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内気少女の怪奇な日常 ~世与町青春物語~  作者: 彩葉
十章、憑き物

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1、黒い手

 退院後、久しぶりに登校したハルは教室を覗くなり口を開けたまま絶句した。


 クラスメイトの女子五名の体にうっすらとした黒いモヤが巻き付いていたのだ。

当然彼女達はモヤなど気付かず、各々お喋りに花を咲かせている。


「な、驚いたろ? あれでも最初よりかは薄くなってるんだぜ」


 桜木が困ったような顔で耳打ちをした。

ハルは返事も出来ずに教室内を見渡す。


(あの子達……大丈夫なの……?)


 モヤは蔦のようにも鎖のようにも視え、ウネウネと()()()を巻くように不規則に動いている。

両端は人の手の形をしており、指の細さとしなやかな動きから女性の手のように見受けられた。

その巻き付いた黒い手が、彼女達の近くにいる人間に手を伸ばしたり、逆に手を振り払う仕草をしている。


 気掛かりなのはその五名全員が体調不良らしく、マスクを着用している点である。

巻き付く手と因果があるのかは分からない。


「宮原の言ってた通り、修学旅行中は変なモンが全然視えなかったからよ……だから、()()がいつ憑いたのかは分かんねぇんだ」


 桜木が心配そうに肩を落とすと、ハルはようやく「桜木君のせいじゃないよ」とフォローした。


「じゃあ、世与に戻ってきてからあのモヤに気付いたって事?」


「おぉ。バスん中で急に視えだしてちっとビビった。多分、旧世与に入った辺りだったんだろな」


「うわぁ……」


 油断している時にいきなりこの光景はキツいだろう。

現場をリアルに想像してしまい、ハルは口元を覆う。


「宮原にも教えとこうとは思ったんだけどよ。入院中に伝える事でもねぇからギリギリまで黙ってたんだ。(わり)ぃな」


「あ、ううん。気遣ってくれてありがとう……」


 何だかんだで桜木とは毎日のように連絡を取っていた。

筆不精なハルだったが、彼の短くも小まめなメッセージのやりとりは入院中のささやかな楽しみの一つだった。


 感謝の思いで笑顔を向けると桜木はふいと顔を逸らし、複雑な表情で彼女達を見つめる。


「あー……そういや、あのモヤの手。なーんか変な感じなんだよなぁ」


「確かに。上手く言えないけど……」


 ハルも彼同様、複雑な思いで首を傾げた。


(質感? 熱量? ……何だろう、嫌な感じに違いはないけど、いつものオバケとはちょっと違う気がする……)


 彼女達に巻き付くそれらは今まで視てきた怪異とはどこか違う空気を纏っていた。

ハルの知る怪異は大抵、冷たさや空虚などといったマイナスの感覚が主だった。

しかしあのモヤの手からは力強さのような強い存在感が感じられるのだ。

まるで熱のある人間に威嚇されているように錯覚してしまう程の──


「あ、ハル! 退院おめでとう! もう大丈夫なの!?」


 教室内に居た大和田がパッと顔を上げ、ハルに手を振る。

北本もすぐに気付き満面の笑顔で席を立った。


(良かった、アカリちゃんやカスミちゃんには、黒い手が憑いてないみたい……あ……)


 後から教室に入って来た女子生徒の体にもモヤの手が巻き付いているのを目撃してしまい、一瞬でも喜んでしまった事を反省する。


「おはよう、二人とも。心配してくれてありがとう」


「そりゃ心配するよ~。盲腸ってすっごい痛いんでしょ~?」


 やって来た北本がイヤイヤをするように頭を左右に振る。

女子に囲まれて居づらくなったのか、桜木が「じゃあ宮原、また後でな!」とハルの肩を叩いた。


(「また後で」なんて、わざわざ大声で言わなくても……)


 閉口するハルを気遣った大和田が「そーいや、修学旅行が終わってから風邪が流行ってるみたい。あんた、病み上がりなんだから気を付けなよ」と話を変える。

ハルは助かったとばかりに「分かった」と何度も頷いた。


 その後、黒いモヤの手が巻き付いていたのはクラスメイトの女子六人と隣のクラスの女子二人の計八人だと判明した。

彼女達の共通点は特に見当たらない。

外見も性格もバラバラで、それぞれ仲の良いグループも違う。

人数が多い割りに手がかりは無いに等しい。


 結局、ハルと桜木は以前七里が言っていた「危ないモノには近寄らない」という助言通りに過ごすしかなかった。




「あ、そうだ宮原! これ、沖縄の土産な!」


 ハルがちょうど昼食を食べ終えた頃、桜木が小袋を渡しにやって来た。

一緒に弁当を食べていた北本達の生暖かい視線が注がれる。


「あ、りがと……」


 土産は小さなシーサーのマスコットだった。

とぼけた顔をした二体のシーサーが仲良く並んでいる。


「可愛い、ね」とモゴモゴ口ごもっていると、やけにテンションの高いリナと志木が「それだけか!」「もっと何か言え!」と激しい口パクとジェスチャーをしていた。


(何かって言われても……あ、そうだ)


 ハルは小袋を握りしめ、おずおずと桜木を見上げる。


「あ、あの、貰ってばかりじゃ、悪いから……何か、お礼させて?」


「はぁ!? あ、いや、別にいーって、そんなん」


 桜木が慌てた様子で両手を振るが、彼女は退かずに食い下がる。


「良くないよ……桜木君、何か欲しい物、ない?」


「ないない! 本当、気にすんなって!」


「でも……」


 遠慮されればされる程申し訳なくなり、ハルはいじいじと手中の小袋を弄ぶ。

見かねた大和田が口を挟んだ。


「あんたが遠慮すっからハルも遠慮しちゃうんじゃん。しっかりしなよ桜木!」


「えぇぇ!? これ俺が悪ぃの?」


 大和田に賛同するようにウンウンと頷く女性陣に気圧され、桜木はバツが悪そうに頭を掻いた。


「あー……じゃあ、宮原」


「う、うん」


「放課後、暇ならちょっと買い物付き合ってくんね?」


「うん……うん?」


 雰囲気に飲まれて返事をしてしまったハルは、その意味を理解しきれずに目を瞬かせる。

友人達は「ヒューウ」と言わんばかりの勢いでキャッキャと盛り上がりだした。


(あ、あれ? 私てっきり、桜木君の欲しい物を教えて貰うだけのつもりだったんだけど……んん?)


 ぽかんと呆けるハルに、桜木は「じゃ、またな」と早口で捲して逃げてしまった。

勢いでとんでもない約束をしてしまったらしい。

時間差で赤くなる彼女をリナと志木が食い気味に囃し立てる。


「あの桜木と放課後デートとは、特ダネですなぁ。ハルもやりますなぁ~」


「頑張れ! 女は度胸! 押して押して押しまくれぇ!」


「や、別に、そんなんじゃ……」


(な、なんでこんな事に……!?)


 救いを求めて北本と大和田に視線を送ると、二人からは笑顔で親指をグッと立てられてしまう。


(違うのに……!)


 その後も誤解は解けぬまま、彼女は普段よりソワソワした午後の授業を過ごす羽目になった。



 放課後になるとハルと桜木は友人達に教室を追い出されてしまう。

これだけ聞くとまるでイジメのようだが、彼女達の好奇と期待に満ちた目に悪意は一切感じられない。

純粋なお節介がこうも厄介だとは知らず、二人はぎこちない沈黙のまま校舎を後にした。


「何か、悪ぃな。大事(おおごと)になっちまってよ」


「ううん、桜木君が悪い訳じゃないから……」


 しょんぼりと鞄を肩にかける桜木に対して気の利いた返事が出来ず、ハルは自身の余裕の無さを実感する。

元はと言えば人前で土産を渡しに来た桜木が原因でもあるのだが、その事について責める事は出来ない。


(不思議と桜木君って、憎めないんだよなぁ)


 視えるという共通点から親しくなりはしたものの、社交的で人望もある彼は、本来ハルとは縁遠い存在の筈である。

怪異を通じて出掛ける事は何度かあったが、事件でもないのに二人で出掛ける日が来るなど考えた事も無かった。


「えっと、それで、どこに行きたいの?」


「あー……じゃあ……スポーツショップ?」


「いや、聞かれても……」


 どうやら彼も何も決めていなかったらしい。

ハルはふと、北本が言っていた「デート、楽しんできなよっ」という言葉を思い出す。


(これは……デートじゃない、よね? 別に付き合ってる訳じゃないし、ヘアピンとお土産のお礼するだけ、だし……)


 一度意識してしまうと中々抜け出せない。

二人はギクシャクとした会話を交えながら市内のショッピングモールへと向かった。




「おっしゃ! 新刊出てる!」


(切り替え早いなぁ……見習おう……)


 スポーツショップに着く頃には桜木の調子は普段通りに戻っていた。

彼はテニス雑誌を片手にあれは何だ、これはどうだと店内を説明して歩く。

さしてスポーツに興味の無いハルを気遣っているのだろう。

子どものようにはしゃぐ姿につられ、ハルも自然と笑顔を浮かべるようになっていた。


「あ! ついでにグリップテープ買っとこう」


「それもテニスの道具?」


「おぅ。消耗品」


 桜木が手に取った商品の値札を確認すると、千円近い値段だと分かった。


(へぇ、消耗品でも結構いい値段するんだ……あ!)


 ハルはこれだ! と閃き、桜木の持つグリップテープを掴んだ。

「うおっ」という驚きの声に構わず、彼女は良い事を思い付いたと興奮気味に商品を揺する。


「わ、私、これ買うよ! 桜木君へのお礼っ」


「はぁ!? いや、いーって。俺、そんなつもりで買い物に付き合って貰った訳じゃねぇし……!」


 ここで引いたらまたお返しで悩む事になるだろう。

ここはなんとしても説得せねばと商品を掴む手に力を込める。


「で、でも、私も何か、桜木君にお礼したくて……!」


「……あー……分かったから、手……」


「あ……」


 言われて初めて大胆な事をしていたと気付き、ハルは慌てて商品から手を離した。

直接手を握っていた訳でもないのに気恥ずかしさで体が熱くなる。

桜木が目を逸らしながら商品を差し出した。


「えっと……じゃあ、これ、頼むわ」


「うん……」


 やってしまったと顔を手で扇ぎ、彼女はレジへと向かう。

買い物を終えて店を出る頃にはまた沈黙に逆戻りだった。


(桜木君は優しいから怒らないけど、やっぱり馴れ馴れしかったよね……)


 謝った方が良いだろうかと悩む彼女に、桜木がスッと右手を差し出した。


「あー……あのよ、えっと……」


「……? あ、グリップテープ、だっけ? はい! いつも仲良くしてくれてありがとうね」


 先程購入した品を桜木の右手にポンと乗せれば、彼は驚いたように目を見開いた。


(良かった、やっとお礼が出来た)


 安心したように笑うハルを見て、桜木は「おぉ、こっちこそサンキュな」と商品を鞄に突っ込んだ。

挙動のおかしさに不審がっていると、彼は片手で顔を隠しながら歩き出した。


「遅くなる前に帰ろうぜ」


「そう、だね……?」


 来店時以上にぎこちない様子の彼に疑問を抱くが、理由を聞ける雰囲気ではない。

二人は微妙な距離感のままショッピングモールの出口に向う。


「あ」


 エスカレーターで一階に降りた時、二人は茶色いイモ虫モドキの行進と居合わせた。

イモ虫達はいつもと変わらずノソノソと直進している。

今回はショッピングカートの隙間を抜けて自動販売機とゴミ箱の間に向かっているようだ。


「こいつら、こんなトコにも居んだなぁ」


 よく見かける光景だからか、桜木も怯える事なく足元のイモ虫達を見下ろす。


「どこに向かってるんだろうね」


 二人はイモ虫達の進む先を目で追う。

自動販売機とゴミ箱の後ろは壁しかない。

それでも彼らは一直線にその狭い隙間に入って行くのだ。

つっかえながらもひた向きに進んでいく姿がいじらしく、つい同情心が芽生えてしまう。


「よっ、と……」


 ハルはゴミ箱を数センチだけずらし、自動販売機から離した。

途端につっかえていたイモ虫の流れがスムーズになる。

イモ虫達は何の感慨もなく、ただノソノソと隙間の奥に吸い込まれていく。


「……よし、帰ろっか」


 足を止めてごめんね、と頭を下げるハルに、桜木はさもおかしそうに笑い声を上げた。


「やっぱ宮原って優しいのな!」


「えぇ!? そんな事、ないと思うけど……普通だよ」


「だって、ゴミ箱離らっかしてまで虫の行き先を心配するとか、はは、絶対(ぜってぇ)優しーって!」


「笑いすぎだってば……」


 笑い倒す桜木に戸惑いながらも、彼女は気まずさが消えた事にホッとする。

恐ろしい怪異は御免だが、やはり彼とは未知との遭遇を通じた方が上手く話せるらしい。


 二人はイモ虫について前はどこで視ただの、無害らしいだのと盛り上がりながらその場を後にする。


 最後尾の一匹が一度だけ頭を持ち上げてハルの方を見たが、すでに背を向けていた二人は気付かなかった。

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