5、裏側
翌日、竜太は学校が終わるとすぐに橋の下へと足を運んだ。
「チッ……」
ブルーシートに向かって力任せに小石を蹴飛ばす。
カツン、と小石は虚しい音を響かせた。
昨夜の姿見は土台だけを残し、鏡の破片は跡形もなく消えていたのだ。
他の粗大ゴミには手を付けられた形跡はない。
誰かが意図的に鏡だけを回収したとしか思えなかった。
(タイミング的に考えて、ハルさんが鏡を移動させる所を見ていた奴がいる……)
誰が何の為にそんな事をしたのか何一つ分からず、竜太は苛立ちながら辺りを見回す。
分かっていた事だが、怪しいモノは何も見当たらない。
穏やかな景色と川のせせらぎが彼の神経を逆撫でした。
こんな事ならもっと早く確認しに来れば良かったと悔しがるが、すぐにそれも無意味だと考え直す。
その何者かは、自分達が立ち去るのを待ってから回収したと考えるのが自然だった。
(誰かが、何かをしようとしてるのか……)
一体何だと、彼はその場で考え込む。
今回の件は竜太にとって、最初から最後まで気に入らない事の連続だった。
同級生の間で突然話題に上りだした鏡の噂話。
すぐに近所の子供からも聞かされた、似たような鏡の話。
彼はどうにも噂の流行り方に不自然さと不気味さを感じた。
噂の内容はバラバラで、小学生の間では願いや夢が叶う系の話が多く、中学生の間では恋が叶うだの努力が実るだのといった恋愛や受験を意識した話が多かった。
噂を流す相手と内容を上手く選んでいる奴がいると彼は睨む。
そもそもあの空き家に鏡などあっただろうかという疑問もあった。
あんな昔からある空き家に、何故今更になってそんな話が湧いて出たのか。
彼は単なる興味本位で首を突っ込んだ。
その結果が今回の失態である。
噂は完全なデマで、先客の男は元々あの姿見に何らかの理由で閉じ込められていたのだろう。
竜太の他に噂を試した人物が居たのかどうかまでは分からなかったが、いずれにせよハルに救われるというのは最大の誤算であった。
おかげで彼の中に新しい黒歴史が刻まれてしまった。
そういえば、と竜太は昨夜のハルの様子を思い出す。
(……多分、ハルさんは生きてる人間かそうでないか、見た目でしか判断出来ない人だ)
竜太の体を奪ったあの男は下腹部が横に大きく裂けており、出てはいけない物がズルリと垂れ下がっていた。
あまりにもグロテスクな様相に彼も少し引いていたのだが、ハルは暗がりと波打つ鏡面のせいで気付かなかったのだろう。
わざわざそんな気持ちの悪い話を教える気もない。
竜太はうーん、と顎に手を添えて小さく唸った。
(それって厄介すぎ。そうとは気付かずにハルさんの方から声をかけちゃう可能性があるし、賢い奴が相手なら普通に騙される可能性もある)
流石にそこまで面倒は見られないと、彼は早々にハルについて考える事を放棄した。
問題はそこではないのだ。
肝心なのは誰が何の為に鏡を使ったのか、という問題である。
ただ噂を流して面白がっている奴がいるだけなら、それはそれで良かった。
(ただの愉快犯じゃない。何でわざわざこんな事……)
手間をかけてまで破片を回収する必要性とは一体何なのかと考えながら、軽い気持ちで姿見の後ろ側に回り込む。
姿見の左下には鏡の製造番号だかメーカー名だかのシールが貼られていた。
そのシールの周りを囲うように、小さい文字のような物がビッシリと書き込まれている。
竜太はしゃがみ込んでまじまじと観察した。
黒い油性ペンで書かれた、グチャグチャと乱れたミミズの這ったような筆跡だ。
一見子供の落書きにも見えたが、それにしては文字の大きさが均一である。
辛うじて判別出来る一文字を目にした瞬間、彼はハッと息を呑んだ。
(……これは、関わらない方が良いやつだ……)
竜太は文字部分の写真を一枚だけ撮影すると、気に食わないという思いに蓋をする。
捲れていたブルーシートを姿見に被せ、彼は静かに橋を後にした。
「内気少女の怪奇な日常 ~世与町青春物語~」に改題しました。(19.2.13)
旧題「内気少女の世与町青春怪奇譚」




