10、前進
異世界に行ってしまうという大事件から数日後、ハルと竜太は図書館裏のベンチに集合した。
空気は少し冷たいが、スッキリとした青空が春の訪れを感じさせている。
「体調、もう大丈夫なの?」
「へーき」
忍の話によると竜太はあれから丸二日寝込んだらしい。
霊障とやらにも個人差があるのだそうだ。
「寒くない? 場所変える?」
「平気だって。むしろコレのせいで暑い」
竜太はホットの缶コーヒーを手で転がす。
ブラックではなくカフェオレな所が可愛らしく、ハルはココアをチビチビ飲みながら内心で笑ってしまった。
約束の時間になると竜太のスマホに着信が入る。
スピーカー通話で出ると「おつかれさま~っス」と欠伸混じりの忍の声が聞こえてきた。
この日は約束通り「説明」をしてもらう予定だった。
生憎忍は多忙らしく電話での話になるが、恩人に我が儘は言えない。
「で、あの女と子供は何。どうなったの」
「ちょっと、竜太君……」
彼の単刀直入ぶりは健在である。
慣れた様子で忍は淡々と話を進めた。
──結論から言うと、アレらはまだ消滅してないっス。つか、割りと元気。
「えぇっ!?」
「……それ、大丈夫なの?」
またあの化け物二人が現れたら今度こそ命が無いかもしれない。
ゾッとする二人に、忍は「今は俺達が預かってるから平気っスよ」と笑ってのけた。
何の根拠もないが、忍がそう言うのなら大丈夫なのかもしれない。
そう思わせるだけの余裕が感じられた。
──あの二人は元々、何の接点もない赤の他人だね。子供を求めて人をとり殺しまくった邪念の集合体みたいな女が、同じ位凶悪な子供の霊をたぶらかして連れ回った……そんな所スね。
「何その最悪なタッグ。俺そんなのに目を付けられてた訳?」
竜太は不満気に足下の雑草を蹴る。
近くの地面をつついていた鳩が音に驚いて離れていった。
──とにかく、あいつらはもう二度と外には出られない。少しずつ浄化してから逝ってもらう手筈だし、その辺は安心しなよ。
次の質問は? と言われ、二人は顔を見合わせる。
ハルがどうぞと手で促すと、竜太は迷わず疑問を口にした。
「俺達、どうして帰って来れたの。鳥居を潜ってもお参りしても戻れなかったのにさ」
これはハルが一番気になっていた質問だ。
忍は「そうだなぁ……」と言葉を選ぶように口ごもる。
──こればっかりは運が良かった、としか言えないスね。
「運、ですか?」
──あの神社の神の力だけでは、あの二体の怨霊には勝てなかった。だから道が閉ざされたままで帰れなかったんス。……お二人はあの虫みたいな生き物、視ました?
「いつもその辺這ってる、あの茶色い芋虫の事?」
お馴染みのイモ虫モドキの話になり、彼らに愛着すら感じていたハルはドキドキしながら缶を握る。
──あの虫、簡単に言うと世与の地を護る土地神様の遣いの一種なんスよ。ほら、いつも町を見回ってくれてるでしょ。……まぁ、ホントに見てるだけで基本何もしないけど。
(あの行進って、パトロールだったのか……)
無害らしいとは聞いていたが、無害どころか神の遣いだったとは──
急に有り難みが増した気がして、ハルのイモ虫モドキの好感度が急上昇した。
──理由までは分からないけど、あの虫達が良い仕事してくれたんスよ。あの虫が近くの神様方に良い口添えをして回ってくれたから、皆が力を貸してくれた。それで帰って来られたって訳。
「ふぅん」
(でも、何でそんな凄いイモムシ様が助けてくれたんだろ?)
ハルがいくら考えた所で心当たりなど思い浮かびはしなかった。
ただ「あとで近くの神社にお礼言って回りなよ」という忍の助言を重く受け止める。
ふと思い出したように、竜太が話題を変えた。
「そういえば、呪い事件の時に出た灰色のお化け。あれが助けてくれたのはどういう事か分かった? どう考えても『良いモノ』には感じられなかったんだけど」
──あーはいはい、それは竜太に話聞いて、俺なりに考えてみたっス。
あくまで想像だと前置きした上で忍は持論を述べる。
──確かにその塊は怨念の塊っスね。前より大きくなってたのも、悪いモンをどんどん吸収して成長したから。人にとって害悪に変わりはない。それでも助けてくれたってぇなら、単純に「ハルちゃんのお友達の最後の良心」が、助けに動いてくれたんじゃないスかね。
ハルは鳥居の前で大きな塊とすれ違った時を思い返す。
『ごめんね、ハル』
確かに聞こえたリナの声。
あれは、彼女が最後にハルに伝えたかった本心だと信じたかった。
「……そうかも、しれません。そうだと思いたい、です」
──そうそう。縁ってのは、良くも悪くも繋がっていく物。大事にしておいて損はないよ。お友達さんといい、虫といい、今回は『良い縁』に恵まれたって事で良いじゃないスか。
煙に巻かれたようで竜太はあまり納得してないようだが、ハルは少しばかり気持ちが晴れた。
(今、私がここに居るのは竜太君や忍さんのお陰だけじゃない。リナちゃんも、人形のお化けも、イモムシ様も、神様達も、皆のお陰だったんだ……)
それはとても幸福で尊い事に思える。
それこそ奇跡のようなものだろう。
「っていうか、忍さんは具体的には何をしてくれてたの」
──それは企業秘密スねぇ。
言うが早いか、忍は「あ、休憩終わるんでこれで」と通話を切ってしまった。
ハルと竜太はスマホを見下ろしながら同時に呟く。
「「逃げたね」」
思わぬハモりは穏やかな笑いを生む。
特に話す事もなく、飲み物を飲みながら静かな時間だけが過ぎていく。
やがて竜太が思い切ったように沈黙を破った。
「俺、宮原のじいさんが居なくなって、ずっと……寂しかったんだ。でも、霊だの怪異だのって、バタバタしてると気が紛れてさ。無事に乗り切れたらスッキリするし、宮原のじいさんを思い出せるし……」
「……うん」
彼の気持ちは何となくだが、ハルにも分かる気がした。
喉元過ぎればというやつか。
怪異に巻き込まれた後のなんとも言えない達成感に似た感覚は、彼女も嫌いではなかった。
「いつの間にか、怪異を追ってた。求めるようになってた。……でも、もう止める。追わないようにするし、出来るだけ関わらないようにする」
「……そっか……」
俯き気味な彼の横顔は無表情だったが、ハルにはどこか少し寂しそうに見えた。
今回の事で懲りたとはいえ、本心ではまだ彼本来の性格である好奇心が疼いているのだろう。
「ハルさんには凄く迷惑かけちゃったけど、これからはもう迷惑かけないから」
「そ、それは気にしないでよ」
もしかして、とハルのマイナス思考が働きだす。
(もう迷惑かけないって、それって、これからはもう会うのを控えるって事なんじゃ……)
「えっと、あの、」
「だから、これからは事件とか無くても、今までみたいに会ってくれる?」
俯いていた顔を少しだけ上げ、竜太はハルの反応を探り見る。
あどけなさの残る表情と上目遣いは、果たして計算なのか素なのか──
(……ずっっるい!)
この流れで断れる人間はそういないだろう。
ハルは動揺を隠しきれずにコクコクと頷く。
無事了承を得た竜太は「良かった」と満足げに残ったカフェオレを飲み干した。
熱くなる顔を誤魔化すように、彼女もココアに口をつける。
最後の一口が少し名残惜しい。
「……まぁハルさんなら断らないと思ったけどね」
「?」
どういう意味かと彼女は深く考えずに首を傾げる。
不思議がられるのが逆に意外だったのか、竜太はきょとんとした様子で爆弾を落とした。
「だって俺、ハルさんに好かれてるし」
「っ! げほっ──」
(竜太君はやっぱり鋭かった!)
ハルは激しくむせ返り、真顔で空き缶を弄ぶ彼から顔を逸らす。
そしてこの小生意気な少年にはこの先も絶対敵う事はないだろうと確信するのだった。
<了>




