6、反抗期(竜太side)
冷静さを取り戻した息子の姿に安心したのか、母はホッとしたような表情を浮かべる。
「ごめんね。分かってくれれば良いの。……あなただけでも逃げ延びて」
「……けど、」
「お願い、竜太。母さんはあなたが、あなただけが大事なの。さぁ、早く。この道を真っ直ぐ行けば、神社はすぐそこよ。この世界から出られるから……」
話をしている間に随分と歩いていたらしい。
本来予定に無かった神社までかなり近付いていた。
このままでは母の言う通りにハルを見捨てて帰る事になってしまう。
(……いや、違う。それはおかしい)
話をしている間、自分は本当に歩いていただろうか。
あやふやな記憶だが、自分は確かに足を止めていた筈だ。
それがいつの間にか歩いてここまで来ている。
無意識の行動というにはあまりにも不自然だった。
「竜太、どうしたの? 大丈夫?」
「………………お前、母さんじゃないだろ」
刹那。
パッと電気を消したように世界から色が消えた。
真っ暗だ。
周りはおろか自身の手元さえ見えない。
(……これ、今暗くなったんじゃないな。一体いつからだ? くそっ……)
正確には「今まで何も見えていなかった事」に、たった今気が付いたといった所だろう。
頭痛の名残はあったが惑わされていた時とはうって変わって意識はハッキリとしている。
(どこだ、ここ。何も視えない)
してやられた、と彼は唇を噛む。
よりによって一番嫌な手に引っかかってしまった。
(落ち着け。奴の目的は俺。子供の方はハルさんの方に行ってるだろうけど、今は下手に動けない)
『竜太。どうして母さんの言う事が聞けないの? 悪い子ねぇ』
彼の脳内に泣きたくなる程優しい声が響く。
母の声だ。
それを聞いた途端、折角持ち直した意識がまた鈍り始める。
『お願い、竜太。これ以上、母さんに心配をかけさせないで』
額にじわりと冷や汗が浮かぶのを感じるが、上手く体が動かず拭うことさえままならない。
(どうする……こんな時は……)
『さぁ早く、母さんの声の方に来て。子供は、大人しく親の言う事を聞くものよ。さぁ、さぁ』
ずっと聞きたかった母の声が、今は耳障りでしかない。
聞きたくないのに耳を塞ぐ気になれないのが腹立たしい。
竜太は怒りを全面に声を振り絞る。
「お前が、母さん、を……騙るな……っ!」
『酷い事を言うのね。私はあなたの母さんよ。あなたがこっちに来てくれさえすれば、ね』
狂ったような笑い声が反響する。
その声は地を這うように低く、母の声とはまるで違うものだ。
「くっそババア」
止まぬ笑い声に悪態をつく。
もはや自分が歩いているのか立ち止まっているのかさえ分からない。
彼はこのまま暗闇の世界に溶け込んでしまうような錯覚に陥っていた。
(これは、本当にまずい。こんな時、宮原のじいさんならどうしたかな……)
この期に及んでまだ源一郎に縋ってしまう自分に嫌気がさす。
結局自分は一人では何も出来ない、ヒーローに憧れるだけのただの子供に過ぎなかったのだ。
自嘲する竜太を「観念した」と受け取ったのか、母を騙る女が歓喜の声を上げる。
『あぁ、良い子よ、竜太。このまま真っ直ぐ来て。そうしたら、母さんとずうっと一緒にいられるから。もう寂しくないからね』
聞こえている声が母のものなのか、別人のものなのかすら分からなくなっていく。
(もう寂しくない、か……)
意識が遠のくのをゆっくりと自覚する。
迫り来る自分の死に抗う事が出来ない。
(宮原のじいさん……ハル、さん……)
「竜太君!」
悲鳴に近い呼びかけが耳に届くと共に、下品な女の舌打ちが聞こえた気がした。
竜太はガバッと腰元を抱え込まれ、後ろへと引き倒される。
(痛ー……眩し……)
五感を取り戻したのかぶつけた肩と肘が痛み、黄色い雲と空が眩しく広がる。
帰ってきた、とはまた違うが、ひとまず暗闇の世界からは脱したようだ。
地面とは違う背中の感触に気付き、竜太はすぐにゴロリと体を退かす。
そこには下敷きになったまま肩で息を切らすハルが倒れこんでいた。
思い切り潰してしまった罪悪感が彼を襲う。
「……ハルさん、大丈夫?」
ハルはそれに答えず、両手で顔を覆って嗚咽を漏らす。
「りゅ、竜、太君がっ、落ち……死ん、じゃ、っと……思っ……」
それ以上は言葉にならない。
ヒーッと泣くハルを抱き起こし、竜太はグルリと周りを確認する。
ボタボタと上着に落ちる雫から目を背け、彼はひたすら状況把握に努めた。
場所はどこかの大きな駐車場の最上階のようだ。
この広さで思い当たるのはショッピングモールの駐車場位である。
どっしりとした高めの壁には何度も擦った足跡のようなものが付いていた。
自分の靴跡だろうと彼は推察する。
あのまま女の言いなりになっていたら壁を乗り越えて落下死していたに違いない。
正面には血塗れの衣服を着た女性が宙に浮いている。
目は窪み、白髪混じりのボサボサ頭をした肌色の悪い中年女性だ。
忌々しげにハルと竜太を睨み付けているが動く気配はない。
あまりの醜悪な様相に彼は顔をしかめる。
「こんな汚いババアに騙されてたとはね」
「……?」
「こっちの話」
竜太は胸元から忍の御守りを取り出す。
それは手にした瞬間にボロボロと崩れ落ちてしまった。
息を飲むハルの手を引いて無理矢理立たせる。
「逃げるよ、ハルさん」
女はブツブツと恨み言を呟き、駐車場の下り坂を駆け降りる二人を見下ろしている。
動きが無いとはいえ簡単に逃がしてはくれないらしい。
ズキリと激しい頭痛が二人を襲う。
危機的状況にも関わらず、頭を押さえる動作が被った事で二人はどちらともなく笑ってしまった。
「……ありがと。もう大丈夫だから」
「う、うん」
繋いだ手を離さないよう強く握り直し、竜太は神社までの最短距離を頭の中で捻出する。
グルグルと螺旋状に駆け降りる内に頭痛は和らいでいった。
上空を見上げると女は相変わらず浮いたままで、小さな何かと相対しているようだった。
女が身じろぐ度に小さな何かはスゥと動く。
視界に入れなくてもピリピリとした嫌な気配が伝わってきていた。
(何アレ……覆面の生首? ……まさかね)
こんなに緊迫した場面で少し前に流行った芸人の覆面生首など、場違いにも程がある。
きっと見間違いだろう。
女は飛び回るソレを煩わしそうに振り払う動作をしている。
女の意識がソレに向けば向く程頭痛は引いていった。
(……やっぱり、覆面だよなぁ)
彼には覆面に助けられる覚えはない。
だとしたらハルの方か──
深く考えるのは止め、竜太はハルと共に駐車場を後にした。




