15、保護者の苦悩
(っとに、どうなってやがんだ)
屋根と柱があるだけの渡り廊下の横に立ち、忍はガシガシと後頭部を掻いた。
本校舎の扉は完全に破壊されており、立ち入り禁止のテープが雑に張られているだけである。
とはいえ、今の忍には侵入する気など更々無かったが──
(強ぇ悪意が多すぎる。いきなり本校舎は無理か)
逆に離れの校舎の扉は施錠されていて開きそうにない。
(気配が孤立してる離れの方から行くしかねぇな)
外壁に沿って歩けばものの数メートルで割れた窓ガラスを発見できた。
彼は残った破片を蹴り割ると、何の躊躇もなく教室へと侵入した。
室内はすっかり荒れており、机などの備品はおろか掲示物すら殆ど残っていない状態である。
他にも出入り口があったのか黒板と壁はチョークやスプレーの落書きだらけで、床には雑誌や空き缶などのゴミが散乱している。
肝試しスポットだった時期もあるのだろう。
「お」
黒板の隅に書かれた伝言に気が付き、彼の目が細まる。
『お兄ちゃん、これを読んだらこの教室の近くにいてね。
私はハルお姉ちゃんとこの教室から順に回って探しに行きます。
もしここが危なくなったらどこかに隠れててね。
優しくて可愛い妹より』
「なるほど」
大成がこれを読んだ形跡は無かったものの、チヒロとハルがこの場に居た事が確信できたのは大きい。
忍は早々に教室を後にして廊下に出ると一年二組の札の下で意識を集中させた。
(どこに居やがる)
そっと両眼を閉じて辺りを探るも、立ち込める嫌な気配は忍を警戒して威嚇するばかりで尻尾を掴ませない。
(どこに居やがる。大嶋多都子)
それでもしつこく探り続けていると徐々に自分のものではない感情が伝わってきた。
『なんで、どうして?』
愛する娘を失った深い悲しみと痛み。
『許さない。殺してやる、殺してやる』
理不尽に対するやり場のない激しい怒り。
心のタガは簡単に外れ、後は狂い堕ちるのみ──
『私とあの子を引き離した奴を殺してやる』
娘に会いたいのに会えない苦しみ。
抱きしめたい、声を聞きたいとどれ程願っても叶わない苛立ち。
『会いたい、足りない、憎い』
昇華できない程に膨れ上がった不満と憎しみ。
『もっとアイツを殺さなきゃ。だって、
ま だ 、 あ の 子 に 会 え て な い 』
忍は流れ込む感情を遮断すると短く息を吐いた。
負の情念が校舎全体に渦巻く様はさながら密室の中を漂う毒ガスである。
現世でこの状態ならハル達のいるあちら側の世界はもっと酷いだろう事は想像に難くなかった。
(チッ。ハルちゃんと大成君は連れ去られた時点でその世界に受け入れられてしまっている。一刻も早く連れ戻さねぇと)
かといってその異界に住まう怨霊から拒絶されている忍が二人の元へ行く術はない。
(せめて悪意が薄まりゃあ、無理やり出入り口をこじ開けてこっち側と繋げられるんだが……そもそも彼女は何故娘に会えねぇんだ?)
事の発端である少女、大嶋希羽。
転落死した彼女の魂は一体どうなったのだろうか。
(居るとしたら本校舎か。デケェのに取り込まれてないと良いが)
母娘を引き合わせようにも他の怨霊が邪魔となるだろう。
むしろ本校舎の強い怨霊が娘である可能性の方が高い位だ。
何れにせよ大嶋多都子を下手に取り逃がして本校舎の霊に取り込まれる事だけは避けたい。
思考しながら廊下を進んでいくと、渡り廊下の出入り口にも書き置きを発見した。
やはりチヒロの話に矛盾はないようで、ハル達が居るのは本校舎で確定である。
(まずは母親の恨みの念をどうにかしねぇと)
焦りが募る中、ふと柱の上部に目を向けると長方形の紙が貼ってある事に気が付いた。
それは一見何なのか分からない程に赤黒く変色した御札であった。
「……半端な事しやがって」
女はこの建物から出られないようだったという話を思い出し、この御札の効力によるものだと合点がいく。
かつてこの場を御祓いした何者かが、大嶋の魂を鎮めきれぬまま閉じ込めてその場を凌いだのだろう。
忍はおざなりな仕事をした者に苛立ちを覚えつつ踵を返した。
(一時撤退。長居はキチィ)
しかし完全に手が無い訳ではない。
協力者が必要だと判断した彼は、足早に割れた窓から外に出て竜太達の元へと戻った。
「あ、忍さん」
「ただいまっス」
真っ先に反応したのは竜太だった。
飄々とした態度で手を振る忍に対し、竜太は文句言いたげな顔で仁王立ちしている。
桜木は千景と並んで地面に座り込んでいるが、渡した御札が効いているのか顔色はそこまで悪くなかった。
「で、何か見つけられたの?」
「結論から言うと大嶋……母親が居たっスね。俺を警戒してるのか、終始隠れてて姿は見せませんでしたが」
「霊が警戒して隠れてた? え、忍さんってマジで何者なんですか!?」
「ただの公務員スよ。それより竜太」
忍は目を丸くする桜木を軽く流して竜太に向き直る。
彼の鋭い目は竜太の足元に向けられていた。
「ちょっと見ない間に随分と面白いモンを連れてますねぇ」
「? 何言って……」
三人が同時に忍の視線の先を追い、そして同時に息を飲む。
竜太のすぐ横に橙色の着物を着た日本人形が横たわっていた。
「や、やだ! いつの間に!?」
「大丈夫か!?」
反射的に身構える桜木達とは対照的に、竜太はこわごわと人形を拾い上げる。
「へーき。コイツ、確か大成が入ってる演劇部で守り神とか言われてる人形」
何でここに? という竜太の呟きは忍の噴き出す声で掻き消えた。
「別に悪いモンじゃないね。大成君を守ろうにも辿り着けないから、わざわざ竜太の縁を辿って来たって所かな」
「ふーん」
健気だねぇと軽口を叩く忍に眉根を寄せつつ、竜太はお姫ちゃんを小脇に抱える。
千景がドン引きしていたが、お姫ちゃんが大成を気にしている節があったのを覚えている竜太としては流石に放置するのは憚られたようだ。
「話を戻しまして。ちょーっと協力して欲しい事があるんスよねぇ」
再度話題を変えた忍が千景を見つめる。
キョトンとする彼女に、忍は「良いですか? チヒロちゃん」と眼鏡を持ち上げながら告げた。
ガクンと千景の身体が揺れ、全身が脱力する。
「お、おい!?」
桜木が寸での所で抱きとめると、彼女の目は暫く焦点が合わないまま口だけがすぐに動きだした。
「良かった。やーっと来たんだ」
「お待たせしてすみませんねぇ、チヒロちゃん」
「もーホントだよぉ。早くしてよね。ちょっと前にお姉ちゃんとお兄ちゃんが合流したみたいだからさ!」
お姫ちゃんやチヒロの登場で絶妙な緊張感が残るものの、大成発見の報は張りつめた空気を少しだけ和らげた。
「それは何より。場所は?」
「本校舎。こことは反対側の端っこね」
それを聞いた忍は暫し考え込んだ後、「頼みがあります」とチヒロの目を覗き込んだ。
「ここは怨念が強すぎて、俺達はハルちゃん達の所に近付けないしその逆もまた然りなんです」
「だろうね。私も千景の身体を通して話すのがやっとだもん」
「なので、順に怪異を削っていこうと思っています」
「「「削る?」」」
意図せずハモる三人を笑う事もなく、忍は人差し指を立てて説明を始める。
「少しずつ怨霊の数を減らしていくんス。向こうの怨念が薄まれば世界の境界が曖昧になります。そうすれば俺もアチラの世界に干渉出来るし、向こうにいる二人も此方側に近付ける筈なんで」
「えっと……よく分かんねぇけど、霊が減ったら宮原達を助けられるって事か?」
「はい。その認識で十分スよ」
そこで、と忍は渡り廊下方面を指差した。
「渡り廊下の出入り口に古い御札が貼られてました。そのせいで母親はあの校舎から出られないようなんス」
「じゃあその母親を忍さんがどうにかすれば良いんじゃないの?」
竜太ならではの「信頼あってこその無茶な物言い」には流石の忍も苦笑が漏れる。
「それは最終手段だな。それよりも母親の無念を晴らさせてあげましょう」
「で、でもどうやって? あのオバさん、全然話が通じそうになかったよ? まさか佐藤先生を連れてってまた殺させる気なの?」
女の形相は思い返すだけでも恐ろしいらしく、チヒロの声が恐怖に震える。
「いや。チヒロちゃんはハルちゃん達と一緒に、大嶋希羽を見つけて渡り廊下まで連れてきて欲しいんス」
「大嶋希羽って階段から落ちた女の子だよね?……あ、そうか!」
「えぇ。ハルちゃん達が娘を連れて来た所で俺が御札を剥がします。上手くいけば二人削れるかと」
リスクが高い上に時間もないが、二人を救うにはそれしかない。
一連の流れを確認したチヒロは「人使いが荒いお兄さんだなぁ」とおどけながら去っていった。
残された千景は相変わらずスヤスヤと眠ったままで異常はないようだ。
千景を支える桜木を一瞥した忍は、やはり時間がない事を確信する。
桜木の顔色は一見すると普通そのものだが、知る者が視ればハッキリと分かる霊障を受けていた。
「竜太。その人形をしっかり持って、桜木君と千景ちゃんから離れないように」
「? 分かった」
「俺はいつ大嶋希羽が来ても良いように離れの校舎で待機する。もし三十分以上待っても俺が戻らなかったら、人形を持ったまま三人で車まで戻れ。応援は呼んである」
「やだ」
「あ゛?」
「……」
ムスッと頷く竜太の反応をしっかりと確認し、忍は軽い足取りで再び離れの校舎へと歩きだした。
「まぁ何とかなるでしょ。ではまた後で」
「……」
「あ、えと、お気を付けて!」
不機嫌募る竜太と礼をする桜木のチグハグさは新鮮としか言いようがない。
桜木の苦労人体質に同情しつつ、忍は気を取り直して離れの校舎に入り直した。
(まだ娘が居るなら本校舎にも御札が貼られている可能性が高い。厄介なのは娘の霊が既に居なかった場合だ。そん時ゃ流石に腹括らねぇと)
この緊急時に捕縛や説得による浄霊、封印は現実的ではない。
ともすれば力技での解決しかないだろう。
強制的な魂の消滅である。
しかしあの激しい無念の情を知る忍としては最も避けたい手段であった。
(子を想う母親、ね。叶えてやりてぇが、さて……)
今はハル達の働きに望みをかけて待つしかない。
忍は気を引き締めて自身と竜太達の守りに力を入れるのだった。




