9、敵意
(何かされてからじゃ遅いのに……)
竜太が何も出来ないと言うのなら仕方がないのだろう。
すぐ彼を頼ろうとする癖を反省したばかりなのを思い出し、彼女は「そこを何とかして」という言葉を飲み込んだ。
「……分かった。でも、もしそのヤバそうな物が、向こうから近寄って来たら……?」
今までだって何も自分から好き好んで首を突っ込んでいた訳ではない。
流れで何となく巻き込まれてしまっただけである。
今後も似たような事を繰り返してしまうのではという不安が頭をよぎった。
「その時は俺に知らせて」
「え?」
「さっきも言った。何かあったら、出来る範囲内で何とかする」
「で、でも、呪いって、かなり危ないんでしょ? 七里さんが、視えるだけじゃ、巻き込まれたらたまったもんじゃないって……」
助けて欲しいという思いと、年下を巻き込む訳には行かないという思いがハルの中でせめぎ合う。
竜太はいかにも面倒くさそうに舌打ちをした。
「別に。鏡に関しては巻き込んだのは俺だし。……もう油断しないから大丈夫」
「けど……」
「しつこい。自分の身も、ハルさんの事も、ちゃんと守れる」
淡々とした口調でとんでもなく恥ずかしい事を言われ、ハルは真っ赤になりながら口をパクパクさせる。
そうさせた張本人は相変わらず表情に乏しい顔で「金魚の真似?」と浴衣の柄を指差した。
(違うから!)
言葉も出ずにむくれるハルを気にする事なく、竜太は「じゃ、話終わり」と歩き出した。
「どこに行くの?」
「七里さんとこ。首、預ける」
「……そう。それもお孫さんに渡すの?」
「まぁね」
そう言って軽くポケットに手を触れると、竜太は小さく手を振り仮装で賑わう廊下の向こうへと行ってしまった。
見馴れた背中がいつも以上に頼もしく見え、ハルは思わず目を擦る。
──ハルさんの事も、ちゃんと守れる。
その言葉はどうやら胸の深い所に刻まれたらしい。
謎の動悸に胸元を押さえながら、彼女は教室へと足早に戻った。
その後、教室に戻ったハルは抜けた分を取り返すべく必死に駄菓子屋の受付を手伝った。
一度休憩を貰ったりもしたが一人ではあまり楽しめず、結局最後まで駄菓子屋で働ききってしまった。
(やっぱり私、接客って向かないんだな……)
人知れず落ち込む事はあったが、周囲のフォローもあり何とか乗り切る事が出来た。
心残りがあるとすれば北本の劇を見逃した事位か。
クラスの出し物は概ね成功だったと言える。
クラス一丸とまではいかなかったものの、それなりに団結出来ており客足も良かった。
展示に関しては評価が微妙だったが、駄菓子が完売にこぎ着けただけでも上々である。
学園祭の終了時刻が迫る頃。
教室内にはすっかり店じまいムードが漂い、数人のクラスメイトしか残っていない。
「あ、ハル! ここの片付けは良いからさぁ、桜木のトコ行ってやんなよ!」
リナが段ボール箱を潰しながらニシシと変な笑みを浮かべる。
「桜木の奴、気にしてると思うなー。ハルが男子と学園祭デートしてたって聞いてさぁ」
「違っ……! デートなんかじゃ……」
「いーから、いーから! 別に記事にしないって! ほら、急げばまだ間に合うから!」
リナにグイグイと背中を押され「行ってこーい!」と教室を追い出される。
他のクラスメイトの生暖かい視線も突き刺さり、ハルは渋々テニス部の模擬店へと向かった。
テニス部の模擬店はテニスコートに一番近い屋外エリアにあった。
模擬店は既に店じまいを始めており、看板が取り外されている。
一足遅かったらしい。
「あ、桜木君」
「……おぉ、宮原。お疲れー」
ハルが模擬店の前でうろうろしていると、三角形のコーンを運んでいる桜木と遭遇した。
夕闇が迫り、西の空にオレンジ色が残る中、桜木がどんな顔をしているのかよく見えずハルは目を細める。
疲れているのか彼の声にはいつもの元気が無い。
「もう片付け始めてるんだね」
「まぁな。景品ハケちまったし、もう客も来ねぇだろうからな」
少し残念がるハルに、桜木は「ちょっと待ってな」とカウンターの下を漁り始めた。
遠巻きに他の部員達がハル達を気にしながらパネルやボールを片付けている。
平静を装いつつ彼女は周囲を見渡す。
(何のお店だったんだろう……?)
焼きそばや豚汁等の分かりやすい店が並ぶ中、テニス部の模擬店は奇抜な外観をしている。
ランキングの紙が貼り出されているあたり、何かゲームを行っていたのかもしれない。
カウンターから顔を上げた桜木が「ほれ」と何かを投げて寄越した。
「わ、何?」
「それやるよ。……本当は、宮原が来たら景品のおまけに付けてやろうと思ってたんだけどよ」
それは透明の袋に入れられた、どこかの模擬店で買ったと思われる手作りのヘアピンだった。
レジン製の装飾が施されており、完成度が高い。
ラメの入ったオレンジ色の飾りなど、いかにも女子の好みそうなデザインである。
ハルはヘアピンを両手で包みながら桜木に詰め寄った。
「そんな、悪いよ。こんな可愛いもの……!」
「いーから受け取っとけって。ほら、いつも助けて貰ってばっかだし、その礼って事でさ」
ハルは「でも……」と桜木とヘアピンを交互に見る。
むしろいつも庇って貰っているのはハルの方だった。
彼はいつだって怖がりながらも彼女を気遣い、怯えながらも怪異の前に立とうとするのだ。
「お礼を言うのは、私の方だよ。この前だって、桜木君、ずっと私の事、背中に庇ってくれてたし……」
「あー、そりゃ、まぁ。俺だって男だしよ……」
首無し女に怯えていた姿を思い出されたくないのか、桜木は恥ずかしそうに片手で顔を覆う。
「とにかく、嫌じゃねぇなら、貰ってくれ! それで話は終わり!」
叫ぶように言い放つ彼の耳は暗がりでも分かる程赤い。
大声に反応した周りの視線が一斉に集まり、ハルの頬も紅潮する。
「あの、じゃあ、その……ありがとう……」
「……おぅ」
「大切にするね」
大事そうにヘアピンを握りしめるハルを見て、桜木はようやくいつもの笑顔に戻った。
(お礼、か……)
ハルは友人達と更衣室に向かいながら頭に付けたヘアピンを撫でる。
正直浴衣の色には合わなかったが、桜木が「浴衣もピンも似合う、大丈夫!」と言って譲らなかった為、このまま戻るはめになったのだ。
(私も、何か桜木君にお礼をした方が良いのかもなぁ……)
貰いっぱなしは性に合わず、ハルはどうしたものかと小さく唸った。
ただでさえ呪いを行った人物の事で一杯一杯な彼女の頭はパンク寸前である。
(っていうか、助けて貰ってるっていうなら、竜太君もだよね……むしろ、今までお礼しなかったのが失礼だったかも……)
難しい顔をするハルの背を大和田がバシリと叩く。
大和田とは当番の時間がすれ違ってばかりで、この日会うのは朝以来であった。
「可愛い浴衣着て、桜木からプレゼントまで貰って、それでなーに暗くなってんのよ」
「あ、うん。色々あって……」
「疲れたんなら、さっさと着替えて帰ろ。どーせクラスでの打ち上げなんて、参加者少ないだろうしさ」
ぎこちない相槌を打ちながらハルは更衣室の棚にスクールバッグを置く。
制服を取り出そうとジッパーを開けると、悲鳴を上げて鞄を放り投げた。
「や、やだ! 何これ!」
「どうしたの!?」
鞄に入れておいた制服の上に十センチ程の髪の毛が無数にばら蒔かれていた。
「ちょっと、やだ。何これ、イタズラ!?」
キモイ! と叫ぶ大和田の声を遠くに聞きながら、ハルは鞄から覗く茶髪を見下ろした。
人毛とは明らかに違う、質の悪い人工毛だった。
(髪質といい、色といい、間違いない。あの人形の髪の毛だ……!)
生きている人間の悪意が自身に向けられている事をリアルに実感してしまい、足がすくむ。
ハルは身体中の血の気が一気に失せたような感覚と共に気が遠くなるのを感じた。
(呪いを行った人が、私の事も呪おうとしているの……!?)
尋常ではない怯えようの彼女の背を大和田が困ったように擦る。
その後、周りからはタチの悪いイタズラだと見なされ、桜木との仲を妬んだ人間の犯行ではと結論付けられた。
クラスメイトに口々に励まされるハルだったが、その日は最後まで彼女の顔色がすぐれる事はなかった。




