32、発破
次の話題に選ばれたのは佐藤氏についてであった。
「佐藤先生が恐れていたのは奥田さんと大嶋さんの母親だね。彼が平井田さんを閉じ込めたのは、大嶋希羽さんが平井田さんを取り込んであれ以上悪霊化しないようにする為。そして平井田さんと奥田さんを少しでも引き離す為と考えられます」
「じゃあ大成君を閉じ込めていたのも、大成君を守る為ですか?」
改めて感謝の念を抱くハルだったが、忍の返答はどこか冷めているものだった。
「……もしくは平井田さんが大成君を憑り殺さないようにする為スかね。平井田さんは大成君の居た小部屋を恐れて近付けなかったようですし」
「な、なるほど?」
佐藤氏の凄惨な見た目は最後まで慣れなかったものの、理由は何であれ彼も命の恩人である事に変わりはない。
何故そんなに微妙な反応なのかと小首を傾げるハルに、忍は珍しく言い難そうに口を開いた。
「結果としては救われたけど、佐藤先生はいわゆる悪意のない悪霊ってヤツだったんスよ。それこそ近くにいるだけで悪影響を受けるレベルのヤツね」
「え?」
あまりにも想定外の発言である。
ハルの理解が追いつくより先に、忍は淡々と言葉を続けた。
「それに彼はハルちゃんと大成君を守ろうとはしましたが『現世に返そう』とはしていませんでした。あくまでも廃校の中で『匿い、逃がす』事しか考えていなかったんです」
「そんな……」
「俺が校内に入れなかったのも、奥田さんの拒絶の他に佐藤先生の『閉じ込めようとする強い意志』があったからだね。彼、よっぽど『手のつけられない奥田さん』を外に出したく無かったんでしょう。まぁチヒロちゃんの説得の甲斐もあって、最終的には俺に協力してくれましたが」
いうなれば「自分の教え子が他所で迷惑をかけないように閉じ込めよう」という佐藤氏なりの正義感だったらしい。
もろとも閉じ込められたハルからすればたまったものではないが、残り少ない理性で導き出した佐藤氏なりの最善だったと考えると怒る気にはなれなかった。
「じゃあ脱出の時に佐藤先生が協力してくれたのはチヒロちゃんのおかげだったんですね」
「そうなるね。かなり難航しましたが、どうにか『俺なら奥田さんをどうにか出来る』って納得して貰えました。だからこそもう一度、俺は奥田さんの所に行かなきゃなんスよ」
(えぇ……いくら佐藤先生との約束があるからって、怪我を押して行くの……?)
ハルと竜太のもの言いたげな視線には触れず、忍は改めて「大丈夫だって」と右手をヒラつかせている。
「大体一人じゃないしね。同僚が一緒だから何も問題ねっスよ」
「え、そうなんですか?」
「ハッ、そもそもこの手で運転してんのバレたら最悪、捕まるっしょ」
「……同僚って俺等が会った人? 男の方? 女の方?」
険しい顔を崩さない竜太にハラハラしながらも、ハルは忍の返答を待つ。
仕事関係にはあまり触れたくないのか、彼は「男の方」と短く答えるだけだった。
「あ。そういやハルちゃんに、チヒロちゃんからの伝言があったのを思い出しました」
「え!? チヒロちゃんから……私に?」
分かりやすく話を逸らした忍の膝を竜太が軽く叩いたが、ハルとしては同僚の話よりも伝言の方が重要である。
彼女の素直な反応に気を良くしたのか、忍は満足気に口角を上げた。
「確か、『お姉ちゃん、巻き込んじゃってごめんなさい。猫ちゃんだけじゃなく、お兄ちゃんの事も助けてくれてありがとう』だってさ」
「猫?…………あっ……!」
思い当たる出来事は一つしかない。
ハルは木に登って降りられなくなった仔猫を八木崎と共に助けた時の事を思い出し──ブワッと冷や汗が噴き出した。
(え、え!? もしかしてあの時一緒に居たのって千景ちゃんじゃなくてチヒロちゃん!? だとしたら……)
視えない仔猫について何も言わず肩を貸してくれた、という八木崎の前提が大きく揺らぐ。
(そんな、嘘でしょ!?)
もしあの時の千景がチヒロで、八木崎に視えていなかったのだしたら──
──あんガキ、コンビニと……猫ん時のガキか?
彼が零した千景に対する苦言が頭をよぎる。
──あんガキ、気味悪わりぃ。あんま関わんな。
「……まさか八木崎君……」
「「浩二?」」
首を傾げる竜太と忍に上手く返せず、ハルは悶々と頭を抱えた。
(信じられない! 何も視えてなかったなら早く言ってよ!)
これまで気付いていなかった分、余計に恥ずかしいというものだ。
何なら気付かないままの方が良かった位だが、もはや詮無きことである。
ひとしきり百面相をした彼女は無理にでも気持ちを切り替えるべく声を上擦らせた。
「えっと……巻き込まれたのは私の運が悪かっただけで、チヒロちゃんが謝ることじゃないですよね? そう忍さんから伝えて貰う事って出来ますか?」
仔猫の件で動揺したハルが何気なく放った言葉に、忍は難しい顔で小さく唸った。
「伝言は出来るけど、ハルちゃんが巻き込まれたのはチヒロちゃんが原因スよ?」
「……え?」
「背中、押されたんでしょ? 誰に?」
「誰って…………まさか……!」
キョトンとする間もなく真相が告げられてしまい、ハルの目が点になる。
(だから平井田さん、私の事を「呼んでない」って言ってたんだ。奥田さんも私の事が気に入らないみたいだったけど、それって私がチヒロちゃんに突き落とされて廃校に入っちゃった予想外の侵入者だったからなのかも……)
竜太も事情を察したらしく「アイツ……」と怒りとも呆れとも取れる声を漏らしている。
しかしそれ以上何も言わない辺り、不満はあれど責める気はないのだろう。
それに関してはハルも同じ気持ちであった。
「じゃあ……『気にしてないよ』って伝えて貰えますか?」
「大丈夫。きっと既に伝わってますから」
理屈は不明だがそういうものらしい。
もはや言われるがまま納得するしかないハル達に、忍は「さて」と話を切り上げた。
「説明出来るのはこんな所かな。他に何か質問ある? なければ解散スね」
「「……」」
探せばまだまだ疑問は出てくるだろうが、取り立てて思い浮かぶ質問事項はない。
如何とも言い難い複雑な心境で頷き合う二人の何が琴線に触れたのか──忍が小さく噴き出した。
「フッハハッ、分かりやすくて可愛いもんスねぇ~」
「は? 意味分かんないんだけど」
竜太が不躾なまでの反応を示すも、忍はやたらと楽しげである。
「そうだ、ハルちゃん」
「……はい?」
あくどい笑みに嫌な予感が走る。
身構えるハルに構わず、忍はなんて事ない様子で頬杖をついた。
「そろそろハルちゃんも『縁の太さの重要性』は何となく理解してると思います。その上で一つ、他ならぬ『宮原のじいさんの孫』である君に、参考程度の提案をしましょう」
「提案……ですか?」
「そ。怪異に関して言えば、俺との縁が太ければ太い程、護りやすいわ助けやすいわで安全なんスよ。血縁者は勿論、親友や恋人なんかも該当しますね」
要領を得ない話に首を傾げる。
すると突然、竜太がハルの腕を掴んだ。
「ひゃっ!? な、何? 竜太君」
「帰ろ、ハルさん」
「え? え? でも……」
「性悪眼鏡のタチの悪い冗談、聞く必要ない。帰るよ」
有無を言わさず引っ張られてしまい、ハルは慌ただしく立ち上がる。
つんのめりながらも振り返れば、忍は表情の読めない顔で「でも嘘はついてないスよー」と手を振っていた。
「ど、どういう……?」
「考える必要ない」
ドスドスと階段を降りる竜太に続くハルの耳に、忍らしからぬ派手な笑い声が届く。
大笑いの中に挟まれる「とられったくねんならはなからちったぁがんばんべぇ」の意味を考える暇もなく、ハルはナナサト床屋を後にした。
(何が何だか分からないけど、竜太君……怒ってる?)
掴まれたままの腕が熱を持っている。
大股で突き進む竜太にかける言葉が見つからず、ハルは小走りでついて行く他ない。
暫く無言で歩いていた二人だったが、いつもの白い鳥居の神社に差し掛かった所でようやく竜太の足が止まった。




