4、成り代わり
その翌日。
ハルの様子は相変わらずであった。
一晩経てば元に戻っているのではという友人達の望みは容易く消えた。
「ねぇ、ハル、どうしちゃったの!? ねぇってばぁ!」
どれだけ声をかけても反応しないやり取りに、周囲は喧嘩でもしていると思ったのか遠巻きに様子を探り、聞き耳を立てている。
好奇の視線が気に入らない大和田と志木はついに教室内で声をかける事を止めた。
半日経った頃、小さな変化が訪れる。
休み時間に桜木がダメ元で声をかけた時、ハルの唇がほんの少しだけ弧を描いたのだ。
その笑んだ表情はハルではない別人のようで薄気味悪い。
僅かな変化に希望を見出だした北本がハルの肩を揺すったが、彼女はすぐに無表情に戻ってしまった。
放課後になると、ハルは昨日と同様に音も立てず教室を出ていく。
声をかける隙もない。
「……どうする?」
「どうって言われても……」
戸惑う北本と大和田の背を桜木が軽く叩いた。
「宮原と、一度ちゃんと話してみようぜ。このまま何もしなかったら何も変わんねぇ」
「そう、だね。このままハルまで居なくなったりしたら、イヤだもん」
北本は胸の前で手を握りしめる。
補習で呼び出されている志木を除いた、北本と大和田、桜木の三名がハルの後を追う。
「ちょっとハルってばぁ、待ってよぉー」
引き止める友人の声など全く聞こえていない様子で、彼女はスタスタと足早に校門を通過する。
何とか追い付いた三人だったが策は無い。
足を止めない彼女にどう接すればよいのか。
三人は互いに顔を見合わせた。
その時だ。
学校から程近い信号の前で、北本は「あっ」と目を瞬かせる。
その視線の先にはコートを着用した制服姿の中学生──竜太が立っていた。
「こないだの霊感少年君!」
「……俺、霊感ない」
ジト目で否定する竜太に向かって北本が駆け寄る。
大和田と桜木はハルに付き添いながら「誰?」と首を傾げた。
「お願い、ハルを何とかして! 昨日からずっと変なの!」
懇願する北本の横をハルは一瞥もくれずに通り過ぎる。
竜太はすれ違い様に彼女の右手首を掴んだ。
バチッ
八木崎の時と同じようにバチリと静電気のような音と衝撃が起こる。
竜太と桜木の目には、ハルの口から飛び出てきた黒い何かが「触れるな」と言わんばかりに手を弾いたように視えた。
すぐに引っ込んでしまった為、正体までは分からない。
彼は痛みに顔を顰めたものの、手を離す事なく睨み付けた。
「ハルさん、何してるの」
「…………」
ハルは何も言わず、一歩足を踏み出した格好のまま立ち止まっている。
今までに無い展開だ。
北本達は固唾を呑んでなり行きを見守るしかない。
竜太は掴む手に力を込め、静かな口調で再度問いかける。
「……お前、誰?」
その言葉を聞いた途端、彼女はクルリと首を真横に向けて口を開いた。
「宮原ハルです」
「ひっ」
北本が小さく悲鳴を上げる。
その双眼はくわっと限界まで見開かれ、瞬き一つせず竜太を見つめていた。
声もハルのようだがどこか機械じみて聞こえ、一同は茫然と立ち尽くす。
「違うよね。誰」
「宮原ハルです」
「嘘つくな。誰」
数回の押し問答の後、竜太は面倒くさ気に肩を竦めた。
「じゃあ、ちょっと付き合ってよ。ハルさんなら、断らないよね」
竜太は腕の抵抗力が弱まるのを感じ、そっと手を離す。
「こっち」と歩き出す彼の後を、彼女は大人しく付いていく。
我に返り、慌てて声をかけたのは桜木だった。
「ま、待てよ、宮原は大丈夫なのか!?」
「知らない」
「はぁ!?」
あまりにも堂々とした返答に、三人はポカンと口を開ける。
呆れる一方で「それでも出来る事をやるしかない」と言い放つ竜太の態度には妙な頼もしさがあった。
桜木は去ろうとする竜太に声を張り上げる。
「俺も行く! 宮原が心配なんだ!」
「あ、アタシも行く」
「私も!」
付いて行く気満々の三人を、彼は「ヤダ」の一言で一蹴する。
「来られても邪魔」と取りつく島もない生意気な少年に、大和田の顔がみるみる赤くなっていく。
北本と桜木が取りなした上で尚も食い下がると、漸く竜太は「好きにすれば」と嫌そうに吐き捨てるのだった。
移動した先はいつもの小さな神社だった。
鳥居の前に着いた途端、ハルの足がピタリと止まる。
どうやらこの先に進むのを拒んでいるらしい。
「へぇ。いっちょ前に『自分が悪い物』って分かってるんだね」
どういう事かと不思議がる三人を無視して、竜太は「ここで良いや」と妥協した様子で鞄を漁り始めた。
この場に初めて訪れる桜木と大和田は物珍し気に辺りを見回す。
夕方と言うにはまだ少し早い時間帯だったが、相変わらずひと気の無い道である。
白い鳥居が曇り空に同化しているようで、やけに寂しげな場所に感じられた。
竜太は鳥居を背にして立つとハルの双眼を正面から見据える。
「ねぇ。お前、本当は誰」
「宮原ハルです」
「ハルさんはそんなつまんない反応しないよ」
「宮原ハルです」
一切の変化なくレコーダーのように繰り返す気持ちの悪い光景に、自然と北本と大和田は身を寄せあう。
桜木は言葉を失いながらも祈るような思いでハルの横顔を見つめ続けた。
「そっか。……あんた、そんなにハルさんになりたかったんだ?」
見下した視線を送られた彼女は、目を見開いたまま満面の笑みを浮かべた。
『悪い?』
「…………は?」
桜木の体がギクリと強張る。
ハルの声ではない、全く別の若い女性の声だった。
別人の声に動じる事なく、竜太は挑発するように鼻で笑う。
「あんたみたいのがハルさんになれる訳ないじゃん。馬鹿なの?」
ハルの顔がクシャリと歪む。
彼女は怒りとも悲しみともつかない複雑な表情で唇をわなつかせ始めた。
『違……私、わたし……ただ、違う……ちが、違うの、』
「自分は自分でしょ」
言うが早いか竜太は鞄に手を突っ込み、用意していた粗塩を勢いよくハルの胸元に投げつけた。
動揺していた彼女の反応は遅れ、もろに塩を浴びてしまう。
『アァぁギぃあぁァあァぁ──っ!』
辺りに女の絶叫が響き渡る。
目に入った訳でもないのに、その苦しみ方は尋常ではない。
竜太は素早く右手でハルの肩を掴むと、左手で彼女の口からはみ出している黒い何かを捕まえた。
もがき苦しむ彼女を押さえつけ、力任せに黒いモノを引き抜く。
『アガ、がァぁ……』
北本と大和田には手足を痙攣させて苦しむハル以外何も視えなかったが、桜木には全てが視えていた。
ズルリと引き抜かれているものは墨で塗ったように真っ黒な女性の右腕だった。
竜太は肩を押さえ込んだまま女の腕を引きずり出す。
どう考えてもハルの小さな口から人間サイズの物が出られる筈がない。
衝撃的な光景をすぐには受け入れられず、桜木の呼吸が荒くなっていく。
竜太が発狂寸前の彼を怒鳴りつけた。
「お兄さん、塩かけて! 俺の鞄の!」
「え? あ、お、おぉ……」
桜木は震える太腿を叩いて無理やり足を動かすと、地面に落ちた竜太の鞄を拾い上げる。
鞄にはビニール袋に入れられた粗塩の袋があり、少し溢れていたものの問題なく鷲掴む事が出来た。
「かけるって、ど、どこに、」
「こいつに!」
急き立てられるがまま、ハルの口から出る黒い何者かに塩を浴びせる。
その女はもう胸の辺りまで出てきていた。
長い髪で顔は見えない。
真っ黒な為に確証は持てないが、服の形は世与高校の制服のように見受けられた。
もう少しでハルの体から追い出せると思った桜木は竜太を手伝おうと手を伸ばす。
「触んな! いいから、お兄さんは塩!」
「! お、おぉ」
強い口調に押され、桜木は幾度となく塩を投げつける。
その度に女は悲鳴を上げ、ハルの体から引き出されていった。
パキパキッと小さな音がして、北本が悲鳴を上げる。
「やだ、ちょっと少年君、血! 血!」
「どうなってんの!? 大丈夫!?」
女を掴む竜太の左手の爪が割れていた。
手のひらも切れているらしく、血がポタポタとアスファルトに落ちる。
女は膝の当たりまで出てきており、もう抵抗する様子は見られない。
ただグッタリと引きずり出されるがままになっていた。




