1、死装束
「なぁなぁ、宮原! 北本がモデルにスカウトされたって話、マジ?」
朝、ハルは下駄箱に到着するなり、同じクラスの浦和正に捕まってしまった。
浦は桜木の友人兼部活仲間でもあるのだが、少々デリカシーに欠ける人物である。
面倒なタイプの人間に関わってしまい、ハルのテンションは下がり気味だ。
「……そう、らしいね……」
曖昧に答えるハルだったが、スカウトの話は事実だった。
一昨日の日曜日、北本とリナの二人は遠出をして東京のイベントに出掛けたらしい。
その際、ティーン向け雑誌のモデルにならないかと北本に声がかかったそうだ。
その場に居合わせたリナがペロッと「呟いた」事で、今や学校中が北本の噂で持ちきりだった。
元々可愛いと評判の北本だったが、実際にスカウトされた事で美人としての箔が付いたのだ。
「やっぱマジかぁ、スゲーな。つーかさ、ウチのクラスの川口が北本に告ったってぇのはマジ?」
「し、知らないよ……」
友人とはいえ何でもかんでも知っている訳ではない。
ハルが控え目に首を振ると、浦は「んだよ、使えねーなー」と乱雑に上靴を床に落とした。
(だったら私なんかに聞かないで、アカリちゃん本人に聞けば良いじゃない)
不快感を募らせつつハルも上靴に履き替える。
浦はハルの思いなどお構い無しに話を続けた。
「つーか、マジで北本って、彼氏いねーんだよな? マジだよな?」
「……うん」
やたらと念を押す浦が疎ましい。
ハルは苛々を押し殺して教室に向かう。
「うわぁ……」
「ゲ。マジかよ……」
教室には人だかりが出来ていた。
その中心に居るのは北本だ。
彼女は自身の机から身動きが取れず、微妙な笑顔を浮かべている。
「アカリ、誕生日おめでとー!」
「北本、おたおめー」
机の上にはラッピングされたプレゼントが積まれていた。
北本は口元を引きつらせながらも軽口を叩く。
「もー。私、こんなに貰っても、皆にお返し出来ないよ。破産しちゃう! は、さ、ん!」
しかし周りの者達は「お返しなんか気にするな」の一点張りで押し付けるようにプレゼントを渡しているようだった。
北本もタイミングの悪い時に誕生日を迎えてしまったものである。
ハルが同情していると浦が肘で小突いてきた。
彼は「おい、今日北本の誕生日とか聞いてねーよ」と睨みを利かせる。
(別に、聞かれてないし。仲良くもないのに、わざわざ教える義理ないし……)
ムッと黙りこくるハルに、浦は小さく「マジ使えねーなー」と言い残して自身の席へと行ってしまった。
(使えない使えないって、さっきから失礼すぎじゃない!?)
行き場の無い苛立ちを抱えたまま席に着く。
鞄に忍ばせた北本への誕生日プレゼントは、今は渡せそうにない。
朝から思うようにいかない事ばかりである。
ハルは頬杖をつきながらちやほやと北本を囲む生徒達をつまらなそうに眺めた。
「あー、もう! リナが口軽いせいで大変なんだけど!」
昼休みになり、北本はプリプリと怒りながら弁当をかき込む。
リナはあまり反省した様子もなく「だからごめんってばぁ」と平謝りだ。
「まさかこんなに大事になるとは思わなかったんだよぅ」
「大スクープだったんだねぇ」と言う報道部らしいリナの発言に、北本はガックリと項垂れた。
ハルを含む友人達は呆れながら二人のやり取りを眺める。
「あ、じゃあスクープついでに質問。ウチの川口に告られたってのは本当ですかい?」
何が「じゃあ」なのか。
この期に及んでまだ茶化すリナを、大和田がギロリと睨む。
険悪な雰囲気になるのを避けたのか、北本は「いやあ、ノーコメントかなぁ」と苦笑するに留まった。
その後も北本は他のグループに話しかけられたり呼び出されたりと忙しそうに過ごしていた。
(一応プレゼントは渡せたけど、もう今日はろくに話せそうにないなぁ)
北本の話によるとモデルの誘いはその場で断ったらしい。
皆は「勿体ない」だの「今からでも間に合う」だのと口々に北本の芸能界入りを推していた。
──私ね、こう見えて手先が器用なの。舞台とかで使う小道具とか、衣装とか、そういうの作る人になりたいんだ。
帰り支度をしながら、以前北本が語っていた夢の話を思い出す。
(アカリちゃんも大変だなぁ)
ふいに北本がハルの肩を叩いた。
「ハル! 今日一緒に帰ろっ! ほらほら、カスミも早く!」
彼女にしては珍しく一方的な誘い方である。
余程鬱憤が溜まっているのだろうと予想がついた。
急かされるように教室を出た大和田が不機嫌そうに口を開く。
「アカリは八方美人で大変だね。あんな調子の良い奴ら、もっと適当にあしらえば良いのにさ」
ハルも同調して頷くと「二人共ひっどーい」と北本が肩をすくめた。
明るい口調ではあるが、どこか元気がないようにも見受けられる。
ハルと大和田はそれとなく北本を気遣うように顔を見合わせた。
「あ、やば。新しい台本、部室に忘れちゃった」
下駄箱に向かう途中、北本はうっかりうっかりと肩を竦めた。
「ごめん二人共。悪いけど、ちょっと部室寄ってっても良い?」
「全くもう。しょーがないなぁ」
特に断る理由もない。
ハルと大和田は北本の後に続いて演劇部の部室に寄ることになった。
演劇部室は旧校舎にある。
旧校舎は部室棟と呼ばれる程、多くの教室が部室として使用されている。
帰宅部のハルにはあまり縁の無い場所だった。
北本は「失礼しまっす!」と慣れた様子で演劇部室の扉を開く。
室内には一人の生徒が長机に向かってノートパソコンを開いていた。
二年の美園舞華だ。
クラスが違うためハルは話した事はないが、北本に並ぶと評される美人である。
美園はふんわりとした亜麻色の髪を耳にかけながら顔を上げた。
「あら、アカリ。どうしたの?」
「新しい台本、忘れちゃってさぁ。取りに来たの」
「……そう」
それだけ言って美園は再びパソコンに集中してしまった。
ハルは美園にまつわる話を思い出す。
美園は舞台女優に憧れていて何度かオーディションを受けた事があるらしい。
そして今回の北本のスカウトの件を嫉妬しているという話だ。
発信元がリナなので真偽のほどは不明だが、先程の淡白な会話では勘繰られても仕方ないのかもしれない。
北本が扉の正面に位置する本棚に向かう。
大和田は何度か来た事があるからか、興味なさ気に扉に寄りかかっている。
(結構、ごちゃごちゃしてるんだなぁ……)
古い物も保管してあるのか、段ボール箱が積み上げられており、雑多な印象の部屋である。
ハルはふと、美園の奥に見える透明なケースに目がいった。
(あ、あれ?)
ケースには赤い着物の日本人形が飾られていた。
以前観劇した際に見せてもらった演劇部の守り神こと「お姫ちゃん」である。
(……どうして?)
人形は以前同様、鬼の様な形相をしていた。
どうやら本棚を漁る北本の動きを目で追っているようだ。
ギロリと睨み付ける目は遠目からでも血走っているように見えた。
北本は呑気に「あったあった」と台本を鞄に仕舞っている。
(あ、あれ? 着物の合わせが……)
気付いてしまった以上、放っておく訳にも行かない。
ハルは「あ、あの人形……」と声を振り絞った。
人形以外の全員がハルを見る。
「あぁ、お姫ちゃんがどうかした?」
北本がすぐ横の人形を見やる。
つられるように大和田と美園も人形の方を向いた。
「あ、あの、着物が、また逆になってない……?」
「え? ……あっれぇ? ホントだ、おっかしーなー」
着物の合わせを覚えたのか、今回は北本もすぐに同意した。
美園はよく分からなかったらしく微妙な表情を浮かべている。
大和田は「ちゃんと他の部員にも正しい着付け教えなよ」と呆れ気味に言うが、北本は首を傾げるばかりだった。
「うーん……この子、卒業生が新しい着物をあげる時以外、着替えさせたりしない筈なんだけどなぁ」
そう言うが早いか、北本はササッと着物の合わせを正す。
ハルが手際の良さに感心していると美園が咳払いをした。
「ちょっと良いかしら。今、冬に使う台本を作っているの。集中したいから、静かにしててもらえる?」
「あわわ、ごめん、ごめん! もう帰るからさ」
北本は慌てて人形をケースに仕舞い、小走りでハル達の元へと戻ってきた。
チラリと見えた人形の顔は再び穏やかな表情に戻っている。
「じゃ、美園ちゃん、私達帰るね。お疲れ様ー」
「じゃあね」
パソコンから目を離さず、美園は片手をひらつかせた。
扉が閉まる瞬間、たまたま振り返ったハルの心臓がギクリと跳ねる。
美園が北本を鋭く睨み付けていたように見えたのだ。
(……見間違い、かな?)
部室を離れた後もざわついた気分が続く。
なぜ人形が再び死装束になっていたのか、答えの出ない疑問がハルの頭を巡る。
北本の話から考えると誰かが意図的にやっている可能性もあった。
(最後の美園さんの目、なんだかあの人形の目に似てた……気がする……)
気もそぞろなハルに気付いた大和田が「どうしたの?」と声をかける。
ハルは「何でもない」と笑顔で取り繕う事しか出来なかった。




