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内気少女の怪奇な日常 ~世与町青春物語~  作者: 彩葉
十章、憑き物

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3、食わせ者

「っ!?」


 驚いて顔を上げると八木崎が冷たい目でハルを見下ろしていた。

いつからいたのかは不明だが、どうやら彼も彼女達の悪口を聞いてしまったらしい。

ハルは恥ずかしさと情けなさで再び俯く。

その陰気な様子が癇に障ったのか、彼はわざとらしく大きな足音を立てて曲がり角から出ていった。

急に現れた八木崎に三人は驚きの声を上げる。


「きゃっ、や、八木崎……君……」


「悪口(なげ)ぇ。邪魔で茶ァも買えねぇ」


「そんな、別に私達、悪口なんて……」


 凄みのある低い声に怯えたのか、彼女達はサッと身を寄せ合う。

厳つい私服姿の彼は普段以上の迫力があり、一見すると女子に絡む不良のようである。


「なら今言ってた事、もっぺん本人に言ってやれ」


 そう言うなり彼は「なぁ、ジミヤ原」と挑発的な笑みを浮かべてハルの方を向く。

ハルの位置からは見えなかったが、三人が息を飲む気配だけははっきりと伝わった。


(どうしよう、出ていくしか、ないの……!?)


 八木崎の視線が痛いのもあり、ハルは渋々曲がり角から一歩踏み出す。

三人はまさか本人に聞かれていたとは思っていなかったらしく、顔面蒼白で狼狽えていた。

彼女達が真に恐れているのは八木崎よりも北本や大和田達なのかもしれない。


「ちが、違うの、宮原さん。今のは、」


「何が違ぇん?」


 意地の悪い質問を被せ、八木崎は三人を押しのけて自動販売機に近付く。

言葉に詰まる彼女達には一瞥もくれず、彼は小銭を投入した。

このやり取りにさほど興味はないらしい。


「あの、その、ごめんね宮原さん」


 彼女達は早口で言い捨て、「それじゃ」と駆け足で去って行った。

ハルはぽかんとしながら三人の背を見送る。

二人に巻き付いていたモヤの手は完全に見えなくなっていた。


(え? 何、今の……八木崎君があの三人に近付いた瞬間、パチンッて光って、それで、ブワッてモヤの手が避けて、消えた……?)


 今後あの三人とどう接すれば良いのか、などと気に病む暇もない。

それほどまでに先程の光景が衝撃的だった。


「ハッ、下ら(くだん)ねぇひがみだな」


 八木崎は鼻で笑うと、ガコンと自動販売機が吐き出した缶を取り出す。


(これは……助けて貰った、のかな?)


 礼を言うべきか戸惑うハルの眼前にズイッと缶が突きつけられる。

あまりの近さに面食らった彼女は反射的にそれを受け取ってしまった。


「え? え?」


「……退院祝い」


 ニヤリと笑う彼の顔と缶を交互に見る。

よく見るとそれはお茶ではなく、冷たいココアだった。


「あ、ありがとう……」


「おー。じゃーな」


 片手を振ってそのまま立ち去ろうとする八木崎に、慌てて待ったをかける。

しかし彼は立ち止まらない。

ハルはもたつきながら財布を取り出すと、普段ではあり得ない即決でペットボトルの緑茶を購入し、後を追った。


「ま、待ってってば!」


「あ゛ぁ?」


 何故か彼は皆の所ではなく出口方面に向かっている。

ハルは息を弾ませながら緑茶を差し出した。


「あ、あの、お礼……」


「……律儀な奴」


 内心断られるかと心配していたが、彼は遠慮する事なくペットボトルを受け取る。


「わっ」


 互いの指先が一瞬だけ触れ、ハルは素早く手を引っ込めた。

彼は「(ウブ)かよ」とおかしそうに笑いながらペットボトルをパキッと開けた。


(い、今、何が起きたの……?)


 彼に触れた瞬間、体がスッと軽くなるのを感じたのだ。

感覚としてはふわっと優しい風が吹き抜けていった感じに近い。

先程まで感じていた悲しく暗い心さえ、今は重石を外されたように軽くなっている。


(さっきのモヤが憑いてた二人も、もしかしてこんな感じだったのかな……?)


 初めての感覚に動揺しながらもハルは言葉を探す。


「あ……えっと……どこ、行くの?」


「あ? (けぇ)んだよ。思ったより平気そうだったしな」


 八木崎は細眉を寄せて「あとしつっけぇ北本の顔立ててやったのもあんな」とつまらなそうに欠伸をした。

ガヤガヤと騒々しい施設内で彼の周りだけが落ち着いた空気を纏っている。

お茶をグビグビと飲む八木崎の喉仏を見ながら、ハルは何と返すべきか悩みに悩んだ。


(平気そうだったって、何が? さっきのモヤの事も気になるし……でも、彼が視えない人なら、聞く訳にはいかないし……)


 ウダウダと頭を捻るハルを八木崎は奇妙な物を見る目で見下ろす。


「つか宮原。もー用済んだろ。戻れ」


「う、うん。あの、今日は来てくれて、どうもありがとう」


 謎は残るが、嫌々ながらも参加してくれた事に変わりはない。

丁寧に頭を下げるハルに何か思う所でもあったのか、八木崎は少し考えてから怠そうに左目を擦った。


「……宮原よぉ」


「な、なに?」


 切れ長の目に見据えられ、ハルはビクリと背筋を伸ばす。

その仕草の何が面白かったのかは分からない。

彼はククッと喉を鳴らしながらハルに顔を近付けた。


「──っ!?」


「あんま人を信用しすぎんな」


 互いの鼻先が触れそうな程の近距離。

顔にかかる温かい吐息と震える低音。

ゾワリと首筋の毛が逆立ち、ハルは彼の両肩を押して飛び退いた。


「な、なな何を……っ!?」


「ハッ、やっぱ面白(おもしれ)ぇー」


 意地の悪い笑みに、すぐにからかわれたのだと気付く。

ハルが真っ赤になって頬を膨らませると八木崎は声を上げて笑った。


「俺的には断然あいつより桜木派だな」


「え?」


「そっちのんが絶対(ぜってぇ)面白ぇ」


 意味深な言葉にハルが怪訝な表情を浮かべていると、八木崎は再び出口に向かって歩き出した。


「さっきの忠告は冗談じゃねぇかんな、忘れんなよ」


 一度だけ振り返ってそれだけ言い残し、彼はそのまま店を出ていってしまった。


(何の話……? あいつって、誰……? 忠告って……)


 ハルは先程囁かれた言葉を口の中で繰り返す。

まだ鼻先がむず痒い気がして力任せに顔を擦る。


──あんま人を信用しすぎんな。


 無口な硬派かと思っていたらとんだ食わせ者だったようだ。

ただ単にからかわれただけでは無いのかと疑ってしまう。

彼は一体何者で、何を知り何を伝えたかったのか真意が全く読み取れない。


 ココア缶が指先をキンキンと冷やす。

漠然とした不安を押し隠し、ハルは手を擦りながら北本達の元へと戻るのだった。

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