2、対話
怒らせてしまったかと焦るハルを軽く睨み、彼女は静かに口を開く。
「宮原さんって、ほんっとオドオドして人の顔色ばっか窺ってるよね。そういうトコ、アタシ大嫌い」
「……ご、ごめん、なさい……」
人に面と向かって嫌いだと言われるのは初めての事だ。
ハルは真っ青になって謝った。
気温は暑い筈なのに指先が震える。
「ほら、そういうトコとかさ。あんた大して悪くないのに謝っちゃって。気が小さいんだか優しいんだか知らないけど、正直ウザい」
「す、すみませ……」
いよいよ泣きそうになりながらハルは足を止めて頭を下げる。
「あーもう!」と大和田は苛立たしげに茶髪を掻きむしった。
「だから、いちいち謝んないでっての! ほんっと、宮原さんって兄貴に似ててムカつく!」
「……お、お兄さん……?」
思わぬ単語に、小さく聞き返す。
大和田はバツが悪そうに視線を逸らした。
「…………ごめん。八つ当たった。宮原さんが、あんまり兄貴に似てたから、つい……」
「だ、大丈夫……」
内心は全く大丈夫では無かったが、珍しく殊勝な態度の大和田に関心を抱く。
「……さっきの噂。渡り廊下で死んじゃった生徒ってさ。あれ、アタシの兄貴なんだ……」
「えぇ!?」
まさかのカミングアウトに驚きながらも、ハルは心のどこかで納得していた。
(だから、あんなに怒ってたんだ……当たり前か……)
再び歩みを進める内に二人は駅に着いてしまった。
何を話すでもなくホームのベンチに並んで座る。
ベンチの熱が服越しに伝わり、ハルは体中からじわりと汗をかくのを感じた。
(き、気まずい……)
ちらほらと前を行き交う人々を眺めつつ、電車の到着を待つ。
「……八年前」
「え?」
「兄貴が死んだのは八年前でさ。正確には夏休み中じゃなくて、夏休みに入る少し前だった」
「そ、そうなんだ……」
遠くを見ながらしんみりと語る彼女の言葉に、大人しく耳を傾ける。
身内の死を面白おかしく語られる彼女の痛みがどれ程の物か、ハルには想像もつかない。
「廊下でふざけてた生徒がぶつかってきて、運悪く転んだ先が柱の土台だった。……当たり所が悪かったみたい」
「そう、だったんだ……」
「時間も六時四十四分なんかじゃなくて、七時少し前だって聞いた。部活、バスケやってたから」
「…………」
電車の到着を知らせるアナウンスが流れるが、立ち上がる気になれない。
ハルが動く気配がないのが分かると、大和田は足を組み直した。
ただのよくある怪談ではなかった事がショックだった。
友人の兄、実在した人間の話だ。
知らなかったとはいえ娯楽として楽しんで良い話では無かった。
押し寄せる罪悪感に苛まれながらハルはうな垂れる。
「知らなかったから……じゃ済まないだろうけど、ごめんね」
「いや、別に良いよ。つーか宮原さんが謝る事じゃないしね」
話をした事で幾らか鬱憤が晴れたのか、大和田は表情を和らげた。
ハルは思いきって気になっていた事を質問した。
「そんなに、その、私とお兄さんって似てたの?」
大和田は「うーん」と顎に手を当てて大袈裟に考える素振りをする。
「ぶっちゃけ、分かんない。私まだ小さかったし。でも、最初に会った時からずっと似てると思ってた」
「へ、へぇ……」
「それに宮原さんって、たまに変なトコ見てる時あるでしょ。兄貴もそうだった。それで、たまに凄く怯えたりしてた」
(それって、お兄さんも視える人だった……って事かな?)
いつの間にかやって来ていた電車が扉を閉めて発車しだした。
二人は遅れて届いた冷気を名残惜しむように足を伸ばす。
遠のく電車をぼんやり見送り、大和田は穏やかに笑った。
「アタシさ、小さい頃、兄貴にはオバケが見えてるんだって思ってた」
「そ、そう……」
「嘘かホントかなんて、もう確認のしようが無いけど。でも多分、兄貴は人と違う物が見えてた」
「……お兄さんの事、好きだったんだね」
ポロリと言ってしまったハルの一言により、彼女の眉間に皺が寄せられる。
「別に、普通だっつの。……まぁ、優しい人だったかな? アタシがどんな我が儘言っても全然怒らなかったし」
「そーいうトコも、ちょっと宮原さんみたいでしょ」と笑う姿につられ、ハルもやっと笑顔を浮かべた。
ぎこちないながらも、どこか互いに歩み寄れた空気がこそばゆい。
やがて大和田は気まずそうにハルに向き直った。
彼女の真剣な眼差しに気圧される。
「あのさ、変な話だけど、笑わないで聞いてくれる?」
「な、何?」
「もし、もしだよ。もし宮原さんも兄貴と同じなら……渡り廊下の噂がホントにアタシの兄貴なのかどうか、確かめる事って出来ない?」
「そ、それは……」
何をどう答えるのが正解なのか、即答出来るほどハルの頭の回転は速くない。
思い詰めた様子の大和田と目を合わせることが出来ず、ただ足元を見つめた。




