5、半身
「どう、する?」
ハルを背に庇ったままの桜木が迷いを見せる。
即答出来ないハルに、彼はあろう事か「宮原、先に帰ってて良いぞ」と言い出した。
流石にそれは賛成出来ない。
ハルはブンブンと首を振って渇いた口を開いた。
「私も、行く」
話がまとまったのが伝わったのか、下半身はカツーンと音を響かせて歩き出す。
二人はなけなしの勇気を振り絞って下半身の後を追った。
カツーン、カツーン……
「ここって……」
「俺等のクラス、だな」
下半身を追って辿り着いたのはハル達の教室だった。
つい先程までここに居ただけに二人は微妙な気持ちになる。
下半身は扉をすり抜けて教室の中に入っていった。
「……開けるぞ……」
ハルを後方に下がらせ、桜木は扉に手をかける。
先程から先陣を切る桜木の行動に感心しきりの彼女はハラハラと成り行きを見守る事しか出来ない。
扉を開けた瞬間に化け物に食べられてしまうのではないかと縁起でもない想像をしてしまい、祈るように両手を握りしめた。
耳が痛い静寂の中、ガラララ……と扉の音が響き渡る。
「ん? あいつどこだ?」
不用心に教室に足を踏み入れる桜木の背を掴み損ね、ハルも慌てて室内に入る。
「あ、居た」
(何してるんだろ……?)
下半身は展示用のパネルやボードで見通しが悪くなった教室の片隅に佇んでいた。
どうやら掃除道具が入ったロッカーの方を向いているようだ。
ガンッ、ガンッ!
「ひゃっ!」
急に下半身がロッカーを激しく蹴り出し、ハルは飛び上がって驚いた。
大きな音に萎縮していると、それは腰からドロリと崩れるように消えてしまった。
残された二人は唖然と立ち尽くす。
(この中に何かあるの?)
意味が分からないまま、どちらともなくロッカーに近付く。
「……よく分かんねぇけど、見てみっか」
ロッカーを開くと妙にカビた臭いが鼻をつき、二人は軽く咳き込む。
中には箒やちり取り、バケツや雑巾が押し込められるように入っている。
パッと見は普通の掃除道具ばかりだが、これで何もないという事は無いだろう。
「この箱は何が入ってんだ?」
桜木はロッカー内の上の棚に置かれた紙製の箱に手を伸ばす。
「うわっ」
桜木が箱を取り落とした。
いや、放り投げた、が正しい。
「だ、大丈夫!? どうしたの?」
ハルの叫び声に重ねて驚いたのか、彼は目を丸くして両手を擦った。
「お、おぉ? なんか、よく分かんねぇけど、この箱触ったらすげぇ嫌な感じがした……気がする」
桜木は震える手で落とした箱を拾い直して蓋を開く。
中には未使用の雑巾がギッチリと敷き詰められていた。
全ての雑巾を取り出すと、箱の底には透明なビニール袋に入れられた布の塊が隠されていた。
「何だ? これ……」
白地の布に黒い文字がビッシリと書き込まれている。
グチャグチャとした読めない筆跡には見覚えがあった。
(これ、カラスの矢に書いてあった文字に凄く似てる……!)
よく見ると「呪」という一文字だけが判別出来る点も同じである。
どういう事かと混乱している間に、桜木は「気持ち悪ぃなぁ」と言いながら布を取り出してしまった。
こんなに気味の悪い物をいきなり触るとは思わず、ハルは大いに慌てた。
「ちょっと、触って大丈夫なの?」
「あ、そうか、触っちゃまずい……のか?」
「い、いや、知らないけど……」
二の句が継げない彼女に、もう今更だと思ったのか、結局彼は布を開いた。
包まれていたのは首の無い人形の上半身だった。
水色のリボンが付いた白いブラウスを着ている。
材質と形状からみて子供向けの着せ替え人形のようだ。
「これ、オモチャ……だよな、子供の」
「そう、だね」
いくら玩具でも人の形を模した物がバラバラにされているのは見ていて気分が悪い。
二人が神妙な面持ちでいると再びゾクリと背筋が凍った。
「──っ!」
背後に先程の女の下半身が立っていた。
下半身はカツーン、と廊下に向かって歩き始める。
(な、何? まだ何かあるの……!?)
下半身は教室の入り口で二人を待っているようだった。
ハルがどうしようかと桜木を見上げると、彼は「ここまで来たら行くしかねぇか」と口元をひくつかせた。
カツーン、カツーン……
カツーン、カツーン……
「……あいつ、何が言いたいんだろうな」
恐怖とプレッシャーに慣れてきたのだろう。
桜木は下半身を追いながら思案するまでの余裕を見せ始める。
下半身は来た道を戻り旧校舎に向かっていた。
不思議な事に校内では誰ともすれ違わない。
この時間ならまだ残っている生徒はそれなりに居るはずだ。
その事に関する疑問を口に出す勇気はなく、二人は目の前の怪異に集中する。
下半身はある教室の前で歩みを止めた。
「ここは……」
「演劇部の部室だね……」
下半身は演劇部室にスゥーっと入って行く。
カチャリ、と鍵の開く音が聞こえた。
桜木は「あれでどうやって開けたんだよ」と皮肉を口にしたがとても笑える雰囲気ではない。
ギギギ、と古さを強調する音を立てながら恐る恐る室内を覗き込む。
室内には何も居らず、ハルが以前見た時とさして変わらないように見えた。
異変があるとしたら演劇部の守り神こと「お姫ちゃん」の表情位か。
部室に入った桜木が恐ろしい形相のお姫ちゃんに気付く。
「うわ、何だこの怖ぇ人形!」
「演劇部で大事にされてる守り神なんだって」
「守り神ぃ!? これが!?」
お姫ちゃんの着物は正しい着付けをされている。
彼女がなぜ憤怒の顔を浮かべているのか分からない。
(あれ? このお人形、どこを見てるの?)
ハルが近付いてもお姫ちゃんはある一点を睨み付けたままで、以前のように目を合わせてこない。
何かあるのかとその視線の先に目を向ける。
「あの段ボール箱を見てるのかな?」
棚の上に高く積まれた古びた段ボール箱がやけに目についた。
何となく嫌な予感を抱きながら箱を下ろしにかかる。
「重っ! ……これ、中身は布か?」
段ボール箱を下ろす桜木に手を貸し、ハルは箱の中身を漁った。
全身が粟立つような怖気が彼女を襲う。
先程彼が言っていた「嫌な感じ」とはこの事だったのだろうか。
中には衣装らしき派手な布や服が敷き詰まっていた。
「あっ」
底を漁っていると指先がガサリとビニールに触れる。
どうやらこの箱で「当たり」だったらしい。
先程のビニール袋同様、字が書き込まれた布の塊が入っていた。
「……俺、何が入ってるか、分かったかも」
「……私も……」
ハルはバクバクと煩い心音を聞きながらゆっくりと布を取り出した。
布に書かれた文字が禍々しいプレッシャーを放っている。
(寒い……何でこんなに、嫌な感じがするの……?)
布に包まれていたのは人形の下半身だった。
何となく予想していたとはいえ、実物を手にするとかなり気持ちの悪いものである。
その人形の下半身は水色のフレアスカートに白いハイヒールを履いていた。
「これ、さっきの奴と同じ格好……だよな」
「うん……」
あの下半身のツルリとした質感の足が手中の人形の足と重なる。
「いくら人形っつっても、気の毒な感じだな」
桜木は下半身の人形は仕舞わずに段ボール箱を元の場所に戻す。
彼の次の行動が読めず、ハルは下半身人形を持ったまま周囲を見回した。
お姫ちゃんが手元の人形を睨み付けているようで居心地が悪い。
「これ、どうしようか……?」
「……今、ちょっと思い付いたんだけどよ。こいつ、直してやらねぇ?」
「……うーん……」
ハルは下半身人形を見つめた。
布に包まれたそれを見ていると胸の中をぐるぐるとかき混ぜられるような吐き気を感じる。
(明らかにこれは悪い物だ。それを直しちゃって、本当に大丈夫なのかな……?)
「あー……やっぱ、駄目、かな……?」
「分からない、けど……」
二人をここまで導いた下半身は一体何を求めていたのだろうか。
だんだん手元の下半身人形が「無念だ」とでも言っているように思え、ハルは無性に悲しくなった。
「……やってみよう、か……?」
「……おぅ!」
二人は下半身人形を持って演劇部室を後にする。
扉を閉める時に見たお姫ちゃんの顔は穏やかな物になっていた。
(悪い物が出ていくから、かな?)
やはりお姫ちゃんは演劇部の守り神なのだ。
ハルは感心しながらお姫ちゃんに一礼した。




