6、首無し女
三度教室へと戻った二人はロッカーに置きっぱなしにしていた人形の上半身と下半身を取り付けにかかる。
壊れていた訳ではなく、ただ分解されていただけらしい。
人形はカチリとはまって簡単に組み立てる事が出来た。
首は無いものの随分と見られる姿になり、二人は息を吐いた。
「……で、この後はどうす、」
カツーン、カツーン……
(また来た……!)
口を開きかけたまま桜木はゆっくりと足音のした方へ振り向く。
その姿にならい、ハルもぎこちなく足音の主へと顔を向けた。
人形と全く同じ服装の首の無い女が二人のすぐ後ろに立っていた。
意外と背が高い。
頭があったら桜木と同じ位の背丈はありそうだ。
人の体をしているのに人間ではない化け物の姿に違和感と嫌悪感が入り交じる。
(怖い怖い怖い、寒い寒い寒い、気持ち悪い、悲しい、信じてたのに、憎い憎い、寂しい悔しい…………え? ……悔しい? 何が?)
混乱するハルの心に明らかに変な感情がわき上がる。
吐く息が白い。
二人はガタガタと震えながら首無し女の動向を窺った。
ギギ、と首無し女が動き出す。
ゆっくり、ゆっくりと首無し女は腰を折る。
(──は!?)
深々とした、それは見事なお辞儀だった。
身動き取れずにいるハル達を残し、首無し女はクルリと背を向けて歩き出す。
カツーン、カツーン……
教室を出て、アレはどこへ行くつもりなのだろうか。
廊下から聞こえる靴音を遠くに聞きながら二人は力なく床にしゃがみこむ。
もう寒さは感じなかった。
「……何とかなった、のか?」
「だと、良いけど……これ、どうする?」
暫し放心していた二人は手元に残った人形を見る。
それは今もなお禍禍しい威圧感を放っていた。
(あの化け物が居なくなってくれたのは良いとして……この人形、どうしよう……)
下手に捨てても呪われそうである。
布に書かれている「呪」の文字が頭から離れない。
それは桜木も同じだったようで、困ったように人形をつまみ上げた。
「よく知らねぇけど、神社とか、なんかこう、お祓い? に持ってくのが良いのか?」
「でも、どこに持っていけば……」
心当たりもなく途方に暮れる。
(……仕方ない……)
ハルは鞄からスマホを取り出すと人形と布の写真を一枚だけ撮った。
「何してんだ?」という桜木の疑問に答えず、ハルは必死にメッセージを打ち込んだ。
(竜太君なら、どうしたら良いか、分かるかも……)
詳細は告げず、ただ怖い人形が手元にあり困っているとだけ伝える。
出来るだけ早く返信が来るよう祈りながら画像を送信した。
「誰かアテがあるのか?」
「……分からない、けど……」
不安げに目を附せるハルに桜木もそれ以上の言及はしなかった。
とりあえず学校を出ようと二人は下駄箱へと向かう。
布と人形はビニール袋ごと桜木が所持している。
校内から他の生徒の声がちらほらと聞こえているのが唯一の安心感であった。
二人が靴を履き替えた辺りでスマホが小さく振動する。
(来た!)
飛び付くように確認すると竜太からの返信だった。
──今すぐ七里さんの所に持ってって。
(何で七里さん?)
疑問に思うと同時にピコンと新しいメッセージが表示される。
──俺今行けない。
──画像はすぐ消して
──周りに気を付けて、早く
矢継ぎ早に送られるメッセージに、それだけ切迫した状況なのかと不安になる。
心なしか竜太の文面も焦っているように感じられた。
ハルは「分かった」とだけ返信し、桜木に人形の持って行く先を伝える。
よほど彼女を信頼しているのか、桜木は素直に頷いた。
ナナサト床屋に着く頃には日はすっかり暮れていた。
床屋は閉まっており、店の明かりは消えている。
居住スペースである店の奥と二階には明かりが灯っているので在宅ではあるようだ。
ハルが七里の元を訪れるのはこれで三度目である。
最初は竜太に連れられて来た時。
二度目は七里と交わした「また来る」という約束を果たしに挨拶に行った時だ。
桜木は古めかしい床屋を物珍し気に眺めている。
ハルは緊張した面持ちで住居側の玄関に立ち、インターホンを押した。
「おぉ、ハルちゃん、久しぶりだんべなぁ」
待っていたかのように七里が玄関から顔を覗かせる。
久しぶりに会う白髪の老人の姿にホッとするハルだったが、七里は穏やかな表情から一転して鋭い目付きになった。
「で、おめさんは何を持ってんだ?」
「あー、これ、なんですけど……」
七里に睨むように見上げられ、桜木は言葉に詰まりながら鞄を開ける。
震える指で人形入りの袋をつまみ出すと、七里はまじまじとそれを観察した。
「……はぁー、こらぁえれぇモン拾っちまったみてぇだなぁ」
「これ、何なんですか?」
七里は桜木の問いになんと答えようかと顎を撫ぜた。
「とりあえず、これは長く持ってちゃ駄目な奴だ。ウチで預かる。ちっとここで待ってな」
言うが早いか七里は二枚の半紙のようなもので人形入りの袋を包み込み、奥へと引っ込んでしまった。
半紙にも何か書かれていたようだが達筆で読めなかった。
何の説明もなされず、ハル達は玄関先で立ち尽くす他ない。
微かに声が聞こえてくる。
どうやら七里は誰かと電話しているようだった。
「あのじーさん、何者?」
「……分かんない」
以前聞いた話では、七里もハルや竜太と同じく「ただ視えるだけの人間」との事だった。
そんな彼があの危険そうな人形を預かって、はたして大丈夫なのだろうか。
ハルがあれこれ悩んでいる間に、電話を終えたらしい七里が戻ってきた。
彼の手には塩の袋が握られている。
「ちっと失礼すんべ」と大量の塩を投げかけられ、二人は咄嗟に目を瞑った。
(これって、なんだかお葬式の後のお清めみたい……)
彼女がぼんやりと祖父の葬儀を思い出していると塩の雨が止んだ。
「うし! とりあえず、もう帰って大丈夫だろ。お疲れさん」
「いやいやいや! 全然訳分かんないんすけど! 何か説明無いんですか!?」
納得いかないと桜木が抗議の声を上げる。
同調するように大きく頷くハルに、七里は「うーん……」と白い眉を寄せた。
「よく分からんってのは俺も同じだっかんなぁ。ただ、アレが相当まずいモンってのは分かる」
そんだけだと語る七里は何かを隠しているようで、今度はハルが食い下がった。
「私、あの、布に書かれてた文字、前にも見た事あるんです。死んだカラスに刺さってて、あの、矢に、書いてあって……」
口下手ながらに必死で説明すると、七里は「そうかぁ」と悲し気にハルの肩を叩いた。
「……あの文字はな、呪詛だ」
「じゅそ……?」
「誰かが、誰かを呪ってるか、呪おうとしてんだ。あの呪詛はな、呪いに使う呪具を作る為の物でな。あの人形は呪具にされる寸前だった訳だ」
呪いなどと言われてもハルにはその怖さが今一つピンと来ない。
彼女にある呪いの知識といえばテレビで観た丑の刻参り位だった。
「呪いの道具って藁人形じゃねぇの?」と訝しむ桜木も同程度の知識なのだろう。
七里は「間違いじゃねぇ」と苦笑した。
「呪いっつっても色々あんだ。今回の犯人は我流らしいが、素人のそれもバカには出来ねぇ。むしろ悪意がどこに飛ぶか分かんねぇ分、危険だそうだ」
「らしい……?」
ハルの疑問に七里は「ウチの孫がその道に詳しくてなぁ」と付け加える。
預けた人形は彼の孫の手に渡るそうだ。
「とにかく、本気の呪いってのは危ねぇ物なんだ」
七里は「今後は絶対に危ない物に近付くな」と念を押した。
「俺達はただ視えるだけだって事を忘れんな。呪いなんて巻き込まれたら、たまったもんじゃねぇ。関わるだけ損だ」
そういえば、とハルは思い出す。
今までの出来事が濃すぎて忘れがちだが、竜太だって本来は霊感などない、ただ視えるだけの中学生なのだ。
困る度にすぐ彼を頼ろうとするのはもうやめようと反省する。
「でも、危ないかどうかなんて、どうやって判断すりゃ良いんですか?」
「簡単だ。体が嫌がってたら、そりゃ本能的に危険を察知したって事だ。大体は直感で何とかなる」
何て事ないように話す七里から長年視てきたという年季の違いを垣間見る。
ある程度納得した二人は七里に深く感謝し、何度も頭を下げた。
「あ、そういや、結局あの首無しお化け、どこに行っちまったんだろ?」
最後に一つだけ、と質問する桜木に、七里は困ったように眉を下げる。
「分からん。呪い先の相手に行ったかもしれんし、呪いが失敗して呪いをやった犯人に返ったかもしれん」
気にしないで忘れろ、とだけ言って七里は玄関の扉を閉めた。
涼しい風がハル達の間を吹き抜ける。
「……帰るか」
「そう、だね」
いつもより早く帰るつもりがとんだ日になってしまった。
ドッと押し寄せる疲労感には抗えず、二人は無言で帰宅した。




