6、望み
悲しげに肩を落とす姿はとても嘘を吐いているようには見えない。
「お前、名前は?」
──す、すみません。それも忘れてしまって……
「それじゃあ話になんねーじゃんか」
困ったように苦笑する桜木に、男子生徒も眉を下げながら「で、ですよね」と笑った。
ハルは恐る恐る桜木の背中越しから声をかける。
「あ、あの、もしかして、ですけど。大和田さんじゃ、ないですか……?」
彼はハルが居ると気付いてなかったのか、少し驚いたように声を上ずらせた。
──お、大和田……? 大和田……そうだ、大和田だ……俺は……大和田、大和田佳寿樹だ……!
彼は噛み締めるように何度も名前を復唱している。
それが果たして大和田兄の名前なのかはハルには分からなかったが、多分そうなのだろう。
桜木はどういう事だと説明を求める視線を送る。
ハルは小声で「ちょっと待って」と断りを入れてから、男子生徒の前に立った。
「あの、大和田、さん? って……妹さんがいたり、します?」
──妹……? あぁ、妹ならいる。えっと、名前は……何だっけ……大和田……大和田……そうだ、佳澄だ!
ようやく確信が持てたと、ハルの心は歓喜に震えた。
「は? 大和田佳澄って、うちのクラスの?」
話に付いていけない桜木に申し訳なく思いながら、ハルは大和田の兄に語りかける。
「私、大和田佳澄さんの、友達です。大和田さんのお兄さんは何で、その……ここにいるんですか?」
まさか彼は自分が死んでいる事に気付いていないのだろうか。
慎重に言葉を選ぶハルに、大和田の兄はうーん、と唸りながら頭を掻いた。
──実は、俺、ここで死んでしまったみたいで……気が付いた時にはここから離れられなくなってたんだ。……初めは意味が分からなくて辛かった。
「は、はぁ……」
意外にも彼は自分の身がどうなってしまったのか冷静に受け止めているらしい。
──どんなに帰ろうとしても駄目で……たまに目が合う生徒に声をかけたりもしたけど、いつも逃げられちゃってさ。その内「もう何も見たくない、これは夢だ」って、目を瞑って過ごしてた。
「現実逃避か」
桜木が気の毒そうに呟く。
大和田兄は小さく頷いた。
──それで、気が付いた時には、本当に目が見えなくなってた。でも、やっぱり家に帰りたい。どうしても諦めきれなくて、人が通る度に声をかけてたんです。
ハル達はかける言葉が見つからない。
見たくないと望むだけで本当に目を失うなどあり得るのだろうか。
八年という歳月が、少しずつ彼の姿を変異させてしまったのかもしれない。
何にせよ彼は八年もの間、たった一人で帰りたいと声を上げ続けていたのだ。
真っ暗な目を伏せて俯く彼に、二人は同情の目を向ける。
「でもよ、帰れないってのはどういう事だ? 俺等がどうやってお前を家まで連れてくんだよ?」
──えっと、何でかは分からないけど、俺は一人じゃ渡り廊下から出られないんだ。でも、誰かの背中についてったら、ここから離れられるんだ。
前に一度、校門まで出られた事があったよ、と話す姿に、二人は「追いかけてくる」という噂話を思い出す。
恐らく背中に憑かれた人物が、追いかけられたと思って流れた噂なのだろう。
あながち間違いではないものの、真相を知った二人は内心で脱力する。
「じゃあよ、場所が分かったら、俺がお前を家まで送ってやるよ」
あっさりと了承する桜木に驚き、ハルは思わず服の裾を引っ張った。
「だ、大丈夫なの? そんな、簡単に」
「でも、可哀想だろ。それに、俺がやらなきゃ、宮原が引き受けそうだし」
(……確かに、そうかもしれない)
突発的に行動してしまうのはこっくりさん事件の際に、お互いに露見してしまっている。
──ほ、本当に良いの?
「……おぉ。言っとくけど、住所が分かったらだからな」
──ありがとう! 本当にありがとう!
彼はポロリと瞳のない目から涙を流した。
こうしてはいられないとハルは慌ててスマホを取り出す。
大和田に「家まで届けたいモノがあるから住所を教えて欲しい」とメッセージを送る。
日頃からよくスマホを弄っているだけあって、大和田からの返信は早かった。
「次の夏期講習で会った時にでも受け取るよ」との返事に対し、ハルは「出来れば今すぐ!」といつになく強めに返す。
(流石に、そこまで親しくない友達に、いきなり住所は教えたくないよね……)
不安に思いながら返事を待つ。
少しの間をおいてハルのスマホに大和田の家の住所が届けられ、三人は安堵の息を吐いた。
大和田の家は学校の最寄り駅である世与本町駅から、バスで二十分程の場所にあるらしい。
「おい、お前ん家、今言った住所で合ってんのか?」
──うーん……分からない……行ってみないと、ちょっと自信ない、です。
住所を聞いても記憶に自信が無いようだ。
不安気に首を傾げる大和田兄に、桜木は「しょーがねぇなぁ」と軽く頭を振った。
「とりあえず行ってみるしかねぇか」
──す、すみません、お願いします。
男子生徒が申し訳なさそうに頭を下げる。
ハルは本当に大丈夫なのかとハラハラしながら二人を交互に見やった。




