6、自覚
北本のツテでどうにか大場実颯を駅前に呼び出す事に成功する。
ハルと竜太、桜木の三名は何を話すでもなく駅前に立ち尽くし、大場の到着を待つ。
北本と大和田は竜太によって半ば強引に帰宅させられた。
始めは渋った彼女達だったが「危険かもよ」と真顔で言われれば引き下がるしかない。
「後でちゃんと説明してよね!」と約束させられ、ハルはまだ何も解決していないにも関わらずどう説明すれば良いのかと頭を捻った。
駅やコンビニの明かりのおかげで暗さは全く感じないが、空はすっかり夜の色に染まっている。
近場の駐輪場の外灯がチカチカと点滅し、ハルの心は急き立てられるようで落ち着かない。
というのも、ここまで来て尚竜太は作戦らしい話を何一つとして明かさないからである。
(竜太君は大場さんに何を話すつもりなの……?)
桜木もそわそわと不安そうに改札の方を見つめている。
彼としても、今更元彼女と何を話せば良いのか考えがまとまらないのだろう。
やがて桜木が「あ」と溢した事で、大場がやって来た事を察知する。
ハルが顔を上げると、先日会ったばかりの気の強そうな女子がこちらに向かって歩いて来る所だった。
(やっぱり、彼女が大場さんだったのか……)
大場は桜木の近くにいるハルの姿を捉えるやいなや、肩をいからせ、ポニーテールを揺らしながらズンズンと足早にやって来る。
眉をつり上げる怒りに満ちた形相は嫌でも身体を乗っ取られた時の事を思い起こさせる。
「急に呼び出したと思ったら何!? なんでこの女が陸斗と一緒にいる訳!?」
周りの目などお構いなしに怒鳴り出す大場の剣幕に、ハルは反射的に縮こまった。
彼女の背後から黒い影がウゾウゾと浮かび上がってくる。
(この前と同じヤツだ。これが、生霊……!)
ハルだけでなく、桜木も息を呑み身を強ばらせた。
黒い影は「こんなの間違い、こいつは違う、違う」と唸るように繰り返している。
突然、竜太は右手を伸ばし、ぐいっとハルの肩を抱いた。
場違いな行動にその場にいた全員が固まる。
特に大場は竜太が居た事にすら気付いていなかったようで、口をパクパクとさせたまま言葉を失っている。
「急に呼び出してしまってすみません。実は俺、ハルさんと付き合ってます」
「!?」
「えぇ!? マジで!?」
淡々と話す竜太の声が近い。
逆に桜木の大声がやけに遠く感じる。
解決する為の方便だとすぐに気付いたハルだったが、あまりにも心臓に悪い作戦である。
(や、近い、近い、まずい! 血が沸騰して死ぬ……!)
身の危険を感じて体を捩らせるが、より強く肩を抱き寄せられてしまう。
前髪が竜太の髪に触れるのを感じ、ハルはギュッと目を瞑って羞恥に耐えた。
「……俺、年下だし、彼女もこの通り恥ずかしがりやなので周りには隠してたんです。でもお姉さんが、このお兄さんとハルさんの仲を疑ってるって聞いて、どうしても誤解を解きたくて呼び出してしまいました」
考える暇を与えない竜太の口振りに、ペースを崩された大場はすっかり狼狽えている。
「あ、いや」だの「そうだったの」だのと口ごもり、やけにしおらしい。
竜太が「今日は来てくれてありがとうございました」と頭を下げる頃には背後の黒い影は完全に姿を消していた。
(すごい……けど、生霊の件は良いとして……問題は……)
依然として抱き寄せられたままのハルは鈍った思考回路を必死に巡らせる。
桜木の様子を見ると、彼は「マジか……そうだったのか……」とよろめきながら額を押さえていた。
(いやいや、なんで桜木君まで騙されちゃうかなぁ……)
彼の単純さ、もとい素直さに呆れていると、竜太も同じ思いだったのか白けた目で桜木を見上げていた。
桜木の演技抜きの驚き方が真実味を帯びていたのか、大場はすんなりと頭を下げる。
「ごめんなさい、宮原さん。私、知らなかったとはいえ、酷いことばかり言っちゃって……」
「い、いえ……」
激情型だが、根はそこまで悪い人ではないのかもしれない。
何にせよハルとしてはもう関わらないで貰えればそれで良かった。
複雑な思いで謝罪を受け入れていると掴まれていた肩が解放され、今度は左手を握られる。
「ハルさんとそのお兄さんはただの友人らしいので、誤解さえ解けたんならもう良いです。……それでは」
それだけ言うと竜太は「帰ろう、ハルさん」と手を引いた。
優しげな口調とは裏腹に、有無を言わさぬ冷たい目つきと迷いない行動。
ハルは桜木と大場を交互に見ながら引っ張られるように歩き出す。
(ちょ、ちょっと待って。このまま帰ったら、残された桜木君はどうするの……!?)
このまま彼だけを置いて帰る訳にはいかない。
ハルは桜木とすれ違い様に立ち止まろうとする。
しかし竜太は止まる事を許さず、タオルを巻いた左手でトンッと桜木の背中を叩いた。
「お兄さん、後はちゃんとケジメつけなよ」
「!」
それは小さな声だったが、確かに届いたらしい。
自分のやるべき事に気付いたのか、話すべき言葉が決まったのか──
桜木は何かを決意したように神妙に頷く。
「じゃ、俺達はここで失礼します」
「えと……それじゃ……」
ここから先の話は桜木と大場、二人の問題だ。
桜木の事はかなり心配だったが、これ以上自分達が踏み入る事は出来そうにない。
竜太に痛い位に引っ張られたまま、ハルは駅を後にするのだった。
桜木は夜道に消えていく二人の姿を苦々しく見送り、大場に向き直る。
改めて見ると記憶の中の彼女よりも随分と大人びて見えた。
「あー、あのさ……」
根本的な解決はまだこれからである。
全ては自分の今後の対応にかかっているのだ。
桜木は誠心誠意で大場と向き合おうと、大きく息を吸った。
「一人で大丈夫かなぁ……桜木君……」
「さあ? でも、お兄さんがはっきり言って終わらせないと、あのお姉さんだって変われないんじゃない?」
既に手を離した二人は人一人分空けて歩く。
薄い雲のかかった月が心許ない輝きを放っている。
(うーん、恋愛って大変なんだなぁ……)
巻き込まれておきながら、ハルは他人事のように桜木に同情した。
ふと竜太が左手を隠すように歩いているのが目に入る。
「……また、助けて貰っちゃったね。……ありがとう」
「大した事してない」
沈黙の多い会話だが、それがどこか心地よい。
遠くで火の用心の拍子木の音が聞こえる。
「怪我までさせちゃって、ごめんなさい。……本当に大丈夫?」
「動くし、利き手じゃないから問題ない」
(そういう問題じゃないと思うんだけどなぁ)
ずれた返答に苦笑していると、竜太は長いため息を吐いた。
「悪いけど、あのお兄さんの誤解を解くのはハルさんに任せる。ごめん」
「え!? あ、うん、それは平気……」
そういえば桜木はハルと竜太が交際していると信じてしまったのだ。
説明は多少面倒ではあるが特に困るという程でもない。
しかし竜太はぎこちなく視線をさ迷わせている。
「もし大場って人が噂を広めて困るようなら、テキトーに俺とは別れたとでも言っておけば良いよ」
「? どういう事?」
「もしハルさんに好きな人がいるなら、俺邪魔でしょって話」
「すっ!?」
まさか自分にそんな浮いた話がある筈ない。
そう思うと同時に、彼女の心にピッタリと当てはまる「大きな心当たり」があった。
このすぐ隣を歩く無愛想な少年の事だ。
いつも恐ろしい怪異から救い出してくれる彼──
近くに居るだけで顔が熱くなるのは何故なのか──
今も走った後のように心臓が煩いという事実──
(……私、もしかして、もしかしなくても、竜太君のことが、好き……なの……?)
自覚してしまうとどんどん感情が溢れ出てくる。
初めての感情についていけなかった心臓が意思に反してドクドクと騒ぎだす。
(どうしよう、何かもう、まともに竜太君の顔を見て話せない……!)
真っ赤になって顔を伏せるハルを尻目に、竜太は無表情で空を見上げる。
その後は結局、彼女の家に着くまで二人の会話は途切れたままであった。
翌日、桜木から大場とは両者納得の上で別れる事が出来たと知らされる。
破局を大場がどう受け止めているかは知るよしも無いが、少なくとも彼女の嫉妬がハルに向く事は無さそうだった。
竜太の方便による誤解もあっさりと解け、ハルとしてはこの生霊事件は大団円である。
……ただ一つの心境の変化を除いて。