22、門
「あのさ……ちょっと思ったんだけど、無理に鳥居を建てる必要は無いんじゃないかな?」
「はぁ!? お前、ここまで来て今更何言ってんだ!?」
声を荒らげる大成を「まぁまぁ」と宥め、ハルはチヒロに聞き返した。
「どういう事? 忍さんが作れって……千景ちゃんもそう言ってたじゃない」
「だからさぁ、『簡易的でも良いから鳥居の形』を作れば良いんだよね? ならさ、鳥居を建てるんじゃなくて、書くのはどうかなって思ったの」
目から鱗とはこの事か──ハル達には思いつきもしなかった発想である。
(……確かにそうかも。鏡や水みたいな平面でも出口になるなら、例えば壁に書いた鳥居だって……もしかしたら)
大成も似ハルと似たような考えに至ったらしく「でかした!」と明るい顔でチヒロの肩を叩いている。
提案した本人は自信がなさそうだが試さない手はないだろう。
「えっと……とにかく千景ちゃんの案を試してみようか。チョークならあるみたいだし」
無意識に赤い鳥居を連想したハルは迷う事なくピンク色のチョークを手に取った。
大成も「どうせなら本当に通れるように扉の周りに描きましょう!」と本来の調子を取り戻し始めている。
「あ、ならあの紙も使えるかもよ!」
チヒロが机に乗って掲示物を剥がしだした所で本格的な作業が始まった。
一斉にかかれば数枚の風景画を剥がすのに三分と掛からず、ハル達は黙々と紙を裏返しては開かれた扉の周りに貼り付けていく。
紙の上から鳥居を模した線を引いていき、ものの数分で扉サイズの鳥居もどきが完成した。
彼の考案した通り、扉を通れば必然的に鳥居を潜る形となっている。
とはいえチョークの線ではいくら重ね書きをしたとしても心許ない手作り感は否めない。
もはや絵というより神社の地図記号のような、拙い落書きレベルの仕上がりだった。
(『簡素で良い』とはいえ、流石にこれは簡素過ぎない?)
どう贔屓目にみても不安しかない。
しかし、くたびれた画用紙が扉を取り囲む光景自体は異様である。
それが却って「別の世界への入口」のような妙な錯覚を抱かせていた。
(なんか……自分達で作っといてなんだけど、ちょっと不気味だなぁ)
この嫌な感覚は何なのか──
ハルのこめかみを汗が伝う。
ふと見れば大成も同様に冷や汗を浮かべていた。
(なんでだろう。通る為に作った筈なのに、嫌だ。あの鳥居……潜りたくない)
体が思うように動かない。
どうにも足を踏み出せずにいると、チヒロの手が二人の背を思い切り引っ叩いた。
「しっかりしてよ二人共! この廃校に引っ張られちゃ駄目! 『絶対帰る』って気持ちをしっかり持って!」
甲高い一喝に二人の体がビクリと震える。
強張っていた体が少し軽くなったような気がして、ハルは無意識に首を傾げた。
「よ、よーし! 今更ビビってらんねぇよな!」
「うん……行こうか。ありがとう、千景ちゃん」
「もー。お礼は良いから早く行こっ!」
「ほらほら」とチヒロに背を押されながら、ハル達は教室の扉──もとい鳥居の絵を潜り抜けた。
「……え!?」
「うわ、眩しっ!」
廊下へ押し出された二人は明らかに今までとは違う光景に面食らってしまった。
本校舎二階の廊下である事に違いはない。
ただ、窓の外に広がる世界が薄黄色に光る世界に変わっていたのだ。
暗がりに慣れていた目には痛い程の光量である。
ハルにとっては見覚えのある光景だった。
「何だぁコレ? 外すっげぇ黄色っ!」
(この色、間違いない。竜太君と一緒に攫われた時の世界と同じだ!)
ドクドクと早まる胸を押さえ、ハルは少しでも冷静になろうと息を整える。
(でもなんで? 鳥居を潜ったら元の世界に帰れるんじゃなかったの!?)
喉まで出かかる文句をどうにか飲み込み、廊下を見渡す。
パッと見では特に怪異の姿はない。
より詳しく気配を探ろうとしたものの、大成の一言で事態が一変した。
「あれ!? アイツどこ行った?」
「え? やだ嘘……千景ちゃん? 千景ちゃん、どこ!?」
チヒロは鳥居を潜るその瞬間まで、間違いなく二人の背中を押していた。
まだ彼女の手の感触だって残っている。
しかし今この場にいるのはハルと大成だけで、薄黄色に照らされる廊下は勿論、教室の中にもチヒロの姿はなかった。
そんな一瞬で人が消えるなど、はたしてあり得るのだろうか──
ハルの中でこれまでに無かった疑問が膨れ上がる。
(そんな、どうして? そういえば千景ちゃんはこれまでにも何度か居なくなってたけど……まさか……)
彼女は本物の千景なのか。
それとも奥田が千景に何かしたのだろうか。
「鳥居を作れ」という書き置きは本当に忍の指示なのか。
──そもそも本当に忍達が助けに来てくれているのか。
これまでの恐怖と緊張の連続で精神が摩耗しきっていたハルには、もはや何を信じたら良いのか全く分からなくなっていた。
「……大成君、どうする?」
「んーっと……どうするってもなぁ……外の色明らかに変わってるし、とりあえず一旦教室に戻っ……」
ミシリ
何処からともなく家鳴りのような音が響き、大成の言葉が途切れる。
パキッ ミシッ
矢継ぎ早に音が鳴り、生肉の嫌な臭いが鼻をついた。
怪訝に顔を見合せた二人の体が総毛立つ。
ズ、ズズ──ズ──
「きゃっ!?」
「な、何だぁ!?」
その感覚は背後──先程までいた教室の中から「恐ろしい何か」が迫ってくるという凄まじい恐怖だった。
(私達を探してる……? ううん。間違いなく居場所はバレてる。狙われてる……!)
前触れもなく発せられた嫌な気配は、まだ少し距離を感じるものの真っ直ぐに此方に向かってきているのだと理解できた。
(平井田さんは一階の廊下で佐藤先生に足止めされてた筈。なら、この嫌な気配は奥田さん? でも何で? どうしてさっきまで鳥居を作ってた教室の方から来るの?)
恐らく鳥居が関係しているのだろうが、何にしてもこの教室には引き返せそうにない。
チヒロの事が気掛かりとはいえあの気配に捕まってしまっては元も子もないだろう。
話し合う暇もなく、ハルと大成はほぼ同時に渡り廊下方面の階段へ向かって走り出した。
(嫌だ、見られてる! 見られてる! こっち見ないで、来ないで、やめて!)
八つ当たりをされているような理不尽さとからかわれているような不快感が纏わりつく。
そして何より、態とらしく刃物をチラつかせるようなふざけた殺気が背筋を凍らせた。
「はぁっ、はっ、はぁっ……!」
大成も同様の恐慌に陥っているのだろう。
時おりハルを横目に確認しながら必死の形相で走っている。
「せんぱっ、何かっ……変じゃない、すか!?」
「はぁ、はっ……うん!」
息も絶え絶えの二人だが口を開かずにはいられなかった。
「この廊下、こんな長く無かったっすよね!?」
「ハァッ、うん……ゼェ……」
それどころか見覚えのない曲がり角がいくつもあり、その先は似たような廊下が延々と続いている始末だった。
どう考えても迷路としか思えない。
背後の何かから逃げてはいるが、逆に迷宮の奥へと追い立てられているようにも感じる。
かといって曲がる気にも足を止める気にもなれず、ハルの意識は朦朧としていく。
(もう無理。走れない……)
意に反して足が止まる。
壁に手をついて息をきらせていると、前方で大成が立ち止まる姿が見えた。
「宮原先輩!」
「大丈、夫……ゲホッ。先に行って!」
追い付ける気はしないが足手まといになる訳にもいかない。
早く逃げろと促すハルに、大成は迷った様子で近くの教室の扉を開けた。
「お、大成君? 何を……」
「一旦隠れましょう!」
背後の気配は着実に二人を追って移動している。
たとえ隠れたとしても意味はないのだと直感が告げていた。
「いいよ、それより先に逃げ……」
「無理っす! 先輩置いて逃げたら千景と天沼に合わす顔がねぇっす!」
問答する時間すら惜しい。
迫りくる死への恐怖心と焦燥感が募る中、二人の耳は「カラン」という小さな音を捉えた。
「? なに、今の……」
「せ、先輩、あれ!」
パニック状態から一瞬我に返り、二人は音のした前方に目を向ける。
代わり映えなく続いている廊下の僅か数メートル先に、見覚えのあるものが落ちていた。




