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内気少女の怪奇な日常 ~世与町青春物語~  作者: 彩葉
十二章、怪奇な日常

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4、険悪

「あ~平気平気。手当て(くれぇ)俺でも出来っから続けて。傷口洗うから風呂場借りんぞ」


「おぉ、そうか。救急箱の場所は分かっか?」


「おぅ」


 テンポの良い会話に口を挟めず、ハルはおどおどと「すみません、お邪魔します」とだけ声をかけ、住居スペースへと引っ張られて行った。


(まさか竜太君がいるとは……)


 思わぬ出来事の連続に頭の処理が追い付かない。

このまま人に任せきりで流されるのはまずい気がして、ハルは適当に口を開く。


「えっと、八木崎君って、本当に七里さんのお孫さん、なの?」


「ここまで来て疑うんかよ」


 俺とじいちゃん似てんだろ、と八木崎は軽口を叩くが、とても似ているとは思えない。

むしろ彼の鋭い目付きと細身の体は同じ孫である忍とよく似ていた。


(うわぁ、うわぁ……! 忍さんと八木崎君、髪の色と眼鏡のせいで気付かなかったけど、よく見たらそっくりじゃん……)


 何故今まで気付かなかったのか──ハルは己の鈍さに呆れ返る。



 到着した洗面所兼、脱衣場はとても狭かった。

鏡の前には何本ものスプレーやボトルが置かれ、古い洗濯機が場所を取っている。

年季の入った引き戸をガラガラと開き、八木崎は靴下を脱いでズボンの裾を捲った。


「おい、宮原も靴下脱け。土と血ぃ流すぞ」


「あ、うん、ありがとう」


 ハルは促されるままに靴下を脱ぎ浴室に入る。

昔ながらのタイル張りの風呂場は痛いほど冷たい。


「チッ……(さみ)ぃ、閉めろ」


「う、うん」


 ガラガラと戸を閉めると浴室の狭さに拍車がかかる。

明るい所で見る傷口は範囲こそ広いがさほど深いものではなかった。

八木崎はしゃがみ込み、手桶にお湯と水を入れて温度を調節している。

流石の彼もいきなり冷水をかける程鬼ではないようだ。

強引に連れてこられたとはいえ、その気遣いには居たたまれなくなる。


「あ、あの、迷惑かけてごめん。本当にありがとうね」


「良ーから、足出せ」


 八木崎は何とも思ってない様子でぬるま湯をかける仕草をした。

スカートが濡れないよう咄嗟に裾を捲し上げると、八木崎は少しだけ目を見開き悪戯っぽくハルを見上げた。


「ハッ、意外と大胆だぁな」


「なっ……!」


 その言葉で初めて自分がとんでもない状況下にいる事に気付いてしまう。

閉めきられた狭い浴室内──

クラスメイトの男子に向かってスカートを捲し上げ、生足を洗わせる──


(やだ、何で気付かなかったの、私……!)


 途端にはしたない事をしているように思えてきたハルは恥ずかしさのあまり後ずさる。

しかし八木崎は動じずに「おらよ」とやる気のない声でぬるま湯をバシャリとかけた。


「いっ!?」


 不意打ちを食らったハルはスカートの裾を握りしめたまま呻き声を上げる。

痛みに耐性がない彼女の目に意思とは関係なく涙が浮かぶ。

二度三度と湯をかけられるが、焼けるようなジリジリとした痛みに馴れることはない。


「うぅ……」


「浅ぇ傷なのに大袈裟すぎんだろ」


 ひたすら苦痛に耐えるハルの何が面白いのか、八木崎はクツクツと笑っている。

血の混じった水がツゥ、と足伝いに流れていく。


(そんな事言われても、痛いものは痛いの!)


 反論も出来ずに唸っていると、ガラガラと大きな音を立てて浴室の戸が開いた。


「……何やってんの」


 戸を開けたのは竜太だった。

白い目を向ける彼の髪は何故か濡れている。

八木崎はすっと立ち上がり、手桶で肩をトントンと叩く。


「何って、傷口洗ってただけだべ。なぁ、宮原」


「う、うん」


 真っ赤になって頷く涙目のハルに説得力を感じなかったのか、竜太は苛立たしげに髪を掻きむしる。


「子供じゃないんだから足くらい自分で洗えるでしょ」


「あ゛ぁ? おめ怪我人相手に冷たすぎんだろ」


「お前こそいつからそんなに親切になった訳」


 ギスギスしたやり取りに挟まれ、ハルはおろおろと二人を交互に見やる。


(この二人、もしかして仲悪い……?)


 浴室に流れ込む冷たい空気が二人の関係性を表しているようだ。

その疑問はハルがクシュンと大きなくしゃみをした事で確信へと変わる。


「おいチビ、(さみ)ぃってよ。とっとと戸ぉ閉めろ」


「俺の言いたい事、理解出来なかった? 近いから離れろって言ってんだよ変態」


(どど、どうしよう……)


 この場から逃げ出したい思いで一杯のハルの元に、天の助けとも思える七里の声が店の方から届く。


「おぉい、竜太ぁ! 早く髪乾かさんと風邪ぇ引くぞぉ」


 声に対し、舌打ちしたのは竜太だった。

そういえば何故彼の髪は濡れたままなのだろうか。

不思議がるハルを無視して、竜太は水滴が滴る前髪を鬱陶しそうにかき上げる。


「……戻る。けど、変な事したら怒る」


 八木崎に釘をさすような言動と仕草が妙に大人っぽく見えてしまい、ハルは正視出来ずに顔ごと目を逸らした。


(なに、今の……!?)


 足音が店の方へと遠ざかっていくのが聞こえる。

ハルは身体中の血が顔に集まるのを感じ、痛みも忘れて顔を覆い隠す。

その様子が気に食わなかったのか、八木崎がつまらなそうに鼻を鳴らした。


「……宮原、一コ言っとくと、あのチビがお前に気ぃ遣うのって頼まれたからだぞ」


「……え?」


 何の話か分からず、ハルは赤みの引かない顔のまま八木崎を見上げる。

ほんの一瞬だけ瞳を揺らし、彼は手桶に湯を入れるべく再びしゃがみ込んだ。


「宮原のじいさん、あいつと仲良くってよぉ。孫が世与に来たら良くしてやれっていっつも言ってたんだ」


「えぇ!? そうなの?」


 祖父と竜太が知り合いだったなど、ハルにとっては青天の霹靂である。

なぜ竜太は黙っていたのか──

考え込む彼女を置いて、八木崎はやけに饒舌に言葉を並べながら蛇口を捻る。


「あんチビは昔っから宮原のじいさんの金魚のフンでよ。孫ん事頼まれたからって意地んなってお前の面倒見てんだ。……どうせ、じいさんの遺言だとでも思ってんだろ。そんだけだ。……だからあいつの言う事やる事に他意はねぇよ」


「へぇ……そう、なんだ……」


 言い方に棘があったが、その内容はストンとハルの心にはまる。

心のどこかでずっと疑問だった答えが見えた気がした。


(何でいつも助けてくれるのかなって不思議だったけど、そういう事だったのか……)


 八木崎の話が真実だとしたらとても申し訳ない話である。

竜太は亡き祖父に頼まれた事を未だに引きずっているのだ。

もしかしたらハルを助けていたのは彼の本意ではなかったのかもしれない。

今まで知らなかったでは済まされない程、彼女は竜太に甘えすぎてしまっていた。


(あれ? 何だろ、理由が分かってスッキリした筈なのに、苦しい……)


 突然の胸の痛みに驚き、思わず両手を強く握る。

擦りむいた左手がズキリと疼いたが、締め付けられるような胸の苦しみの方が遥かに辛かった。


「……おら、手ぇ出せ。血ぃ出てる」


 されるがままに手を洗い流し、渡されたタオルでぼんやりと手足を拭く。


(竜太君に、言わなきゃ。「もうおじいちゃんの言う事は気にしないで良いんだよ」って……じゃないと、私の都合で巻き込んでばかりで、竜太君が可哀想……)


 すっかり落ち込んでしまったハルの頭がワシャワシャと乱暴に撫でられる。


「だぁから、いちいち暗くなってんじゃねぇよ、うっぜぇな」


「わっ、やめ……!」


 ハルは八木崎の手を押しのけるとぐしゃぐしゃにされた髪を手櫛で整えた。

睨み付ける彼女の反応に満足したらしく、八木崎は「こっち来い」と洗面所を出ていく。


(もう、八木崎君って何考えてるのか全っ然分かんない!)

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