1、日常①
楽与祭も終わり、世与高校はすっかり元の体裁に戻っていた。
ハルのクラスでは片付けついでに席替えが行われ、生徒達は迫る学力試験に向けて新たな準備に取り掛かりつつあった。
「……はよ」
「おはよう。八木崎君」
ハルは新しい席に着きながら右隣の男子生徒、八木崎浩二に会釈をする。
彼は以前ハルの左隣の席だった。
細い眉毛に鋭い目付き、制服の下に隠れた校則違反のネックレス、ワックスで艶のある黒い短髪。
細身の割りに強いと評判で剣道部の副将を務めているらしい。
何かと怖い印象の彼だが、ハルが転校してすぐの頃から挨拶だけは交わしている微妙な間柄のお隣さんである。
「……場所が違うだけで、代わり映えしねぇな」
ハルはまだ慣れない位置からの周囲を見渡す。
彼女の席は最前列の廊下側から二番目の席だった。
八木崎は泣きぼくろのある左目を擦り、装着していたイヤホンを片方外した。
一匹狼気質で口数の少ない彼がここまで話しかけてくるのは初めてである。
「あ、うん。また隣なんて、凄い偶然だよね……」
機嫌を損ねないように言葉を選びつつ、ハルはヘラリと愛想笑いを浮かべた。
その反応が少し意外だったのか、八木崎は片眉を上げて一瞥をくれる。
「宮原は変わったな」
「な、何が?」
「始めはろくすっぽ挨拶も出来ねかったべ」
「う……ごめん、なさい」
そういえばそうだったと思い出しハルの視線が泳ぐ。
転校したての頃が随分と昔の事のようで、今となっては懐かしくて恥ずかしい。
「まぁうるせぇ奴が隣じゃねくって俺は助かっけどよ」
(なんだか、七里さんとか、近所のお年寄りと話しているみたい……)
八木崎はこの辺りの若者にしては珍しく訛りが強いらしい。
不思議な感覚だったが指摘すると怒られそうなので自重する。
「宮原は残念だったな」
何が? とハルが尋ねると八木崎は瞠目しながら頬杖をついた。
「桜木のが良かったろって話」
「べ、別に、私と桜木君はそんなんじゃ……!」
いい加減ウンザリしながらすっかりお約束になった否定の言葉を告げると、彼は「そうか」と興味なさげに欠伸をした。
「えっと……それに、あんまり仲良くない人と隣になるより、また八木崎君と隣になれて、良かったと思うよ?」
もし隣が浦だったら……など考えるだけでゾッとする。
あくまで残念ではないと伝えたかったハルだったが、八木崎は「そーゆーの要らねぇ」とイヤホンをつけ直した。
「八木崎があんなに喋ってる所、初めて見たかも」
「そう、かな?」
ハルを引っ張り出した志木由羽子が声をひそめる。
北本の席に集まる大和田やリナといったいつものメンバーに注目され、ハルとしては非常に居心地が悪い。
「あいつ、何考えてるか分かんなくてアタシ苦手」
相変わらずはっきり言う大和田を、北本がにこやかに取りなす。
「まぁまぁ……確かに珍しいけどさぁ。でも、ハルが転校してすぐの時も、八木崎君は普通に挨拶してたよね」
よく覚えているな、と思ったのはハルだけではなかったらしい。
スクープ狙いのリナが目を光らせる。
「なーにー? アカリ、よく覚えてんじゃん。もしかしてぇ……八木崎の事、」
「違いますー。たまたま覚えてただけですー」
リナを軽くあしらい、北本は授業の準備を始めた。
それにハッとした皆もそれぞれの席へと戻っていく。
ハルも自身の席に戻って鞄を開けた。
(やっぱり、まだちょっと気持ち悪いなぁ)
先日の人形の髪の毛は全て取り除いたものの、鞄を開ける瞬間はどうにも気分的に宜しくない。
教材を出しながら、ハルは竜太に電話口で言われた言葉を思い出していた。
──それは多分、脅しだね。警告を兼ねてるのかもしれないけど。
「脅し……?」
──要するに「これ以上邪魔するな、こっちはお前の事を知ってるぞ」って、伝えてきたんだよ。
「私も、呪われちゃうって事……?」
──少なくとも、今はないと思う。犯人は何度失敗しても諦められない程、呪いたい相手がいる。それを後回しにしてまでハルさんに構ってる暇なんてない筈だから。
「じゃあ、その人の目的が叶ったら……?」
──……そこまでは分からない。でも、わざわざ分かりやすく何の力も籠ってない人形の髪をばら蒔くなんて、俺からしたらただの嫌がらせでしかない。
「どうして何の力もないって分かるの?」
──だって、気味が悪いってだけで、嫌な気配とかしなかったんでしょ。
「まぁ……」
──じゃあ、ゴミでも入れられたと思って、気にしないようにしなよ。「呪いは気から」って言うし。
「うーん……」
竜太の言う事を信じて普通に過ごすしかないと頭では分かっているが、恐怖心は消えない。
もしかしたらクラスメイトの中に呪いを行おうとしている人物がいるかもしれないのだ。
疑心暗鬼に陥る自分自身に嫌気がさし、ハルはそっと鞄を閉じる。
その様子を八木崎が鋭い目で盗み見ていた。
試験が近いという事もあり、授業を行う教師は勿論、生徒達も普段より真剣に授業に取り組んでいる。
ハルも両親に成績が落ちたら塾に行くよう言われている為、必死にノートを取った。
休み時間にトイレに行った際、個室から出た際に洗面台の前で美園舞華と居合わせた。
微妙な場所だが無視する訳にもいかない。
ハルが小声で「どうも」と頭を下げると、美園も軽く頭を下げた。
無視されなかった事に安心し、ハルは地味に気になっていた質問を口にする。
「あの、仔猫は、大丈夫だった? あれから見つかった?」
美園の整った顔に影が差す。
「……えぇ、見つかったわ。心配してくれてありがとう」
(なんか、あんまり嬉しそうじゃない……?)
美園の態度を怪しんでいるのが伝わったらしい。
彼女は長い睫毛を伏せながら重い口を開いた。
「……死んでるのが見つかったの。……なんか、刺し傷があったって。……細い棒か何かでやられたんだろうって……」
「そ、そんな……! 酷い!」
細い何かの刺し傷と言われ、咄嗟にボウガンの矢を連想する。
それとは関係なかったとしても残酷な話に変わりはない。
ハルがショックを受けていると、美園は「心配してくれたのに、残念な結果でごめんなさいね」と肩を落とした。
「その、えっと。元気、出ないかもだけど、元気出してね」
なんと言って良いのか分からず変な励ましの言葉が口をついてしまったが、美園は少しだけ笑った。
「……あなた面白いのね。……じゃあ、またね」
憂いを帯びた綺麗な微笑に一瞬にして目を奪われる。
(もっとアカリちゃんみたいに笑えば良いのに……勿体ない)
立ち去る美園の髪からフワリと花の香りが漂う。
前に演劇部室で見た北本を睨み付けるような目は見間違いだったのだろうと思い直し、ハルもトイレを後にした。




