2、日常②
テスト一週間前は原則、部活は休みになる。
その為テスト週間に入るギリギリになるまで部活動に力を入れる生徒が多かった。
帰宅部のハルには何の関係も無かったが、友人達は忙しいらしい。
夕日が辺りを赤く染める頃、ハルは一人のんびりと帰路につく。
ここ数日、呪いだの髪の毛だのと騒いでいたのが嘘のように普通の日が続いていた。
(このまま、何も起きないと良いな……私には呪いの邪魔をする気がないって、相手にも分かって貰えたら良いんだけど……)
こんな事で試験に集中できるのかと彼女の心は日を増すごとに暗くなっていく。
(あ、またいる)
ハルは道の途中で道路を横断するイモ虫のような「何か」の行進を目撃する。
それらは彼女が異形のモノを視るようになって以来度々見かけるモノであった。
七里曰く、昔からその辺を這っている特に害の無い存在らしい。
大きさは三十センチ位の薄茶色の体でつぶらな緑色の瞳が特徴的だ。
動きは緩慢である。
一列に並んでのそのそと規則正しく進む様子からは知性のような物は感じられない。
車に轢かれても通行人に踏まれても動じないそれらは、いつも真っ直ぐに何処かへと向かって進んでいく。
今回は排水溝の中へと向かっているようだ。
少し詰まりながら一匹ずつ無理矢理進入していく姿が笑いを誘う。
(虫は嫌だけど、これはちょっとだけ、可愛い……かも?)
虫にしてはどこか愛嬌のある外見と行動に笑いを堪えつつ、ハルはイモ虫モドキを跨いだ。
数日後の事だ。
テスト週間に入り校内の空気はピリピリしたものに変わっていた。
そんなさなか、放課後の自習室で音を上げたのは勉強嫌いの志木であった。
ちなみに彼女は夏休みの課題を丸写ししていた人物である。
「も~ムリ~! 勉強もだけど、この空気もムリ~! 皆試験の話ばっかでつまんなぁーい!」
「いやぁ、だってテスト週間だもん」
リナの突っ込みも虚しく、志木は小声で「テスト中だけアカリかカスミと脳ミソ取っ替えたい」と短髪を掻きむしりながら机に突っ伏した。
北本と大和田は塾や予備校に通っているらしく、放課後の自習室は利用していない。
ハルは喧しい二人を無視して黙々と勉強に没頭する。
呪い騒ぎのせいで成績が落ちるなどとあっては言い訳のしようもない。
どれくらい経ったか、志木はハルの勉強に区切りがついたのを見計らってスマホの画面を見せる。
「ねぇねぇ。学園祭で世与の歴史調べた時に知ったんだけどさ、学問の神様がいる神社があるんだって! 地図見たらちょっと遠いみたいだけど……」
(志木さん、勉強もしないでそんな事調べてたのか……)
「ちょいと由羽子さんよ。神頼みしてる暇あったら公式覚えましょうぜぃ」
流石のリナも呆れながら肩を回す。
漂うお開きムードにハルも参考書を閉じて首を回した。
──その時だ。
「マジか。そんな神社があんのか」
突然、浦がヌッと現れ会話に入ってきた。
北本が居る訳でもないのに何の用だと、ハルとリナは白い目を向ける。
彼は歓迎されていない事に気付かず「良いな、それ」と意味ありげにニヤリと笑った。
翌朝、ハルはとうとう我慢の限界を迎える事となる。
彼女は教室に入るなり浦に廊下へと押し戻された。
「なぁなぁ、宮原。今日の放課後、学問の神様がいるっつー、ナントカ神社に行くからよ。お前、北本と、あと宮町とか志木辺り誘ってこいよ」
急な話である上、なぜ自分が誘わねばならぬのかとハルは不満を露にする。
北本一人を誘わない所に彼の自信のなさが窺い知れた。
勿論行く気などない。
「急に言われても、私行かないし……アカリちゃんも皆も都合あるだろうし……」
「そこは友達のお前が何とか上手く誘ってくれよ。なぁ、マジ頼むよ~」
食い下がられても嫌なものは嫌である。
なかなかハイと答えないハルに痺れを切らしたのか、浦の声が段々と低くなっていく。
「別に良いだろ、誘うくらい。あ、そうだ! こっちは桜木も誘ってやるからよ、それなら良いだろ?」
「だから、行かないって……」
何が「それなら良い」だと、ムッとしながらも断り続ける。
浦は「お前マジ空気読めよ」と苛立たしげに右足を踏み鳴らした。
「っつーかぶっちゃけ宮原は居よーが居まいが、マジどーでも良いし。北本が来りゃーそれで良い訳。俺の言ってる事、分かっか?」
(なに、それ!?)
今までの事もあり、とうとうハルの頭に血が上る。
「あ、あの! だったら、私に頼まないで、浦君が自分で誘いなよ……! 私はアカリちゃんを呼ぶ為の、道具じゃ、ない、から……っ」
カッとなった勢いのままに口を開いた為、最後の方は尻すぼみになってしまった。
ついに言ってしまったと爆発しそうな心臓の音を聞きながらスカートの裾を握る。
大人しい彼女が言い返すとは夢にも思わなかったらしい。
浦は一瞬ポカンとした後、顔を真っ赤にさせた。
「はぁぁ? お前マジ? マジで言ってんの?」
(やば、怒らせちゃった……どうしよう)
ハルは反論した事を早くも後悔する。
怒りに打ち震える男子は想像以上に恐ろしい。
人目を気にする彼は怒鳴り散らすような真似こそしなかったものの、彼女が竦み上がるには十分な迫力だった。
浦が何事かを言おうと口を開く。
それとほぼ同時に教室から八木崎浩二が顔を覗かせた。
「さっきからマジマジうっせぇんだけど」
突然現れた鋭い眼光に見据えられ、浦は見るからに怯んだ。
「宮原は行かねっつってんのにしつっけぇんだよ。自分で女一人誘えねぇで何イキがってんだ」
「はぁ? 八木崎には関係ねぇだろ!」
「宮原も関係ねぇべ。北本ん事誘いてぇなら自分で誘え」
聞かれていた上に痛い所を突かれ、浦は首まで赤くなって押し黙る。
八木崎はニヤリと悪どい笑顔で「別にいいだろ、誘うくらい。俺の言ってる事、分かっか?」と先程浦が言った言葉をそっくりそのまま返した。
口でも力でも勝てないと思ったのか、浦は何も言わずドスドスと足音を立てて教室に入っていった。
喧嘩に発展しなくて良かったなどと気を緩める暇もなく八木崎も教室へと戻ってしまう。
「あ、ちょっと、八木崎君!」
慌てて後を追うと、彼は「どうせすぐそこの隣だべ」と呆れたように肩をすくめた。
それもそうだとハルは扉に程近い自身の机に鞄を置く。
「あ、あの、ありがとう。怖かったから、助かった……」
「そうかよ」
特に話をする気はないらしい。
彼は何事も無かったかのようにイヤホンを装着する。
ハルがチラリと背後に視線を向けると、浦がブスッとした様子で頬杖を突いているのが確認できた。
気まずく肩を落とすハルを横目に八木崎がポツリと呟く。
「やっぱ宮原、変わったな」
「え?」
「浦の事、ちゃんと断ったろ。前なら言いなりだったべ」
「……そう、かな……?」
「でなきゃ、口出さねかったっつってんだ」
それだけ言うと彼は今度こそ目を瞑って自身の世界に入ってしまった。
よく分からなかったが何となく褒められたような気がして、ハルの心が少しだけ晴れた。
(なんか、今日はやけに疲れた……)
ずっと睨まれていた、というと大袈裟だが、この日は浦の視線が痛い一日だった。
自習室で勉強する気にもなれず、ハルはさっさと帰るべく学校を後にする。
(あ、八木崎君だ)
校門を出てすぐの交差点で信号待ちをしている八木崎の後ろ姿を発見した。
声をかけようか躊躇ったが、彼の足元を見て思い止まる。
(あのイモ虫オバケが……避けてる……!?)
いつも見かける薄茶色のイモ虫モドキが交差点を斜めに横断していた。
彼女は今の今まで虫達が人や障害物を物ともせず愚直に突き進んでいる所しか視た事がない。
しかし今目の前で行進している虫達は半円を描くように八木崎だけを避けて進んでいた。
(ちょっと変わってるとは思ってたけど、八木崎君って、何者……?)
信号が青になり、八木崎はハルに気付かず行ってしまった。
イモ虫達は彼が立ち去ると同時に再び一直線に列を正す。
遠のく彼の後ろ姿とイモ虫の行進を交互に見ながら、ハルは間の抜けた顔で立ち尽くした。




