったのだが」
「ん? ああ、大丈夫だ。あんな派手にやっていれば誰も近づかんよ」
そうなのか、良かった。そんなに派手にしていただろうか? なんにせよ巻き込まれて怪我をした人がいなくて良かった。ところでこの子供どうしたらいいんだろう。
『ユウ、終わりましたか?』
わ、びっくりした、何?
『念話です。私に向かって頭の中で話しかけてください』
念話! 父さんが言ってたやつか。えっと。
『聞こえる?』
『はい。そろそろワイバーンを解放してもよろしいですか?』
……本当にワイバーン抑えてたんだ……。
『うん。大丈夫。助けたワイバーンが怪我をしてるんだけど、手当てとかできる?』
結構ガッツリ血が出てるからこのままはちょっとな。
『承知いたしました。手当てしていただけるようにギルドの方に依頼しておきます。連れて帰ってきてください』
『わかった。あ、あと、魔法で出した氷ってどうやって消せばいいの?』
『消えろと念じれば消えますよ』
そうなんだ。えーと、消えろ? ……本当に消えた。氷の塊がさらさらと細かな粒子になって散っていくのはなかなかに綺麗だった。
あ、子供のことも聞いておけばよかったか。まぁ冒険者ギルドに帰ればなんとでもなるだろう。おじさんにお礼を言ってレオたちに近づく。
「すまない、グロテスクも気になるがワイバーンと子供の手当てをしたい。ギルドに戻ろう」
「ん。すまん! そうだな、急いで戻ろう。子供の保護者捜しもギルドで手配しよう」
声をかけるとウィルがすぐに指示を出す。気づけばギルド職員が何人も集まっていた。プラチナブロンドの人が近づいてきたので子供を任せる。鎧が仮面に戻ったときに気づいたんだけど、実は結構な量のグロテスクの血を被っていた。ちらっと確認したら、なんとか子供は血濡れにしなくて済んだようだ。
グロテスクが荷車に乗せられるのを確認して、俺はレオたちと一緒に先に帰ることになった。ロボとすっかり仲良くなったらしいワイバーンを手招きすれば素直に付いてくる。よしよし、手当てしようね。
「で、ユウ、あの首無し騎士はなんだ?」
ギルドに戻る途中ウィルに訊かれた。そりゃそうですよね。
「私の随獣だ。昔から世話に」
そこで口を塞がれる。俺の口を塞いだレオとウィルが周囲に視線を巡らせるが、ワイバーンが付いてきている俺たちの周りに人はいない。
「ちょっと待ってくれ、随獣? 冗談じゃないな?」
なぜ随獣だと冗談なのか。二人を見ると二人とも俺を見ていた。何か?
「おかしいことを言ったか?」
「いや、本当ならそれでいいんだ。しかし、随獣か……」
何やらウィルが真剣な顔をする。どうかしたのかと思っていたが、すぐに両手を上に投げ出した。
「止めたやめた。ギルマスに任せよう。私は知らん」
もしかして随獣って何か特別な申請とかいるのかな? 面倒なことにならなければいいなぁと思いながらギルドを目指す。
思っていたよりギルドから離れていたようで、ロボやワイバーンを撫でながら歩き続けると遠目に見覚えのある広場が見えた……のだが。
「あれは?」
広場の中央にこんもりとした山ができていた。
「あれは……西の森の主だ。ここらで最も強く大きい魔物だ」
ヌシ! あの山ワイバーンなのか! このワイバーンの10倍くらいないか? この子だってゾウかよって大きさなのに。
じっと見ていると山が動いた。ぬぅっと首が持ち上がりこちらを向く。目力すご! このワイバーンには逆らわない方がいいな。頑張っても勝てなさそうだ。
ヌシの翼の影からナイトが姿を見せる。見たことのない軍服の礼服のようなものを着ているが、とりあえず首が無いからナイトだろう。
「お帰りなさい」
「ただいま。傷薬は?」
「こっちで用意してるよ。チビちゃんおいで」
翼の影になっていて気づかなかったけれど、ナイトの隣にいた女性が手を上げる。ワイバーンはウィルに連れられてギルドの中に入っていった。ロボはナイトの足に体を擦り付けてただいまの挨拶をしている。
俺がナイトの横に並んでヌシを見上げると、ヌシが口を開いた。
「汝が死の主人であると?」
死? 死ってナイトのこと? ナイト魔物の中で死って扱いなの? でもこの状況的におそらくナイトのことだよね?
「はい。お初お目にかかります、西の森の主。まずは此度の無礼、お詫び申し上げます。不要な手出しで眷属に怪我を負わせてしまいました。本当に申し訳ございません」
この世界の謝罪の仕方なんて知らないのでとりあえず最敬礼する。隣でナイトが俺と同じように腰を折る気配がする。ロボは俺たちの足元で不思議そうに首を傾げている。
ふすん、と空気の抜ける音がして顔を上げよと主が言う。
「全く。真っ先に功績を誇れば尾で薙いでやるものを。その謝罪を受けよう。そしてこちらからも、我が子を助けてくれた旨、礼を言おう。感謝する」
顔を上げると今度は主が頭を下げる。え、どうしたらいいのこれ。ナイトを見ると肩を竦められた。
「西の森の主、我が主人は礼を受けます。此度の一件、これにて終い。頭をお上げください」
ナイトがそう言うとヌシがゆっくりと頭を上げる。さて、終いとは言ったけど、ナイトの主人としてではなく俺個人として謝りたい。
「西の森の主、私個人としても謝罪させていただきたい。もっと上手くやれたら良かったのですが。本当に申し訳ありません」
改めて頭を下げると、下げた視線の先に主の鼻先が滑り込んでくる。その鼻先に押されるようにして顔を上げる。
「その謝罪も受けよう。だがな、若きヒトの子。汝の働きに不足は無いと知れ。子以外の我が眷属に一つの傷も無し。十分である。汝の行動が善意であるというのは死より聞いている」
……本当にそうだろうか? 最初に違和感を感じたときに動いていればワイバーンは怪我をしていなかったのでは? それ以前に街に来るまでに魔法の練習をして制御できるようになっていれば?
眉間にシワがよるのがわかったが、ベロンとヌシに顔を舐められる。
「驕るなよヒトの子。述べたとおり十分な働きである。もっと何かしていればなどと、それこそ我が子から目を離さなければ良かったという話になる。不測の事態は起こり得る。足りるを知れ。慢心は悪であるが、卑下は更なる悪である。礼は快く受け取るものだ」
……納得していないのがバレたのだろうか。噛んで含めるようにヌシが言う。大人だなぁ。
「ありがとうございます」
「うむ」
目の前にあるヌシの顎を撫でると爆音のゴロゴロが聞けた。