25、託す
忍の手伝いとして呼び出されたのは竜太と千景の二名であった。
そして桜木に言い渡された指示は「要請した応援が到着した際の説明係」であり、実質「一人だけ待機」ともとれる内容である。
これには流石の桜木も不満を口にした。
「そんな! なんで俺だけ車で待機なんですか!?」
食い下がる桜木に対し、忍は顔色一つ変えずに「すみませんねぇ」と眼鏡を上げた。
「相性とか体質とか要因は様々なんスけど、とにかく君がこれ以上あの廃校に近付くのは危険なんスよ」
「……やっぱり足手まといって事、ですよね……」
「どうにも想像以上の相手だったもんで、ご理解下さいよ。俺にはアレを外に出さず、この二人をフォローしながらハルちゃん達を助けるので手一杯。君に気を回す程の余裕が無いんスよ」
忍は桜木の背中をベシベシと叩くと「それに」と声を落とした。
「本当は今も辛いでしょ? これ以上君があの廃校に近付く事は命に関わります。寿命が縮むどころじゃなく、大袈裟抜きで命を削り取られますよ」
「「えぇっ!?」」
思わぬ発言に桜木のみならず千景からも驚きの声が上がる。
そのあまりにも穏やかでない内容には竜太ですら眉間に皺を寄せた。
「何度も言いますが、悪いモノに対する拒絶は正常な反応であり、君の長所です。この車が簡易結界になってるとはいえ、本来ならもっと遠くに避難して欲しい位なんスよ」
そこまで言われてしまえば従うしかない。
桜木は渋々ながらも竜太と千景に託す事を了承した。
忍なりのフォローがあったとはいえ、当人としては悔しさの残る選択だったといえよう。
とはいえ時間がない。
竜太と千景は忍に促されるがまま再び廃校の敷地内に足を踏み入れる事となった。
気まずく車の方を気にする千景を横目で見つつ、竜太もまた複雑な思いで息を吐く。
(いや、桜木センパイを気にしてる場合じゃない。俺もやれる事をやらなきゃ)
そう気を取り直したは良いものの、何をやらされるのかは見当もつかない。
忍の足は大嶋親子が再会した渡り廊下を通り過ぎ、本校舎の昇降口の前で止まった。
砂埃で汚れきった両開きのガラス扉は左扉が完全に割れ落ちており、侵入者を拒むように立入禁止の黄色いテープが貼られている。
「それじゃあ」と忍が口を開いた瞬間、気配が一つ増えた。
「おぉっとグッドタイミング」
「わ! 何!?」
突然人影が右扉のガラスに映り込み、千景はサッと竜太の後ろに身を隠す。
暗がりに目を凝らした彼女はすぐにあり得ない光景に気付き、再び驚きの声を上げた。
「あああ、アタシぃ!?」
ガラスに映っているのは千景と瓜二つの少女──チヒロであった。
扉の向こうに人の姿など無く、明らかに不自然な映り込み方をしている。
忍がすかさず「状況は」と問えば、チヒロは「駄目。邪魔された」とガラスの中で項垂れた。
『鳥居を潜った瞬間、私だけ引き離されちゃったの。上手くいってれば今頃ここにお兄ちゃん達が居た筈なんだけど……ごめん』
「そうか。やっぱそう上手くはいかないスよね」
報告を受けながらも忍の手は何かが書かれた木札を扉の前に並べたり、掌サイズの独特な形状の金棒を扉に立て掛けたりと忙しない。
とても口を挟める空気ではなく、竜太と千景は黙ってチヒロの話に耳を傾け続ける。
『でもお兄ちゃん達、もう一度鳥居を潜ったみたい。あの人形のおかげかな? 多分、薄黄色の階層は通過したと思う。さっきよりも気配が現世側に近付いてるから』
「了解。それは朗報だな」
『けど、なーんか二人の動きが変なんだよね。もしかしたら奥田って奴に惑わされてるのかも』
「大いにあり得るスね」
小瓶に入った液体を地面に撒きだした所で、ようやく忍は竜太達に声を掛けた。
「さて、二人には今から俺の代わりを務めて貰います」
思わず背筋を伸ばす竜太と千景には目もくれず、忍は何らかの作業と並行して説明をし始めた。
「今から俺が異界側と現世側を繋ぐ抜け穴を作ります。二人にはそこから校内に入って、ハルちゃんと大成君に声をかけ続けて欲しいんスよ」
「抜け穴? 声掛けって……」
「要は『現世はこっちだよー』っていう誘導っスね」
色々と突っ込みたい所をどうにか飲み込み、竜太は禍々しい悪意が充満する校内を睨みつけた。
野生動物でも死んでいるかのような酷い臭いだ。
暗い中に並ぶ下駄箱が物々しい雰囲気を醸し出している。
あらかた準備が整ったのか、忍は左腕に数珠を巻き付けながら竜太達を振り返った。
「穴を繋いでる間、俺は境界……この扉の敷居から一歩も動けなくなるんスよ。悪い物が穴を塞いだり外に出たりしないようドアストッパー役も兼ねるからね」
「え、でもアタシ達、中に入っても良いの?」
先程の桜木とのやり取りもあり、千景が不安げに呟く。
忍は割れていない方のガラス扉を全開に開くと左半身を校内に踏み入れてしゃがみ込んだ。
「入るといってもこの敷居を越えた一、二歩までスよ。俺の左手が届く範囲内なら二人を守りながら抜け穴を維持できるので」
これが忍なりの最大の譲歩にして苦渋の選択であった。
険しい表情の忍を見下ろす形で、ガラスに映るチヒロが明るく声をかける。
『じゃあ私は引き続き、お兄ちゃん達との合流を目指すよ! もし上手くいったら二人をここまで連れて来るからね』
「頼みます」
『それと……千景』
「へ? アタシ!? なな何っ!?」
やたらと大袈裟に反応する千景に向かい、チヒロはニコリと微笑んだ。
『お兄ちゃんの誘導、私の分まで頼んだよー』
それだけ告げると、チヒロの姿はスゥと消えて見えなくなってしまった。
「えぇっと、何なのあの子? 何で私と同じ顔を……」
「それは後。今はハルちゃんと大成君の救出が先です。さ、早く」
戸惑う千景を見上げながら、忍は「あくまでも入って良いのはこの扉から手の届く範囲まで」と強く念を押した。
「いいスか? 二人共、何があっても絶対に下駄箱の奥に行っちゃ駄目スよ。特に竜太! 俺の守護範囲から離れたら死ぬと思えよ」
「コワ。俺、そこまで言われて逆らう程馬鹿じゃないんだけど」
「なら良い。とにかく二人は異界との狭間ギリギリからハルちゃんと大成君の事を大声で呼び続けろ。呼び寄せる想いが強ければ強い程、縁を辿って帰って来やすくなる筈だ」
神妙に頷いて校内に足を踏み入れる二人を目で追いつつ、忍は敷居を跨いだまま地面に手をつき、何事かをブツブツと唱え始めた。
「──、────……──……」
ミシ──ミシッ
パキッ──ギシッ──
下駄箱の奥に見える階段の方から家鳴りとも足音とも取れる音が聞こえ始める。
酷く汚れた空気のせいで呼吸がし辛い中、竜太と千景は意を決して大声を上げた。
「に、兄ちゃん! おぉーい、兄ちゃーん! ハルお姉ちゃーん!」
「ハルさん! 大成!」
「ハルお姉ちゃーん! こっち戻って来てよー! おーい、兄ちゃんってばぁっ!」
二人の必死の呼びかけを聞きながら、忍は昇降口の外についた右手と下駄箱の床についた左手に意識を集中させる。
下手を打てばハル達どころか竜太達の身も危ないが、慎重になり過ぎれば手遅れになるだろう。
こうしている今もハル達の魂は穢され続けており、いずれは肉体もろとも朽ち果てて奥田に取り込まれてしまうかもしれないのだ。
「……っ……!」
アスファルトと埃のザラリとした感触とは別の不快感が忍を襲う。
緩く巻いていた筈の数珠がギリギリと音を立てて彼の左腕を締めつけていた。
「ハルさん! 大成! 早くこっち来い!」
「帰って来てよ、二人共ーっ!」
各々、上階で複数の気配が動き回っているのを感じるものの、その「どれが生者のもの」なのかまでは誰にも判断がつかない。
その事の深刻さを知ってか知らずか、竜太と千景は喉が枯れんばかりにハル達の名を呼び続けた。
「ハルさん! 大成っ!」
返事はない。
ただ時折、上階から走り回る気配や微かな足音、ラップ音が聞こえるだけである。
(クソッ、なんでさっきから同じような所グルグル回ってんだよ、馬鹿!)
焦るあまり一歩踏み出しかける竜太の服を千景が掴む。
ハッとしてすぐに身を引いた竜太だったが焦りは増すばかりだ。
「ハルさん! 大成! 下だ、下! 降りて来いって!」
「兄ちゃん、ハルお姉ちゃん! こっちだってばーっ! 気付いてよー!」
忍の言いつけを守りつつ、二人が呼び掛けを止める事はなかった。




