2、浮かれる
始まりは北本の一つの提案だった。
「ハルの退院祝いを兼ねて、みんなでどっか遊びに行こうよ」
当然、ハルは大袈裟にしなくていいと遠慮した。
しかし北本に「修学旅行の思い出の代わりに、ね?」と可愛くウインクされては辞退する訳にもいかない。
元々は大和田やリナ、志木といったいつものメンバーだけのつもりだったのだが、話を聞きつけた浦が桜木を連れて自分も参加したいと言い出した。
彼の北本への下心は健在らしい。
それなら他の人も誘おうという話になり、あれよあれよという間に参加者は増え、最終的には二十人近いクラスメイトが集まる事になってしまった。
北本の求心力の凄まじさにはもはや誰も何も言えない。
「じゃ、日曜にボウリングとカラオケって事で!」
北本は楽しげに自席で足をバタつかせているが、大和田は心配そうに声をひそめる。
「なんかさぁ、思ったより大人数になっちゃったけど、大丈夫?」
どうやら彼女もハルと似たような不安を抱いているようだ。
何が? と不思議がる北本に被せ、志木とリナがケラケラと笑った。
「別に悪い事する訳じゃないし、へーきへーき! だってお祝い事だもん」
「そーそー。それに、もしかしたら新たなカップル誕生の特ダネが舞い降りるかもだしぃ~」
すっかりノリノリの友人達に気を削がれ、大和田はため息を吐く。
「そうだ!」
何を思ったのか突然、北本は勢い良く立ち上がり八木崎の席へと向かって行った。
「ね、ね、八木崎君もボウリング来なよ。ハルの退院祝い!」
予想外の北本の行動に大和田とリナが「ゲッ」と顔をしかめる。
彼は嫌な顔を前面に出してイヤホンを外した。
「八木崎君、修学旅行でもあんまり話さなかったし、これを機にみんなと仲良くなれたら嬉しいな!」
机に両手を付いて無邪気に話しかける北本を、八木崎は鋭い目で睨みつける。
あまりの迫力にハルはハラハラと肩を竦めた。
「何でお前が嬉しくなる為に俺が協力しねぇといけねんだよ」
「でも、折角同じクラスになったんだしさぁ」
彼女は臆する事なく「駄目?」と小首を傾げる。
大抵の男子なら喜んで誘いに乗る所だろうが、彼は面倒くさそうに「押し付けんな」と吐き捨てるだけだった。
(アカリちゃんに冷たく出来る八木崎君も凄いけど、全然動じてないアカリちゃんも凄い……)
あまりの態度の悪さに大和田は怒り出す寸前だ。
微妙な緊迫感が漂い始めるが、彼は「退院祝いねぇ」とハル達の方を見た。
「……ま、顔出すくれぇならいーけど」
「本当? 良かったぁ! じゃ、日曜にねっ!」
(わぁ……完全に押し通しちゃった……)
とりあえず丸く収まり、誰ともなく息をつく。
これ以上話をしたくなかったのか、八木崎はガタリと席を立った。
近くの前扉ではなくわざわざ後ろ扉から出ようとする辺り、北本が苦手なのかもしれない。
すれ違う瞬間に彼の鋭い目が向けられた気がして、ハルは思わず目を逸らしてしまう。
(ま、まずい。今のは、感じ悪かったよね……)
人知れず反省していると志木が「あっ」と声を上げた。
「八木崎、なんか落としたよ」
「あ、ほんとだ。御守り……?」
見るとリナの足元に赤い小さな御守りが落ちていた。
そのまま通りすぎようとしていた八木崎が怠そうに振り返る。
志木はヒョイと御守りを拾い上げた。
「はいよ、これ」
「おー。悪ぃな」
渡された御守りをサッと胸ポケットに突っ込み、彼は足早に教室を出ていってしまった。
終始素っ気ない態度を貫く彼がよほど気に入らなかったのだろう。
大和田が目を吊り上げる。
「何あいつ。感じ悪すぎ」
「まぁまぁ」
残りの休み時間は不機嫌な大和田を宥める時間となりそうだ。
腹を立てる大和田をとりなしながら、ハルは自身のスクールバッグに目をやった。
(御守り、か……)
竜太から貰った桃色の御守りはチャーム代わりにスクールバッグに付けている。
(大切な物だし、私は絶対落とさないようにしよう……)
御守りを貰った時の事を思い返す度に、何故か胸の奥がギュッと締め付けられたようになる。
ハルは慌てて御守りから意識を逸らすのだった。
日曜日、ハル達は市内のボウリング場に集合した。
この日の為にと新しい服を着てきたハルは気合いを入れてクラスメイト達と施設内に入る。
このボウリング場はカラオケやゲームセンター、バッティングなどといったちょっとしたスポーツも出来る、かなり大きなレジャー施設だった。
「この人数でよく入れたねぇ」
「川口が予約してくれたらしいよ」
「やっぱモテる男はマメだわー」
女子のヒソヒソ話を聞きながら、ハルは大きな音が飛び交うボウリング場の空気に圧倒されていた。
ボウリング経験が無い彼女は靴や球のサイズ選びと、何から何まで友人の世話になりながら準備を整える。
(凄い……私が学校行事以外で、こんな大人数の集まりに参加してるなんて……)
参加者の大半はハルの退院祝いの名目すら忘れているだろう。
それでもクラスの正式な一員として認められた気がして、彼女はすっかり舞い上がる。
ゲームは適当な人数に別れて遊ぶ事になり、ハルは北本や大和田、桜木と同じレーンだった。
他のチームメンバーも穏やかな者ばかりだった為、ハルは落ち着いて楽しむ事が出来ていた。
隣のレーンではリナと数人の女子がストライクを取った川口に黄色い声援を送っている。
「キャー、川口君すごーい!」
「ぃよっ、川口、流石モテる男は違いますなぁ~」
声援と言ってもリナの場合はヤジに近かったが。
更に向こうのレーンでは志木が男子に負けない勇ましさで仲間達とハイタッチを交わしていた。
浦は何故か北本とは違うレーンになってしまったらしい。
不機嫌な彼は志木のハイタッチを無視したせいで頭を叩かれている。
(レーンは違っちゃったけど、リナちゃんも志木さんも、楽しそうで良かった)
こんなに楽しく騒いで遊ぶのは初めてである。
ハルは大和田に一声かけてそっと席を立つと、興奮冷めやらぬまま上機嫌でトイレに向かった。
(楽しいな。なんだか、夢みたい……)
トイレから戻る途中、自動販売機の前で立ち話をするクラスメイトの姿を目撃する。
ハルは咄嗟に曲がり角に身を隠した。
立ち話をしていたクラスメイトは三人の女子。
その内の二人は黒いモヤの手が巻き付いている生徒だった。
モヤの色は初めて視た時よりも薄くなっているが、狭い通路であの横を通るのは勇気が要る。
ゆらゆらと黒い手が自分に向かって伸びてくる様が容易に想像がつき、ハルは身を隠しながらどうやって皆の所へ戻ろうかと頭を捻った。
「でもさ~、宮原の奴、ホント上手く取り入ってるよね」
「マジ絵に描いたような金魚のフンだよね」
(え──?)
聞こえてきた彼女達の会話に衝撃を受ける。
目の前が真っ暗になるハルに気付かず、彼女達は楽しげに言葉を続けた。
「北本さんも桜木君も、なーんであんなジミヤ原に構うんだろ? 桜木君って趣味悪すぎじゃね?」
「ジミヤ原! ウケるー!」
「アタシ川口派~」
キャッキャと悪意ある発言を繰り広げられ、ハルは力なく壁にもたれ掛かった。
出ていく事も出来ず、かといってトイレまで戻る気にもなれない。
おろしたての服が途端に地味な物に霞んで見えてしまい、耳を塞ぎたい衝動に駆られた。
(あの子達は、私の事、ずっと、そんな風に思ってたんだ……私、どうしよう……どうしたら……)
知りたくなかった現実に泣きそうになりながら、ハルはひたすらワックスのかかった床を見つめる。
ふいに足元に一つの影がかかった。




