5、呪い遊び
動物の死の描写があります。
苦手な方はご注意下さい。
その少女は寂しがり屋だった。
両親はあまり子供に興味が無く、むしろオバケが視えると訴える少女を気味悪がっていた。
兄弟も友人もいない。
幼かった少女は人形やヌイグルミを家族や友人に見立てて遊ぶのが日課となっていた。
人形を抱きしめていると不思議と恐ろしいモノは寄って来ない。
彼女は幼心に、まるで人形達が守ってくれているようだと感じていた。
ある日、幼稚園で意地悪をされた。
少女は腹いせにヌイグルミを意地悪した子に見立てて殴った。
何度も、何度も腹を殴る。
罪悪感はあったが「優しいお友達」なら許してくれる筈だと、少女は信じきっていた。
翌日、意地悪をした子が「お腹が痛い」と泣き出した。
少女はざまぁみろと思いながらヌイグルミを殴った事を思い出す。
その後何度か同じことを試したが上手くいかなかった。
小学校にあがり、好きな人が出来た。
相手は向かいに住む川口という優しい少年だ。
彼と仲良くなりたかったが家が近所というだけでからかわれる。
結果、少女はどの女子よりも川口少年から離れた所にいる存在になってしまった。
少女は酷く悲しむ。
そしてからかう男子を片っ端から思い浮かべ、恨みを込めて人形を苛め抜いた。
ボロボロになっていくお気に入りの人形の姿に彼女は僅かな快感を覚え始める。
数日後、彼女が恨んだ男子達が包帯を巻いて登校してきた。
皆で遊んでいた所に自転車が突っ込んでくる事故に遭ったらしい。
少女は喜び、やはり偶然ではないと確信する。
心から憎んだ相手にだけ効果があるのだと気付いたのはこの時だった。
彼女は呪いやおまじないの本を読み漁り、どんどんのめり込んでいく。
人を呪わば穴二つという言葉も知ったが彼女にはどうでも良い情報だった。
あれこれ試してアレンジを重ね、彼女は独自の呪術を生み出していく。
彼女にとって呪いとは、何が起こるか分からない試行錯誤の実験に似た危険な「遊び」だった。
大切にされている物や恐れられている物に力が宿ると知れば、それらに敢えて悪意ある手を加える。
手間はかかるがより強い呪いが行えると気付いた頃には、彼女はもう戻れない所まで来ていた。
「川口君って、明るい子が好きなんだって!」
そんな噂を聞いて以降、少女は常に明るく振る舞うようになる。
根が真面目な彼女は呪術も恋も常に努力を怠らなかった。
しかし中学の時に悲劇は起きる。
「川口君と美園さん、付き合い始めたらしいよ」
「美男美女、お似合いだよねー」
少女は絶望した。
自分の些細な努力など、美人の前では何の意味も無いと──
愛情表現など知らない少女の心の闇は更に黒く染まっていく。
いつものように嫌な奴は呪ってしまおう、いやむしろ殺してしまおうという考えに至り、少女は誕生日に買って貰ったお気に入りのヌイグルミを握りしめる。
ヌイグルミに恋敵である美園の名前を刺繍すると、夏祭りで掬った金魚の頭をもいでその腹の中に詰めた。
だが、まだ足りない。
彼女は外へ赴き、適当に捕まえた虫の頭をもいで、それもヌイグルミの中に詰めた。
そしてヌイグルミを気の済むまでいたぶる。
後はこのヌイグルミをどこに捨てるか──
いっそ美園本人に送りつけてやろうか──
ボロボロのヌイグルミを隠し持ちながら町を右往左往する内に、少女は体が重くなっている事に気が付く。
何だこれはと驚いていると、袋から覗くヌイグルミの首がグリンと動いた。
その目は片目が昆虫、片目が魚の目をしていた。
あまりの不気味さに驚いた彼女は悲鳴を上げてヌイグルミを投げ出す。
ガンガン響く激しい頭痛に意識が遠のいていく。
生まれて初めて意識する死の恐怖が彼女を襲う。
「大丈夫スか?」
パチッと静電気が走る音と共に目付きの悪い若者が少女の肩を叩いた。
「これ、君が作ったの?」
若者はヌイグルミの頭を鷲掴みながら鋭い眼光を向ける。
嘘は通用しないと悟った少女が頷けば、彼は眉間に深い皺を寄せた。
「こんな事、二度とやっちゃダメっスよ。君の為にならない」
掴まれたヌイグルミの手足がピクピクと動いている。
彼は舌打ちをしてヌイグルミの胴体を締め付けた。
「……君は力の使い方を間違えている。それは絶対にやっちゃいけない事。人形遊びはもうおしまいにした方が良い」
ゆっくり言い聞かせるように話す若者に、少女は「それは無理だ」と首を振る。
今まで人形に守られながら生きてきたのだ。
人形がなければ何者も守ってはくれない、と。
若者はため息をつき、「拒」と書かれた真っ赤な御守りを差し出す。
「もう二度と人を傷つける事をしないってんなら、この御守りをあげるよ。これは凄く強いから、君の事を必ず守ってくれるっス」
その御守りからは確かに強い力を感じた。
今まで感じたことの無い清らかな力に少女は畏れすら抱く。
必ず約束すると頷き、その御守りを譲り受けた。
初めの内こそ若者との約束を守っていた彼女だったが、癖というのはそう簡単には止められない。
すぐに約束は破られ、彼女は再び気に入らない人間を呪うようになった。
それが関係していたのかは不明だが、その数日の内に川口と美園が別れたという噂が流れた。
喜んだ少女は呪術に対する意欲に拍車をかける。
多少失敗しても強い御守りのお陰でリスクはゼロに等しかった。
その後も少女は明るい仮面を被り、立場の強い者の陰に隠れつつ、邪魔者を攻撃して生きていく。
高校に上がり、絶好の立ち位置として目をつけたのが北本明里の隣であった。
皆から好かれる北本は傍に居るだけで得は多い。
気が狂いそうになる程の嫉妬心と引き換えに、少女の平穏な生活と善良なイメージは確保出来た。
だが平穏な生活も長くは続かなかった。
宮原ハル──
暗く、地味で冴えない転入生。
とるに足らない存在のハルを、何故か北本は気に入った。
少女こと、宮町リナは思う。
自分はこれだけ苦労して今の立場を得たのに、なぜぽっと出の彼女が北本の傍に居るのか。
北本も、口煩い大和田も、北本に取り入るハルも気に入らない。
苛つくリナの耳にある複数の情報が入ってくる。
──川口が北本に告白したらしい。
──川口が北本に言い寄っているらしい。
我慢の限界だった。
もう自分に北本は不要な存在だと判断する。
そんな時、リナはゴミ捨て場で偶然見つけた姿見を利用する事を思い付く。
中に入っている男は外に出られないのか必死の形相で鏡面を殴りつけていた。
御守りで守られているリナには手が出せないらしい。
リナは姿見に独自の呪文を書き込み、廃屋に運び出すと近所の子供に声をかけた。
「ねぇ、最近この辺で鏡の噂があるって聞いたんだけど、君知ってる?」
子供の恐怖心があの閉じ込められた男に集まったらどうなるのか──
試した事の無い新しい試みに胸を踊らせる彼女だったが、その目論見は思わぬ方向へと向かう。
その日リナが鏡の様子を見に行ったのも、また偶然だった。
噂を信じた馬鹿が男の魔の手に掛かっていることを期待していると、ハルが姿見を運び出している所を目撃した。
何故あの女が、とリナは後を付ける。
事情はすぐに把握出来たが、鏡は割られてしまった。
ハル達が去った後、鏡の元へと走る。
破片からは微かに残る邪な気配を感じたが男の姿は何処にも無い。
鏡から出たかった恨みが、鏡自体が無くなった事で消えたとでもいうのか──
真相は知るよしも無かったが、いずれにせよ失敗した事に変わりはなかった。
その後もリナは北本を第一のターゲットとし、コツコツと呪いを試みる。
北本が自慢している演劇部の守り神とされる人形の合わせが逆だったのを思い出せば、軽い嫌がらせのつもりで死装束に戻したりもした。
呪詛を書いた矢で小動物を殺し、これまで一度も呪いに使わなかった最も大切な着せ替え人形を呪具に利用したりもした。
ここまで努力をしたにも関わらず、どうにも上手くいかない。
御守りも茶色く薄汚れていたが、今更諦めるつもりはなかった。
知能の高いカラスの霊には期待していたが、それもハルに邪魔をされてしまう。
リナは北本の次のターゲットは宮原ハルにしようと心に決める。
思い通りにいかない苛立ちを抱えたまま時は流れ、学園祭当日に二つの問題が発生した。
一つは思い入れのある人形の首を手放さざるを得なかった事。
土手で見た冷たい顔の少年が、まさか自分の教室にいるとは思わなかった。
リナは彼が自分に近い存在だと直感していた。
ここで自分の存在がバレたらハルを狙い難くなる。
捨てた人形の首を即座に回収する彼を見て己の判断は正しかったとほくそ笑むが、折角禍々しく育てた首を失ったのは彼女にとって痛手であった。
二つ目はハルの鞄に人形の髪の毛を捨てた時の事だ。
髪には何も力を込めていなかったが、脅し位にはなるだろうと判断しての行動である。
忙しい中、荷物置き場に人は居ないと油断していた彼女はハルの鞄を閉めた瞬間息を飲んだ。
少し離れた背後に八木崎が佇んでいたのだ。
見られたのか、見られてないのか──
彼の表情からは判断がつかず、そそくさとその場を離れる。
騒ぎになってからも八木崎は何も言わず事なきを得たが、彼には見られていたのだとリナは感じ取った。
学園祭以降、彼は実にさり気なくリナとハルが接近するのを回避する動きを見せ始めたからである。
日頃の会話といい、ボーリングのチーム分けの時といい、神社のお参りに行く誘いの時だってそうだ。
御守りをわざと足下に落とされた時も、彼の目は「お前が拾わないのか」と言っていた。
北本への「プレゼント」とハルへの「プレゼント」を製作中の身としては、彼の清らかな御守りに触れる訳にはいかない。
志木がすぐ拾ってくれたのは幸運だったが、リナは焦燥感に駆られる事となる。
この頃にもなると彼女の御守りは大分黒ずんでいた。
もはや失敗は許されない上、時間もない。
一刻も早く呪いを北本に向かわせる必要があった。
どこで間違えたのか。
上手くいっていた筈だった。
猫のマスコットには、一つ一つは弱いが、確かに集めた悪意が詰まっていた。
鏡の破片、ボウガンの矢羽の欠片、動物の血を染み込ませた綿、北本の髪……
それらは確かに機能し、北本を着実に弱らせていたというのに、失敗した。
リナは力なく自宅のベッドの上に倒れ込む。
意識が朦朧とする中、ハルから送られたメッセージを読み、敗北の理由を察する。
完全に負けた──
リナはハルと会う約束を交わし、静かに目を閉じた。
何故こんな事になってしまったのか──
ただ、川口が好きなだけだった──
何故あんな地味で冴えないハルには助けてくれる王子様がいるのに、私には誰も居ないのか──
相変わらず沸き上がる嫉妬心が身も心も焦がしていく。
長年感じ続けた胸の痛みに、彼女は久しぶりに涙を流した。
そして、もう彼女が動く事は無かった。
リナの意識が最後に見たものは、無表情な少年と、泣きそうな顔で自分を見つめる悲しげな友人の顔であった。




