16、誤認
竜太達が廃校に到着したのとほぼ同じ頃。
二階に上がったハル達は千景との行き違いを避けるべく、階段から最も近い端の教室から探索する事に決めた。
教室の札には掠れた字で図書室と書かれており、二人は階段の途中で佇む佐藤氏の気配に気を揉みながらも引き戸を開けた。
辺り一帯に木製扉特有の大きな音が響き渡る。
「千景ー、いるかー?」
「千景ちゃん……」
廃校にしては本が多い。
隠れている可能性を考慮して机の下やカウンターの裏を覗くも、千景の姿はどこにも無かった。
二人は「ハズレだ」と目で合図を交わし、すぐに扉に向かう。
しかし──
ガラララッ
バンッ!
「「え?」」
扉が目の前で勢いよく閉まり、二人は唖然と立ち尽くしてしまう。
ハルは一瞬だけ佐藤氏を疑ったものの、どう考えても彼が扉を閉めたようには見えなかった。
「はぁぁ!? 嘘だろ!? 何でドアが勝手に!?」
閉じ込められた事に動揺した大成が扉に手を伸ばす。
ドン! ドンドンドン!
「ぅひゃあ!?」
ガタガタと扉の外側から激しい音が立てられ、反射的に彼の手が引っ込められた。
──クスクス、クスクス。
(!? またこの笑い声……!)
久しく聞こえていなかった笑い声の復活に嫌な予感が膨れ上がる。
ドンドン、ドンッ!
──フフッ。
(この笑い声の子が扉を閉めたのなら、ドアを開けようと叩いてるのは佐藤先生?)
霊体なのに扉を通り抜けられないのかという疑問を抱きつつ、ハルはキョロキョロと周囲を見回した。
(げっ!)
いつの間に現れたのか──六人がけの机の傍らに顔の爛れた少女が立っていた。
校長室でハルに襲い掛かってきた少女である。
彼女は相変わらず苛立っているようで、血塊のこびり付いた歯を食いしばってこちらを睨んでいる。
『お兄ちゃん、なんで? なんでそんな奴と一緒にいるの?』
「は、はぁ!?」
『やっと見つけて、ずっと声をかけ続けて。ずっとずーっと待ってたのに。やっと来てくれたと思ったら……どうしてすぐ私の所に来てくれないの!?』
情緒不安定な金切り声が二人の肩をビクリと跳ねさせる。
『私、ずっとずっとずーっと待ってたのに……! なんでそんな奴と仲良くしてるの!? なんで佐藤先生なんかと一緒にいるのっ!?』
──クスクス、クスクス
ドンッ ドンドンドンッ
激昂した彼女は姿の無い笑い声に気付いてすらいないようだ。
閉ざされた扉。
恐ろしい形相で詰め寄る少女。
扉を叩く音と謎の笑い声。
とにかく情報量が多すぎる。
耳を塞いで蹲りたくなるような状況の中、ようやく大成が声を絞り出した。
「お、お俺はお前の兄貴じゃない、人違いだ!」
一瞬、少女の言葉が途切れる。
しかし──
『……なんでそんなイジワル言うの?』
グシャリと引き攣れ爛れた顔がより深く歪む。
ジクジクと表皮から滲む血がポタリと床に落ちた瞬間、少女は勢いよく地を蹴った。
「んぎぁっ!?」
予想以上に少女の動きは早く、大成は真正面からガッチリと抱きつかれてしまった。
振り払おうと我武者羅に暴れるも腰に回された彼女の腕は一瞬たりとも緩まない。
「は、離せ! 離せってば!」
細い腕に見合わない力強さである。
ハルも少女を引き剥がそうと試みたものの、むしろギリギリと抱きつく力が増しているようだった。
「っぐ、痛って……」
大成の顔が苦痛に歪む。
これ以上は本当にまずいと焦ったハルは考える間もなく叫んだ。
「本当に人違いです! 顔をよく見て! 妹なら分かるでしょ!?」
ピタ、と僅かに締め付ける力が止まる。
その機を逃さず、ハルは賭けとばかりに言葉を捲し立てた。
「ちゃんと思い出して! あなたのお兄さんの顔を! お兄さんの名前は何!? 平井田、誰さん? この人は違う! この人は大成君であなたのお兄さんじゃない!」
更に微かに腕の力が緩み、大成も掠れた声を上げる。
「ぅ、悪ぃけど、俺は……マジでアンタの兄貴じゃない……ほんとに人違いなんだって……!」
息も絶え絶えな言葉に切実さを感じたのか、少女はもどかしい程ゆっくりと拘束を解くと怪訝な顔で大成を見上げた。
爛れた目蓋から覗く黄ばんだ眼球が痛ましい。
目を逸らす事も出来ず、大成は石のように固まったまま少女の視線を受け止め続けた。
(……な、長い……)
いつの間にか笑い声と扉を叩く音は止んでおり、図書室内は耳が痛い程の静寂に包まれている。
この長考がどんな結論に至るのか、ハルには全く見当がつかない。
『…………なに、それ』
かなりの時間を置いた所で漸く少女の体が離れた。
彼女はヨロヨロと距離を取る大成を見つめたまま不機嫌そうに頭を振る。
『せっかくお兄ちゃんに会えたと思ったのに、ニセモノだったんだぁ』
「偽者って……」
一方的に間違えておいて随分な言い草である。
かといって抗議が出来る筈もない。
『あーあ……私、騙されてたのかぁ』
「なっ!? 俺は別に騙してなんか……!」
『いや、お兄さんにじゃなくってさぁ……』
激情に駆られていた時とは打って変わり、少女は落ち着いた様子で不服をあらわに俯いている。
『……珠璃にだよ』
静寂の中で辛うじて聞き取れた呟きが妙にハルの胸をざわつかせた。
(珠璃って……確か奥田とかっていう、この子を脅したり佐藤先生に注意されてた笑い声の子?)
見た目のせいもあり平井田少女や佐藤先生、血塗れの女性に気を取られがちだったが、思えば不穏な流れの際に必ずついて回る存在がいた。
(その珠璃って子も事件の後に亡くなってるんだよね? 噂だと二人とも死因は病死だった筈だけど)
不快な心のざわつきが消えない。
何かしらを言わねばとハルが口を開いた瞬間、それまでビクともしなかった扉が唐突に開いた。
ガラララッという激しい音に、ハル達のみならず平井田少女の肩も揺れる。
(え? 佐藤先生……?)
目を見開くと同時にハルと佐藤氏の目が合う。
グチャグチャと言っても過言ではない彼の顔もどこか驚いているように見え、ハルは漠然と「笑い声の主が開けたのだ」と感じた。
(でも何の為に……)
『ヒッ!? い、いやぁーーっ!』
思考する暇もなく平井田少女が金切り声を上げる。
そしてそのまま図書室の奥へと逃げるように掻き消えてしまった。
よほど佐藤氏が恐ろしいらしい。
──クッ……フフッ
(また笑い声? 一体どこから……)
──……ッフ……アッハッハ! ハハハッ! あー!
堪えきれないと言わんばかりの笑い声が図書室中に響き渡る。
一体何がそんなにおかしいのかは不明だが、もはや隠す気もない笑い声は十数秒も続いた。
笑い声が止んだ後も奇妙な空気感は残り、ハルと大成は気まずく顔を見合わせる。
「……もう、何が何なんだろうね」
「っすね……俺もうマジ泣きそうっす」
震える膝に手をつく大成に心底同情しつつ、ハルは開け放たれた扉を見つめた。
佐藤氏は相変わらず映画のゾンビのように両手を突き出したまま、何をするでもなくフラフラと覚束ない足取りで立ちつくしているだけだ。
(扉を閉めたのが奥田珠璃さんだとして、急に開けたのは何で? 笑ってた理由も気になるけど、そもそも目的は何だったの?)
いくら考えた所で答えは出そうにない。
ヨタヨタと扉から距離を取る佐藤氏を横目に、二人は警戒しながら図書室を出た。
「えーっと、宮原先輩。この後はどうします?」
「……引き続き千景ちゃんを探そうか。とりあえずさっきの子の誤解は解けたみたいだし」
現状そこまでの危険は無さそうだとハルが呟くと、佐藤氏がもの言いたげに唸り声を上げる。
何事かと振り返った途端、聞き慣れた声が階段の方から投げかけられた。
「良かった! おに……兄ちゃんとお姉ちゃんここに居たんだ! 無事だよね!?」
「千景!?」
「千景ちゃん!?」
パタパタと駆け寄って来たのは千景と同じ姿をしたチヒロであった。
彼女の顔にはホッとしたような焦ったような複雑な笑みが浮かんでいる。
再会を喜ぶ前にはぐれてしまった千景であるかを疑ってしまうハルだったが、それを確認するより早く、彼女は二人の前で急停止して叫んだ。




