17、懇願
「あのね、御札っ! 忍お兄ちゃんが『渡り廊下の御札を剥がして母親と娘を会わせれば何とかなるかも』って言ってたの!」
「!? 忍さんが!?」
思わぬ口から思わぬ名前が出た事により、ハルの中に新たな疑問が浮かんでしまう。
大成は「いや忍さんて誰よ?」と首を傾げており、妹との感動の再会が消化不良な事に困惑しきりである。
「もー、細かい説明は後! あのね、忍お兄ちゃんが『階段から落ちた大嶋希羽って子を探し出して、離れの校舎に閉じ込められてるお母さんに会わせてやれ』って言ってた! 上手くいけば二人分の悪意が薄まって、元の世界に近付け……」
──チッ。
「「「え?」」」
興奮しきりだったチヒロの言葉が止まる。
確かに聞こえた舌打ちは相当の不快感を孕んでいるものだった。
(今のってさっきまで笑ってた奥田珠璃さん? だとしたらこの千景ちゃんは本物って考えて良い、のかな? 何で忍さんを知ってるのかは分からないけど……)
彼女の態度や言動に不自然な所は見当たらず、とても偽者とは思えない。
そんなハルの戸惑いを察したチヒロは、「あーもう!」とお団子頭を掻きむしって地団駄を踏んだ。
「はぐれてる間に色々あったの! とにかく今、元の世界では忍お兄ちゃんと天沼のお兄ちゃん、桜木のお兄ちゃん達が校舎の近くまで来てくれてる! 早くここから出ないとヤバいんだってばぁ!」
「竜太君と桜木君が?」
「助けに来てくれたのか!?」
無条件で信じたくなる吉報である。
ようやく見えてきた希望の光に沸き立つ二人を、チヒロは険しい顔で諌めた。
「でも時間がないの。早く娘……大嶋希羽を見付けなきゃ! もしその子も母親と同じで身動きがとれないんだとしたら、私達の方でなんとかしないと、忍お兄ちゃんもどうしようもないみたいだし!」
「? わ、分からないけど分かったよ……」
もはや信じる他ない。
二人はワァワァと捲し立てるチヒロに背中を押される形で歩き出した。
「つーか探すって言ってもなぁ~」
「階段にまだ居るなら場所は絞られてくるよね?」
ハル達が登ってきた階段には見当たらなかった事を踏まえると、更に上の階か校舎の反対側──
渡り廊下付近の階段しかないだろう。
(渡り廊下側の階段って、たしか踊り場に大きな鏡が見えた所だよね……なんか嫌だなぁ)
そう肩を落とした所で、突然佐藤氏が大きく動いた。
『ぃい、う、あ゛……』
「ひゃっ!?」
不意を突かれて飛び退くハルに構わず、佐藤氏は両手を突き出してジリジリと距離を詰めてくる。
(いきなり何なの!?)
困惑と警戒をあらわにするハルを押し退け、チヒロが声を荒らげた。
「邪魔しないで佐藤先生! 私達はさっさと大嶋親子を会わせて元の世界に帰るんだから!」
『ゔ、ゔぅ……ぁ』
佐藤氏の反応は明らかに変わっており、ぎこちなく身悶える姿は不憫さよりも恐ろしさの方が勝ってしまう。
絶句するハルと大成に構わず、彼は溢れ出る血を撒き散らしながら判別不能の呻き声を発している。
「私達なら先生が守ってくれなくても大丈夫! だから教えて、大嶋希羽はどこ!?」
『……ぅ、ぐぁ……ぁぁ……』
いやに怯えた様子の佐藤氏は、やがて観念したように校舎の反対側を目で示すとそのまま薄らいで消えてしまった。
短い交流だったとはいえ、今までにない態度を見せられるというのは心臓に悪いものである。
(今のは何を伝えたかったの? 千景ちゃんの話自体は信じて良いと思うけど……)
ハルは迷う心を無理やりに鎮めてこっそりと大成の顔色を窺う。
彼は神妙な面持ちでチヒロの背中を見つめており、いつになく真面目な雰囲気を纏っていた。
「大成君? どうしたの?」
「……すんません。何でもないっす。急ぎましょっか!」
気を取り直して歩みを早める大成につられ、ハルも小走りに後を追う。
考える時間がないのは大きな不安要素の一つだが、ハルは「妹を信じると判断した大成」を信じる事にした。
「あっ。兄ちゃん、ハルお姉ちゃん、階段が見えてきたよ!」
「おい待てって! 危ないから先行くなバカ!」
チヒロの腕を掴んだ大成が急停止する。
それに倣ったハルも軽く息を整えながら階段に目を向けた。
(やだ、なに? この体中に絡みつくような重い空気……!)
移動中は気付かなかったが、明らかに嫌な気配が階段の方から漂っていた。
(空気がドロドロしてるみたいで気持ち悪い……これがさっき千景ちゃんが言ってた「悪意」ってやつ?)
遅れて気配に気付いたチヒロも息を呑んでおり、大成も言葉が出ないようだ。
とはいえずっと固まっている訳にもいかず、ハルは意を決して階段に近付いた。
『行っちゃダメ!』
「え?」
突然背後から金切り声が掛けられ、三人は反射的に振り返った。
背後には平井田少女が憎々しげな目を向けて仁王立ちしており、今にも襲いかかってきそうな体勢をしている。
『そっちはダメなの!』
「え……で、でも……」
図書室では理性的な面を取り戻していたというのに、また話が通じなくなっているようだ。
三人の戸惑いなどお構いなしに、平井田は血混じりの唾を飛ばしながら叫んだ。
『 行 く な っ て ! 』
「きゃ!?」
飛びつかれると身構えた瞬間、ハルの目に何度となく経験した白い光が射し込んだ。
(よりによってこのタイミングで!?)
頭が痛くなるような眩しさの中、少女達の甲高い声が聞こえ始める。
今度はどんな会話を聞かされるのか──
身を強張らせていたハルは眼前に立つ見知らぬ少女と目が合い、心臓が飛び出そうな程驚いた。
(近っ!?)
しかし出したつもりの声は出ず、意に反して口が勝手に動き始める。
「……で、急に呼び出してなに? 言っとくけど私、奥田さんの事も平井田さんの事も許せないからねっ!」
(!? この声は誰? 私、一体誰になってるの!?)
他者の体になるのは夢の中のお姫ちゃんで経験済みだが、冷静に考察する余裕はない。
混乱覚めやらぬ内にハルの中に自分のものではない感情が流れ込んでくる。
(この気持ちは、この体の子のもの……?)
激しい怒りと悲しみ、そして真っすぐすぎる程の強い正義感だ。
「ちょ、ちょっと待ってよ大嶋さん!」
目の前の少女がオロオロしだした所で、ようやくハルは彼女が生前の「平井田知佳子」なのだと理解した。
よく見れば覚えのあるポニーテールが揺れているのが分かる。
(大嶋さんって、転落死した大嶋希羽さん? 困ってる彼女が平井田さんなら、話の流れ的に私視点の……怒ってるこの子が……)
考えている間にも視覚を共有している人物は厳しく平井田を責めたてていく。
「待たない! 金魚だって一生懸命生きてるんだよ!? 殺した奥田さんが一番悪いけど、止めないで見張りしてた平井田さんだって同罪なんだから!」
「私だって可哀想だって思ってるよ! でも珠璃に言われたから仕方なかったのっ!」
「はぁ? そんなの言い訳になってないし! とにかく私、全部佐藤先生に言うから!」
「やめて! お願いだから誰にも言わないでってばぁ!」
どうやら大嶋希羽は言い訳や口止めするばかりの平井田に腹が立って仕方がないようだ。
言い争いの場所は廊下の端らしく、放課後だからか周囲に人の姿はない。
まとわりつく平井田を振り払い、ハル──もとい大嶋希羽の足は階下の職員室に向かうべく階段へと近付く。
(って、ちょっと待って。この流れで階段は……!)
嫌な予感しかせず、ハルの鼓動が早くなる。
必死に止まろうと力を入れるも、ハルの思いは叶わず勇み足は止まらない。
「ねぇほんと待ってよ! 大嶋さんが黙っててくれないと珠璃が、」
「……困るんだよねぇ~、っと!」
(えっ?)
突然の第三者の声に振り返るより早く、ドンッと背中を押される衝撃と内蔵が浮くような浮遊感に見舞われた。




