31、大罪
「やぁやぁ、おつかれさまっス」
ナナサト床屋を訪れて早々、いつもと変わらぬ飄々とした態度で現れた忍にハルは心の底から安堵した。
とはいえ彼の左腕には未だ仰々しい包帯が巻かれている為、手放しで喜べる状態ではない。
「退院おめでとうございます。これ、つまらない物ですが……」
「おぉ、相変わらず若いのに気が利くスねぇ。ありがとうございます」
「い、いえ! こちらこそ助けて貰って本当にありがとうございました!」
菓子折りを差し出しながら深々と頭を下げるハルに、忍は「そのお礼、一生分は聞いたね」とからかう様に喉を鳴らした。
「とりあえず上がんなよ。竜太、茶ァ淹れて」
「……ん」
素直に頷く竜太があまりにもらしくなかったのか、忍は一瞬目を見開くと「え、何、素直。怖っ」とハルにコソコソ耳打ちをする。
どう返して良いかわからず曖昧に笑い返していると、竜太は不機嫌そうに忍を睨みつけて台所に向かっていった。
(竜太君、本当にどうしちゃったんだろ……)
相変わらず独特な二人の空気感に戸惑いつつ、ハルはいつもの和室へと通されたのだった。
「さーて、病院では殆ど話せなかったからね。色々聞きたい事もあるだろうし、今日は暇なんでとことん付き合うスすよ。何から話しましょ?」
文机に肘を掛けて語る忍の口振りはいつもに増して穏やかである。
意外にも竜太に視線で促されてしまい、ハルはおずおずと口を開いた。
「えっと、チヒロちゃん達は……お姫ちゃんや佐藤先生はどうなったんですか?『大丈夫』としか言われてないから心配で……」
廃校を脱して以降、チヒロの姿は見ていない。
おまけに大成経由で「部室からお姫ちゃんが消えた」と聞かされてしまっては不安も募るというものだ。
「チヒロちゃん、佐藤先生、お姫ちゃんのお三方は同僚が無事に保護しましたよ。だいぶ危ない所だったみたいスけどね」
「よ、良かったぁ……」
ハルが胸を撫で下ろすと忍が詳細を補足し始めた。
「チヒロちゃんは今はまだ弱ってるから出て来られないんでしょうね。佐藤先生と大嶋さん親子は上が然るべき処置をしてます。お姫ちゃんは一部破損していたので同僚が修繕中っス」
「えっ!? 破損って、直るんですか!?」
「こう、首と片足がポロッとね。プロの人形師じゃないから完全とはいかないだろうけど、手先だけはかなり器用な奴なんで問題ないでしょう」
こうもはっきりと言われてしまえば素直に信じるしかない。
「器用な奴」というのは廃校脱出後に会った男なのかもしれないと感じ取り、ハルは切にお姫ちゃんの無事の修復を祈った。
「……で、ハルさん達を襲った化け物はもう居ないの? そもそも何で大成が狙われた訳? 大成は目を付けられるような心当たりは無いって言ってたけど」
竜太がちゃっかり質問を二つ繰り出す。
忍は暫し間を置いてから言葉を選ぶように眼鏡を持ち上げた。
「……奥田さんはまだあの廃校に居るよ。今頃はめちゃくちゃ怒り狂ってるだろうね」
「……は?」
「えぇっ!?」
険しい顔になる竜太と青褪めるハルを順に見やり、忍はわざとらしく肩を竦める。
「ハハッ、同僚が完全に閉じ込めてくれたんで今は大丈夫スよ。それに俺、明日また鉢望小に行くんで。そしたら今度こそ完璧に事件解決っスよ」
「「はぁ!?」」
まだ包帯も取れてないような状況で何を言っているのか──
あまりにも自殺行為としか思えない発言である。
竜太が「馬鹿なの?」と眉根を寄せたが、当の本人はまるで気にしていないようだ。
「平気平気。この前は人質が居たし、時間制限やら守る対象も多いしで、全てが後手後手だったからね。ちゃーんと準備して向かえば、俺がサシで負ける相手じゃないスよ」
「でも怪我だってまだ……」
「あ、この包帯は痣隠しっス。ちょっと見た目がアレなんで、周りへの配慮と言いますか……とにかく生命力の強さが俺の取り柄なんで、何も問題ないスよ」
やたらと強気が過ぎる発言だが、虚勢を張っているようには見えない。
ハルが竜太を見ると彼は諦めた様子で溜め息を吐いた。
「ちなみに大成君が狙われた理由は流石に分からないかな。一番可能性が高いのは『平井田さんか奥田さん、どちらかの縁者と大成君が接触』してしまったー、とかスかね?」
「接触? 縁者って何。大成は何も言ってなかったけど」
「大成君に自覚が無くても、十分あり得る話ス。
元々、平井田さんはお兄さんを探し求めていた。そんな所に、偶々雰囲気が似ている大成君がギリギリ縁を辿れる範囲内に現れてしまったとしたら……」
「……アイツ、変なのに目ぇ付けられがちだしね」
「こればっかりは体質だろうな。とにかく平井田さんは奥田さんの口車もあってか、大成君を自分のお兄さんだと思い込んでしまった。奥田さんの狙いは……まぁ碌でもない事半分、取り込む魂を増やしたい半分って所かな」
奥田少女の名前が挙がった事で、ハルは新たな疑問を口にする。
「そういえば、どうして奥田さんはあんな……蛇みたいな姿になってしまったんですか? それに性格も……その……」
故人を悪く言うのは憚られるものの、子供らしからぬ悪意の強さと残虐性は未だハルの中に恐怖として根強く残っている。
言葉を濁す彼女の意を察したのか、忍は神妙な顔で茶を啜った。
「……残念ながら、一般的な倫理観からかけ離れた『どうしようもない気質』ってのは偶に居るんスよ。それが『先天的なものか後天的なものか』は分かりませんが、何にしろ奥田さんはかなり珍しいケースの存在っスね」
「珍しい……?」
「彼女の業は深い。小動物や大嶋さんの殺害、佐藤先生や大嶋さん母の死に関わっただけじゃない。彼女は生前、絶対に犯してはならない罪を犯している」
重々しい空気を感じ取り、自然とハルと竜太の表情が引き締まる。
忍はやたらと言葉を選んだ末、小さく「神殺しだ」と呟いた。
「神……殺し?」
聞き馴染みこそないが物騒なワードである。
首を傾げる二人に構わず忍の話は続く。
「正確な所は分からないけどね。『弱体化した神』かもしれないし『神だったもの』かもしれない。『神の遣い』か、はたまた『神になりかけのもの』か……とにかく人が手を出してはならない神聖な存在を、彼女は殺して喰らった」
「食っ……!?」
ハルは思わず口を覆う。
彼女が「神の遣い」と聞いて真っ先に思い浮かべたのは、世与の町を徘徊するイモ虫モドキであった。
(ああいう存在を殺して、しかも食べた……? それも生前に!?)
竜太も同じ事を思ったのか、「人間の子供にそんな事が出来る訳?」と訝しんでいる。
忍はどう説明したものかと頭を掻きながら天井を仰いだ。
「まぁ察しはつくだろうけど、彼女が喰ったのは蛇だね。長く生きてそれなりに徳の高い蛇様だったと思われますが、彼女の素質の方が上だった。彼女は蛇の呪いや祟りなど物ともせず、むしろ死後に蛇の力を呪いごと取り込んだ」
「そんな……」
「更に言うと、奥田さんと平井田さんの死因は大嶋希羽さんの呪いが原因ス。二人とも高熱に魘され皮膚が焼け爛れて亡くなったらしいけど、奥田さんの見た目が一見綺麗だったのも蛇の影響でしょうね。蛇は脱皮しますから」
「「…………」」
あまり具体的に想像したくない光景である。
絶句する二人に構わず、忍は「廃校に留まる思念や集まってきた浮遊霊を餌にしてあそこまで大きくなったんだろうね」と追い打ちをかけた。
「かつての鉢望小と融合しかけてたみたいだし、元担任からも恐れられている中、奥田さん本人は『自分は何でも出来る、許される』位の神様気分でいたんでしょう。まさに『躾のなっていない子供』ってヤツっスね」
そんな生優しい物ではなかったと胸中でツッコミつつ、ハルは奥田が廃校内を自由に行き来したり扉を動かしていた事を思い出した。
(蛇を取り込んで、他のオバケも取り込んで、廃校と融合して……あの奥田さんは、本当に奥田さんだったって言えるの?)
言語化出来ないモヤモヤが募る。
忍は奥田に関する話題はこれ以上不要と判断したのか、気を取り直したように姿勢を正した。
「あの場はそれぞれの思惑で好き勝手に動くヤツが多かったから混乱するのも無理ないね。奥田さん、平井田さんの行動原理は大体分かっただろうからさておこうか」
「は、はい」
早くも音を上げたくなる程の情報量と内容の濃さだが、続きを聞かない訳にもいかない。
ハルと竜太は軽く目配せをし合うと、口を挟む事なく忍の言葉に耳を傾けた。




