8、助力
「もう少しだから頑張って」
「う、ん……っ」
何度か物陰に身を隠して他の化け物をやり過ごし、いつもの神社を目指す。
竜太の話によると馴染みの神社の方が縁が繋がりやすいという。
神様との縁とはどんな物なのかあまり実感が湧かないハルだったが、確かに今更見知らぬ神社で神頼みというのも気が引けた。
息を潜めて何度目かの人影をやり過ごす。
目的地が近付くにつれ、嫌な気配を醸し出す化け物が増えているような気がした。
「ウッザ……明らかに邪魔されてるよね、これ」
「うん……多いね……」
小道の先には黄色がかった白い鳥居が見える。
その短い距離の間にウヨウヨと人外達が徘徊しているのだ。
二人は民家のブロック塀に身を隠しながら様子を窺う。
それらは綺麗な人の姿をしている者もいれば、体が欠損している者、影だけの者、どう見ても人ではない肉塊など、多種多様である。
異形の者のオンパレードを前にして尚、竜太は泣き言一つ言わず考え込む。
(私にもっと体力があったら……いや、どのみち、この数が相手じゃ元気だったとしても避けて通るのは無理だ……)
いっそ自分が囮になって竜太だけでも逃がそうかと考えるが、彼が了承する未来が思い浮かばない。
「ハルさん、囮以外で何か良い案はある?」
「……ない、かな」
「だよね」
(やっとここまで来たのに……!)
悔しさを滲ませつつ、二人は無言で鳥居を見つめた。
ゾワリ。
突如として全身の毛穴が広がるような拒絶反応が起こる。
あまりの禍々しさに耐えきれず、ハルはその場で嘔吐した。
竜太は黙ってハルを支えるが、その顔には脂汗が流れている。
(な、何が来たの……!?)
それは二人の前をウゴウゴと蠢きながら音もなく通過していった。
三メートル近くはあろう黒に近い灰色の塊だ。
目がどこにあるかは分からないが、上からならばハル達の姿は丸見えだろう。
しかしその大きな塊は二人に関心を持たず小道に進入していく。
ボコボコと内面から波打つ生々しい質感。
尾を引く強烈な腐敗臭。
あまりにも気持ち悪いそれは凄まじい存在感を放っている。
小道に蔓延っていた化け物達ですら恐れをなして散り散りに逃げ去っていく程だ。
「……あれって……」
何かに気付いた竜太が言い淀む。
大きな塊はまだ残る人影を追うようにモゴモゴと移動している。
あっという間に小道には塊以外の化け物は居なくなってしまった。
鳥居を目指すなら今しかない。
「……行くよ、ハルさん」
「え。でも、あのデカいのがまだ……」
「多分、平気。あんま動きは早くないみたいだし」
グイグイと右手を引っ張られ、ハルは戸惑いながらも道に出る。
塊は神社の階段の前に山のようにそびえ立っていた。
臭気が鼻をつく。
(いや怖い怖い怖い無理っ!)
竜太は大胆にも塊に向かって駆け足気味に近付いていく。
嫌悪感は彼も同じだろうに、一体なぜそこまで動けるのだろうか。
半ば引きずられるようにハルも塊に接近する。
このままではぶつかると思った矢先、塊はススッと道を譲るように後ろへ下がった。
(嘘、何で……!?)
竜太は脇目も振らずに階段を駆け上がる。
ハルもヒヤヒヤしながら足元だけを見て塊とすれ違った。
『────、──』
「──え?」
手を引かれている為振り返る事が出来ない。
耳に残る小さな声は、確かにリナのものだった。
「リナ、ちゃ……」
「ハルさん早く! 別のが来てる!」
短い階段はすぐに登りきってしまうが、竜太は鳥居をくぐり抜けた後も止まらずに拝殿まで走る。
大きな塊に気を取られ過ぎていた。
いつの間にか別の嫌な気配がこちらに向かって来ていると本能が告げている。
(さっきの、白髪の女だ!)
そういえば鳥居をくぐったのに何も起きなかったと遅れて気付く。
「チッ……やっぱそう上手くはいかないか」
竜太は賽銭箱の前で鈴緒を揺らし、手早く参拝する。
ハルも見よう見まねでガラガラと本坪鈴を鳴らした。
(お願いします、私達を元の世界に帰して下さい! 助けて下さい!)
作法も何もあったものではない。
執拗に纏わりつく嫌な気配は、もう鳥居の近くまで迫っていた。
あの大きな灰色の塊はどうしてしまったのだろうか。
『逃げ る なんて、本 当に悪いコねぇ 竜太ぁァぁ?』
階段の下から声が聞こえ始める。
風が吹いた訳でもないのに木々がざわめきだす。
悪い予感しかしない。
拝殿全体がギシギシと揺れ、固定されている賽銭箱もガタガタと音を立てた。
『おいて くぅ、なんてぇ ヒド イよぉぉお 姉ちゃぁぁ んん』
(やだ嘘、何であの子まで連れて来ちゃったの!?)
階段から姿を見せた白髪の女は、顔の無い少年の手を引いていた。
あの少年は病院の外まで追って来る事はなかった。
恐らく一人では外に出られない子供だったのだろう。
余計な事をしてくれたものである。
人の姿をした二体の化け物はじわりじわりと音もなく距離を詰めてくる。
元の世界に帰れそうな変化は何も起こらない。
とうとうハルは拝殿の前で座り込んでしまった。
「……りゅ、た君、に、逃げて……っ」
もう一歩も動けない。
恐怖でカチカチと歯が鳴るのが自分でも分かった。
(さっきも吐いちゃったし、竜太君には最後の最後までカッコ悪い所ばっかり見られちゃったなぁ……)
せめて泣き顔だけは見せまいと俯くと、竜太に頭ごと抱きしめられた。
いつもの彼女なら慌てふためく所だが、今回ばかりはそうもいかない。
「ごめんね、ハルさん」
「……?」
「巻き込んじゃったの、多分俺のせいだから」
頭上の声がくぐもって聞こえる。
ハルは返事の代わりに彼の背中に手を伸ばした。
(そんな事、気にしなくて良いのに……)
化け物との距離はもう四、五メートルも無いだろう。
「……お願い、します。この子、ハルさんだけでも、帰して……」
ケタケタと笑う不快な二重音声が神聖であるべき境内を穢していく。
「……竜太君。良いよ。もう、良いよ……」
「お願いします! ハルさんだけでも助けて!」
今までの彼からは想像もつかない悲痛な叫びに、我慢していた涙が溢れる。
「やだ。竜太君と、一緒がいい……」
「……バカじゃないの」
痛い位に抱きしめられ、その遠慮のなさにハルは思わず笑ってしまう。
すると突然、周囲の空気がガラリと変わった。
アぁァギャアァア゛アァぁァイィャアア゛ァぁァァ──!!
「!?」
鼓膜が破れんばかりの悲鳴がハル達の耳をつんざく。
大絶叫に慄きながら顔を上げると、女と少年がのたうち回ってもがき苦しんでいた。
二人の表皮はドロドロとケロイド状に溶けていき、肉の焦げるような臭いが辺りに立ちこめる。
あまりにも凄惨な光景を目の当たりにしたハルと竜太は瞬きを忘れて固まった。
(何が起きてるの……?)
ふと地面に目を落とすと、いつの間にかハル達の周りを茶色いイモ虫モドキが取り囲んでいた。
つぶらな緑色の瞳と目が合う。
(このイモムシ、町でよく見かける子達だ……!)
何故ここに、と思うより早くイモ虫モドキの囲む地面が白く光りだし、二人の体も光に包まれる。
あまりの眩しさに目を開けていられない。
(眩し……何、が……)
クラリと体から力が抜けるが、彼女は意地でも背中に回した手だけは離さなかった。




