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内気少女の怪奇な日常 ~世与町青春物語~  作者: 彩葉
十三章、メリークリスマス

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4、這い寄る

 バスで南世与駅に向かい、そこでまた乗換える。

竜太は「けやきの原第一公園停留所で降りる」とだけ言ってぼんやりと窓の外を眺めるだけだ。

ハルは見慣れない風景が流れていくのを落ち着きなく見送る。


「……毎年、」


「え?」


 竜太は隣に座っていなければ聞き取れない程小さな声で話し始めた。


「……宮原のじいさんと過ごしてた。……クリスマスも、正月も」


「そう、だったの?」


 そこまで仲が良かったのかと驚くと同時に悲しくなる。

いつも以上に祖父不孝者の自分が情けなく思え、彼女はしおしおと項垂れた。


「……おじいちゃんと仲良くしてくれて、ありがとう。私……」


「別に、それはいい。……でも、今年は……宮原のじいさんがいない」


 彼は一拍置いて、窓の外を向いたまま呟く。


「今年は、一人だと思ってた」


(竜太君……)


 家族は? などと聞ける程無神経ではない。

彼にも色々な事情があるのだろう。

いつも一人で町をさ迷う彼を今日だけでも一人にせずに済んだ事に、ハルは少しだけホッとした。



 けやきの原第一公園はハルも名前だけは知っている大きな公園である。

季節によってはバラ祭りなども催されるらしいが、冬真っ只中な今はあまり人がいない。

バスを降りた二人はすぐ目の前の公園入り口で佇む。


「ここ、宮原のじいさんが好きだった場所の一つ。よくゲートボールとか太極拳しに来てた。下手くそだったけど」


「へぇ……そうだったんだ……」


 ザリッと固い地面を踏みしめる。

周囲にはちらほら建つ民家以外、だだっ広い駐車場と空き地しかない。


(静かな所……そっか、ここが、おじいちゃんの……)


 この場所を祖父が気に入っていたのかと思うと感慨深い。

澄み渡る冬の青空を見上げながら、彼女は祖父に会いたい気持ちを募らせた。


「ここ、落ち着いてて良い所だね」


 気に入ったと穏やかに話すハルの言葉を受け、竜太の口角が少しだけ上がる。


「池、行く? 魚いるけど」


「う、うん、行ってみたい」


 さっさと歩き出す竜太に慌てて駆け寄ると、彼ははっきりと歩く速度を落とした。

並んで歩いて良いのだという無言の許可と受け取り、彼女の表情はだらしなく緩む。


(やっぱり、追いかけるばっかじゃなくて、隣を歩ける方が嬉しいなぁ)


 遊歩道は見通しがよく、広くて長い。

時折ジョギングしている人や犬を連れた人が行き交っている。

枝ばかりの木々は寂しいが、葉があればかなり見映えの良い風景だろう。


 ハルはチラリと右隣を歩く無愛想な顔を盗み見た。


(あれ? また前より……)


「竜太君、背、伸びた?」


「……そりゃ成長期だし、多少は伸びるでしょ」


 鏡事件の時は同じ位かそこらだった彼の背は、少しだが間違いなくハルの背を越していた。


「何センチ?」


「…………一六四……」


 竜太は口を尖らせながら足元の小枝を蹴飛ばす。

その仕草が相変わらず子供らしく見えてしまい、どうしても笑ってしまう。

たまに見るこれは拗ねた時や照れた時の彼のくせなのだろう。

文句言いたげな竜太にハルが平謝りしていると、和やかな空気が一転した。


 ゾワリ。


(──何!?)


 意思とは関係なく、強制的に全身の毛穴を押し広げられる感覚がハルを襲った。

突如として命の危険にさらされたようなプレッシャーに体が重くなる。

足が上手く動かない。

混乱しながら竜太を見ると、彼は額にじわりと汗を浮かべて表情を殺していた。

彼も同じような感覚に襲われているのだとすぐに理解する。


(嫌な感じは……後ろから……)


 二人は平静を装って歩き続ける。


──ぺた…………ぺた…………ぺた…………


 背後から足音が聞こえ始めた。

()()はゆっくりと近付いて来ている。

空気がネットリと絡み付くような嫌な感触が背中を中心に皮膚を刺激する。

これは恐らく近寄る何かの「視線」なのだろう。


(視線が、痛い……それに、胸の辺りがグルグルする……気持ち悪い……)


──ぺた…………ぺた…………ぺた…………



──ぺた……ぺた……ぺた……



──ぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたっ……


(ひぃっ!?)


 いきなり距離を詰めてきたそれに、危うく悲鳴を上げかける。


「……今日は雲がないね。晴れて良かったね」


「そ、そうだね。いい天気、だね」


 ハルは空を仰ぐ竜太の対応の上手さに感心した。

二人で空を見上げながらゆっくりと歩く。

近寄ってきた肌色の何かは二人の周りを四つん這いでカサカサと這い回っていた。

あのまま視線を地面に向けていたら目が合っていたかもしれない。


「……そういや、向こうのイチョウの木。昔、宮原のじいさんに手伝って貰って登った事ある。後で公園の人にバレて怒られたけど」


「へ、へぇー。ヤンチャな話だね……」


 ぺたぺたと素早く動き回る何かのせいで話が頭に入ってこない。

竜太が息苦しそうに顔をしかめた。


──ぺた……ぺた……


 何者かはひとしきりハル達の周りを回ると二人を追い越して進んで行った。


(うわっ……!)


 その姿を捉えたハルの背筋が凍りつく。

それは一見、四肢を振り回すように四つん這いで動く全裸の女に見えた。

しかし体の構造が人間離れしているのだ。


 髪を振り乱した女は首と体が前後逆に付いている。

胸の先端に突起部はなく、ただの二つの膨らみが上に付いていた。

下半身もただ足が枝分かれしているだけで前後がなく、局部もない。

ブリッジしているような体だが膝は四つん這いのように地面についていた。


(なにあれ……絶対ヤバい……!)


 それは四つん這いにしろブリッジにしろ、人間ではあり得ないようなスピードで動き回っている。

突然、少し離れた筈の()()が、くるぅりとハル達を振り返った。


(うそ、何で!?)


 次の行動が全く読めない。

生理的に受け付けない容姿と行動。

体が否応なしにカタカタと震える。

見たくもないのに嫌でも視界に入ってくる女の顔は、目と目が異様に離れており、黒目しかなかった。


(む、ムリ……)


 失禁しそうになる程の恐怖と嫌悪感。

女はカサカサと大きく蛇行しながら竜太の前に寄ってきた。


(やだ、そっち……!?)


 このままぶつかる訳にはいかない。

足を止めるか、引き返すか──

どちらを選んでも視えている事がバレてしまうだろう。

考える余裕もなく、ハルは咄嗟に竜太の腕を引く。


「り、竜太君っ! 私、早く池に行きたいなぁ! どんな魚がいるの?」


 なりふり構わず竜太の左腕を引き寄せる。

彼は大袈裟に腕にしがみつくハルを見ながら女をさりげなく避けた。


「……黒い鯉ばっか。……たまに白と赤の奴がいたかな」


 冷や汗を浮かべながらも彼は顔色一つ変えない。

しかしどこか様子がおかしい気がする。

探りを入れる余裕もなく、彼女は必死に言葉を繋ぐ。


「へぇ、楽しみだなぁ」


 まるで恋人のように寄り添いながらゆっくりと遊歩道を進む。

震えているのは自分だけかと思っていたが、竜太の腕も僅かに震えていた。


(それだけ、これはヤバいって事……!?)


 ハルはびっしょりと汗をかくのを自覚する。

たまにすれ違う人がいると、女はそっちに気を取られたり、またこちらに戻ったりと忙しい。

こちらが視えているのではないかと疑っているようだ。


──ぺたぺた……ぺた……


「魚以外にもいるの?」


「……亀、とか」


──ぺた…………ぺたぺたぺたぺたっ……


「そ、そっか、亀かぁ。縁起が良いねぇ!」


 女は昆虫のように首をクリクリと動かして二人の顔を観察する。

もうどうにでもなれと、ハルは強ばった顔で竜太を見つめた。

バッチリと目が合ってしまい、彼女の頭が一瞬ショートする。


(ち、近っ……っていうか、竜太君いつからこっち見てたの!?)


 女とハルのどちらを見るか天秤にかけた結果だろう。

自分も人の事は言えないため、ハルは気まずく目を泳がしながらも竜太に顔を向け続けた。

結果的に二人は見つめ合うように歩く羽目になってしまった。


(何この嬉しくない状況……)


 早くどこかに行ってくれと心の中で叫ぶ。

女は散々二人を観察すると、向かいから走ってくるジャージ姿の男性の方についていった。

男性は胸を揺らしながらカサカサと蛇行する女に気付いていない。

ぺたぺたと来た道を引き返すそ()()の気配はなかなか消えず、二人の腕に力が入る。


 まだ振り返ってはいけない。

全身の細胞が「まだ近くにいる」と危険信号を発している。


「池って大きいの? ボートとかある?」


「……そこまで大きくない」


 足音は聞こえなくなっていたが、鳥肌も震えも全く止まらない。

まだ()()が素早く駆け寄って来られる範囲内にいるのだと体が察知していた。


「そっか。じゃあ釣り出来ないね」


「……ここ釣り禁止」


 そんな話をしていると、ふっと重石が取れたような気がした。

危機を脱したのかもしれないがまだ油断は出来ない。

いい加減話題が浮かばなくなってきた所でハルの手が掴まれた。


「池、ここ曲がる」


「え、あ、あの……っ!」


 二手に別れた遊歩道を彼は足早に右に曲がる。

今まで一方的にしがみ付いていたのとは訳が違う。

先程まで恐怖に震えていたくせに、今では繋がれた手を中心に体が熱い。

自身の単純さに恥ずかしくなりながら、ハルは引っ張られる手を軽く握った。

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