3、相談
彼女はハルが「視える」者だと勘付いている。
(どうしよう、視えるって認めちゃっても大丈夫なのかな。でも、下手に話すのはまずいよね……)
しらを切るか認めるか──同情と保身がせめぎ合う。
それにもし渡り廊下の噂が大和田の兄ではなかったとしたら、彼女をがっかりさせる所か確認しに行ったハルに危険が及ぶ可能性だってある。
困ったように固まっていると、大和田ははっとした様子で「あー、ごめん。今の忘れて」と頭を掻いた。
「アタシちょっとどうかしてたみたい」
「い、いや、そんな……」
「……あり得ないって、頭では分かってるんだけどね。でもやっぱ気になっちゃってさ。もし噂が本当なら、なんで兄貴はまだ渡り廊下に居るんだろうって……」
大和田は悲しげに目を伏せる。
マスカラでバッチリと固められた睫毛が僅かに濡れて見え、ハルの胸が痛んだ。
(確かに身内なら気になるかも……それに、噂では……)
ハルは友人の一人が話していた噂の内容を思い出した。
──毎年夏の夕方、六時四十四分になると、その生徒が『返して、返して』って言いながら襲いかかって来る……
「確か、噂では何かを『返して』って言ってるん、だよね? 心当たりはあるの?」
「ぜーんぜん。特に無くなった物は無さそうだし、友達は多くはなさそうだったけど、別に虐められてた訳じゃないっぽいしね」
霊の出る時間の件もそうだが、随分と事実と創作が混ざっているらしい。
「返して」という言葉も襲うという話も、単に怖さを演出する為の追加要素なのだろうか。
どこまでが真実かはハルには判断できないが、少なくとも大和田の話は信じる気になれた。
二人の後ろ側のホームを快速電車が通過する。
電車の風が蒸した空気を押し流し、一瞬の涼しさをもたらした。
それを合図に大和田は「さーて」と勢いよく立ち上がり、伸びをする。
「……酷いこと言った上に、長々と重い話しちゃってごめん。聞いてくれてありがと」
「い、いえ、どういたし、まして」
しおらしい態度につられてハルも畏まると、大和田は大きく笑った。
「やーっぱ宮原さん、兄貴に似てるわ」
今のやり取りのどこが似ていたのかは分からない。
しかし屈託なく笑う大和田の姿にハルは胸を撫で下ろした。
別れ際、大和田は「私の言った事、あんま気にしないでね」と念を押して帰って行った。
ハルにはそれが弱みを見せた事、余計な事を話してしまった事を恥じているように見えた。
(大和田さんはあぁ言ってたけど、本当は噂が気になるんだろうな……)
帰宅したハルは机に突っ伏して頭を抱える。
恐らく今まで誰にも言えなかった胸の内を語ってくれた大和田に、何かしてやれる事はないかと思い悩む。
(……というか何で私、ここまで大和田さんの為に悩んでるんだろう)
元々は苦手だった相手でも、詳しく話を聞いてしまった以上どうしても感情移入してしまう。
(だからって、いきなり渡り廊下を見に行きたくはないしなぁ……怖いし)
ハルは自身の損な性格を自覚しながらスマホを手に取った。
SNSでは北本達が服屋で撮ったらしい、楽し気な写真がアップされていた。
ぼんやりとした頭で適当に反応を返す。
(そういや皆、有名な噂だって言ってたな……もしかして)
ハルは思い付いたままにスマホを操作した。
画面に桜木陸斗の名前が表示される。
(桜木君は確かテニス部……体育館は使わないだろうけど、夏休み中も部活はあるって言ってた。噂について、何か知ってるかもしれない……)
むしろ彼なら噂どころか、その正体を直接視た事があるかもしれない。
何かせずにいられなかった彼女は深く考えずに発信画面をタップした。
コール音を聞きながら少しずつ期待感を募らせる。
しかし、しばらく待ってみたものの繋がる気配はない。
(仕方ない、また後でかけ直そう……電話を諦めるタイミングって難しいな……)
冷静さを取り戻したハルが電話を切ろうとすると、突然「もしもしっ」という声が飛び込んできた。
その声量に驚いた彼女は危うくスマホを取り落としかける。
「あ、あの、桜木君。今、大丈夫?」
──別に平気だけど、どうした?
慣れない電話に緊張しきりで姿勢を正す。
「えっと、その、ちょっと聞きたい事があって……」
ハルはそこまで言って、はっと気付く。
大和田は兄の話を誰にも話していない様子だった。
はたして勝手に桜木に喋ってしまっても良いのだろうか。
言葉に詰まるハルに、桜木は不思議そうに声をかける。
──おーい。聞きたい事って何だよ。もしもーし?
「あ、うん。大したことじゃ、無いんだけど……」
ハルは大和田の兄の話は伏せて渡り廊下の噂について聞く事にした。
「桜木君は、うちの学校の渡り廊下の噂話って聞いたこと、ある?」
──はぁ? 渡り廊下ぁ? あの、体育館のやつか?
突拍子もない話題に驚いたのか桜木の声が更に大きく響く。
ハルはそっと通話の音量を下げた。




