2、疑惑
無事了承を得る事ができたハルはモゾモゾと枕に顔を埋めた。
(落ち着いて考えよう。可能性として、まず一つは彼が竜太君本人の場合。ただのイメチェン……とは思えない。噂の力で別人格に変わってしまったか、何かに取り憑かれているか……)
言い知れない不安感が重くのし掛かる。
彼女はかつて無いほど真剣に思考を巡らせた。
(別の可能性……彼が全くの別人の場合。でも、これは考えにくいかな。霊にしては、他の人にも見えていたし、触れていた……)
それに後者の場合、竜太本人はどこに行ってしまったのかという問題も出てくる。
いずれにせよ、今ここで答えが出るような問題では無い。
(もし、竜太君が困ってるなら、助けなきゃ……)
彼には何度も助けられた恩がある。
早く明日の放課後にならないかと、ハルは気持ちばかりが焦った。
翌日、ハルは一日の殆どを上の空で過ごすはめになる。
元々積極性に欠ける彼女だったが、ここまでぼんやりとするのは珍しい。
心配してくれる友人達には申し訳なかったが、彼女の頭の中は放課後、竜太とどう接するかという事で一杯だった。
約束通りに地元の図書館へ行くと、すでに竜太は入り口の横に立っていた。
彼はハルには目もくれず黙々とスマホを操作している。
その光景は彼と初めて遭遇した時に酷似していた。
意を決したハルが声をかけると、彼は見た事もないような満面の笑顔を浮かべる。
「やぁ、ハルさん。お疲れ様~」
「ど、どうも……」
呼び方が戻っている。
もしかしたら、過去のメッセージのやり取りを見て、呼び方を直したのかもしれない。
これでは余計に判断が難しくなりそうだと、彼女は唇を噛んだ。
竜太は爽やかな笑顔で「それで、俺に何の用?」と髪をかき上げている。
「いや、大した事じゃないんだけど。その……ゴミ拾い以来、随分と会ってなかったでしょ? だ、だから、元気かなって思って……」
一応嘘は言っていない。
ハルより小柄だった竜太はゴミ拾いの時には彼女と同じ位にまで背が伸びていた。
そして今目の前にいる彼は、ほんの僅かだがハルより目線が上にある。
その外見的な変化のせいもあり、本人なのかニセモノなのか、今一つ判断がつけられないのだ。
成長期とは恐ろしいものである。
慎重に言葉を選ぶハルに対し、目の前の少年は好意的な解釈をしたらしい。
彼は明るく「俺は元気元気! ハルさんも元気そうで何よりだよ!」と笑った。
大げさな身振り手振りに一歩引きつつ、彼女は小さく手を合わせる。
「あ……そうだ。竜太君、約束してたやつ、もう少し遅くなっちゃいそうなの。ごめんなさい」
「あれ、俺何か約束してたっけ?」
首を傾げる竜太に、ハルは「本、貸す約束してたよね?」と逆に聞き返した。
あぁ! と竜太はうっかりしていたとばかりに頭を掻いた。
「ごめんごめん、忘れてたよ。別にいつでも良ーって!」
「……そう。良かった。また今度持ってくるね」
勿論約束なんてしていない。
ハルの中で、少なくとも彼は竜太の記憶を持たない別人格だと確信する。
彼はこちらの出方を窺い、上手く会話を成り立たせているだけの賢い「何か」だ。
下手に問い詰めた所で良い結果は望めないだろう。
ハルは「じゃ、そろそろ帰るね」と話を切り上げた。
「え? もう?」
会ってすぐの解散宣言に、竜太の姿をした彼は目を丸くする。
ハルは思わず「ちょっと会いたかっただけだから」と口走ってしまった。
「あ、いや、私、この後用事もあるしさ……」
慌てて付け加えたが、あまり効果は無かったらしい。
彼は少し満足気に笑い、「そうかぁ~」と頷いている。
(うわぁ……何か、いらぬ誤解を与えた気がする……)
彼のどや顔からそっと目をそらす。
正直見たくなかったと思いながら、ハルは足早に退散した。
「送るよ」という彼の申し出を半ば強引に断る形で、なんとか図書館から離れる。
(どうしよう……アレが竜太君じゃないとして、本物の竜太君はどうなっちゃったんだろう……)
「……あのぅ……」
「……んぇ? あっ……は、はいぃ?」
後ろから聞こえてきた声が自分に向けての物だとは気付かず、ハルは変に反応が遅れてしまう。
背後には黒い長髪をなびかせた美少女が立っていた。
竜太と同じ中学校の制服を着ている。
その少女はわたわたと鈍臭く振り返ったハルを冷やかに見下ろしていた。
中学生とは思えないスタイルの彼女に同性ながらどぎまぎする。
「な、何でしょう?」
変な所を見られてしまったと赤面するハルに対し、彼女はすました顔を崩さない。
それどころか「お姉さんが噂の、天沼の彼女さんですか?」と、とんでもない質問を口にした。
ピシリとフリーズするハルだったが、すぐにブンブンと激しく首を横に振る。
「ち、ちが、違います!」
噂って何だ、と思ったが、心当たりが一つあった。
以前ハルの髪に女が憑いた時に竜太を探して中学校に行った事があった。
まさかあれが噂となってしまったのだろうか。
中学生という多感な時期を舐めていたと、ひたすら申し訳ない気持ちになる。
「何だ、違うのか」
ハルの様子を見た彼女はツンとした態度で「まぁどうでもいいや」と呟いた。
そのキツめの口調がどことなく大和田のイメージと重なる。
「天沼の奴、一昨日からおかしいんです。なんか別人みたいでキモい」
一度話し出したら止まらなくなったのか、彼女は堰をきったように捲し立てた。
「クラスの奴らも、始めは『天沼の奴、どうしたんだ』って不思議がってた。でもアイツ、変に話が面白いから、今じゃ人気者気取りってカンジ。ヘラヘラしててキモい。マジであり得ないし、調子乗っててホントうざい」
散々な言い草だが、彼女の言いたい事はハルにもよく分かる。
要は彼女もいつもの竜太に戻ってほしいのだろう。
「で、でも、何で私に……?」
「……天沼の彼女さんなら何か知ってるんじゃないかって、思って……その……」
口ごもる彼女の態度でハルは何となく事情を察する。
恐らく彼女は竜太を心配して後をつけていたのだろう。
そこまでする彼女の行動力に対して何の情報も提供できず、ハルは小さく頭を下げた。
「ご、ごめんなさい。実は私も、何があったのか分かってなくて……」
「……そうですか」
口をへの字に曲げる彼女は、きっと竜太に気があるのだろう。
「引き止めてすみませんでした。それじゃ、失礼します」
長い髪をひるがえして颯爽と立ち去る姿にハルは見惚れた。
しかしすぐに気を取り直す。
思わぬ展開があったものの、僅かながら情報はあった。
(一昨日からか……その時、一体何があったんだろう……)
残る手掛かりといえば鏡の噂くらいな物である。
ハルは祈るような思いでキュウサンスーパーへと向かった。
ハルがキュウサンスーパーに着く頃には夕暮れ時になっていた。
図らずも噂の時間帯に訪れてしまい、彼女の顔に緊張の色が浮かぶ。
来客のピークが過ぎたのか客はあまりおらず、人通りもまばらだ。
スーパーの明るさとは対称的に隣の空き家には陰鬱とした雰囲気が漂っている。
敷地内には雑草が生い茂っており、遠目からでも自転車や傘などのゴミが投げ込まれているのが分かった。




